見出し画像

「明治謹製」大日本帝国式『天皇・天皇制』の創作性(4-2)

【冒頭断わり】 「本稿(4-2)」はつぎの(4-1)の続編である。本来は「本稿(4)」1本であった内容を,その(4-1)と,この(4-2)に分割して記述する体裁になった。いずれも長文ゆえがあって,そのような編成に変更した。


 1 三浦悟楼を考究した山辺健太郎『日本統治下の朝鮮』太平出版社,1970年,Ⅶ「閔妃事件について」(205-235頁)を引照する記述


 1) 閔妃事件とはなにか

 閔妃事件とは,1895〔明治28〕年10月8日,一団の日本軍隊と日本の民間人がソウル(現在名で当時は漢城)にあった朝鮮王宮に侵入して,王妃を虐殺した事件である。

 註記)山辺健太郎『日本統治下の朝鮮』太平出版社,1970年,207頁。さらに以下の引用・参照は追って,208頁,212-213頁,213頁,213-215頁,215-216頁,218頁,219-220頁,221-222頁,222-223頁,223-225頁,226頁,226-227頁,227-228頁,230頁,231頁,235頁。

 補記)関連する文献として,小早川秀雄,川村善次郎訳『閔后暗殺(閔妃殂落事件)』〔中野好夫・吉川幸次郎・桑原武夫編『世界ノンフィクション全集37』筑摩書房,昭和37年所収〕がある。

 これら本以外にも閔妃暗殺をとりあげた著作があるが,それらは末尾の【アマゾン通販を借りた参考文献】に列挙する。韓国語訳本としてはたとえば,趙 徳松譯『閔妃弑害記 〈민비 시해기〉』(ソウル)汎文社, 1965年〕がある。

 その当時,隣国の王妃を殺した事件であったから,理解しやすくたとえて説明するならば,少し雑な表現になるが,在日米軍が日本の皇后を殺害した事件にでも相当するのかとでもいったふうに,いいかえることができるかもしれない。時代背景が大きく異なるので,誤解を招かないように説明するにしても,このようにしか言及のしようがない。

隣国の王妃を殺した大日本・明治帝国


〔本文に戻る→〕 小早川秀雄(閔妃を暗殺した実行隊の一人で「日本人壮士」だと日本側は呼んだ人物)の語ったところはまったくうそばかりで,真実はひとかけらもない。だが,恥ずべき強盗行為をなぜ,自慢して公表したのか,そこに問題があった。

 小早川が朝鮮に関すること,とくに朝鮮への侵略行為を得々としてしゃべるようになったのは,日本の朝鮮侵略がひとまず完成した「韓国併合」以後である。

 補記)韓国併合とは,1910年8月29日,当時の大韓帝国を,大日本帝国が廃させ,「韓国併合ニ関スル条約」に基づき併合・統治下に置いた事件を指す。あるいは,朝鮮併合,日韓併合,日韓合邦,日鮮合邦とも表記される。

韓国併合

 つまり,この「併合」が自分の手柄であったかのようにいうのは,この「併合」の功労者が爵位をもらったり,勲章をもらうようになってからである。

 補記)小早川秀雄(1870:明治3年-1920:大正9)は,肥後国熊本(熊本県)生まれ,熊本師範卒。朝鮮の漢城新報記者を務めていた1895:明治28年,安達謙蔵に従い閔妃暗殺事件に荷担し,事後,広島に入獄する。1899:明治32年,九州日日新聞主筆,のち社長に就任。また熊本県議を務めた。

小早川秀雄略歴

 手柄話や自慢話にしても,実際にやらないことをやったようにいうこの小早川のような男がいたかと思えば,事件の主謀者である三浦悟楼駐韓公使のように,事件のあとで事の重大化に驚いてしょげかえっていたのに,だいぶあとで書いた『観樹将軍回顧録』〔政教社,大正14:1925年〕では始終意気昂然としていたように,うそをついた者もいた。

 三浦悟楼は,閔妃を殺しておいて「イヤ是デ朝鮮モ愈々日本ノモノニナッタ」というにいたっては,その知能の程度は十七歳の低能少女に似ていないか? 

 〔前後して参照している〕山辺健太郎がこう譬えた話は,1964年8月24日に起きた「17歳女子が高島忠夫夫妻の長男(5カ月)を殺した事件」を念頭に置いての発言であった。

 高島家のお手伝いの女子(17歳)が,それまでは可愛がってもらっていたのに,赤ちゃんが産まれてからは相手にされなくなったと嫉妬したうえでの犯行であった。〔彼女は〕不審な男が家のまわりをうろうろしていると,以前から何度も交番に届けており,計画的な犯行でもあった

 2)三浦悟楼という人物

 三浦悟楼のいいぶんは,戦前の1935〔昭和10〕年8月12日,皇道派青年将校に共感する陸軍中佐相沢三郎が,統制派の首脳であった陸軍少将永田鉄山という軍務局長を陸軍省内で斬殺しておいて,台湾に赴任するつもりであった,という軍法会議での発言と同じである。当時世間は,この相沢中佐の頭を疑ったが,同じように三浦の頭も疑われねばならない。

軍人だから人を殺して出世する?


 当時ソウル駐在の一等領事内田定槌は,閔妃を虐殺したこの事件に関して外務省に送った報告のなかで,この善後策については世間体が悪いからみせかけだけで取調べをやるけれども,そのときの陳述内容は「同一の申立」をするように「申合」をやらせた,といっている。

 しかも,内田領事の命令で「同一ノ申立」をするためにやった「申合」の内容は,実に人を馬鹿にしたものであった。

 取調べる方から命令し,11人いた容疑者全員に同一の主旨を,「私交上〇〇君ノ依頼ヲ受ケテ入闕シタル者ナリ而シテ」「全ク自己ノ意思ニ出タリ」とか,「日本服ヲ着シタル朝鮮人モ大分見受ケタリ」「韓服若クハ和服ノ朝鮮人等之ヲ為セシコトニシテ」とか陳述させる「申合」をしたのである。

