見出し画像

短編小説「エモーショナル怪人 エモ山」(72) お母さんのお母さんはお母さんの子供

前回のエモ山


曲げるつもりか。

と俺は思った。

テーブルに片肘つき、
沼田ミソギは、
さっきからずっと
銀色のスプーンを縦に持ち、
目の前にかざして、

自分のほうはわずかに小首かしげて、
メガネの向こうで眉を寄せ、
眉間の力は鼻抜けて、人中がスクイーズ、
その人中を、上唇が、両肩上げて支え、
下唇はそれをアーチ型で下支え、
余った力をすべて受け止めるのは顎。

スプーンを。

曲げるつもりか。
曲げようとしているのか。
曲がるとでも思っているのか。

俺の隣では、
ニックが椅子の背もたれに肩甲骨を乗せ、
だらしなく両脚投げ出して、
しーしーしーしーと
楊枝でやっている。

「やだわ」
沼田が言った。

しーしーしーしーとやりながら、

「ん?」

ニックは言い、自分の胸元に、
カレーまみれの米粒を見つける。

ニックはそれを
ぺっと床に弾き飛ばし、

「なにが」

と言った。

沼田はスプーンを見つめ、

「さかさま」

とこたえた。

スプーンのどこを
沼田が見ているかといえば、
柄のほうじゃなく、
匙のほう。

「さかさま」

もう一度、
沼田が言った。

ニックは楊枝を皿に棄て、
「さかさま?」
自分もスプーンを手に取った。
「あ」
縦に持ったスプーンを、ニックが覗き込む。
「さかさまだ」

「でしょ?」
沼田がこたえた。

そして二人は俺に目を向ける。
匙を縦に持った二人に見つめられ、
俺も自分のスプーンを、縦に持つ。
柄の先の、
草の蔓みたいな模様が彫ってある
一番太い部分を指でつまんで、
匙部分を、目の前に持ってくる。

鏡みたくぴかぴかの、卵型の匙部分にうつる俺の像は、
頭が下になった、さかさまだった。

「わははー」
と、ニックは、
顔の前からスプーンを、
遠ざけたり近づけたりしながら、
「あたまが小せえ」
などと喜んでいたが、

「それが、どうした」
やがて飽き、テーブルにスプーンを放った。

しかし沼田は、
いつまでも、スプーンを目の前に据えたまま、
さかさまになった自分の像を見つめていたわけだが、

昼時の社食で、
そんなにのんびりしてはいられない。

とくにその日は「毎月恒例カレーの日」で、
「カレーの日」において、
カレーよりも大事なのはスプーン。
食べ終わったら明け渡すのは、
座席以上にスプーンだった。

座席がなければあきらめもつくが、
とくに「カレーの日」において、
カレーの横にスプーンがなければ、
結果的に座席はいつまでも空かないわけで、

とにかくスプーン。

沼田のようなスプーンの使い方は、
場にそぐわぬ、
まっこうから相反する行いであり、

それで俺ははらはらしてしまい、
沼田の肩越しに見える、
カレーのにおいを嗅ぎながら腕組みして待つ人々の行列に、

カトラリーケースの前でたむろする、
トレイを手にした人々の背中に、

どうしても目が行く。

スプーンを持っていないほうの手で、
頬づえをつく沼田を眺めながら、
俺の耳は、
厨房から聞こえてくる洗い物の水音を拾い上げてしまう。
そのなかに、
スプーンがどれくらい混じっているか心配し、
水音に、くらくらのまれていく。

ニックは退屈し、
スマホを出す。
伸ばした両脚をさらに伸ばし、
頭をもさもさ搔きながら、スマホをいじくって、
「あ、留守電入ってた」
スマホを耳に当てる。

「昨日さ」
留守電を聞きながら、ニックが俺に言う。
「ねえちゃんち行ったんだけどさ」
「はあ」
「姪っ子がさ」
「はあ」
「ねえちゃんの娘らがさ」

ぴく。

沼田が目を上げて、ニックを見た。

「どっちがブスかでケンカしてた」
「はあ」
「どっちもどっちなんだけど」
「へえ」
「おんなじ顔してっから」
ニックがニヤリとする。
「コピーだよ、コピー」
「はあ」
「どっちもどっち」

「でさ、」
ニックはスマホをポケットに戻しながら言った。

「俺はそのけんかを止めたわけ。
『そんなくだらねーことでケンカすんな。
どっちにしたっておまえら、かーちゃんのスピンオフなんだから』つって」

うまいこと言ったでしょ? って顔で、ニックが俺を見る。
「でさ、」
「はあ」
「二人とも泣いた」

沼田がため息をつき、
スプーンに目を戻した。

「でさ、」
ニックが言う。
「俺は、お詫びのしるしとして、」

ぴく。

沼田が目を上げた。
「お詫び?」

沼田の視線に、
ニックはちょっと驚きながら、軽くうなずく。
「あいつらの欲しいものを買いに、今夜、電気屋に連れてかなきゃならない」

「コピーじゃないわ」
沼田が遮った。
「ちがうわ」
スプーンに目を戻し、
匙に映る自分に言うみたく、
弱く首を振る。

「冗談なんだけど」
ニックは笑うけど、沼田は笑わない。


もわっと聞こえる社食のざわつきのなかで、
壁の大きなアナログ時計が、
かちりと音もなく、針を動かした。

俺たちの前の空っぽの皿で、
すくいそこねたカレーの筋が、
乾きかけていた。

「そろそろ行こうぜ」
遠くを見ながらニックが言う。
「混んできたし」
「あっす」
俺も立ち上がりかけたが、

「ちょっと待って」
沼田が言う。
「あと、もうちょっと」
スプーンを、手放さない。
「なんなの、いったい」
ニックがつぶやくと、
「まだ、さかさまなのよ」
沼田がぽつりとこたえた。

