職場に必要なひと(社会人の武装の仕方㉚)
膿を吸い出してくれる人、スケープゴート、クレーマー対処。
業務改善、アイディアマン。
危険発見、洞窟のカナリヤ。
ネットワーク、繋げてくれる人。
専門家。
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無駄な仕事、AIがやってくれる仕事。
機械でもできる仕事。
人間のする仕事、
機械よ、工業化よ、手作業を奪うな??
手触りのある労働。
AIとか機械とかロボットとか工場とかが人間を暇にしたら、人間は読書するのか?
いやー、手作業のない、現場感のない働きは、読書の必要性を生み出さないかもな、とも思う。
佐々木俊尚さんのVoicyによると、事務職が余っているらしい。
現場の仕事が必要。
これからは現場がかっこいいかもしれない。
肉体を動かし、健康的で。
給料もよくなり。
これこそ生きてるって感じな、現場の仕事。
最前線の兵士たち、
捨て駒ならだめだけど。
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村上龍氏のインタビュー集に、『最前線』という本がある。
それぞれの現場の、当時1999年の「最前線」の人たちに、話を聞きに行っている。
もうそこは最前線ではないだろうが、最前線を追い求める姿勢のようなものは生きている、今も参考になる。
気をつけて下さい、とは言えない。彼は仕事としてまた戦場へ出かけるだろう。死なないように気をつけるに決まっている。頑張ってください、とも言えない。頑張るという言葉の意味は曖昧だが、戦場カメラマンには使えない。村田氏に対して、私は確か、機会があればまたどこかで会いましょう、と言った。
これは、村上龍氏自身も、当時、小説の最前線を走っていたから、こういうことを言っているのだと思う。
最前線は目印がなく、前例がなく、轍がない。
(私は行かないけれど)気をつけて、(私はできないけど)頑張ってください、というような、無責任で他人行儀な言い方は、今もメディアの中で生きているし、おじちゃんおばちゃんたちの井戸端会議の中で生きているし、ネットの中で生きているし、この国の空気の中で生きていると思う。
全員が最前線の気持ちで生きるということは、しかしパレートの法則、できないのかもしれないけれど、私は最前線がいいなあと思いつつ、めんどくさいから頑張ってください、と言っているような気もする。
でもそれが社会というものかもしれない。
社会システムについては以前書いた。
みんな、もちつ、もたれつ。
文学的という面では、誰かが何かの重要なテーマについてつきつめていく、私は原爆とシベリア抑留の孫だが、大江が、クリストファー・ノーランが、こうの史代が核について描き、Soranjiが映画の中で歌われ、シベリアがある国が戦争を起こし、カラマーゾフの兄弟を目指して小説を書く作家がいて、その翻訳をした人がその続編について考える社会で、他の人の「頑張った」作品を読んで涙して生きている、
私は私の歯車として生きているつもり、みんながみんな最前線でいられるわけではない、それでも誰かは尖ってく、逸脱していく、その最前線がいつしか普通となり、現在となり、またどこか他に最前線ができていく、
龍氏も年をとられて、エッセイ集『ラストワルツ』の中では、頑張ってください、と言っているようなところが多々あった。
ラストワルツについては、
にも書いた。
村上龍氏はいくつもの最前線を切り開いてきた人で、文学史に燦燦と輝く巨星だが、では私は、あなたは、自分の小さなフィールドで、少しでも最前線を目指すべきか、あるいは最前線を走っている人を見つめながら、よきものを敷延する、その嗅覚を持つ、最前線のよきものを潰してしまわないように足もとに気をつけて歩む、温故知新という言葉が好きだった、それは最前線と古き良きが混ざった場所だ、深き歴史なくして新しい地平はない、しかし古き泥に足をとられて進まないのもいけない、あるいは私にとっての最前線とは何なのだろうか、職場でどんな人であったらいいのだらうか、これまでの安定をマンネリして職場を安定させながら、最前線を見つめて、変革を夢見ながら、うまく過去と現在と未来を混ぜていかなければならない、そう大した最前線ではないかもしれないが、我々はみんなそれぞれの最前線にいるのではないだろうか。
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