「明治謹製」大日本帝国式『天皇・天皇制』の創作性(11-1)
【冒頭・断わり】「本稿(11-1)」は「本稿(10)」承前である。そのリンク先住所は以下である。
1 天皇神格化という空虚な重大問題
(以下しばらくは,前稿につづけてさらに,工藤 隆『大嘗祭の始原』明石書店,1990年を引照する続論・記述である)
a) 天皇氏族が新嘗祭を支配するようになった
「天皇を高天原,さらにはアマテラスへと結びつけていく系譜作りにおいては,記紀はほぼ完全に一致している」
「アマテラスの血が,そのまま神武天皇まで連続していることになっている」
「この系譜の意味するところの第1点は,いうまでもなく,アマテラス,タカミムスヒという高天原の最高の神々に天皇家を結びつけて,天皇を神格化していることである。そして,その第2点は,これこそが新嘗にかかわってくる部分だが,結果的には天皇氏族があたかも,〈女〉のニイナメを主宰していたアマテラスから,そのニイナメの主宰権を平和的に譲渡されたかのごとくにも神話を構成していることである」
注記)以上,工藤 隆『大嘗祭の始原』明石書店,1990年,213-214頁。
その「ニイナメの主宰権の譲渡」「は,母からその息子へと」「同時に〈女〉から〈男〉へという転換と,〈血〉による王位継承と,この2つを実現した」 「前者は,本来〈女〉にこそふさわしいものであったはずのニイナメを,〈男〉である天皇が主宰することを正当化し,後者は,天皇位の世襲化を正当化することになった」
注記)同書,214-215頁。
以上をいいかえると,こうなる。
「卑弥呼(的坐女)の死とともに〈女王〉の時代はほぼ終わり,その後間もなく再び〈男〉(たとえば狗奴国の卑弥弓呼〔ひみここ,ひみくこ〕生没年不詳))の時代がやってきた」
「ニイナメの部屋のなかから,坐女が追い払われた。その代わりにその部屋に入ってきたのは,もちろんその〈男王〉だった。かくしてその〈男王〉は,ニイナメの部屋のなかでは〈男〉でありながら坐女という〈女〉を演じる存在となった。やがてその〈男王〉の位置にすべり混んだのが,天皇氏族の王であった」
注記)同書,216頁。
昭和天皇から平成天皇に代替りするとき執りおこなわれた大嘗祭においても,明仁が天皇になるさい演じた儀式は,みずから〈男王〉でありながら〈坐女〉の役割を遂行するものであった。
神道を信仰しない他者からみれば,とるに足らない子どもじみた大芝居=「そのようなニイナメの儀式」ではあった。
しかしながら,この「日本国を本気で象徴しているつもりの彼ら一族」にとっての〈心理的な信心次元〉の問題要素でとらえていえば,天皇の交替儀式である大嘗祭の宗教的な意味は,けっしておろそかにはできないものとされている。
b) 大嘗祭を頂点とする天皇文化
工藤は,天皇文化としての大嘗祭に象徴される根の深さに論及する。大嘗祭は第1に,生命の永遠性を象徴する原鎮魂祭の思想=「人間にとっての根源的な願望を満たす幻想の装置」性を体現している。第2に,あの〈祓いと禊〉の思想を体現していて,これまた「幻想の装置」性を発揮している。
「秘儀性の意図的な強調」があれば「人々は,その秘儀性に誘い込まれるように,そこに実体以上の崇高なるものを幻視する。そしてそれは,まさに幻視であるがゆえに,人々の意識のなかに,恣意的といっていいくらいにさまざまな像を結ぶ。すなわち空無性は,秘儀の衣をまとうことによって,多様な解釈を許容する神秘性となり,崇高性そのものへと上昇する」
ただし「この〈祓いと禊〉の思想は,現代における国際的な局面では,侵略戦争など,日本という国が犯した犯罪を,その水に縁の深い性格そのままにあっさりと “水に流して” 終わりしてしまおうとする,忘れっぷりのよさとしても現われてくるから,しばしば大変困った問題を引き起こすことになる」
注記)工藤,前掲書,221頁,231頁,221頁。