「あら、ミソギちゃん」

トレイを持った女性が沼田のうしろにあらわれた。

それで俺は自分のスプーンを手に取って、
まだ食べているふりをしようとしたが、
「なに?」
スプーンを見たまま平然と返事する沼田の姿に、
俺はスプーンを、
そっと戻す。

「ちょうどよかった」

女性は自分のトレイを、
沼田のトレイの横に置き、沼田の肩に手を置いた。

「確認しなきゃと思ってたんだけど」
沼田の顔を、横から覗き込む。

「うん」
沼田は、女性の顔を見もせずこたえた。

「いいのかな、ここで話しても」
女性が言って、俺たちをじろじろ見る。
「いい?」
誰に聞くともなく言った。

俺は目を伏せて、
まだ食べているふりをするために、
スプーンを手に取って、

そしてもう皿には何も残っていないことをたしかめて、
手持無沙汰になったスプーンを、縦に持ち、
「私は今、スプーンを曲げようとしているので聞いていません」のポーズをしたけど、
それは誰も見てなかった。

俺はスプーンに映る沼田と、
女性の姿を眺める。

「どうぞ」
沼田が言い、女性は沼田の耳元に、顔を寄せる。

「ねえ、苗字は変わるの?」

女性のことばに、
沼田がふと我に返る。
ゆっくりと一回まばたきし、
スプーンをトレイに置いた。

落ち着いた様子で、
沼田は、
女性を見た。
「変わりませんけど」

「あ、そうなのか」
女性がぱっと表情を変える。
「ええっと、それは…」

俺がスプーンから目を上げると、
沼田がじいっと女性を見つめているところだった。
女性の耳は、赤くなっていた。

沼田は、
女性から目を離さなかった。
スプーンを見てた時と同じ真剣さで、
沼田は女性を見つめた。

「うん」
女性は、なにかに返事した。
「あのね」
女性が沼田に言う。
「書類の件なんだけど」
「うん」
「原本が必要なの」
「原本」
「控えは自分で持っててもらってて、いいんだけど」
「控え?」
「再発行のときに、いるかもしれないし」
「再発行?」
「そう。万一、名義が変わったら」
「万一?」
「差し戻しになったりするかもしれないし」
「差し戻し?」

話を聞きながら、
沼田は、
ぼーっと遠くを見ていた。

「やだわ」
沼田がぼそっと言った。
「あなたのことば、なんかいちいち気に障るのよね」

「ホルモンのせいじゃない?」
女性がこたえた。
「ほら、そういうときって、そうなるって言うじゃない」

沼田はなにもこたえなかった。

壁の大きなアナログ時計が、
かちりと音もなく、針を動かした。

その沼田を女性は見下ろして、
しばし唇を引き絞り、黙っていたあと、
「ねえ」
声を低くして、囁くみたいに沼田に言った。
「ひとりで産むの?」

「そうだけど」
沼田がこたえて、
スプーンを手に取った。

「そっか」
女性が沼田の肩から手を離した。

「これ、片づけてあげるね」
沼田の皿を、自分の皿に重ね、
トレイも重ねる。
「応援してるからね」
やけに明るい言いかただった。

それで女性は、
そこから立ち去りかけたんだけど、
沼田がまだ手にスプーンを持っていたので、
「それもこっちに置いてくれて、いいよ」
と、トレイを沼田に差し出した。

沼田はスプーンを、
女性から遠ざけた。

ん? って顔を、女性がして、
作り笑いをした。

「これはいいの」
沼田が女性に言った。

ニックが俺をチラリと見た。
俺はよくわかんないけど、
持っていたスプーンを、
自分が持ってはいけないような気がして、
かちゃんと皿に落とした。

その音が、
やけに大きくて、
女性が俺を見た。

「よっしゃ、エモ山」
ニックがスプーンを片目に当て、俺のほうに向いた。
「視力検査しようぜ」
「え?」

ニックは女性が歩き去るまで、
スプーンを目に当てていた。

壁の大きなアナログ時計は、
よく見れば、動くとき、針が震える。

「やだわ」

女性が去ったあと、
沼田は薄く笑った。

「あたしのお腹ん中にある、別の宇宙の話って感じが、しないのよね」

俺は自分のスプーンを手に取って、
もういちど、眺めてみた。
そこに映った自分のさかさま像は、
さっきよりも小さくて、あいまいで、おぼつかなく見えた。

「なんにもわかってない」

ほんとうに曲げてしまいそうなほど強い目で、
スプーンを見つめて、
ひとりごとみたいにつぶやいた沼田の目が、
メガネの奥で、潤んでいたように見えたのは、

ホルモンのせい?

(続きはこちらです)




いいなと思ったら応援しよう!