 1895〔明治28〕年10月当時はすでに,日本側に治外法権があった。領事の支配下にある領事館警察が取調べをやるにしても,この領事館警察の警部も凶行の共犯者であったから,もしこの警部が本件の容疑者を取調べるとすれば,容疑者が容疑者を取調べることになる。

 これくらい人を馬鹿にした話はない。それがさらに,領事の命令で,容疑者の陳述内容までもあらかじめ決めていたというのだから,この取調べはまったくの茶番であった。閔妃虐殺事件は,日本の守備隊が中心になった犯行であり,日本のゴロツキたちはただ,その手先に使われて王宮に侵入し,閔妃を殺していたのである。

 〔のちに〕広島地方裁判所でおこなわれた形式的な裁判は,凶行の下手人がわかっていたに違いないか,あるいは少し追究すれば当然わかるのに,これをやらず証拠不十分として判決した。この広島の裁判は,高橋源次という閔妃斬殺の下手人を認めていたが,証人調べもやらず,犯人を出さないように苦心したらしい跡すらうかがえ,実に不正な裁判をやった。

 閔妃逆殺事件の主役は,実は日本の軍隊であって,日本人のゴロツキたちがその手先に使われただけである。あとになって,民間人の安達謙蔵たちが自分たちがやったかのように自慢話をしたので,軍隊の関与は世間から忘れられたと思われる。

 そのころのソウルの王宮は高い塀でかこまれ,アメリカ人将校の訓練・指揮する侍衛隊がいたから,この部隊と戦って王宮に侵入する力は数十人の民間人にはなかった。日本の守備隊がこの侍衛隊を制圧して王宮の要所をかためていたから,ゴロツキたちも王宮に侵入できたのである。

 閔妃虐殺事件に関係した京城守備隊は,後備歩兵第一八大隊で馬屋原少佐が隊長であった。この守備隊長馬屋原少佐は,1895〔明治28〕年10月6日に三浦公使から命令を受け,7日には明8日に大院君〔閔妃の配偶者:大韓帝国の皇帝高帝の父〕入闕が決まったといわれたので,その日各中隊長を集め,その部署・任務などを命令したという。

 閔妃殺害のため日本兵は直接に手は下さなかったが,凶行の協同実行者であったことは間違いない。陸軍の関係者も広島で軍法会議にかけれたが,みな無罪になっている。このため,そのあとの裁判で民間人も無罪にしたものらしい。

 3)広島裁判所の茶番ぶり

 広島裁判所における裁判の進行では,陸軍の法官部と裁判所とがたがいに連絡をとっており,高橋源氏が民間人の犯人であることはわかっていた。

 そのほか,閔妃殺害後,その部屋の品物を略奪したというのだから,その行為の卑劣なことはお話しにならない。さらには,民間人のゴロツキどもは閔妃の死体を凌辱した。このように,閔妃虐殺事件は,日本帝国主義が朝鮮で犯した罪悪のうちでももっともひどいものであった。

 日本政府は事件が起こされた当初,この事件の主謀者が三浦悟楼公使であったことをしらず,ソウル駐在の列国外交官もその事実をしらなかったと思われる。しかし,日本人がこの事件に関係し,とくに守備隊が関係していたことは,すぐにしれわたった。

 日本の外務省が事態が重大なことをしったのは,事件の起こされた10月8日午後3時半ごろ,アメリカ・ロシアはじめ当時ソウルにいた外交官たちがそろって日本公使館を訪問し,三浦公使に説明を求めたからである。日本の外務省が事態の重大さを悟ったのは同日午後11時15分,西園寺外務大臣あての電報からと思われる。

 日本政府が狼狽したのは当然である。だが,三浦公使以下の処分問題や事件そのものの跡始末は,たいした問題になっていない。ただ,韓国における日本の外交政策は,それから後退をつづけていくことになった。

 朝鮮宮廷内の親露派の反撃が始まり,やがて朝鮮国王がロシア公使館へ逃げだすいわゆる露館行幸ともなり,親日派の金 弘集内閣が倒れた。閔妃虐殺事件以後,ここまでの韓国の状態は,原 敬の報告書「朝鮮ノ現況及将来ノ傾向ニ付上申」の末尾にこう記させていた。

 「而シテ其時ニ至ラハ我国ノ権利利益ヲ伸長スルノ機会モ可有之ト存候ニ付其迄ハ実際真ニ捨置難キ事件ノ外無為政策ヲ採ルコト必要ト存候尤モ此無為政策ノ結果我予想ニ反スルコトアルニ於テハ更ニ其時ニ及ンテ相当ノ訓令ヲ仰クヘキコト申迄モ無之候」

 2 小早川秀雄,川村善次郎訳『閔后暗殺(閔妃殂落事件)』〔中野好夫・吉川幸次郎・桑原武夫編『世界ノンフィクション全集37』筑摩書房,昭和37年所収〕「解説」


 この本の「解説」を書いた村松 剛は,こう述べている。

 国家のためには,一国の公使が,白昼壮士をともなって王宮に乱入し,隣国の王妃を斬殺しても,みずから少しも不思議とは思わない。『閔后暗殺』は,こういう時代相なり風潮なりを背景として,導き出された事件だった。その典型的な例である,ということもできるだろう。

 閔妃の暗殺は,明治28年(1895)10月,すなわち日清戦争の終わった直後に,当時の韓国駐在,三浦悟楼公使(観樹,陸軍中将,子爵)と,熊本県人を主体とする民間壮士たちの手でおこなわれた。

 いくらナショナリズムの19世紀でも,公使が指揮をとって王妃を殺すというのは,無茶である。列国はただちに日本に抗議し,日本も関係者全員を逮捕したが,そのあと,朝鮮人の1人がみずから罪を買って出たことや,ロシアがこんどは国王を奪っていったことやで,結局被告は全員釈放となり,事件はうやむやのうちに葬られてしまった。

 著者の小早川秀雄は,当時,漢城新報の編集長。のちに九州日日新聞の主事,社長を歴任し,晩年は熊本の県会議員などをつとめた人とである。あの九州日日新聞に在職していた当時,あるひとが彼に,新聞編集の仕事をあえてふり切って,暗殺事件の渦中になぜ飛びこむ気になったかときくと,彼は「男はせなきゃならんときは,体が震う震うでもせなきゃならん」ものだ,とこたえたと伝えられる(後藤是山氏の談話による)。