大嘗祭は第3に,稲という,日本にあっては長い期間にわたって農作物の王であった穀物の稔りを保証する思想を体現している。高度経済成長後の現在でこそ,稲はそれほど貴重に思われなくなってしまったけれども,人間が食料なしに生きていけない以上,その食料全体の象徴として稲をとらえれば,稲は営々の生命を保証する大嘗祭の思想もまた,簡単には否定できない。
注記)同書,221-222頁。
その第4は,〈男〉である天皇が実は〈女〉を演じている「その構造に象徴されている」ものである。このことは,天皇の文化の全体に漂う “女性的な” 雰囲気に関連し,天皇の宮廷で形成された主に奈良・平安時代に代表される貴族文化一般にも感じられるものである。
貴族文化とは結局,神を偽装する天皇の文化を,臣下の立場で模倣しているから,両者に同じような雰囲気があるのは当然である。もっとも,女性的な文化はかなりゆとりのある経済状態でなければ維持できない。
高度経済成長後の日本しかしらない現代の若者たちの感覚において全体として,少々そういった女性的で貴族的な雰囲気が漂いはじめている。
注記)同書,222頁。
その第5は,偽装による大嘗祭ではあっても,実はこの偽装といういわば〈演技〉にもまた人は惹きつけられることである。人間の〈生〉を支えている根本のものはこの〈演技〉だということになる。その観点からみれば,天皇の文化はその演技の完璧さにおいて,なかなかあなどれない力をもっている。
注記)同書,222-223頁。
最後の第6である。天皇が超越的存在であるという観念に包まれ,これによって,現代の庶民からみれば,天皇の世界じたいが他界になっていることである。手が届かないからこそ,熱い願望の対象になるのが他界だとすれば,民主主義の理念からいえばはなはだ逆説的ではあるが,天皇の世界は,超越的であるがゆえに人びとの他界願望を満たす機能も果たしていることになる。
注記)同書,224頁。
c) 天皇の文化に関して注意すべきこと
以上に説明した特徴をもつ「天皇の文化が,根源的には神の偽装から発している」,「人間でありながら超越的な神でもあるという,現人神信仰を基礎にもつことなしに,天皇の文化は成立しえない」
「したがって,これが現実の政治権力と結びつくと,容易にファシズムへと傾斜していくことになる。選挙といった相対化の手段を拒絶し,超越的で絶対的な権力をめざすのがファシズムである。
そういった勢力は,典型的には,半世紀前の日本で軍国主義的ファシズムがそうしたように,天皇のその超越的絶対者の性格を,民衆を押さえ込むために利用しようと考えるものだ。
日本文化のなかに占める天皇の文化の位置が大きいだけに,より一層,いかにしてそれを現実の政治権力から遠い位置に置くかということは,強調しても強調しすぎることはない」
注記)同書,224-225頁。
以上のごとき叙述をもって工藤は,戦争の時代に犯した「天皇の文化」の,いうなれば,明治維新を契機に創造され登場した「帝国主義時代の神格的天皇制」の,それもとくに「現人神:昭和天皇自身の犯してきた政治犯罪的な行動様式」を生んだ,その原始宗教的な基盤を明確に指摘しつつ批判をくわえている。
--なお工藤は,自身のホームページにさらに,こう書いていた。
〈古代の近代化〉の過程において日本古代国家は,〈国家〉の政策として,伊勢神宮を頂点とする神社体系・祭祀体系を整備した。明治の近代化においても,この政策は維持され,それどころかさらに手を加えて強化された。その意味では,〈古代の近代化〉以来明治の近代化まで,神社は常に〈国家〉と結びついていた。
〈古代の近代化〉の場合は,対外侵略戦争には向かわなかったので,神社体系・祭祀体系はあくまでも内向きの意識だけで敬っていて外国とのあいだに問題は生じなかった。しかし,明治の近代化における靖国神社は,植民地獲得を目指して対外侵略をする近代国家と結びついていたので,当然のことながら靖国神社は外側の国々から見て無視できない存在になってしまった。
