レイナアブソルータ〜フローレス・デ・イベリア#3第三章運命の邂逅
黄金の皇子
「うわー、ねえ、ヒメノ、これ面白いね。」
といつものように、声をかけるクラウディア。
なんの返答がない。不思議に思い、振りかえって見た。
(……あら、ヒメノ?)
振り返っても、いつも側にいるはずの従者たちの姿はいない。
「あら、姫さんじゃない。どうしたのこんなところで?」
と顔なじみのザラビア屋さんの小母さんに、声をかけられた。
「あら、おばさんも、今日はお店出しているの?」
「そうよ、また買いにおいで、屋台街の端っこにいるから。もちろんおまけしてあげるよ」
そう言い、おはさんは足早に去って行った。キョロキョロしないようにと思っているクラウディアだったが、思わず目が二人を探してしまう。
すると、今度は小間物屋のおじさんが、
「おう、姫さんか、いつもの坊主達はどうした。姫さんは別嬪さんだから、拐かしに気をつけろよ」
そんな事を言い出す。
クラウディアは、今、噂になっていることを思い出した。
最近、若い身綺麗な女の子が数人、行方不明になっているのだ。その原因がキャラバンだ…という話だった。
キャラバン隊は街から街へと渡り歩く。もし若い娘を拐かし、遠い町で売り払えば、それだけで大きな金になる。身なりの整った娘ほど値がつきやすい——そんな物騒な噂が、最近のトレドではまことしやかに囁かれていた。
そんな事を思い出したクラウディアが、ふと顔を上げると、そこに身綺麗な服装の従者がいた。
「ああ、お嬢様、そこにおいででしたか。旦那様も奥方様もお屋敷でお待ちですよ。こんな無謀な事をなさるなんて、ご両親に御心配をおかけして、私目もせん越ながら、旦那様に取りなしをいたしましょう」
そう言い、クラウディアの腕を取ろうとした。
ここで声を荒らげ、下手に騒ぎ立てれば、あの日のトレドで起きた大騒動の二の舞になる。そうなれば、ようやく許された「自由」も、再び城の奥深くに閉じ込められてしまうだろう。下手をすればエマヌエルの母、ウラカ伯母の修道院へ送られてしまうだろう
だが、このまま沈黙を守れば、間違いなく男たちの毒牙にかかり、拐かされる。
「……どう動くべきか」
クラウディアが一応、せめて身だけは守ろうと、腰の飾り紐に手をやった。
それをくるくると手に巻く。実はそれは、彼女の兄サンチョか作ってくれた暗器なのだ。中に銀の鎖が仕込んである。
クラウディアは逡巡していた。騒ぎだけは起こしたくない。絶体絶命のピンチを目の前に、彼女は最善の突破口を探し求め、鋭い瞳で周囲を観察する。藍染のターバンが目に入る。ベルベル人だ。傭兵に多い民族だ。鋭い眼光を クラウディアに向けている。
「絶対にヤバイ奴だよ、アレ」
無意識に言葉が出る。
身体が強張ったその瞬間、白い布がひらりと視界を遮った。
「この地で、このような姑息な手段の拐かしが、行われているとは、嘆かわしい。捨て置けぬ。其方は何奴だ?」
アラビア語でそう言い、クラウディアの前に出たのは、白いマントを羽織った、彼女より頭一つ分ほど背が低い男の子だった。顔を隠したクーフィーヤの隙間から覗く瞳は、カスティーリャの空よりも深く、青い。
少年は指一本動かさぬまま、背後の護衛に顎で指示を出し、あっさりと悪党を地面に沈めてしまった。クラウディアが気がつかなかった、他の仲間達も同じように、藍色の布を頭に巻いたベルベル人に、地面に打ち付けられていた。
「カスティーリャのじゃじゃ馬姫が、護衛の一人も付けず歩き回るなど言語道断」
カスティーリャ語だった。
年下の可愛い顔の男の子の言葉とは、思えない叱責の言葉。しかもクラウディアの素性まで知っていた。
「護衛はいるのよ。いたのよ。ちょっと今、見えないだけ」
クラウディアからは、狼狽しながら言い訳じみた言葉しかでない。
「其方、この時、この場所におらぬものを其方は護衛というのか? 面白いのう」
これには、口達者なクラウディアも一言も反論が出なかった。
「大方、大慌てで探し回っているのだろ。探してこい」
男の子が別の藍染のターバンの男に命じた。その采配の自然さに、クラウディアは内心首を傾げた。こんな小さい子が、人に命令することに、慣れすぎている。
そして心になにかしら引っかかる。藍色の布。アレどこかで、聞いたことがある。そして、近づくなと。
先程の誘拐犯とこの子の会話を思い出す。
「この地を…僕として許さん」
「何を小癪な、小僧。名を名乗れ」
「ジャスパール・アヴドゥルだ」
クラウディアは、この子の名前がジャスパール・アヴドゥルだと聞こえた。その名をどこかで聞いた事がある。それと先程の藍色の布も。そんな記憶の奥底に思いを巡らせていた時、そんなクラウディアの思考を妨げるように、彼女の腹が「ぐーっ」と盛大に鳴り響いた。