 「外国にたいするこうした陰謀や,元首の謀殺は,大むかしから現代にいたるまで-たとえばソ連軍によるハンガリーのナジ首相の逮捕にいたるまで-必ずしも珍しいことではなかった」

 「この場合では,出先きの政府機関が,中央の知らないうちに,独断専行,勝手に王妃を殺してしまったのだから,これはほかの国ではあまりみられない例」である。

 註記)小早川秀雄,川村善次郎訳『閔后暗殺(閔妃殂落事件)』,中野好夫・吉川幸次郎・桑原武夫編『世界ノンフィクション全集37』筑摩書房,昭和37年,〔村松 剛「解説」〕406頁,407-408頁,409頁。

『閔后暗殺(閔妃殂落事件)』という本


 もっとも,以上のように解説された小早川秀雄『閔后暗殺(閔妃殂落事件)』は,いわば国家的な蛮行を犯した下手人たちを,きわめて好意的に言及していた。

 「たとえ法にとわれても,なんのやましいところもなく,国のためにやったのだからというくらいの調子で,いずれも気焔はずいぶんと高かった」といい,あるいは,彼らを裁くはずの判事までが

 「汝らの行為は,もと報国の熱情より発し,俯仰天地に恥じることがないではないか,どうして事実を隠して,公明の心事を傷つけようとするのか」といってのけた点を紹介するなど,

 註記)小早川,川村訳『閔后暗殺(閔妃殂落事件)』,中野・吉川・桑原編『世界ノンフィクション全集37』,〔村松「解説」〕,同書,370頁,393頁。

引用・続き


 日本の「壮士」たちが日本帝国のための「朝鮮の王妃を殺した事実」を,なんら恥じることもなく,あたかも必然の要請の意を汲んで実行されたかのように認容してもいた。

 ここでは再度,明治天皇が閔妃虐殺の報告を聞いて「遣る時には遣るナ」と答えた話を思いだしておく。朝鮮公使の三浦悟楼も熊本県の壮士たちも,そして明治天皇も,日本帝国の〈同じ穴のムジナ〉であった。

 朝鮮侵略という目的のためであれば,当時帝国の武力を背景にして,手段を選ばずやりたい放題であったにおける日本の体質が「閔妃虐殺事件」において尖鋭的に表現されている。

 ともかく,この閔妃虐殺「事件の立役者のうち,三浦悟楼はその後政界の大御所的地位を占め,壮士団の指導者,安達謙蔵は逓信大臣,内務大臣等を歴任して,政党の総裁にまでなった。小早川秀雄は……九州日日新聞の社長になった」

 註記)前掲,小早川,川村訳『閔后暗殺(閔妃殂落事件)』,中野・吉川・桑原編『世界ノンフィクション全集37』,同書〔村松「解説」〕409頁。

 なお,中央公論社〔現・中央公論新社〕は,三浦悟楼『観樹将軍回顧録』(昭和63年)を復刻するさい,明治天皇が吐いた「遣る時には遣るナ」という部分(くだり)を削除した。こうした常識的にも許されない,復刻版の編集作業における意図的な作為:「事実の隠蔽」は,戦前における日本帝国の精神構造に通底する気分,天皇・天皇制そのものを無条件に「高貴な個人・揺るがぬ組織」として擁護したい感情を正直に反映させていた。

 

 3 梶原英之『オリンピック返上と満州事変』海鳴社,2009年


 この本は,国際連盟事務次長を1927年から1933年に日本の国際連盟脱退まで務めた外交官杉村陽太郎に論及する著作であるが,やはり外交官であった杉村の父,濬に触れる箇所もある。

 a) 杉村陽太郎の父は杉浦 濬(ふかし)という,ブラジル公使などを務めた外交官だった。明治28〔1895〕年に朝鮮で起きた大事件が起きる。朝鮮の宮廷を支配していた反日派の王妃・閔妃を日本公使・三浦悟楼の指揮のもと浪人が殺害した事件だ。杉村 濬はそれにかかわった。犯人らは日本で裁判にかけたが,微罪で許され,それぞれの職場に戻ったのである。

 杉村 濬も有能な外交官として過ごした。杉村は父のもとで将来,外交官となるべく育てられた。外国語の能力は学校教育以外に教えられたようである。父の後を追うように外交官になった杉村陽太郎にも,外交をしるにつけ父が閔妃事件にかかわったことは,大国の矜持を感じられなかったに違いあるまい。

 さて,以上の引用だけでもここで,梶原英之の記述にあえて評言(本ブログ筆者から)をくわえておく必要がある。

 杉村陽太郎は,父濬(ふかし)が外交官時代,閔妃虐殺事件に関与した歴史的事実を恥じるかのように受けとめていた。しかし,明治以後の日本帝国は,アジアの「大国」としてであれば,欧米の帝国主義諸国と同じように陰謀・策略・謀略・暗殺などを相手国に対して平然とおこなってきた。この事実史はあまたの著作にも正直にかつ当然に描かれてているゆえ,それほど強調して指摘するほどのものではない。

 その点よりも留意したいのはむしろ,閔妃事件に当時,日本政府高官としてかかわった杉村 濬のような外交官の存在が,けっして例外的な「人物のありかた」ではなかった点である。

 杉村 濬は上司であった三浦悟楼公使の指示を拒否できなかった。あるいはまた,自身も閔妃抹殺という蛮行に参画する行動を,自覚的には是とする立場に傾いていたかもしれない。

 隣国の王妃を殺人するという行為は非常にまずいけれども,自国の政治外交的な利害のためであれば,その行為の実行に反対しえないという心理のありかたである。

 これは,どこまでも推定をもってする判断をくわえた話ではあっても,当時日本帝国の臣民たちの胸中に控えていた民族心理が,杉村 濬の気持になかにおいても,平均的・代表的という意味で正直に反映された理解ではないか,と推断する。

 補記)以上の記述に関しては,2025年8月15日の出来事に関して『一月万冊』で佐藤 章が担当した,つぎの動画( https://www.youtube.com/watch?v=JO_lXFLac2A )が大いに参考になる筋書きを立てて説明していた。この画面にも,そのユーチューブ番組へのリンク先住所が貼ってあるので,クリックすればそちらに飛ぶ。(ただし現在は削除されたらしく,閲覧不可である)