注記)当該のホームページの住所は,“ http://homepage3.nifty.com/offi-kd/sub07.html#靖国問題” であるが,現在(2025年12月27日時点で)は削除されている。
昭和天皇の息子である平成天皇は,「平和の時代」を生きぬくための「皇室戦略」的な思考を深めつつ行動している。しかしながら,戦争の時代か平和の時代かの違いはあっても,天皇みずからが「現実の政治権力から遠い位置に置く」という抑制意識:緊張感をわずかでも欠くのであれば,過去の過ちが繰りかえされないという保証はない。この問題意識は,現行の日本国憲法をどのように改正するかという論点にもつながる。
「玉」(ギョク)として天皇を,いつも「玉」(タマ)として政略的に利用しようとする政治家や政治的集団が,この地上からいっさい存在しなくなることがありえないかぎり,天皇という「政治的な王族の実在」は,日本の政治運営=民主主義体制にとって「獅子身中の虫」「パンドラの箱」である事実を意味する。
ここまでの記述に関連させてかかげてみるのが,つぎの動画サイトの一場面「切り抜き画像」である。前段の記述,『「玉」(ギョク)として天皇』を,いつも『「玉」(タマ)として政略的に利用しようとする政治家や政治的集団』が,ごく最近話題になった国会における皇室典範改正案(ならぬ改悪案)の成立のために画策してきた。

それでも得意な顔をして「してやったり」の皇室典範改正(改悪)案であった
しかし
国会において成立させたが皇室問題をめぐる光景は
いまではすっかり「衰退途上国」化したこの日本の政治が
いったい何流にまで落ちたかを
みずからさらけ出すという醜態を世界中に向けて披露(発信・拡散)した
政治家(政治屋)と政治的集団とは,「麻生太郎(とこの姻戚関係者)と高市早苗」であり,そして「神社本庁や日本会議」であった。「歴史は繰り返される」ではないが,今回のごとき21世紀における古代史まがいの「玉座争い」の実相は,まことに『見苦しい「日本昔話」風の悲喜劇』そのものになりはてていた。
d) 平成天皇の戦争指導
最近まで日本の政治が披露してきた国家体制の変質・溶解現象,すなわち,自衛隊のイラク(海外)派遣や教育基本法の〈一貫した改悪〉に代表される旧戦前体制への郷愁を実現させてきた「保守でも単なる反動勢力の意向や動向」を踏まえるとき,彼ら:これらが「天皇の文化」を必らず政治的に利用しようと画策することは,以前からはっきりと目にみえていた。
前・平成天皇は,イラク戦争(2003年3月20日開始)に派遣された部隊に対して当時,「天皇として慰労のことば」をかけていた。これが日本国憲法に定められた「国事行為」であるとみなされれば,すでに彼は,特定の意味をもって国軍の最高司令官の役目を果たしたことになる。
というのはすでに,日本国にとってその「天皇の行為」による「危険な兆候」が,意図的に発現されていたからである。自然災害の被災者を天皇が見舞うのとは,その行為の意味に関して「顕著,決定的な差異」があった。この点は指摘するまでもなく,誰でも用意に理解できる出来事であった。
「天皇および天皇制」の言説や行動を〈憲法の制約〉をもって律するのではなく,この天皇条項じたいを撤廃・廃止するための新憲法の用意が不可欠である「21世紀」も,すでに第2四半期にまで進んできたが,この国の政治(内政・外交)は,81年前の「歴史的な大事件:敗戦」をどのように受けとめ,解釈し,教訓とするのか,いまだに腰が定まっていない。
現人神信仰にも支えられた大元帥の天皇裕仁が,大日本帝国を統帥しつつあの大戦争を戦ってきた「歴史の過程」は,いまの時代になってというわけではなく,そもそもの話が,天皇・天皇制の本質問題として本格的な討議・吟味・批判をなしえなかった事情を残したゆえ,その後遺症的な残痕が完全に除去しえていないゆえ,「敗戦前的な先祖返り」志向がいつもくすぶる国内事情を残してきた。
