短編小説「エモーショナル怪人 エモ山」(70) 仮置きのカラオケ
前回のエモ山
「じゃあ、まず」
カゼシロ渚が俺に言った。
「この部屋について、説明してください」
「この部屋?」
俺は振り返り、
俺たちについてきたかずひろ先輩が、
白いドアをロックするのを見た。
かちゃり。
俺が座らされたのは、
視聴覚室にあるような、
折り畳みの小机のついた白い椅子だった。
俺は膝の上で手を組む。
だから、
どこか寒々しく、
椅子についた小机を倒したいなと考える。
小さい机だけど、
それがあれば、
俺はこの上に、組んだ手を置いて、
腕に体重をかけて、
少し前のめりになることができるから。
「いいですか?」
俺は小机を、かぱかぱ倒しかけながら、
カゼシロ渚に尋ねた。
「あ、」
カゼシロは、
それを手で制し、
「記入してもらうものとか、特にないんで」
と言った。
「机とか、いらないんで」
と言った。
俺は小机から手を下ろし、
その手の行く先は、
結局もう片方の手しかなくて、
俺は組んだ手を腹の前に置き、
その手をぐっと握りしめた。
「もう一度、聞きますね」
カゼシロが、正面から俺の目を覗き込む。
「ここは、どんな部屋ですか?」
「特になにも」
俺はカゼシロにこたえる。
「なにもないですか?」
カゼシロは俺の向かいに座っている。
「ほんとに?」
カゼシロの椅子に小机はない。
白いスラックスの足を、
カゼシロは斜めに伸ばしている。
そこは白い部屋だった。
床も壁も天井も白。
狭い部屋。
俺のアパートの寝室と同じくらいだから、
たぶん6畳くらい。
「あ」
俺はカゼシロの背後の壁に目を向け、そこにあるものを指さして、
カゼシロに目を戻す。
「はい」
カゼシロは、わかりきったように頷いて、
「この部屋を、説明してください」
もう一度、そう言った。
「ここには何がありますか?」
「ちょっと待て、渚」
かずひろ先輩が横から口をはさむ。
俺の斜め前で、かずひろ先輩は、
三脚を広げているところだった。
かずひろ先輩が三脚を広げると、
脚の先につけられた滑り止めが、
床をこすってぎぎぎぎいう。
かずひろ先輩は、
三脚の上に設置された
ビデオカメラの小さなモニター扉を開いた。
カメラのレンズは俺に向いている。
俺はカゼシロの背後の、
壁にある「それ」を見あげながら言いよどむ。
「なんか、大きな…」
「はい、スタート」
かずひろ先輩がつぶやいて、
「モニター」
俺が言い終わる前に、
壁に、俺の姿があらわれた。
壁の巨大モニターに、
俺の姿がうつっていた。
俺は両脚を開いて椅子に座り、
腹の前で手を組んで、
斜め上を見上げていた。
白い部屋に座る俺のワイシャツはよれていて、
薄い灰色の影が
うっすらと、
俺の胸あたりを斜めによぎっていた。
俺はモニターを見ながら背筋を伸ばしてみたが、
薄い影は消えない。
それはもしかすると、
影じゃなく皺かもしれないと俺は思った。
俺のノーアイロンワイシャツには、
皺が寄っていた。
「じゃ、始めますね」
カゼシロが言った。
「まずはご説明、しますね」
カゼシロが椅子の上で体を傾けると、
首から提げた入構証が、体の前で揺れ、
ぺろんとめくれて表側になった。
入構証に印刷されたカゼシロの顔写真が、
無表情に俺を見る。
カゼシロは、ポケットからスマホを出し言った。
「本日お呼びしたのは、」
スマホ画面を見ながら。
「TT2の件です」
ん?
