従軍慰安婦問題が世界のなかでどのように受けとられてきたか理解しない,高市早苗流の「ネトウヨ的極右の否定観念」のお粗末は,現在,イラン戦争の対処が不可能である実情にも通底する(前編)
1「あの戦争の時代における性の問題」
最初に旧日本陸軍の「消灯(就寝)ラッパ」の記憶から記述したい。参照したブログにはその消灯ラッパの画像もそえてあった。

ドレミファソラシドを吹き分ける
その「ド・ミ・ソ・ド」の音階を当てて奏でる「消灯(就寝)ラッパ(Taps)の音符は」,ビューグル(信号ラッパ)の音階である「ド・ソ・ド・ミ・ソ」を中心に構成され,ハ長調(C Major)に換算すると以下の音列になる。音楽の専門家でないと,この文字(カタカナ)だけで,音符を観たつもりではすぐには歌えないが,ともかくこう書けるという。
このメロディーの特徴は, 信号ラッパの特性上,主に「ド・ミ・ソ」の和音(Cメジャーコード)の音階で構成され, 非常にゆっくりとしたテンポで演奏される静かで哀愁漂うメロディーとなっていた。
旧日本軍では,この信号が主に「集団生活における1日の終わり」を告げる役割を果たしていた,というのである。前段に登場したおじいさんはこの消灯ラッパを聴くほうではなく,吹く役割を与えられていたから,それなりに「一兵卒」の階級の立場であっても,兵営のなかで暮らしやすい条件になっていた事実があったことをうかがわせる発言になっていた。
ともかくその消灯ラッパの音声をつぎに紹介しておこう。実際に文字の起こした「ド・ミ・ソ・ド」については,画像で適切にその調子が分かるように記載したものがあったので,これもつづけて紹介しておこう。
この動画で吹奏される旧日本軍陸軍消灯ラッパを憶えれば,つぎのカタカナ表記になる文字列がうまくその音調(音階など)を反映している点は,ごく自然に伝わってくる。

なお,現在の陸上自衛隊の消灯ラッパは,たとえばこの(←左側の文言に貼りつけてある下線の)リンク先住所で視聴できる。要は軍隊のとくに陸上自衛隊が使用している消灯ラッパは,旧軍のものは使用していない。
ともかく,敗戦前において旧陸軍で用いられていた「消灯ラッパのメロディー」に付けられた歌詞( ↓ )
「 ♪ 兵隊さんはかわいそうだね また寝て泣くのかね ~ ♪ 」
は,もともと存在しなかったものであったけれども,いつの間にか世間のほうでは,この「セリフ:歌詞を乗せて」歌われるようになっていた。軍隊における「消灯ラッパ」の音色が(音階のことだが),このように「文字起こし」されてしまい替え歌にされたのでは,いささかならずこれはマズイ。
ということで,戦後に発足した現在の陸上自衛隊においては,旧軍の消灯ラッパは「伝統」として使用することはしなかった,というふうにひとまず理解しておけばよい。
2 昔の陸軍では兵舎のなかでの「実質暴力沙汰」が,実質的には陸軍省が公認したかのように,つまり内務班のなかでまかり通っていた。
敗戦の余韻がまだまだ強く残っていたころ,つまり実際に戦場・戦地に派兵されたが幸運にも命を落とさずに復員(帰国)できた男たちは,広義におけるあらゆる意味で,大なり小なりPTSD(心的外傷後ストレス障害)を背負わされて日本本土に還ってきた。
しかし,その前の段階・時期ですでに話題になって当然だったのが,この「 ♪ 兵隊さんはかわいそうだね また寝て泣くのかね ~ ♪ 」という,消灯ラッパのメロディーにはもともと付いていなかった〈歌詞〉が,自然発生的に登場していた事実であった。それも,旧陸軍内における初年兵イジメがあまりにひどく,ときに自殺者も出すほど残忍な暴力として(精神面も含めたもの)が横行していた事実にかかわることであった。
さてAI氏は,旧陸軍内務班において「天皇陛下のご命令の下だ」として猛威を振るっていた暴力横行体制を,つぎのように整理していた。ここではその解答どおりではなく,本ブログ筆者の補正もくわえて説明にしてあるた。