工藤 隆が議論するように,天皇・天皇制をあくまで基本的に認めるという立場なのであれば,この日本国がその軛から自由になれる時代は,永久にやってこない。この難点が奈辺に実在していたかは,まさしく工藤自身が解明するとおりであった。
「天皇および天皇制」を冠に載せたままの現憲法であるかぎり,「政教分離」未達成の半封建・反現代の法規として,敗戦後日本の政治社会に与えられた「敗戦事情史」の経過においては,すなわち「ある種のやむをえなかった」実質を内実に有したまま,21世紀のいまになってもいっさいの改正もなしえないまま存在しつづけてきた。
実は,その論点は,皇室典範「改正(改悪)」案の以前(以外)の,いわば,その大元に控えていた《本筋の大問題》を配慮に入れて議論する必要があった。
というのは,第2次世界大戦後に日本を占領し,非軍事化と民主化を進めたダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)元帥が,連合国軍最高司令官総司令部(General Headquarters,GHQ)の連合国軍最高司令官(最高司令官:Supreme Commander for the Allied Powers / SCAP)である立場から,そもそも大問題を埋めこんでおいた日本国憲法を作成した(させた)ところにまで,立ちもどり再考する必要があったからである。
マッカーサーメモ(マッカーサー・ノート)という覚書があった。これには,1946年2月3日にダグラス・マッカーサーが,民政局長コートニー・ホイットニーに対して命じた「日本国憲法草案作成のための3つの必須要件」が記されていた。
日本政府に用意させた憲法改正案(松本丞治案)が不十分であり,手ぬるいと判断したマッカーサーは,GHQが独自の草案を作成させることを決めたさい,その基本方針として提示したのが,『マッカーサー3原則』であった。
その「概要:メモ」に記された「マッカーサー3原則」は,具体的には以下のとおりであった。
1 天皇制の維持と制限天皇は国家の元首の地位にある。
皇位は世襲される。天皇の権能は憲法に基づき行使され,人民の基本的意思に責任を負う 。
2 戦争の放棄国権の発動たる戦争,および紛争解決の手段としての戦争を放棄する。
さらに,自己の安全を保持するための手段(自衛戦争)であっても,そのための戦争を放棄する。陸海空軍の保持を認めず,いかなる交戦権も与えない。
3 封建制度の廃止日本の封建制度は廃止される。
華族の権利は,現在生存する者の一代限りのものとし,将来のいかなる貴族特権も認めない。予算のモデルは,イギリスの制度に倣うものとする。
以上の3項目のうちで指摘できる明白な矛盾点は,誰でもが容易に読みとれるはずだと思うが,3で「封建制度の廃止」を断わっているにもかかわらず,1が「天皇制を維持」するうえで「皇位は世襲される」と,つまり冒頭から決め(つけて)いた。
天皇・天皇制という大昔からあったはずの政治機構が,封建制度というよりは「いにしえ(古)からの伝統がある」とされたにせよ,しょせん,それこそ古代史から連綿とつづいてきたはずの〈封建制度〉であった事実は,賢い小・中学生であれば,簡単に気づくかもしれない点である。
マッカーサー・メモはその点でまったくに,それも気軽にだったが,平然と矛盾するこのメモ内の1と3とを,GHQ・SCAPの立場から恣意的に定めていた。
21世紀になってからも,この日本国憲法に内部にしこまれていたマッカーサー由来の基本的矛盾関係が,学識者(学究)のなかからまともに取りあげられ,本格的に議論していき,抜本から批判してみようとする動きが,いまだに自然に(!)生まれていないのは,なぜか?