と俺が首を傾げると、
「渚」
ビデオカメラの後ろから、かずひろ先輩の声がした。
ハッとそっちを見たカゼシロを、
かずひろ先輩は、
見返さない。
長い人差し指で、
ビデオカメラの小さなモニター扉をつつく、
という動作だけで、なにかを教える。
「あ、」
なにかを教わったカゼシロは、ぱっと俺に向き、きっぱりと告げる。
「発言の際は、モニターを確認しながらでお願いします」
「ぱちぱちぱち」
かずひろ先輩が言って、
水かきがあるみたいな手をあげ、
音の出ない拍手をする。
「もー、やめてくださいよぅ」
カゼシロ渚は頬を緩ませた。
かずひろ先輩はニヤリとし、
ネクタイを肩にかけ、足を大股にひらき、
腕組みし、
ビデオカメラに顔を近づける。
で、
そのままかずひろ先輩が、
動かなくなったので、
俺は、
そのポーズがいつまで続くのかと眺めていたのだが、
片頬に視線を感じ、そっちに向くと、
カゼシロが、
俺をじーっと見つめていた。
「あ」
俺は慌てて
壁のモニターを見上げる。
つまり俺たちは、
3人で同じ場所にいながら、
ビリヤード球が散るみたく、
それぞれ全く別の方向に視線を向けたということなのだが、
どこか、
このようにして、
全員で、
そ知らぬふりを決め込むようだった。
これはあれなんだな、と
俺は思った。
これはこいつらの仕事なんだ。
ここは「利害関係調査委員会」のガリラヤ倉庫だし、
俺はここに日給3万円で雇われていて、
今俺が座らせられている、ガリラヤ倉庫最上階には、
総務局という部署があり、
総務局というのは、
こういうことをする場所なのである。
俺は知らなかったけど。
そう考えれば、
俺はなぜこいつらの言いなりになっているのだろうとか、
なぜここに座らされているのだろうとか、
そういった疑問の一切合切に、
ひとつのこたえで論破できる。
これはやつらの仕事で、
やつらの仕事に応えるのが、
その場で俺に与えられた、
それも仕事なのだと合点がいく。
「TT2の件、ですよね」
モニターの中の俺は、相談窓口みたいな顔をしている。
「TT2の」
俺は知ったかぶって言うけど、
それがなんだかわからない。
「あの機械です」
カゼシロがこたえた。
「あなたが装着したことのある」
「あ」
俺はやっと話に追いついて、尋ね返した。
「ラーメン屋の駐車場で?」
「それは知らないんですけどぉ」
と、カゼシロの目が、ふてくされたように暗くなる。
目を伏せて、つと沈黙し、ちらりとカメラに目をやって、
カメラのそばにいる相手の表情をうかがった。
「『概念の音姫』のことです」
かずひろ先輩がささやいて、
「『概念の音姫』のことです」
カゼシロが俺に向く。
「はあ」
「いくつかご質問させてください」
と、カゼシロ。
「あ、その前に」
ずっと気になってたことを、俺は口にした。
「自分の部署のほうに、連絡しておきたいんですけど」
ここに来てからずっと、頭のかたすみに、ニックの顔がちらついてたから。
「なぜ」
カゼシロは少し驚いて、
俺もカゼシロの反応に、少し驚く。
「だって、遅刻の…」
「あ、大丈夫です」
カゼシロは、跳ねるような仕草で、軽くこたえた。
「モニター見てください」
ね、
と俺を見る。
俺は目線を上げた。
巨大モニターにいる俺は、
斜め上を見て、
なにか考えるような顔をしたけど、
結局、ぎこちなく頷いた。
「どこに装着しましたか?」
カゼシロが言うと、
モニターの中の俺は、ワイシャツの胸ポケットを手で押さえる。
「胸ですか?」
俺の映像が、子どもみたいにこくりと頷く。
「それが胸に装着されたとき」
カゼシロは、映像には映ってない。
その頭が、俺の実際の視界の下のほうに、影みたく見えているだけ。
「あなたは、痛みを感じましたか?」
「痛み?」
「はい」
モニターの中の俺が、背中の力を抜き、首を傾げる。
「なかった気が…」
「それが胸に装着されたとき」
カゼシロの声がかえす。
「どんな気持ちでしたか?」
「気持ち?」
「はい」
気持ち?