以上のごとく旧陸軍における内務班の「暴力教室そのものであった実態」は,本ブログ筆者のように戦後世代の人間には,想像すらできない事実であった。
だがそれでも,筆者がまだ子どものころであれば,あの戦争から生きて還ってきた男性たちは,身のまわりにはいくらでもいた。内務班の歴史的な事実については,その体験者たち自身から雰囲気的にも伝わってくるモノが,まだありありと残されていた。
ところで,旧陸軍兵舎の内務班勤務をさせられていた兵隊たちが,突如その軍隊生活を中断される場合が生じることもある。それは,国家が始めた戦争のために,彼ら:自分たち兵士が戦地・戦場に派兵されるときを境に生じる。
旧大日本帝国は明治維新以来,米欧帝国主義諸国を真似し,後追いするかのような軍国路線を走っていった。とくに1926年12月25日から始まった昭和の時期は,1931年4月18日の「満洲事変」,1937年7月7日の「北支事変(支那事変)」から1941年12月8日の「大東亜戦争」を経て,1945年8月15日(9月2日)「第2次大戦終結:完敗」に終わる「大戦争の顛末」を記録してきたなかで,
とりわけ,日中戦争(支那事変のこと)の段階へと進展していった旧大日本帝国の戦争推進体制のなかで,このための動員された非常に多くの男性兵士たちは,現地(戦地)において同時併行して設置された慰安所(従軍慰安婦たちが奴隷的に性の奉仕をさせられてだが)のお世話を受ける「立場」となり,その体験はほとんどの彼らが経てきたことになる。
ただし,彼らがその実体験をありのままに正直に語る者はごく僅少であって,棺桶に入るまでその自分の関与を語らずに他界した彼らがほとんどになってもいた。実際に旧日本軍の兵士(士官も同じだが)たちは,従軍慰安婦を性的に利用してきた体験を語れないのは,その歴史的な性質上「当然というかまた自然」なのであって,この点じたいはそれほど責め立てられない。
しかし,その事実を敗戦後も何十年も時が経ってからだったが,明確に指摘されこの事実の確認を迫られると怒り出す彼らもいた。というのは,敗戦後史の日常生活のなかでは「そうした戦争体験としての生活記録として自分史」のなかに色濃く,いってみれば「記憶のなかの残された入れ墨」のように刻みこまれた「過去のその記憶」は,あえて想いだすことに関してとなれば,けっして他者からは触れられたくないと思う者も大勢いたのである。
1945年の敗戦まで,旧大日本帝国軍人のなかには「朝鮮人兵士(将官から特攻兵まで)約37万人も居た」事実を,川口清史『日本軍朝鮮人兵士-忘れられた37万人-』かもがわ出版,2025年が書いていたが,これら朝鮮人兵士のなかにも従軍慰安婦を利用した者が居たのか居なかったのかは,問題意識の範囲に入っていなかったのかどうか分からぬが,論及の対象になっていなかった。
この朝鮮人兵士のうち死んでしまった2万人が靖国神社に合祀されているというのだから,彼らの親族の立場からみたこの神社は,ただ都合よく彼らの霊魂のみ吸い上げておいて,しかも敗戦した旧日帝のための「賊軍神社」になっていたはずの,この靖国に合祀していたとなれば,朝鮮人(韓国人)側からみた,かつてはこの国:日本の植民地出身であった将兵に対する「戦後処理」は,年金(恩給)すらいっさい支払わずに,かれらの命をロハで徹底的に吸血していたことになる。
3 そして,その朝鮮人(韓国人)の男性兵士の問題ではなく,「女性にかかわる戦時問題として最たる問題」が,旧大日本帝国陸海軍「国営慰安所」のなかに強制的に慰安婦として動員されていた「彼女ら」の存在であった。