--再び,工藤のホームページに聞いておく。
現在の首相〔小泉純一郎〕が,個人的に靖国神社にどれほど熱い思いを抱こうとそれは彼の勝手だが,それが個人の問題や,日本国内の問題だけで済むというのは,縄文・弥生期のムラ段階の社会の感覚である。
自然と共生し節度ある欲望を生きるムラ段階ではただ良いものであったような原型生存型文化も,日本のように,国家段階にまで濃厚に生き延びると弊害も出てくる。そのプラス面とマイナス面を見極め,マイナス面をコントロールしながらプラス面を活かしていくというくふうが必要なのである。
首相の靖国神社熱愛行動の裏には,このファシズム時代以来の勘違いも潜んでいるに違いない。現代日本における,〈国家〉としてのリアリズム性と,縄文・弥生期以来のムラ段階的な反あるいは非リアリズム性との同時存在という二重構造を,政治リーダーや知識人は率先して見つめ続けなければならないのである。(2005.8.22)
注記)前掲,ホームページの住所。
追記)当該のホームページの住所は,“ http://homepage3.nifty.com/offi-kd/sub07.html#靖国問題” であったが,再び断わっておくと,現在(2025年12月27日時点以降)は削除されている。
昭和天皇の時代もそうであったことになるが,平成天皇の国事行為的な象徴天皇としての言動には,現行の憲法体制を遵守するという彼の確言をなし崩し的にしていく,いいかえれば実質,徐々に骨抜きにしていく兆候がみてとれた。
この指摘は,現行日本国憲法の誕生からしてしこまれていた本然的な素性として不可避であった特徴を指摘したに過ぎず,この憲法がいつまで経っても回避も解消もできない,ある意味では一大特性を捕捉したつもりである。
2 網野善彦『日本論の視座-列島の社会と国家-』小学館,2004年
網野善彦は,歴史的な産物である「日本」という表現に関して,「はじめに日本人ありき」という枠組での歴史像を廃棄しろととなえている。なぜなら,それは事実に即さず,誤った歴史像だからというのである。
注記)網野善彦『日本論の視座-列島の社会と国家-』小学館,2004年,15頁。
そこで,古式ゆかしき皇室行事の神道的な伝統について網野は,つぎのように決定的な反証を提示する。
例えば,昭和天皇の代替りに当って,天皇の葬儀が世の注目を浴び,種々の論議のすえ,鳥居を建てた神式,巨大な墳丘への土葬などが「伝統的」方式とされ,これが結局,実行に移されたことは,その適例であろう。
すでにフランソワ・マセも言及しているように,この「前例」は明治天皇以前に遡るものではなく,聖武以来,孝明まで一貫して仏式,持統から江戸初期まで2,3の例外を除いて火葬,後光明以後,表向きは火葬で実際は土葬,葬所は仏式採用後は適当な寺院の近傍,御光厳以後,御花園のみを例外として葬儀はすべて泉湧寺,
墳丘をつくらぬ薄葬も持統以来のことで,淳和にいたっては火葬に付した遺骨を粉砕して散布させたなど,天皇の葬儀に関わる歴史的事実は,多くの人びとに知られることのないまま,「伝統的」という言葉がまかり通ったのである。
注記) 網野善彦『日本論の視座-列島の社会と国家-』小学館,2004年,頁。振り仮名は省略。
歴史像を廃棄しろと
平成天皇に問おう。いまの日本社会には生活に困窮した人びとが多い。この困難な時代,いずれ生をまっとうする「彼:自分」も,明治・大正・昭和の天皇たちのような豪華な「墓所」を造ってもらうことにするのか?
皇室の伝統は網野も指摘するように,その葬儀や埋葬のしかたを時代ごとに柔軟にかえてきた。「伝統的」というしきたりを守りたいならば,この本当の歴史的経緯に忠実に即して変幻していく〈自身の今後〉を考慮しなければならない。
これまで平成天皇が披露してきた皇室戦略的な行動の記録は,以上に筆者が要求する案件をかなえやすい環境をととのえてきている。
ここでは,20世紀(より正確には19世紀後半)から造成,準備されてきた「古墳のごとき天皇陵」を,つぎの画像や図面で紹介しておく。最初の画像資料は京都府にある明治天皇の陵墓であり,つぎの画像資料は大正・昭和・平成天皇の陵墓関係である。

平成天皇夫婦の陵墓建造予定地

みごとなまで夫婦茶碗のような大小関係をもって対位的に建造されている
一条美子は昭憲皇太后と呼ばれるゆえそれでは睦仁の母に当たるのかと訊いたら
本気では反論できない(しない)のが宮内庁側の正式な立場であった
現在も健在である平成天皇やこの息子の令和天皇も同じ立場ではないかと推察する
前段に最初に挙げた武蔵野陵には
平成天皇夫婦のために建造が予定されている敷地の位置関係と
そこに建造される予定である「夫婦のための古墳まがいの墓所(陵墓)」が
新しく準備されているわけだが
それは以下のように図解されている

この日本国はまさに巨大古墳まがいの墳墓復活を
明治天皇の1代前の孝明天皇の代からすでに始めていた
この国は国家意志を込めて本気で
「19・20・21世紀における奇観」を再現させてきた
だが
いまの時代にどのような意義を発揮しうると思っているのか?