神谷宗幣が靖國神社の政治史的本質を認識しているかどうか怪しい

〔本文・記述に戻る ↓ 〕

 b) そのユーチューブ動画の題名は,2025年の『8月15日終戦記念日に参政党と靖国神社参拝』としてあった。この番組は,参政党神谷宗幣(代表 / 事務局長)が,いかに勉強不足のデタラメ三昧を吐きつづけてきたを批判し,しかも8月15日には,同党の議員たちなどを引率して,靖国神社に参拝すると力んでいた様子を,まさに「無知の痴もまた力なり』」というたぐいの,それもみごとなまで悲惨な「哲学の貧困」状態にはまりこんでいる,神谷自身の言動をその根本から批判している。

神谷宗幣の発言は無節操という以前にその中身が初めからコロコロと変わっていく
ところが一大特徴になっている

実質では思考停止状態に等しい政治意識しかもちあわせておらず
そこがある意味で大衆受けする衆議政治の基本要因であった

なお画像の手前の拝殿横・建物越しのこの後景には
一般参拝客が立ち入れない靖国神社「本殿」の屋根一部が写っている

つぎの靖国神社のHPにかかげられている境内案内図だとこの写真がどこで撮影されたを
赤丸◎で指示しておく

撮影の角度はこの地図だと下から上に向けられていた

[ ↑ ]となるのが
「上(前)の画像」のカメラアングルである

 ところで,靖国神社の敗戦神社「性」,つまり国際政治のなかで決定づけられた《賊軍神社性》などおかまいなしに,つまり,20世紀半ばにおいてこの神社が実質に,国家全体的性格を換骨奪胎された中外事情に無頓着のまま,もしも人びとが靖国神社に参拝にいくという行動様式は,この神社の歴史的な由来や本質に無関心の姿勢,いいかえれば「自国の歴史に対する完全なる知性欠落」を意味する。

 ところが,そのような参政党神谷宗幣のいいぶんに,なんの疑問をもたずに喜んで盲従できる一般庶民も大勢いる。靖国神社・A級戦犯・日本国憲法などの諸問題の,初歩すらなにも理解できていない参政党に,それでも選挙になると1票を投じる庶民がいくらでもいる。

 c) 春増翔太・稿「創設者と観察者 内外の2人が明かす参政党の「正体」とこれから」『毎日新聞』2025年7月21日 11:00,更新 7/24 20:22
https://mainichi.jp/articles/20250721/k00/00m/010/033000c が参考になる説明を与えていたので,この記事から任意に拾いつつ引用する。

 「党勢を広げるために陰謀論を取り入れ,もはやそれを拭えなくなった保守の集まりですよ」

そうした陰謀論と入り交じる形でもう一つ,参政党には強烈な特徴がある。戦前回帰的な歴史観だ。

 「真実とは?」と問うと,彼〔ある党員〕はいった。「真実とは……神谷さんがいうことです」

 参政党は独自の憲法構想案で,明治天皇の名で発布された「教育勅語」の尊重を謳い,全体主義的な国家観に沿った教育政策をかかげる。

 「僕〔春増翔太〕も戦前の教育に悪くない部分はあると思いますが,彼の中で戦前がかなり美化されている。その時代に戻したいと思っているのです」

 戦前は政府によって思想や言論は統制され,拷問もあった。子どもたちは学校で竹やりをもたされた。戦争のため,挙国一致が求められた時代。そんなころにおこなわれていた教育を,神谷氏は再現したいという。

 「憲法案や政策をみると,参政党は世界がなにか巨大な勢力にコントロールされていると思いこむがゆえに,自分たちもまた,この社会を統制できると考えているのではないでしょうか」

 「今の参政党は,統制社会を志向しています」

参政党の本性というか化けの皮

 要は,衆愚といえばそれまでの事象なのだが,この国の民主主義の状態・程度・水準は実際に,そこからいつも始めるほかなかったとしたら,けっして小バカにしてだけ済まされるような現実問題ではなかった。

 いまのところ,それら庶民の政治意識に対して,参政党と神谷宗幣に本来的に固有である,その「徹底的な非理である」がゆえの幼稚さや「矛盾した立場」のデタラメさのきわだった間違いを,きちんと対抗的に論破できる野党勢力が不在である。

 その点でいえば,この参政党という単純明解だが思考混沌の極右政党は,ある種の思考停止論法を特異とするがゆえに,けっして賢明ではない庶民の衆愚になる「低次元のエセ民主主義体制」を気どった低質・劣悪な政治集団である特性を,おそらく半永久的に払拭できない。
 
 d) 現在の自民党でいえば,高市早苗のしょうな政治も経済もなにもわからぬ愚鈍政治屋が,支離滅裂な国家運営をしつつもすでに世界のなかでは国民1人あたりのGDP額が24位にまで沈下した事実など,彼女にとっては「屁の河童」も同然であった。

 高市が首相となって2025年10月の政権発足以降,とく国会最終盤の2026年7月に成立させた主な法案・改正法は,現に切実な問題だらけである国民生活とはなんら直接には関係のないばかりであった。

 ▲-1 たとえば,「改正皇室典範(皇室典範等の一部を改正する法律)」は,減少する皇族数の確保を目的とし,旧11宮家の男系男子を養子として皇族に迎えることを可能にする法案を,しかも「養子となった男子にも皇位継承資格を認める内容」として可決させた。この法案可決は天皇・天皇制をぶち壊すものだとまで非難されている。

 ▲-2 さらには「国旗損壊処罰法(国旗損壊罪)」が,日本の国旗(日の丸)を傷つける行為を処罰する罪を新たに設ける法案として可決されたたけれども,この法律はそのうち憲法違反で問題にされるのがオチだと,専門家たちは評定している。

 なぜならばまず,処罰対象の曖昧さがおおいがたい欠陥法だからである。その構成要件となるべき「著しく不快又は嫌悪の情を催させる方法」 や「公然と」の定義が,もとから主観的かつ不明確であり,恣意的な法運用や捜査権の拡大が懸念されるからである。