以上の記述(議論)は,旧日本陸軍の一下士官兵士として日中戦争開始以来,5年間も中国戦線での侵略戦争に動員されつづけた曽根一夫が,中国大陸において旧日本軍が展開していた「泥沼の戦争」のなかであっても,軍隊とともに随伴・常駐していた慰安所と慰安婦の問題を,自著『元下級兵士が体験見聞した従軍慰安婦』白石書店,1993年のなかで実に真正直に告白していた。
曽根一夫は同書のなかで「軍が直轄した慰安所は,軍が計画して,軍が公費を用いて設けたのであった。其処に働いていた慰安婦は,軍及政府機関の手の者によって集めた女性だった。いわば国営慰安所であった」(同書,77頁)と,なんというか,きわめて率直にあけすけに記述していた。
つまり,その国営慰安所はイコール「従軍慰安婦」が,兵士たちに性的な用役を提供する軍施設であった。そして彼女たちがどこからどのようにかき集められてきたという問題もあるのだが,この問題は曽根一夫がよく議論しうる性質ではなかった。
ただ曽根一夫は,日中戦争開始以後5年のあいだ,自身が派遣された戦線・戦地に限られた範囲内での見聞を広く集める努力とともに,自身も実際に慰安婦を常時利用してきた体験をもとに,そしてそこからほかの多くの兵士たちから聞けた実録的な話題をかき集めて,前段の本『元下級兵士が体験見聞した従軍慰安婦』1993年を公刊していた。
したがって,従軍慰安婦のとくに若い朝鮮人女性の処女たちが,どのような経緯をたどって国営慰安所まで逢着してきたか,この事情について曽根一夫は十分に感知していた。
そこに強制があったとかなかったとかいったたぐいの問題は,あるいはその強制が広義なら認められ,狭義なら認められないといった「それこそ些細な論点をあげつらうこと」が,いかにその本質的な認識の妨げになるかについてはならば,曽根の本はきちんと決着を付けたことになる材料を確実に提供していた。
さて,戦後の日本国には安倍晋三という元首相が登場していた。とくに2010年代のこの国の政治と経済と社会と文化・伝統を破壊しまくった,この「世襲政治屋3世」は例に漏れず,「出来そこないのボンボン」であったゆえ,日本というこの国をその間,本当にダメだらけの国家体制にしてしまった。
安倍晋三はともかく「従軍慰安婦」問題が大嫌いであった。というのも,この『美しい国』へと向かわねばならないニッポンにとっては,トンデモナイ話題(歴史の事実)をもちこむほかなかったのが,この従軍慰安婦であったからで,晋三はとりわけ,この「慰安婦問題」の「い」の人文字を聴いただけで,自分の背中には虫唾が走るくらい嫌であったらしく,ともかく絶対にこの従軍慰安婦問題は認知したくない「歴史の事実」に位置づけていた。
4 ところで現在,日本の首相である高市早苗は安倍晋三を師匠と仰ぐ立場であったらしく,しかももともと極右・ネトウヨ的に幼稚でもごく初歩的な政治の立場に留まる政治屋であったから,従軍慰安婦問題を毛嫌いする程度は間違いなく「安倍晋三ゆずりに堅守する立場」にあるとしか解釈しようがなかった。
最近の日本は,2026年2月8日にトランプが始めたイラン戦争のため石油や天然ガス(LNG)の供給が現在まで,とくにアジア諸国では途絶状態も同然になっており,日本では石油化学産業部門では生産過程に隘路が生じ始めたために,とりわけナフサ由来の製品供給にすでに支障が出ている。
ところで,東京の中心に位置する首相官邸の立場からは,イランとは上手に連絡をとり交渉をおこない,日本は2026年3月末〜4月上旬時点で,ホルムズ海峡内から出られず停泊状態にある日本関係船舶45隻のうちのタンカー32隻について,これら船舶をなるべく早く帰路に就かせる努力が必要なはずであったにもかかわらず,高市早苗は経済産業省官僚から申し出のあった,そうした助言(進言)を一蹴したという裏情報がすでに伝えられている。
イラン側からは早い段階で,外相のアラグチ氏を介し,日本に対してなんらかの打診(日本に関しては特別に局面を打開するための折衝をしたいという合図となったそれ)が送られていたにもかかわらず,高市はそれを完全に無視した。
