短編小説「エモーショナル怪人 エモ山」(79) 時間の視界
前回のエモ山👇
てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく。
勇ましく、リズミカルに歩きながら、
ミルキーウェイは俺に握手を求めていた。
けどいまだ、その姿は俺からは遠くて、
求められたものを、俺は返せない。
半分挙げた手を、俺はゆらゆら、指先はぴらぴら。
理想だけは大きくて、現実が伴わない。
それはやっぱりもどかしいよね。
うずうずしちゃう。
ミルキーウェイに近づこうと、俺は一歩だけ足を踏み出そうとした。
するとミルキーウェイの体は、
そのとたん、磁石が反発するように、ついと横にすべった。
歩きながら、横っちょの飛び石に乗りうつるように一瞬で。
俺がもう一歩、すいっと前に出ると、
同じ距離、ミルキーウェイ、ちょんと横にうつる。
すいっと前に出ると、
ちょんと横にすべる。
もう一度、
と思ったとき、
「ああ、もう!」
太い眉を八の字にして、ミルキーウェイが、
「申し訳ないんだけど、ちょっと待っててくれないかな!」
白い床に地団太踏んだけど、それはスキップに見えた。
「握手なんかは、いつでもできるからね」
いーだ課長が静かに口を足す。
「もし、したければ、の話だけどね」
「あっす」
俺は腕を下ろした。
すいっとうしろに引き退がったら、
ミルキーウェイは遠いまま。
「もう!」
ちょっと小走りになったけど、
白衣の裾が、少しだけおおげさにひるがえるだけだった。
てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく。
しかめっ面して、ミルキーは歩く。
いーだ課長は、素知らぬ顔で、年表に目を落とす。
俺はその横顔に、通勤客のミュート状態を連想する。
「待ってもらってる間に聞いておきたいんだけどさあ、いーだ君」
ミルキーウェイが言った。
「それはほんとうに、価値のあるものなのかい?」
つまり、と、歩きながらミルキーは、両手を広げる。
「僕が君のとこにまでたどり着く、意味はあるかい?」
「どうだろうね」
いーだ課長はこたえた。
「価値とか意味とか、僕にはなんとも言えないね」
「君はいつもそうなんだよなあ」
ミルキーウェイは、ばしんと音を立て、白衣の腕を、体の両脇にたたきつける。
「僕の苦労も知らず、気楽なんだよなあ」
「濾過課は気楽さ」
といーだ課長。
新聞でも読みながらこたえるかのよう。
「どうだね新人君」
時間つぶしにミルキーウェイは、今度は俺に矢を向ける。
「濾過課の仕事は続けられそうかい?」
「彼は大丈夫さ」
いーだ課長が、俺の代わりにこたえた。
「どうだろうな」
ミルキーウェイは、いーだ課長を示しながら俺に言った。
「この男がここに部下を連れてきたのは、初めてだからな」
「部下がいなかったからね」
「僕も部下が欲しいよ」
ミルキーは笑う。
「元気なのがいいな。頑丈なのがいい。僕は座っていたいね、コピペ部のやつらみたく」
「彼らだって苦労はあるさ」
いーだ課長はやんわり言った。
それから、年表を、ミルキーにかざして見せる。
「ところで、これはコピペ部の男が書いたものだよ」
「それを聞くとなおさらだね」
ミルキーは歩きながら鼻で笑う。
「そんなもののためにわざわざ」
「いや」
と、いーだ課長。
「非常に理にかなったものさ」
「君が言うならそうなんだろうけども」
ミルキーウェイは言い、
そして、不意に立ち止まった。
真っ白い部屋の中で、
ミルキーは、自分の足元に目を落とした。
ただ立ち止まっただけなのに、
俺のところから見ると、
部屋は急に、距離を伸ばしたかに見えた。
うしろに下がるような、うしろ斜めに進んでいくような伸びかた。
俺は頭皮に鳥肌が立って、自分の頭が横になめされるような、
変な感じがして、
俺の眼球は、にゅーんと流されるように横移動して、
頭までつられて、
部屋の隅の灰色の机のとこで、ぴたっと停まった。
ということはつまり、
なんかあれはあれで、役割があるんだろう。
俺はいつの間にか、灰色の事務机をじっと見ていた。
白い部屋の中で、
事務机は妙に重そうに見えた。
もしかすると机は、
ダムの門みたいなもので、
もしもあれを取り去ったら、
この部屋は、ゆるゆると、流砂みたく流れ去ってしまうのかもしれない、
と、なんとなく思った。
そう考えると、
余計に机は、どっしりとして見えた。
「誰しもが!」
そのとき、ミルキーウェイの大声が、部屋に響き渡った。