 つぎに,表現の自由との抵触が懸念され,政治的な抗議活動や芸術表現において,国旗を用いた表現がどこまで処罰対象になるかの境界が曖昧であり,刑罰の威嚇効果が正当な表現の自由を萎縮させるリスクが指摘されている。

 そして,保護法益の不明確さが問題であった。刑罰法規としてそもそもなにを保護するための法律か(国家の尊厳か,国民の感情かなど)が必らずしも明確ではなく,刑法の謙抑性(刑罰は必要最小限にとどめるべきという原則)に反する,という法学上の批判まで出ている。

 ▲-3 刑事訴訟法改正案(再審制度の見直し)は,裁判の長期化を防ぐため,検察が再審(やり直しの裁判)に対して不服申し立てをする「抗告」を原則禁止とするなどの見直しを盛りこんだ法案を強行に通した。

 これからも日本の刑事裁判では「検察庁側の冤罪製造元」的な機能発揮がのさばりつづけるほかない,というか,そのための法案(改正とはいえないそれ)を成立させた。

国民の権益など度外視する高市早苗政権の自覚症状がない迷走ぶり

 e) 2025年の11月7日,日本の新しい首相になった高市早苗が早速,対中国(中華人民共和国)に対して「台湾の認識問題」で,これまで自国政府が踏まえてきた基本路線をしらなかったのか,滅相もない発言を国会において放った。

 すなわち,同日の衆議院予算委員会で高市早苗は首相の立場から,台湾有事をめぐり,集団的自衛権の行使が可能となる「存立危機事態」になりうると,持論かもしれないが滅相もない答弁を,しかも得意げな表情をして発言した。

 高市早苗は,自分が日本の首相である立場から「アメリカの手先になる以上に万事に盲従するがごとき考え」を,露骨に発していた。この種の発言じたいに関してとなれば,より慎重に必要であった「最低限の自覚」を欠落させたこの「日本初の女性首相」は,

 その程度に軽いという以前に,政治屋(政治家?)をいままで30数年やってきた「その実績効果の人事考課」はさておいて,日本国防衛省海上自衛隊の護衛艦のことを「戦艦」と表現するといったふうに,基本的に自国の軍備状況(軍事知識としての日本語)のイロハについてさえ無知である事実を,みずから自白(ゲロ)するような総理大臣の言動であった。

 補記)その直後,日本政府(内閣官房室)は「戦艦」という用語の由来などそっちのけにしたまま,「これだいいのだ!」と赤塚不二夫流になる没論理で,その高市早苗の軍事知識のなさを弁護していたが,無知は無知であったことに変りはない。

 高市早苗は過去,自著やインタビューのなかで,私は「米連邦議会の軍事問題の専門家(コングレッショナル・フェロー/立法調査官)」として活動していたと紹介・自称してきたのだから,この虚言を元にした噴飯モノぶりは,政治屋としてのペテン師ぶりだけは,ひとまず一流でありえたと認めてあげてもいい。 

ヤーヌス以上の虚言壁あり

 f) たとえば『東京新聞』2025年11月11日「社説」は,つぎのようにきびしく,その無知蒙昧ぶりを批判していた。全文を引用しておく。あの故・安倍晋三でさえ,「首相であった時期」に,ここまで軽率無双を誇れるような発言はしなかった。

 高市早苗みたいに本当に無知でお▼鹿な国家指導者がいるようなこの国になったら,この日本はいよいよ「政治4流・経済3流」の御国にまでダダ下がること請けあえる。

    ▲〈社説〉高市首相と台湾有事 存立危機を軽く語るな ▲
         =『東京新聞』2025年11月11日=

 高市早苗首相が中国による台湾への武力侵攻が起きたさい,安全保障関連法に基づく存立危機事態に認定し,集団的自衛権を行使する可能性に言及した。中国との戦争も辞さないとの表明にほかならない。首相としての発言の重大性を理解しているのか。あまりにも軽率で不用意な発言と非難する。

 首相は〔2025年11月〕7日の衆院予算委員会で中国の台湾侵攻が「戦艦を使って武力の行使を伴うものであれば,どう考えても存立危機事態になりうるケースだ」と述べた。

 補記)日本の海上自衛隊が保有する艦船はすべて「護衛艦」と通常称しているが,詳しくはウィキペディアの説明をひとまず参照してほしい。第2次大戦期にまで使用されていた海軍艦艇のうち「戦艦」という艦艇は,いまの防衛省(海上自衛隊)には存在しない。

  中国においてはその名称:「戦艦」を使う場合は,戦闘用の軍艦全般を指すことが多いが,厳密な意味での歴史的な「戦艦」は,中国語では「戦列艦と訳されて区別されているとの由だが,いずれにせよ高市がここまで踏まえて発言をしていたわけではない。

  高市早苗が首相としての立場から国会のなかで,この戦艦という用語を発したのを聞かされたとき,本ブログ筆者は驚くというよりは呆れた。極右の気どるこの女性政治屋が軍艦の種類,艦艇別の各種名称などが,

  現状の海上自衛隊のなかでどのように存在し,使用されているのか,それこそまったく無知であるかのような発言を聞かされ,あまりにもヒドイその程度の「自国軍隊に関する理解」にあらためて気づかされた。

  いくらなんでも,もっともまともに関連の知識を,最低限は備えているものと思いたかったところが,みごとにはぐらかされた。

〔社説に戻る→〕 安保法は存立危機事態について密接な関係にある他国が武力攻撃され「日本の存立が脅かされ,国民の生命,自由,幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」と規定。日本が直接攻撃されていなくても,政府が存立危機事態と認定すれば集団的自衛権を行使でき,他国同士の戦争に加わることができると定める。

 ただ,日本は1972年の日中共同声明で,台湾を中国の一部とする中国の立場を「十分理解し,尊重」すると明記し,台湾を国家と認めていない。安保法をどう解釈すれば,日本が台湾有事に参戦できるとの結論が導けるのか。

 そもそも存立危機事態の定義は2015年の安保法制定時から曖昧だと指摘されてきた。高市氏の発言で,時の政権に恣意(しい)的な判断を許しかねない安保法の危うさが改めて浮き彫りになった。

