短編小説「エモーショナル怪人 エモ山」 (74) それは、ありうる。
前回のエモ山 👇
「ほんじゃ、エモ山ちゃん」
プール室で、ニックが振り向いた。
「あとはシクヨロ、ヨロシク哀愁」
持っていたタモを、
ニックが天井に向け放り上げると、
タモはくるっと回転し、
水を吸った網部分が下になり、長い柄だけが遠くに行こうとし、
その結果、
網部分が要になり長い柄がワイパーになり、
空中を、
きゅっ、
と拭おうとしているような動きになったんだけど、
しかし重力には勝てず、
網が錘になり柄のほうも、
結局は、網に引っぱられ、
タモはプールサイドに直下して、
現実を拭いきらぬまま、固い床で、かーんと音を立てた。
かーん。
と、音が響いた。
ニックはニコニコと、
「今日、俺、早く帰るから!」
瞳キラキラ輝かせ、
「自分にご褒美!」
と言って、プール室を駆け出ていった。
プールサイドに残ったタモを、
俺は拾い上げる。
飛べなかったタモを助けあげる。
それをロッカーに持って行って、
ロッカーからワイパーモップ出して、
で、
俺は砂を集める。
プールサイドには、
そこここに、
俺たちがプールからさらった砂が落ちている。
俺が掃除を始める時間には、砂が含んでいたプールの水は
床に吸収されていて、
砂は粉雪みたいに乾いている。
練習後の野球部がグラウンドを整備するように、
俺がワイパーモップを滑らせると、
薄く積もった粉雪には、
モップと同じ幅の線がうまれる。
「エモ山君」
いーだ課長の声がした。
「壁の砂を先に、落としたほうがいいよ」
プールの向こう岸で、いーだ課長が、壁を遠く指さしていた。
「あっす」
いつも同じこと言われてるな、
俺ってバカかな、
と思いながら俺は、
ワイパーモップを持ち上げて、
壁にあて、
こんどは窓ふきするみたく、
壁に貼りついた砂を、床にこそげ落とす。
集めた砂は、ちりとりに集めて、
ゴミ袋に流しいれる。
白いポリエチレンのゴミ袋は、
砂を流しいれると、
かさかさと、さらさらと、音を立てる。
これは砂が立てる音なのか、ゴミ袋が鳴る音なのか。
俺はこの作業のとき、いつも、砂時計みたいなことを考える。
「砂時計みたいなこと」というのは、
「砂時計のこと」とは、すこし違う。
その違いは、砂時計が落とす砂が時間じゃないことと、
似ているような気がする。
そしてそれは、
俺がワイパーモップを滑らせると、粉雪状の砂たちの上に、
一本の線ができることと似ているような気がする。
そして俺が集めた砂たちが、
ニックにとってはゴミで、
あまね君にとっては地中に戻すものであることにも
近いような気がする。
砂は砂なのに、
意味が揺れている。
俺は砂を流しいれることで、
そこを立ち上げているような気がする。
それは、
俺には見えないけど、
世界を作っているような、なにかで、
たとえば、
「ない」をちょっとだけずらして、
それを「ありうる」にするくらいにしか作用しない。
そしてそれは、
かさかさと、さらさらと、
ゴミ袋に砂が積もっていくうちに、
音が静かになってくうちに、
消えていく。
「壁からいくと、早く終わるからね」
いーだ課長が言う。
「ぜんぶが関係してるからね」
「あっす」
砂のぱんぱんに詰まったゴミ袋を、
俺はゴミ収集所に運ぶ。
収集所にはときどき、
AIお針子がいる。
月に一回、
あまね君も来る。
「自分に似たものを作りたがるのは、『悪』じゃないのかな」
このまえ俺が、
ゴミ袋を運んだとき、
収集所の横開きの扉を開く前に、
俺の地獄耳はあまね君の声を捉えていた。
「そうかしら」
沼田ミソギの声もした。
俺は、鉄の扉の冷たさが、指先につたわるくらいまで、
ぎりぎりで手を止めて、
扉の向こうの音を聞く。
伸びかけの爪が、
扉の表面の赤サビに、
ちょっと引っかかっている。
「きみが欲しいのは」
あまね君が言った。
「自分をわかってくれる存在?」
沼田の声は聞こえなかった。
「もしも」
あまね君が言った。
「自分を肯定してくれるものをうみたいって言うんなら、
それはすでに支配だよ」
「ちがうわ」
沼田の声がこたえた。
「ちがう」
2回目の声はすこし小さい。
「あなた、ミスリードしてる」
「ミスリード?」
と、あまね君。
「どっちの?」
「あなたが、」
と、こたえかけた沼田の声を、
「日本語だと」
あまね君が遮った。
「misread も mislead も、同じ発音なんだよね」
軽く笑っていた。
沼田がなにもこたえなかった。
なんとなく血のにおいがしてきたのは、
沼田のせいじゃなくて、
鉄の扉に俺の体温が伝わったからだろう。
血に入った鉄のせいで、鉄は血のにおいをさせる。
沼田が沈黙した理由を、
俺はなんとなく予想できた。
だけど、それがわからないあまね君は、
「とてもおもしろいよね」
と、続けた。
「LとRの一文字で、意味の大きく変わるものが、
日本では、同じことばとして生きている。まるで、」
「ちがうわ」
沼田がぽつり、それだけこたえた。
そして、こんどは沼田が笑った。
「あたしには、どっちだって同じだわ」
なんか話も長引きそうだったし、
しかしごみ袋は捨てなければならぬので、
俺は収集所の扉を開いた。
がらがらっと大きな音がして、
俺の目の前に、
腕組みして向き合うあまね君と沼田の姿が現れる。
「あ、お話し中、すんません」
俺がへこっと頭を下げると、
「いや、いいんだよ、エモ山君」
あまね君は優しげに答え、
「ありがとう」
と、つけ加えた。
それはおそらく、
砂を運んだことに対する「ありがとう」なんだろうけど、
いつもどおりのあまね君の横で、
なにしに来た、って顔をしている沼田を見ると、
その「ありがとう」は、別の意味にも聞こえてくる。
「申し訳ないね、エモ山君」
ゴミ袋を運ぶ俺が、通り過ぎるとき、
あまね君が言った。
「『できぬ者が教える』ってことばがあるけどさ、」
俺は立ち止まった。
あまね君が俺に笑いかける。
「今の僕が、まさにそうだ」
あ、そうなんですね、って感じで、
俺はまた、へこっと頭を下げた。
「イッツ、プラグマティック」
あ、そうなんですね、って感じで、
へこっと頭を下げ、俺は言った。
「あ、そうなんですね」
沼田が、
「さっさと出ていけ」という顔をしていた。
砂のぱんぱんに詰まったゴミ袋を、
俺は、
ゴミ袋の積み上がった、一番上に乗せる。
ここの砂は、実はそんなに重くない。
この部屋に漂う空気ほどは。
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