きちんと説明してくれる識者・専門家がいない

だがそのような希望は拒絶されるに決まっている
なにせ21世紀になっても「天皇の国であるこの日本」は
大昔における古墳もどきの陵墓を造るべき「神州の御国」だという意識を抱いている
この現代史において天皇夫婦のための「古墳を思わす」陵墓の建設を問題にする
社会科学者がいない点はまさに「不思議の国ニッポン事情」
3 日朝古代史の親しい関係-重なる「両国」の王朝史-
川崎真治『混血の神々-日本人と日本語の起源-』講談社,昭和48年は,「時代がさがって朝鮮の三国時代,百済の王子たちが大和盆地にとどまっていのは,まちがいない史実である。
このように伝説と史実の双方をみてくると,古代日本の朝廷と朝鮮の王族たちとは,政治以外の何か太い紐帯で結ばれていたのではないか。そこで,そういう面も考慮に入れ,改めて『任那王子』の問題を推測する」と「朝鮮の王子が日本の神なんて……と反論する人が,あるいは現われるかもしれない」がと断わったうえで,さらにこう述べている。
「西暦720年以前において,倭国政府は,洛東江流域の十ヵ国と深いかかわりあいがあり,それは,経済や文化の分野以外に,政治的にも密接な関係があった,というよりは,種族的な太い深い絆によって,両者がかたく結ばれていたことを示唆するといっても,あながち過当な表現ではないと思うのである。
注記)川崎真治『混血の神々-日本人と日本語の起源-』講談社,昭和48年,28頁,29頁,270頁。

なお『日本書紀』に記された十ヵ国の一覧や
『日本書紀』の欽明天皇23年(562年)1月条は
「総括して任那というが分ければ以下の10ヵ国である」という
加羅国(からこく/現在の大韓民国慶尚北道高霊郡,大加耶)
安羅国(あんらこく/現在の慶尚南道咸安郡)
斯二岐国(しにきこく/現在の慶尚南道宜寧郡付近)
多羅国(たらこく/現在の慶尚南道陜川郡)
卒麻国(そつまこく/現在の慶尚南道密陽市付近)
古嵯国(こさこく/現在の慶尚南道固城郡,小加耶)
子他国(したこく/現在の慶尚南道晋州市付近)
散半下国(さんはんげこく/現在の慶尚南道草渓付近)
乞准国(こつじゅんこく/現在の慶尚南道昌原市付近)
稔礼国(じんらいこく/現在の慶尚南道金海市・金官加耶)
小林恵子は,年代順に並べて紹介すると,以下のような古代史研究書を公刊している。
『白村江の戦いと壬申の乱-唐初期の朝鮮三国と日本-』現代思潮新社,1987年。
『倭王たちの七世紀-天皇制初発と謎の倭王-』現代思潮新社,1991年。
『高松塚被葬者考-天武朝の謎-』現代思潮新社,1991年。2009年版もある。
『太子の顔-聖徳太子その真実の正体-』ベストセラーズ,1993年。
『白虎と青龍-中大兄と大海人 攻防の世紀-』文芸春秋,1993年。
『解読「謎の四世紀」-崇神,ヤマトタケル,神功皇后,応神の正体-』文芸春秋,1995年。
『広開土王と「倭の五王」-讃・珍・済・興・武の驚くべき正体-』文芸春秋,1996年。
『白村江の戦いと壬申の乱-唐初期の朝鮮三国と日本(補訂版)-』現代思潮新社,1987年。
『興亡古代史-東アジアの覇権争奪1000年-』文芸春秋,1998年。
『すり替えられた天皇-「長屋王の変」と聖武帝の謎-』文芸春秋,2000年。
『本当は怖ろしい万葉集-歌が告発する血塗られた古代史-』祥伝社,2003年。
『本当は怖ろしい万葉集 完結編 大伴家持の暗号-編纂者が告発する大和朝廷の真相-』祥伝社,2006年。
このなかの『興亡古代史-東アジアの覇権争奪1000年-』1998年は,以前まで蓄積してきた研究内容を踏まえたと思われる〈東アジア古代関係史〉の系図を作成している。ここではその趣旨だけの言及となるが,つぎに参照しておきたい。日本-朝鮮・中国という広範囲な地域を政治史的な背景に置き,日本の王朝史を観察する必要を教えてくれる。