 かつて安倍晋三氏が首相退任後に「台湾有事は日本有事」と発言したことはあるが,在任中は具体例を示すことには慎重だった。高市氏も首相在任中は言葉を選ぶべきではないか。

 首相は中国の習 近平国家主席との首脳会談で,戦略的互恵関係の推進を確認したばかりだ。直後に台湾当局者と面会した写真を公表し,台湾有事に参戦の可能性があると挑発して,首脳間の信頼関係を築けるのか。感情的な対立を煽るような言動は双方の国益を損なう。日中両政府に自制的な対応を重ねて求める。

 首相は10日の衆院予算委で自身の発言の「反省点」として特定の想定を「明言することは今後は慎む」と述べたが,当然だ。

 首相が思いこみや勢いで軽々しく発言することは許されない。立場の重みを自覚し,特に台湾問題では,中台双方に一方的な現状変更を控えるよう促す外交努力にこそ指導力を発揮すべきである。 

『東京新聞』社説

 あいもかわらずこのような軽佻浮薄な政治屋がこの国の最高指導者であるから,われわれ一般庶民もうかうかとしていられない。軽はずみだというよりは無知さ加減を全開にした「自身の薄学ぶり」を披露していながら,これに自覚症状が皆無であるかのような現状の日本国首相は,危なっかしいことこのうえない。

 g) 立憲民主党の代表野田佳彦も実は松下政経塾の出身と聞くが,高市早苗も同塾の出身者として,つまり「政治屋である以上に政治家」として,いかほど実力を発揮しうるのかと観るに,この2人とも「日本の政治・外交」を飛躍させうる潜在的能力をもっていたなどと期待していたら,トンデモなどんでん返しにあいかねない。

 野田佳彦は首相体験者であったがすでにその棚卸しは済んでいる。野田自身が,高市早苗が首相としてきわめて軽率な言動をして点を,まともにたしなめられないようでは,やはりお里がしれるというものであった。

 いずれにせよ,小泉純一郎の訪朝外交を成立させた元外務相次官田中 均や国会議員の最古手である小沢一郎も,今回における高市早苗の「中国との戦争も辞さない」旨の発言を,ともに「この首相はなにも判っていない」という立場から批判している。

 --以上1世紀以上もの昔,この国が隣国の王妃を平然と殺しても,当時の「明治天皇睦仁」が「その閔妃虐殺の報告を聞いて」「遣る時には遣るナ」と答えたという話は,21世紀における話題に関係づけてたとえて語るとしたら,「ロシアのプーチン」の口つきによく似ている。こういわれても反論の余地はあるまい。

 結局,朝鮮の女王を昔,弑逆した日本人壮士というよりは日本国のその種になる関係者・徒党集団は,その殺人行為を自分たちの罪業と感じる意識すら当初からなかったわけで,言語道断の歴史的事実だったと形容する以上のなにものかを,21世紀の現在までもちこすような悪例になっていた。

 結局,ここで再度思いだしておくべきは,当時の「朝鮮公使の三浦悟楼」も「熊本県の壮士たち」も,そして「明治天皇」自身も,実際には,日本帝国の〈同じ穴のムジナ〉であったわけで,彼らの精神にあっては「反省」ということばは「完全に無」であった。

 4 日韓(日朝)古代史にさかのぼる若干話題

 a) つぎに,西谷 正編『古代史論集4 古代朝鮮と日本』(名著出版,1990年)所収,中西孝博「渡来人の問題-形質人類学の立場から-」117-174頁からとなるが,まずつぎの引用をする。

 痛感されるのは,……各地域,時代の古人骨資料の不備である。なかでも朝鮮半島はつねに議論の鍵になる立場であり,その資料の充実は今後の最大課題の一つである。

 また,大陸各地の同時代人や,国内の縄文・弥生移行期の人骨も今後の研究の進展には不可欠であろう。いずれも忍耐強く,息の永い努力を要求される課題である。

 それらの新資料のいかんによっては,これまで述べてきた考えも大きく修正されることになりかねないが,そういた危うさを秘めているのが偽らざる現状であるということも忘れてはなるまい。

 そして,このまますんなりと解決してしまうよりは,むしろいつか思わぬ事実が飛び出して頭を抱えるような事態のくることを,この分野の研究者の1人として,心のどこかで待ち望んでいる。
 
 注記)西谷 正編『古代史論集4 古代朝鮮と日本』名著出版,1990年,〔中西孝博「渡来人の問題-形質人類学の立場から-」〕168頁。

古代朝鮮と日本


 この中西孝博の発言は,日本古代史の研究にとって韓国・朝鮮という隣国の存在は「つねに議論の鍵になる立場であり,その資料の充実は今後の最大課題の一つである」から,この研究に関連する「新資料のいかんによっては……大きく修正されることになりかねない……そういた危うさを秘めている」ゆえ,「いつか思わぬ事実が飛び出して頭を抱えるような事態のくることを,この分野の研究者の1人として,心のどこかで待ち望んでいる」とまで語っていた。 

 b) さて話題は変わり21世紀に飛ぶ。2001年12月23日は,平成天皇の68回目の誕生日であった。この日に明仁は,翌年5月31日から6月30日にかけて開催を控えていた『2002 FIFAワールドカップ』--韓国語だと 2002 FIFA 월드컵(英語だと 2002 FIFA World Cup)--を意識して,こういう事実に触れていた。

 明仁は,皇族の祖先には「朝鮮系の血筋を引く女性(高野新笠)」を父にする桓武天皇(737-806年)がいたと,自身の誕生日に設営された定例の記者会見の場で語った。

 ところが,日本側のマスコミ・メディアの反応は当時,きわめて鈍かったどころか,まるで冷淡な反応しか示さなかった。ただ『ニューズウィーク 日本語版』2002年3月20日号が(この画像資料は画素数が貧弱ゆえみにくいが),明仁のその発言に注目し,報じていた。

