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短編小説「エモーショナル怪人 エモ山」(52) 見えるものと見えないもの

前回のエモ山


14:08:32。

32が33になって34になって35になる。
それは奇妙なことではないけど、奇妙がひとつだけあった。

それは、変わっていくその数字をただ見てるだけ、ってこと。
変わっていく数字を見てないと、時間が過ぎてる感じがしなかった。

フロントガラスを通り抜けた光が、ハンドルに軽く載せた俺の手に斜めに差していて、
俺の指毛を白く見せていた。
手首は光の明と暗の境目に、ちょうどぶった切られてるような位置にあって、
腕時計の画面は日差しをまぬがれて、明暗半々の、暗い側にあった。
暗いところでくっきりしたまま増えてく緑の数字を見ていたら、
じわじわとわきあがってきたのは疑い。

俺の疑いは、明暗の暗い方でちかちかと、
緑色の数字で点滅していた。

時間ってものは、どっかで
「つくられてるとされているだけなんじゃないか」。
時計ってものは、それを俺たちに
「ご親切にもお知らせしてくれるもの」で、
俺たちなんて、そのお知らせをただ
「鵜呑みにし、おっかけてるだけなんじゃないか」。

だって「ニセの時間」というものは、ないじゃないか。
それがどこかになければ、
「本物」なんて、あり得ないんじゃないのかな。

といったようなかたちで、
俺が、非常にカッコイイ思索にふけっていたのは、
ニックが助手席でしきりに鼻毛を気にしていたから。

「むずむずするー」

「なんかむずむずするー」

と言いながら、ニックはルームミラーに自分の鼻の穴をかざし、
しかしニックは明暗の暗側に座っているためそれがうまく確認できず、

「ね、俺、鼻毛出てる?」

と、陽の差す明るい側にいる俺に、
鼻の下を伸ばしたまま、キスでも迫るかのように顔を近づけてきた。

俺はその接近をぎりぎりまで耐えるチキンレースに

負けた。
「出てないっす」

俺はニックにそうこたえてしまい、
そのとたん、俺のカッコイイ思索は
白日にさらされた液晶画面のごとく薄まり、
ハンドルを、いま強く握りしめた指関節は光をことさら白く反射して、
ひっそり暮らしてきたはずの、
さしたる意味持たぬ指の皺と皺のあいだまで、陽にさらし、
あろうことか、日焼けまでさせてしまった。

「どーすんのかなー、あんな感じで」

ニックが俺の体越しに、窓から外をのぞき見た。
駐車場には、沼田といーだ課長の乗る黄色いバンが、
俺たちの青いバンと、ちょうど車2台分の距離を隔てた位置に
停まっていた。

けれどその位置は、横ではなくて斜め後ろにあったので、
車2台分の距離といっても、対角線2台分だから、
思った以上に離れていた。

なにか、横ではなく斜め後ろに停まっているだけで、
あいだにある空間が伸ばされて、沼田たちがいつもより遠く感じる。

運転席で沼田は、
椅子の背もたれに体をあずけ、両手で顔を覆っていた。

手の甲は白く陽に照らされ、
右手の指輪の石だけが、意地っ張りみたく光に反発してたけど、
それも小さな石だから、反射も弱かった。


「沼田。あれ、泣いてるよな絶対」

ニックは少しうれしそうだった。

沼田の隣、
影になった助手席で、
いーだ課長の体も影になっていて、表情は見えなかった。
泣いてるほうが明るく照らされてるなんて、
ちょっと変な話だよなと俺は思った。

そのとき、黄色いバンの助手席で、
影に覆われたところから明るいところに、にゅっと腕が出てきた。

それはスマホを持ったいーだ課長の手。
いーだ課長の手が持つスマホ画面は、
俺たちに向けて左右に何度も振られた。

「あ?」

ニックがつぶやくと、いーだ課長のスマホは影に消えた。
そのかわりにニックのスマホが、けたたましい着信音を鳴らした。

「君たち、もうちょっと、そこで待っててくれるかな」

ニックのスマホから、いーだ課長の声がした。

「なんかあったの?」
ニックが応える。ちょっとにやつきながら。
「どしたの? 沼田ちゃん」

「ちょっとした、意見の相違があったもんでね」
と、いーだ課長の声。
俺のところからは、黄色いバンの運転席で、顔を手で覆った沼田が
身じろぎするのが見えた。

「そんなに時間はかからない」

いーだ課長の声が言うと、
沼田が両手を顔から、力なくすとんと降ろした。
沼田は遠くを見ながらメガネをかけた。
慣れた手つきで、羽根みたいに軽くメガネをかけた。
そうすると沼田の目はレンズの奥に消え、
沼田はいつもの沼田になる。

それから沼田は、運転席に座ったまま、
課長にくるっと背を向けた。

がしゃこんばしん。

スマホのスピーカーからは、バンの扉を力いっぱい閉じる音。
それっきり、沼田の姿は、俺たちの視界からは消えた。

「なんだよおまえたち、『夫婦』げんかかよ」
ニックはわざと、茶化して言う。
「そーいうことは、ラブホでやってくださいよ」

「沼田君は」
いーだ課長の声がさえぎった。
「沼田君は、個人的に」
乾いた静かな声に聞こえた。
「意固地になっているんだ」

「意固地」
とニック。
「あいつ、いつもそうじゃん」
ニックが笑う。
「彼女の意見には」
いーだ課長は真面目にこたえた。
「若干のねじれがあるんだよ」

「ねじれ?」
「そう」

ニックが俺をチラリと見て、肩をすくめ、首を傾げてみせた。

「彼女は」
黄色いバンの中で、いーだ課長の影は動かないままだった。
「この計画を、推進したいと言っている」

ニックの表情が変わる。
目の色に、影が差す。
「おまえもだろ?」
ニックが言う。
「おまえだってそうじゃねーか、いーだ、」
「仕事は仕事だからね」

「けっ」

とかなんとか言って、
俺にスマホを放り投げると、
ニックは自分の席の背もたれに、どかっと背をあずけた。

その勢いが強くて、
後部座席に積み上げられた段ボールが揺れて位置をずらし、
その反動で、
段ボールの中の小箱たちが、ごそっと音を立て、
小箱のさらに中に入っている『概念の音姫』たちが、
スナック菓子みたいな軽い音をさせた。

オグロログオが感じた「初期化のニオイ」は俺にはしなかったけど、
その音の軽さは、なんとなくいい感じがしなかった。

「僕たちには、意見の相違ができたんだ。彼女の意見は独特だろ? ほら」
いーだ課長の声が言う。
「『作品には権利がある』。『権利のほうが人間を宿主にしている』という」

「それ著作権の話だろ?」
ニックはぶっきらぼうに答えた。
「その話は関係ないじゃん、いま俺たちは、」
「彼女にとっては同じなんだ」
いーだ課長がこたえた。

「彼女は」
少し黙ってから、いーだ課長は続けた。
「うまれてくるものを、護りたいと言っている」

いーだ課長がかすかに笑うのが聞こえた。
「もしもそれが強いものならば、消されずに、うまれてくるだろうとも言っている」

「なんの話?」
ニックの鼻筋に、横皺が寄っていた。

「意見の違いだよ」
いーだ課長がこたえた。
「ねじれている」

(続きはこちらです)



エモ山地図はこちらです。

沼田の著作権の話はこちらに書いてあります。


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