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漫画『ルックバック』の社会受容を見る(批評について⑪)

※漫画『ルックバック』についてのネタバレを含みます。

作品は、個人に受容されるが、社会にも受容される。
社会とは、複数の個人だろうが、それだけとも言い切れない存在である。
社会とは何か。
これもまた難しい問いである。

漫画『ルックバック』は、その社会受容の過程で、表現の一部に「漫画的に誇張された精神障害者のステレオタイプがあり、これがスティグマ(ネガティブなステレオタイプで、社会に大きな影響を与える)となっている」部分があると指摘され、修正を余儀なくされた。

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まず前提として、読者は初期のバージョンを読んで、精神障害者に対する偏見を強くするのかどうか。
そして、その偏見が、社会を揺るがすほどに影響するのか。

また、悪い影響ばかりではなく、良い影響はないのか。

次に、作品に対して、クレームは通用するのか。
クレームによって、作品を改編して良いのか。

批評としては、個人の受容において、精神障害者に対する偏見を強くしたかどうか、それがその後の生活にどう発動したか、という点を書けると思う。
私は正直、意味の分からない暴力は怖い、と思った。
いつ自分がその暴力に襲われるかわからない、と思った。
そういう意味で、「精神障害者は怖い」と思わされているのかもしれない。そしてその偏見が、さらにそれらの人々を追いつめていく面もあるのかもしれない。
けれどこれはミスチルの『タガタメ』と同じで、加害者も被害者も、同じ「社会」の一員であり、それぞれに家族があり、加害者が被害者になったり、被害者が加害者になったり、その立場は流動的である。
自分が心神喪失にならないなんて、誰が言える?

今回の描写で良い影響は?
あの瞬間の出来事について、暴力の被害者について、作者が、読者が、追体験をして、経験することである。
その後、精神障害者に対して興味を持ち、カウンセリングの資格を取ろうが、精神疾患の著書を読もうが、障害者を支援する行動に出ようが、それは読んだ者の自由である。
何を読もうが、それをどう受け取ろうが、どちらも読者の自由である。
もちろん、何をどう描こうが、作者の自由でもある。
自由、自由、自由がどれほど受け入れられて、どれほど制限されるべきか、これも、社会の在り方に直結している。

クレームによって、表現を変えていいのか。
表現は変えられるべきなのか。
批評は、表現を規制したり、変えさせたりする力も持っている。


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