『ニューズウィーク 日本版』2002年3月20日号表紙
この表紙の絵図は朝鮮通信使である

 つまり,日本側の韓国・朝鮮側に対する基本の態度(感情・価値観などもろもろ,そのとくに感性的な応答ぶりに反映されたそれ)は,21世紀になってからも,既往症として体内からなかなか抜き切れずに,根強く残した「19世紀的な対隣国観」を,いまさらのように確認させた。

 明仁が「天皇の立場」から, “2002 FIFA World Cup” をあえて話題にとりあげ,日韓関係の友好がより高調するように配慮した発言に対してでさえ,日本のマスコミ・メディアの反応に現われたその態度は,きわめて冷淡というか,妙によそよそしかった。結局,意図的に無視した。

 補記)1936年のベルリンオリンピックでマラソン競技で優勝した,当時は植民地出身の選手だった孫 基禎(1912-2002年)が死去したとき,日本側(JOC:日本オリンピック委員会)からは,葬儀のさい弔電の1通すら届かなかったという。

 この事実は,本ブログ内では別に記述した話題であったが,まともな感覚・神経で判断すれば,まるで「村八分」以上に「村九分」(実質は「村十分)ではないか。恐ろしいほどに「JOC側の冷淡さ」を体現させた,しかもその意図されたとしかみなせない怠惰ぶりは,日韓間のスポーツ史において「日本側の冷酷な態度そのもの」だけを突出させたことになる。

 観方によるが,閔妃暗殺事件に比較すれば,以上に言及した孫 基禎が死亡したさい日本側:JOCが示して残した態度は,「たいした問題ではないよ」といえるかもしれない。しかし,それにしても冷酷であった以上に極端にまで非礼でもあった,人間としての最低限の礼節すらわきまえない人びとがJOC内には勢揃いしていた,ということになる。

 なおここで付言しておく話があった。2019年1月11日に分かった,以下のごとき事実があった。フランスの司法筋が,2001年から18年間にわたって日本オリンピック(JOC)委員会会長を務めた人物竹田恒和に対して,「2020年東京五輪招致問題にかかわる贈賄の容疑」で,正式捜査を開始していたのである。

 汚職まみれだったすえに,フランスの当局から国際指名手配された竹田恒和は,2019年6月末の任期満了をもって正式に退任したが,まるで逃げ隠れしたかも同体となった「その任期満了」であった。

竹田恒和の息子が最近
女性天皇は「クソ」だと悪口雑言した恒泰

〔本論に戻る ↓ 〕

 c) まさか,敗戦前(だけではないが)において「自国が支配・統治していた旧植民地」に対して,数多く記録してきた「そのはたしなき罪業の蓄積」が,やはりどうしても気になって仕方がなかったのかなどと考えているうちに,前段に触れた「孫 基禎の葬儀」にさいしてならば,最低限でも送信すべきであった弔電の1通でさえ打ちそこねていたのが,JOC会長の竹田恒和の姿勢であった,とでも想像してあげるべきか? それにしても話はそれほど単純ではなかった。

 本日のこの記述冒頭でとりあげた閔妃暗殺事件の反省すら,ろくすっぽしたくないどころか,完全に他人事視してきた日帝側の経過事情は,こちら側において「保持されてきた感情的な立場の特性」に鑑みれば,さもありなんの出来事の連続であった。このことじたいは誰にでもたやすく理解できる「歴史の事実」になっている。

 だが,どうだろう。2002年9月17日に敗戦後初めて同国を訪問した小泉純一郎首相に対して,北朝鮮側の最高指導者金 正日は,北朝鮮による日本人拉致問題に対する責任を認めた。

 爾来,日本側の官民を問わない「自国側が被った被害」そのものに対する見方:位置づけは,なににも比較しえないほどの大被害とみなされたうえで,そもそもその問題じたいの超克など想像すらできないほど,たいそう「重大で絶対的な被害」だと断定できた立場からは,つぎのような一方的専断の観念がはちきれんばかりに膨らんだ。

 要するに,19世紀から20世紀にかけて旧日本帝国が韓国・朝鮮を植民地にしたうえで,どれほど,当地の人びとに対して苦痛と不幸と悲惨を与えた事実は,ゴマの実の一粒分にすら「なりえかった」とでもいいたかったかのような,つまり「絶対・極大の被害者意識」だけが駆けめぐる,こちら側の国内事情が生まれた。

 d) その被害者意識を表現する象徴があの「ブルーリボンバッチ」であり,いまもなお,たとえばつぎに引用するがごとき気分を湛えて,その意義が力説されていた。

     ★ ブルーリボンを守る議員の会 会長 小坪慎也 ★
 =『ブルーリボンを守る議員の会』 2022年8月13日,
  更新 2022年9月6日,https://blue-ribbon-guardian.org/aboutus/ =

 政治家ならば思うこと,誰かの希望になれたなら。閉塞した空気なればこそ,後ろ姿をもって光を指し示したい。

 安倍晋三元総理が凶弾に倒れました。拉致問題に対して非常に力を入れてくださった政治家です。非常に悲しく辛い思いは誰しも同じです。

 拉致問題はトーンダウンしていくのだろうか,重苦しい空気にはその危惧も含まれているのだと感じていました。救う会や家族会にも同じ不安はあるでしょう,保守層だってそう思っている。

 残念ながら事実なのかもしれません。議員としても現実としては認識せざるをえません。

 安倍さんの生命が失われたことで,拉致問題が日本でトーンダウンしていく。風化していくだろうと,もしも北朝鮮すらも思っていたとしたならば,悔しくありませんか? 私は悔しかった。

 私たち地方議員には,それほどの政治力はありません。しかし,大将をやられて,武器を投げ捨てて泣きわめく二等兵がどこにいるというのか。

 いま隊列を組みなおし,戦わないと駄目になる。最前線にいるからこそ,市議だからこそ,もっとも民意に近いからこそ切々を感じる危機感でした。

 僭越ながら,救う会全国協議会の西岡 力会長に「(会長は)指揮官なんだから暗い顔して追悼のスピーチみたいな話はもういいんです,喪に服すのは飽きたんだ。」といいました。

 安倍元総理の訃報から約1か月が経過しようとしていました。「立って戦え」と,西岡会長にいってもらわないと。私は戦いたいんだといいました。

 〔横田〕滋さんは,めぐみさんに会えずに亡くなりました。早紀江さんは? 

