短編小説「エモーショナル怪人 エモ山」(53) 時間のニセモノ:開こうとすると閉じる箱
前回のエモ山
ニックは窓を開けた。
限りなくポンコツに近いブルーのバンだから窓は電動じゃなく手動で、
ノブをくるくる回せば窓は開く。
ニックはノブを回した。
水平線が下がってくみたく窓が下りていき、
横に細長く、ここより明るい外の景色が見えてきて、
生ぬるかった車内には、新しい、冷えた空気が入ってきた。
俺はそれをすこしありがたいと思ったけど、
それも一瞬のことだった。
外気と車内のほんのわずかな温度差は、世界を結局は同じ温度に、
排気ガスとラーメンのにおいのする元どおりにしかしてくれなかった。
バンの横を、二人の男が顔つき合わせ、口喧嘩しながら歩き過ぎていった。
「それってあなたの感想ですよね」
「人間だもの」
なんか息苦しいのはなぜだろう。
俺は腕時計を見る。
数字は動いている。
冷や汗がざっと降りてきて、俺の体温を下げようとしていた。
水平線が下がってくみたく意識が下りていき、
横に細長く、ここより明るい、
見えるだけの場所が見えてきたような気がして、
けど、
深呼吸すると、胃のあたりから、吐き気がこみ上げてきた。
だから俺は深く呼吸するのを諦めた。
ちょっとずつ息をすることにした。
腕時計の液晶の、緑のデジタル数字が
刻々変わってく刻々を見ながら
刻々刻々と、
浅いうっすらとした呼吸をくりかえし。
はっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ……
いつしか肩で息をしていた。
『犬』みたいだった。
いーだ課長の声が、スピーカーから車内に響く。
「が、しかし、心配しなくていい」
聞いているのかいないのか、ニックは窓の隙間から、外をのぞき見るだけ。
ニックの耳の前の、もとはもみあげのあった場所が、やけにほの白かった。
「時間が解決するだろうから」
いーだ課長が静かに言う。
スマホ画面が暗くなり、通話はそこで終わった。
はっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ……
数字は動いていた。
使い道のない数字がゴミ屋敷のゴミ同然増えていった。
「まあ、俺は」
いつのまにか上目遣いになって、窓の隙間から外を見ながら、
ニックが言った。
「沼田なら、自分でなんとかできると思う」
俺も答える。
「あっす」
Beep Beep !
Beep Beep !
幹線道路から、クラクションは聞こえてくるけどね。
「昼寝でもして、待つかなあ」
ニックはレバーをガタガタ動かして、
シートの背もたれを倒そうとした。
後部座席の段ボールに背もたれが引っかかって倒れず、
座席はニックを乗せたまま、前にずれた。
ニックは負けじと背もたれを、力任せに倒して、
積み重ねた段ボールを斜めにひしゃげさせることに成功した。
一番上の段ボールが倒れ、
開いた蓋の間から、乾いた鈴みたいな音を立て、
小さな箱が転がり落ちてきて。
箱はハンドブレーキの谷を越え、俺の膝の横におさまった。
手ひらにちょうど乗るくらいの、
その小さな茶色い箱は嘘みたいに軽く、
透明テープで軽く閉じられて、
愛想のかけらもなく、
中になにが入っているか、教えたがってない感じがした。
一か所だけ、ヒントみたいなのはあったけど。
TT2
赤い文字がスタンプで記されていたが、それがなにを意味するか、俺にはわからなかった。
なんか映画のタイトルみたいだけど、
この中に『概念の音姫』が入っていることを知っている俺には、
それが映画のタイトルとは思えない。
TT2の文字はそっけなく、その意味は閉じていた。
秘密が自信を持っていて、わかるやつだけにわかればいいし、
わからないやつがまんいちこの箱を開けたとしても、
その意味も使い方もわからなければ価値にすらならないから、
だから
さあ、開けたければ、どうぞ開ければいいよ、って、
手を広げ、同時にそっぽ向いてる感じもする
小生意気な箱。
意味不明文字の記された小生意気に俺は『犬』で対抗した。
はっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ……
『犬』のふりをしながら、
犬じゃない俺は冷や汗じゃない汗をかく。
「開けてみろよ」
ニックが言って、
絶対そう言うと思ったからすかさず俺はテープを引きはがした。
ぺりりりりりりりりりりり。
空気でぱんぱんに膨らんだ小さなビニール製緩衝材。
それがたくさん。
小箱の主な成分はそれで、だからこの小箱はすごく軽いわけだけど、
だいじなのは空気ぱんぱん小袋がパンパンに入った小箱の、