びっくりして視線を戻すと、ミルキーウェイは、突っ立って、両手を固く握りしめ、俺に顔を向けていた。
「遺したがるんだ」
ミルキーが机を指さすと、腕はやけに長く見えた。
「僕のところに持ってくる。次々持ってくる。だから僕はあれで」
はじめに立ってた場所に振り返り、きょろきょろと見渡す。
「身を隠してないとならないのさ」
最初にミルキーが体を隠していた白い板は、
もうどこにあるのかわからなかった。
そんなことよりも、俺はミルキーを見ていられない。
視線は再びにゅーんと横移動して、灰色机にたどりついてしまう。
俺は、流れるものに飲み込まれながら、机にしがみつく。
「年表を、見てたがいいね」
いーだ課長が横で言い、
俺の目の前に紙きれをかざした。
■ 2030年代 ― 情報資本主義の縫製ライン
グローバル文体統一化。
生成AI企業が統一文体を推奨。
年表の手書き文字が俺の視界を遮ったけど、
車酔いしてるみたく、その文字は回転してよく見えない。
「その年表」
年表の向こうで、ミルキーウェイの声がした。
「未来なのかい?」
「未来だね」
俺の横でいーだ課長がこたえた。
「可能性かい?」
「だろうね」
「今ここで、読んでくれるかい?」
いーだ課長は、少し考えてからこたえた。
「それはやめておこう」
年表から顔をあげ、つけくわえる。
「僕にはそれは、できないな」
「君は真面目すぎるんだ」
「君は仕事に慣れすぎだね」
「コピペ部!」
ミルキーウェイが、はきすてる。
「コピペしか能のないやつに、なにがわかる」
「今じゃ無縁仏さ」
「なおさらだね。なにがわかるんだ」
「だからわかるのさ」
いーだ課長は、うっすらとアルカイックスマイルを浮かべると、年表に目を戻した。
■ 2045年 ― 感情の再発見期
AIが「痛みのアルゴリズム」を実装。
感情を模倣するAIが登場。
てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく。
徐々にではあるが、
ミルキーウェイは、俺たちに近づいてきているように見えた。
俺はちょっとプールの方が気になってきた。
ニックは外出中、プールは無人。
俺たちがこうしてる間にも、砂はどんどん貯まってく。
ぼけーっとしてたら、肩をついっと突かれた。
ミルキーの指先が、俺の肩に触れたのだ。
「さあ、見せてくれ」
ミルキーウェイは、腕を伸ばし、
いーだ課長から、紙きれをひったくった。
てくてく歩きながら、年表を読むかと思いきや、
いきなり顔をあげ、いーだ課長に言った。
「原本じゃないな」
「コピーさ」
いーだ課長はこたえる。
「原本は、僕が保管する」
「こっちには、コピーか」
ミルキーウェイは苦く笑った。
「コピーに一生を費やした男が、手でものした」
「コピーさ」
いーだ課長は笑っていなかった。
「原本は、僕が」
ミルキーは、いーだ課長をじっと見て、
「それがいいかもな」
そう言ってから、顎に手を当てて、年表に見入った。
「あくまでも、可能性さ」
読んだあと、ぽつりとつぶやいた。
年表の紙を丁寧に折りたたみ、
ミルキーウェイは、白衣の胸ポケットにしまった。
そしてミルキーは、
指先で、ポケットをとんとん軽く叩きながら、
強い目を向け、俺に尋ねた。
「いーだ君は、いい上司かい?」
「あっす」
俺はうなずいた。
「つかみにくい男だろう?」
「あっす」
って、すぐこたえちゃって俺は、
「いや、しかし、」
気持ちをぴらぴらさせながら、
「毎日、ご教示いただいてます」
あわててつけくわえた。
「『ご教示』か」
ミルキーウェイは笑い、
「どんなこと?」
「あ、」
俺はこたえた。
「お浸しとか」
「お浸し!」
ミルキーは、太い眉をあげ、手を叩いた。
「いい話だ」
ミルキーは、深くうなずいた。
それから、いーだ課長に言った。
「君も大人になったもんだなあ」
「浸すのさ」
いーだ課長がそっぽ向き、それだけこたえた。
手が届くくらい近くにいても、
ミルキーウェイは、まだ歩いていた。
「僕も早く、異動したいなあ」
歩きながら、ミルキーウェイがぼやいた。
「異動したらいいじゃないか」
いーだ課長がこたえると、
「異動願いは出してるんだけどね」
ミルキーウェイは、肩をすくめた。
「届いているのかさえさだかじゃない」
「いずれ届くさ」
のんびりと、いーだ課長が言った。
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