俺は目をしばたかせた。
当たり前だけど、
しばたいてる瞬間の自分は見えない。
俺が見る俺の映像は、いつも目を開いている。
パッチリとおめめを開いている。
バカみたいだし、餌を待つ犬みたくも見える。
当たり前だけど、
俺は目を閉じた自分を
実際に見ることはできない。
仮に目を閉じた瞬間に、
何万年もの時間が過ぎていたとしても、
俺は気づかない。
俺には見えない場所がある。
そう思った。
そんな俺を見ながら、
俺は、
俺が挽回できるような言葉を探さなきゃいけないと思った。
「驚きました」くらいじゃ足りない、
もうちょっとまともなこたえが必要だと思った。
「そうですね」
俺はこたえた。
モニターの中で、俺が唇を舐める。
うーん、と低く唸り、
こたえを待つように、固まる。
けどそれは、出てこない。
「別に」
俺は言う。
「恐ろしいとか、そういうことじゃあ、なかった気がします」
「はい」
「ああ」
俺の映像は、なぜか虚脱して、苦く笑う。
「憶えてません」
「ではなにか、」
カゼシロが遮った。
「光景を目にしましたか?」
「それなら」
俺はうなずいた。
「見ました」
「それは、どんなものでしたか?」
「ええとですね」
あれはたしか教室だった。
『概念の音姫』を胸につけられた俺は、
夕暮れに飛んだ。
木の床に、影がななめに落ちていた。
椅子が倒れてて、
机には、
誰かが描いた絵が置いてあった。
胸が苦しくなるような、
「モニター見てください」
光景は、
カゼシロの声に割って入られる。
カゼシロの質問に、
俺が無意識に、
視線を泳がして、モニターを見てなかったから。
「教室です」
モニターの中で、俺はしずかにこたえた。
「学校の、教室」
自分の声が、くたびれて聞こえた。
「中学校? 高校?」
カゼシロが聞く。
俺は肩をすくめ、わからない、と、かぶりを振る。
「行ったことのある場所ですか?」
「あるような気も」
「見たのは、それだけですか?」
「どうだったかな」
言いながら、俺はモニターの中の俺に、相談の目を向ける。
モニターの中の俺は、白い部屋で、ぼんやり斜め上を見つめてるだけ。
その目はモニターの中の俺に向けられて、
別の白い部屋でモニターを見る俺を見ている。
全員の俺が、モニターの中の「相手」がなにを思い出そうとしているか、
じいっと待っていた。
俺はなんとなく、
自分が吸われていくような気がした。
なにに吸われていくのだろうかと考えた。
「そこであなたは」
カゼシロが言った。
「なにをしていましたか?」
「いや」
俺はこたえた。
「俺はいなかったんです」
「教室に?」
「ええ」
「いなかった」
「はい」
「自分の姿は見えなかった?」
「はい」
俺は覚えていた。
あの教室に、
俺はいなかったこと。
モニターには俺がこんなにたくさんいるのに、
あの教室に、
俺はいなかった。
「いなかったです」
あの場所は、
俺には見えない場所って感じだった。
「あの場所に、俺の姿はなかった」
それはすごく確実な感じだった。
「でも、俺はいたんです」
まるで、俺が夕暮れであるようだった。
夕暮れが、描きかけで、置き去られた絵を照らしていた。
夕暮れは、そうやって「見ていた」。
それを思い出す俺の胸が苦しいのは、
そのせいかもしれないぜ。
見えない場所が、あるってことは。
「そうですか…」
カゼシロが、小さく言った。
「いなかった…」
言ってからカゼシロは沈黙した。
ひそひそと、
男の声が助け舟を出す。
「ん?」
カゼシロはその声に訊き返し、
「ん?」
「つまり」
カゼシロのかわりに、男の声が俺に言う。
「それは単に、あなた自身の記憶ということなのでは?」
は?
と、俺がカメラを向くと、
「モニター見てください」
カゼシロの声がした。
でも俺は、
カメラの後ろにいるかずひろ先輩が、
なにを言ってるのかわからなかったから、
カゼシロには従わなかった。
「ご自身の姿が、見えなかったんですよね」
かずひろ先輩は言った。
「ってことは、単なる記憶なんじゃないのかな、と」
「はあ」
「つまり」
かずひろ先輩は、神経質に眉を寄せた。
「忘れてたことをたまたま思い出したとか、映画で観たシーンとか、そういうことなんじゃないのかな、と」
「しかし」
俺の不在はそのようなものではないことを、
俺は知っていた。
けれど、
「そういうことって、ありますよね」
かずひろ先輩は眉を上げ、
俺を指さして、断じた。
俺は頷かず、代わりに尋ねた。
「これっていったい、なんの調査なんですか」
「調査じゃないです」
かずひろ先輩は、笑顔で遮った。
「ご意見をお聞きしたいんです」
かずひろ先輩は、長い指を伸ばし、両手を広げた。
ふだんから鏡の前で練習してるやつのしぐさ。
「導入開始後のTT2はまだ、データが足りないんです。
あなたの場合は若干まれなケースですが、
僕たち、これはいいチャンスだと思っています」
「チャンス?」
「チャンスっていうのかな、なんだろ」
かずひろ先輩は、ウインクみたいなことをした。
「貴重な意見、っていうのかな」
そうそう、と、自分のことばに相槌うって、薄い胸板に、手をあてた。
「あなたがた『協力スタッフ』の皆さんも、仲間ですから」
「ほーん」
俺の口からは、知らず声が漏れ、
その声は長く長く伸びた。
「ほおおおーーーーーーーん」
かずひろ先輩は、
その俺を、きょとんと見つめた。
俺も、かずひろ先輩から、
目をそらさなかった。
かずひろ先輩は、
すん、
と目をそらし、
「『本人記憶』で、いいんじゃない?」
カゼシロに告げた。
「はい!」
カゼシロはキュートに返事して、
「次の質問、いいですか?」
と、かわゆく言ってから、
ハッと気づいてつけくわえた。
「モニター見てください」
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