ぱんぱん袋のすき間に差し込まれるようにして入っていた
小さなもの。
ニックは小箱の中を漁った。
とりだしたのは、2センチくらいの銀色の、円盤のようなものだった。
つまみ出し、手のひらに乗せ、上から見れば丸いかたち。
その手のひらを目の高さにまで上げ、横から眺めれば、
高さ5ミリほどの長方形。
丸い外周の中心には、穴が開いていた。
「これが」
ニックは俺の手のひらからそれを指で取り、目の前にかざした。
「『概念の音姫』?」
ニックは穴に目を寄せた。
ドアスコープから外を見るみたいに、穴を通してあちこち見た。
俺はニックのそのしぐさをどこかで見たような気がしたけど、
はっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ……
俺は『犬』のままでいようはっはっはっはっはっ……
「電源どうやって入れんのかな」
ニックが『概念の音姫』を、ふたたび手のひらに乗せ、
どこかで見たような俺の夢想はついと消えた。
「電源、電源は?」
ニックがつぶやいて、それをつまみあげ、ためつすがめつした。
「こんなの、どうやって放送室に設置すんの?」
穴の開いた円盤の片側はつるつるした白いシートがついていて、
シートには、青い矢印がたくさん印刷されていた。
Do not remove until immediately before installation.
って太字で書いてあったんだけど、
英語なんてわかんないニックは、
「Do not」なんかあたりまえのように無視。
わかりやすい矢印だけに率直に従って、
つるつるシートを勢いよくぺりっと剥がした。
剥がしたシートの下側はべたべたしていた。
よくわかんない状態で剥がしちゃったけど、
あとからわかったらそこはシール面だった。
で、シールのべたべた面に白いシートを戻そうと、ニックはしたんだけど、
シートはもう元どおりにはくっつかなかった。
はっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ……
剥離紙を剥離され、『概念の音姫』は、
銀色だった外周を、明るく灯しはじめた。
「やべ」
とニックが小さくつぶやいた。
『概念の音姫』を、
ニックは、俺のワイシャツの胸ポケットに、ぺたりと貼り付けた。
「はっはっはっはっはっ」
「はっはっはっはっはっはっはっ……」
俺たちは顔見合わせ、
意味もなく笑った。
俺の胸ポケにくっついた『概念の音姫』は、
俺の腕時計の時刻表示と同じ緑色に灯っていた。
14:46:32。
14:46:33。
14:46:34。
デジタル数字が増えてくのと同じリズムで、
『概念の音姫』は点滅した。
はっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは……。
俺はまだ『犬』の呼吸をしてたけど、
その呼吸はすでにちょっとニセモノになっていた。
俺の胸ポケットで、『概念の音姫』が、ぷるっと震えた。
はっはっはっはっはっはっは……
ニックが俺の目の前で、
両手を振り回し、口をパクパク動かしていた。
俺になんか言ってるみたいだけど聞こえるのは意味不明な音。
「デリダデリダデリダと書き続くデリダ写経はゼロデリダ」
意味はちっともわからない。
ニックが車のドアを開けたけど、
新しい空気は車内に入ってこなかった。
ここはもうすべて同じ温度になっているのかもしれなかった。
「俺たちは」
ニックに似た声が、遠くから聞こえた。
「何度も何度も失敗する」
そうだな、と思って、俺はニックにうなずいた。
俺たちは、真似をして真似をして失敗を繰り返す。
剽窃やコピーをし
真似された側のホンモノの輝きを増してく。
時計表示もつまり時間のコピー品、なのかもね。
おやおや?
しかし、もしかすると、
そもそも俺というものも、なにかのニセモノだったとしたら。
はっはっはっはっはっはっは……
それでもまだ俺は、『犬』で呼吸していた。
はっはっはっはっは……
はっはっはっはっはっはっは……
はっははは……。
そのとき、
あ、なんかスマホ鳴ってる?
と、俺はあたりを見回した。
けど違かった。
鳴っていたのは俺の胸ポケット。
『概念の音姫』が、ぶるぶる激しく震えてはじめていた。
誰のかわからないけど、
しかし確実に、どっかで鳴ってる電話の音みたいだった。
ぶるぶる音は壁越しみたいに遠く、しかしやけに延々と続き、
俺の聴覚を引きつけて、引きつけて、
そしてふいにやんだ。
そのとたん、俺の『犬』呼吸は、
すん。
と、にわかに静まった。
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