 安倍さんがいなくなったからできなくなりましたって,日本の政治家はいえるのか。そんな20年かよ,拉致被害者奪還の歴史は。ここに込められた悔しさは,この活動を手探りで牽引してきてくれた先人たちへの敬意でした。

 生きてるもんでやるしかないんだから,いまいるメンバーでやるしかないでしょう。日本の政治家は,安倍晋三だけじゃない。代わりにはなれない,誰もなれないよ,けどね,安倍さんだけが政治家と思うなよ! そのことを内外に示したい。

 この共同声明は,「覚悟をもってブルーリボンバッジを着用します」という,(元職や首長を含む)政治家による宣言です。ただ着用するという宣言に過ぎません。これすらもできない政治家は,わが国はいないと信じます。

 たかがバッジ,されどバッジ。地方議員には奪還に関する直接的な権限はないけれども,むしろ広報啓発に関しては地域地域では(時として国会議員以上に)浸透しています。私たちが覚悟をもって着用するということは,それは広報啓発であったり決議を通すなど,個々の覚悟をこめて宣言するということです。

 何議席の地方議員が集まれば国が動くかはわかりません。いま,私たち政治家は,直接国家を動かす道を選択しました。やられっぱなしは,性に合わない。やられたのは政治家です。政治家の死とは,政策が死ぬことでもあります。

 安倍元総理が,一丁目一番地にかかげた政策を,凶弾によって風化させるわけにはいかない。メディアの思うがままに議員が振り回されると思うなよ(!)という覚悟を決めて本共同声明は開始されました。

 1人でも多くの議員が本声明に参加し,それが我が国を変えることを強く祈念いたします。本書は議員向けに書かれたものではありますが,是非,皆様の住む自治体の議員さんにも本共同声明の存在をお知らせ頂き,1人でも多くの議員がご賛同を賜れますようご協力をお願いいたします。

ブルーリボンバッチにこだわる地方議員の訴え

 この「地方議員が訴えるブルーリボンバッチの意義」は,いったいどこの・なにをめざしていたものだったのか?

 北朝鮮による日本人拉致問題を「風化させるわけにはいかない」のだとしたら,そういわれたあちら側からも即刻に反響してくるのが,「しかもその何千万倍・何億万倍もの植民地支配期に起因する被害(人的と物的の損害)」の記録を忘れるな,という発言である。

 代表的には朝鮮王朝の王妃を弑逆した「歴史の事実」と,これまた「北朝鮮による日本人拉致問題」とはひとまず等置してみたい問題同士であっても,いま一度,あれこれと質的・規模的に異質であるほかない「より難問」が,そこには控えていることは事実として否定できまい。

 そういう歴史の事情・経緯もからんでいるわけで,この種の「歴史の事実あれこれ」が,日本側における拉致問題という容れ物のひとつのなかに詰めこんでいけば,両国間のすべての歴史問題が帳消しにできるかのように絶対視する立場は,今後における「日朝」外交問題を解決しようとする方途にとってみれば,逆機能にしかならない。

 国会議員の次元で考えてみたい。あのブルーリボンバッチを着用している(常時身に着けている)「彼ら・彼女ら」は,けっこうな数になる。テレビのニュースやユーチューブ番組で観る国会議員たちの上着には,たしかにそのバッチが付いている場合がとても多い。

 だが,前段に引用した文章を書いた地方議員は,自分たちの御大将であったはずの安倍晋三が「どれほど本気で拉致問題に取り組んできたか」という「現実的な具体的な行動面」を,はたしてきちんと理解できていたか?

 残念ながらその内実は皆無に近かった。確かに安倍晋三は,拉致問題に真剣に取り組む姿勢だけは,その口先だけではよく語っていた。だが,その中身はなんというか,「自分の政治利害調整用」のための「踏み台」に,それも徹底的に利用してきたに過ぎない。

 2025年7月21日首相になった高市早苗も早速,23日であったが,「北朝鮮による日本人拉致問題」被害者の家族たちに対面するという演技はおこなったものの,この事実が今後の展開にどのようにつながるのかは,まだ誰にもよく分らない。

 政府内には「拉致問題対策本部」がある。これは「政府は,総理大臣を本部長,拉致問題担当大臣,内閣官房長官及び外務大臣を副本部長とし,すべての国務大臣を構成員とする拉致問題対策本部を設置しています。 対策本部においては,拉致問題に関する対応を協議し,同問題の解決のための戦略的取組及び総合的対策を推進しています」という正式の部署である。

いままでどおりのデジャブ〔既視感〕しか感じられない
「政府の対応ぶりの一貫性」ならば確かに顕著であった

いいかえると年中行事の形式化が目立つだけのマンネリ化したこうした会合である

 いままでどおりに,単なる儀式的なその対面しかありえないとしたら,これほどむなしくもただ反復されるだけできた「日本政治の迷演技ぶり」は,なかなかなかった。(今日は2026年7月21日であるが,高市が首相として実効性あるなんらかの行動を起こしていくのか問えば,まだまだ未知数というか期待薄……)

 最後に重ねて断わっておくが,国会議員たちが着けているブルーリボンバッチは,もっぱら着けていないとまずいぞというか,着けていれば票の足しにはなる,という程度で「活用している」連中のほうが多数派であった。

 下段には【アマゾン通販として参考文献】を挙げて置くが,この一覧の最後には蓮池 透の執筆になる本もくわえておいた。その本は「拉致被害者を見殺し」たのが,ほかならぬ安倍晋三だという点に向けられていた。高市早苗も意識できているかはさておき,安倍晋三に似たしぐさをしているに過ぎない。

 なお前段に紹介してあった,ある地方議員が「ブルーリボンバッチ着用(運動?)」を訴えた文章は,安倍晋三が生存中に明示していた「その種の態度」の前にあっては(以下にかかげる文献の書名のとおり),それこそ「なんの効果」も期待しえなかった。要は「甘い」のであった。

----------------------------------

 【付 記】 「本稿(4-2)」の続編(5)は以下である。

----------------------------------

【参考文献】

(本書はこの本の文庫版である)


いいなと思ったら応援しよう!