つまり,イランは2026年3月21日の時点で,アラグチ外相から日本に対して打診(日本関連船舶の通過を認める用意がある)をおこなっていたのである。
アラグチ氏は,実質的に封鎖されているホルムズ海峡の通過に関して,日本関係船舶への特別措置を示唆しており,日本政府は「イラン側と直接交渉するのがもっとも効果的」と慎重にみきわめていたのを,高市首相個人が勝手に完全に無視した。
参考にまで触れると,アラグチ氏は2008年から2011年まで駐日イラン大使を務めた親日家であり,日本語の名刺をもっていた人物としてもしられているという。
だが,高市は首相である立場から,アラグチ氏の外相としての立場からのその示唆を完全に拒絶した。まさに愚鈍の極地みたいな,そうした反応をみせたこの日本の最高指導者の対応は,完全にその資質なしとしかみなせないくらいに,本当に程度が悪すぎた。
前述してもいたように現在,ホルムズ海峡の緊張が解けないで,ペルシャ湾内にとどまっている日本関係船舶は45隻にうちでも,原油・ガスなどを運ぶエネルギー関連のタンカー32隻は,日本の石油消費量約10日分に相当する原油が積みこまれていると推測されているのだから,現実的な対処としては,それらをともかく日本に向かわせるために采配,尽力するのが日本国首相の採るべき最善の対応であった。
ところが,最近の情報によれば経済産業省官僚がその旨を高市首相に上申にいったところ,「ケンモホロロ」に即座に「オマエタチは余計な口出しするな!」と怒ったというのだから,いまや官僚体制側では彼女のことを「あのバカ女!」(どうしようにもない総理大臣だ)と吐き捨てるように罵倒するほかなくなっているとか……。
さて,この「ただの困ったちゃんで,なにか自分に気に食わないことをいわれると,勝手にイキリまくるしか能がない」この女首相は,いまや「傾国の美女」ならぬ「滅国の悪女」たる資格しかもちあわせない,しかも烈女ならぬ劣女であった事実を,あらためてみずから暴露したことになった。
以上,現在の日本が当面する喫緊事,「石油と天然ガスの輸入」が途絶状態になっている日本の実情を憂うとき,高市早苗という首相のダメさかげんは,その打開に取り組もうとする努力すらまったくみせない(というか「できないでいる」)彼女の腰抜けぶりをもってまさに,この「日本初の女性首相」が現状の国難に拍車をかけるような存在でしかない事実を,みずからが証明した。
というしだいで日本の政治と経済は,今後ますます,メチャクチャになりかねない兆候までみせはじめている。この瀬戸際にあって,まさしく「有害無益,百害あって一利なし」の国家最高責任者の,本当に下手くそな采配では,この国は下手をすると事後大きくがたついていくほかない。
そうしたごく直近の話題に触れてから本題であった従軍慰安婦問題を,あらためて今回のこの記述なりに取りあげようとするのは,高市早苗という首相も「本稿(後編)」の記述中に登場するあれこれの人びとのなかで,この問題を絶対に認めたくない人びとの「その1人」としてくわえられるべき政治屋だったという事実だけは断わっておき,本日の本論記述はひとまず終わりにしたい。
本日のこの記述(「前編」)は,もとは相当に長文の構成であった。これをそのままここに収録するには長すぎたので,以下につづけて記述する予定であった段落(約2万字分)は,続編の「本稿(後編)」にまわすことにし,明日以降に公表することにした。
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【付記】「本稿(後編)」は以下である。
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【参考文献】