小林惠子『公開土王と「倭の五王」-讚・珍・済・興・武の驚くべき正体-』文藝春秋,1996年において,『記紀』とくに『書紀』の記載の矛盾を注意深く追ってみると,ひとつの法則があることに気づくという。それは,つぎの3点である。
☆-1 外国から入って,ただちに倭王となったばあい,その事実を隠蔽していること。
☆-2 天皇はなるべく万世一系に則して,血脈を改竄していること。
☆-3 それらの事実を讖緯(しんい)的な暗示によって記載していること。
補記) 讖緯(しんい)とは,古代中国で流行した未来の吉凶や王朝の交代を予言する思想およびその書物を指す。具体的には,未来の予言を記した「讖(しん)」と,儒教の経典を神秘的に解説した「緯(い)」の2つから構成される立場から論じた書物を意味する。
この3点を明確に意識して『書紀』をみると,『書紀』は最後の持統紀から20年くらいあとに完成されているだけに,当時としては現代史に近く,細かな点まで恐ろしく正確の史書である。それからはもつれた糸が急速にほどけるように,中国や朝鮮の史料とも比較検討が可能になったのである。
註記)小林惠子『公開土王と「倭の五王」-讚・珍・済・興・武の驚くべき正体-』文藝春秋,1996年,〔あとがき〕247頁。
小林いわく,「東アジアから日本古代史をみるという史観を,具体的に実行し,試みたのがこれまでの拙著である」と。
「7世紀は日本史において十分,古代として通用するが,大陸では中世に移行しつつあり,すでに人類は高度な文化および技術をもって,海外に進出しつつあった時代である。列島と交流のあった,これら外国の歴史が,日本古代史研究家にとっても,一般的知識となることが最も早く日本古代史の解明につながっていくのではないか」
註記)同書,〔あとがき〕248頁,249頁。
小林惠子『すり替えられた天皇-「長屋王の変」と聖武帝の謎-』文芸春秋,2000年になると,つぎのようにも宣言している。
本著の結論が普通の知識を持つ人にとって,たとえ驚天動地のものであるにしても,歴史時代のはじまりといえる弥生時代から奈良時代までおよそ1千年,連続した列島の歴史の自然の成り行きの結果,必然的にそうなったのであり,私が無理な創作をしたわけではない。
私にいわせれば万世一系に固執した『日本書紀』や,奈良時代,唐国の日本への政治介入を極力隠蔽し,独立日本国の尊厳を護ろうとした啓蒙書としての『続日本紀』の方がよほど,意図的に創作している。しかしその意図的な創作には限界があり,あちらこちらに破綻をみせている。その破綻こそ,私にとって史実を知る手がかりになる。
私の史観は日本を単独ではなく,東アジアの中の一国として位置づけ,それが万世一系を建前とする天皇の血統にも関係してくることもあって,日本国内の専門家には無視されている。
しかし最近,韓国では仮説の一つとして多少の評価を得るようになった。
註記)小林惠子『すり替えられた天皇-「長屋王の変」と聖武帝の謎-』文芸春秋,2000年,〔あとがき〕270頁。
なお,小林惠子『高松塚被葬者考』(現代思潮社,1988年)は,1990年12月に『天武天皇の秘密』と題して韓国語に翻訳され,韓国の書肆高麗苑から刊行されている。
いわゆる正統派に軸足をおいているつもりの日本古代史研究家は,どのような事由があるのか不詳であるが,小林惠子に限らず「日本の歴史学界」の本流から外れる歴史研究家の成果・業績を認めたがらない傾向が強い。
というのも,ことが学問に関することがらであるせいか,正統派と自他ともに認める,それも主に旧帝大系の学者は,戦前・戦中に発する「日本的な旧来の伝統」が足かせ・手かせとなっていて,小林惠子などの在野的な歴史研究家が独自に発表する主張を,真正面よりとりあげ,すなおに評価したり議論したりすることが苦手である。
学問の世界において真理追究をする仕事じたいは,正統派であれ,在野・反主流派であれ,始めからどちらかに正当性があるとかないとかは,いちがいにいえない。その目標は同じであって,ただどこに身を置いて歴史研究という仕事に従事しているかに相違点がみいだせるに過ぎない。
アカデミズムの世界,大学の場にいて歴史研究をしているからといって,その以外の場所や立地において歴史の解明としている人たちよりも,りっぱな業績・成果を挙げられるという保証はない。要は,内容しだいであり,論の立つことが肝要であり,所属のしだいで研究そのものの価値が左右されるわけでも優劣が付けられるわけでもない。
小林惠子の日本古代史に関する認識とほとんどかわらない視点を示すのが,澤田洋太郎『新装ヤマト国家は渡来王朝』(新泉社,2000年。1995年初版)である。
澤田の同書は,『日本書紀』の編集について,「万世一系」という理想主義哲学を樹立し,これを建前として現実の王者交替の史実を光明に隠蔽したということに尽きる,と論定している。
しかも,高天原神話を創作し,そのなかに天皇家と藤原家を始め,各氏族の祖先の神をはめこみ,国家行事としての神祇官の職務を藤原氏の同族の大中臣氏の手に握らせたことは,巧妙なやりかたであった。それとともに,大和の土地神である三輪山の祭祀を封じたり,皇祖神を伊勢に移したりして民衆から隔絶させたのも抜群の構想によっていた,とも観察している。
註記)澤田洋太郎『新装ヤマト国家は渡来王朝』新泉社,2000年,51頁。
現代の天皇家は,周囲を大勢の「百済系」の人たちに囲まれていた桓武天皇の直系の後裔であり,以後連綿として1200年間にわたってつづいている。ところが,それにさきだつ天武天皇から約100年間の天皇は「新羅系」と考えられる天武天皇の系統で継承されている。
文武天皇はどうやら新羅の文武王のことらしく,天武天皇についても天智天皇の4代の子孫であるとされている称徳天皇から天智天皇の曾孫の光仁天皇への皇位の継承は,多少のトラブルはあったものの革命的な変動ではなく平和的におこなわれている。
それに対して,百済人が満ちみちていた天智系の近江朝の命脈は,「壬申の乱」という内戦の結果によって,天武系にとって代わられて終わっている。このことからみると,この戦乱の本質は「百済と新羅との代理戦争」といえそうに思えてくる。
註記)同書,75頁。
こうした澤田洋太郎の見解は,小林惠子が「外国から入って,ただちに倭王となった」「事実を隠蔽し」,「天皇はなるべく万世一系に則して,血脈を改竄し」てきた日本古代史の実相が,いったいどのような政治の中身であったかを再度確認させるるものである。
「倭国の5世紀はどんな時代だったか?」と問う澤田は,こう答えている。
桓武天皇が百済人に囲まれていた事実に注目し,ついで文武天皇についての『日本書紀』の記事に疑問を感じて考察を始めたところ,この天皇や天武天皇に関しては,それが単に国内の「新羅系」の人たちの影響によるだけでなく,この2人の天皇自身が新羅から直接に渡来したのであるという可能性を含めて,当時の日本列島の出来事の背景には,朝鮮半島の事情がきわめて濃厚に関係していることが分かってきた。
そしてさらに,歴史をさかのぼっていくと,孝徳天皇は「親新羅政策」を採っているものの,他の天皇はすべて「親百済政策」で一貫しており,とりわけ敏達天皇・舒明天皇のように「百済の宮」を造っているなど,6~7世紀の王朝はそのまま「百済王朝」と呼んでもいいくらいに,百済という国に傾斜していることが確実と思われるようになった。
なお,澤田は鹿島 曻にも言及していた。
註記)同書,153頁,151-152頁。
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【断わり】 「本稿(11)」はもともと長文の記述であったので,これを,本日公表する「本稿(11-1)」と,明日以降の公表を予定する「本稿(11-2」とに2分割した。
その後者,続編「本稿(11-2)」は,以下である。
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【参考文献】