「…ワハハ、現金なものじゃな」
クラウディアにかけられたその子の言葉はカスティーリャ語だった。ほっとしたクラウディアは、気恥ずかさを誤魔化すように、反論を口にする。
「だって仕方ないじゃない、着いたら、すぐに、ご飯を食べるつもりだったんだもん」
クラウディアの考えは、年下の男の子に揶揄われて、腹を立てたこともあり、どこかに飛んで行ってしまった。
その男の子は年相応の、ニコニコ顔で、
「良い。暁光じゃ。噂のカスティーリャのじゃじゃ馬姫との昼飯をというのもに。我の食指が動こうもの。其方の護衛も探していると思える。ならば、動かずここで待たれよう」
あまりにも言葉と姿が合わない。
その男の子は、屋台の並びを指さしながら言った。
「テントの中の方が良いがのう。クラウディアの護衛が見つけやすいところに居るのが一番じゃ。ならこちらじゃ」
あどけない唇から、成熟を重ねた老師のような言葉が転がり出る。クラウディアは思わず目を瞬かせた。
しかも、するりと出てきた侍従にクラウディアは馬の手綱を預けてしまう。
男の子はそのまま当然のように、彼女の手を引いて、空いた椅子、と言っても木箱をひっくり返した物だが、そこへと促し、護衛たちへ視線を向けてから、また口を開いた。
「ワシが何か見繕ってくる。待たれよう」
それだけ言うと、数人の侍従を連れ、小さな背中はするりと屋台の方へ歩いていく。クラウディアの周りにも数人の護衛が残る。
クラウディアは、その場に座ったまま、ぎゅっと腹筋に力を入れた。笑ってはいけない、と自分に言い聞かせながら、緩みそうな顔で、もう一度その子の顔をそっと盗み見た。
まだ、十にもなっていないだろう。クーフィーヤからこぼれ出た髪は陽光を弾く金色で、白い肌にはほんのり赤みが差している。
バザールの熱気のせいか、それとも別の理由か——澄んだ青い瞳は、すでにきっぱりと屋台の方を向いていた。
クラウディアが、じっと見つめていることに、気づいたのだろう。男の子は小走りになり、人混みの中へと消えていった。
トレドの街
トレドは、キリスト教国カスティーリャとアル=アンダルスとの宗教紛争の最前線に位置する。
然るに、人々はこれを顧みず、一攫千金を夢見て、ここに集結する。
トレドは、人種の壁を超越し、共存を可能とする地であった。身分差は存在したものの、紛争地帯という環境は、それを乗り越えるための好機を提供していた。きな臭い場所こそ、栄光を掴むための絶好の足かがりであったのだ。努力すれば上を目指すことができ、そして何よりも、街は豊かな繁栄を享受していた。
学者は貴族や商人のパトロンを得て自分の研究を続け新しい発見をもたらす。商人は、アル=アンダルスの品を持ってキリスト教国に売る。キャラバンは、イタリアやその先から物資を持ってきて、トレドの商人に売る。そして武人は戦いで…
ここは、夢を金に変えられる、希望の地、黄金郷だった。
今回のようにバザールが開かれる時は、暗黙の了解の元、戦場がトレドから遠い場所となる。
そうやってトレドの街の行政府は、アル=アンダルスにもカスティーリャにも、いい顔をして行政や外交を行っている。悪くいうものは『トレドは、金でしか動かしようがない』と口にする。
そんなトレドで、クラウディアの事は、カスティーリャのじゃじゃ馬姫という二つ名で有名だった。
金でしか動かない者を、色気でたぶらかしていると人々は口にしていた。
しかし,それは事実ではなかった。クラウディアが相手に示したのは金でも色気でもなく、可能性とういう夢だったのだから。
まず最初にカスティーリャに連れて行ったのは、タイル職人だった。建築中の建物にタイルを届けにきた職人に声かけたのだった。
「ねえあなた、カスティーリャに来ない。私の荘園があるのよ。そこで、タイルを焼かない? 最初は上手く行かないかもしれないから、農地も下げ渡すわ。それに、カスティーリャだと、あなた頑張れば一番の職人よ。それに、カスティーリャにはお城がたくさんあるから、あなたのタイルが後世に残るわよ」
と、それを、狡い事に若手の二番手に、ここで親方になれそうもない者に声をかけたのだ。しかも別の工房の同じような者にも声をかけている。
そんな姫の行動を訝しむのは、いつもヒメノだった。
「姫様、声をかけるなら腕のいい者の方がよろしいのでは? しかも、あれが、二番手とは、なぜわかるのです?」
ヒメノは、分からない事をすぐに知りたがる。姫は姫で、教えることが好きなのと、自分の考えを言葉に出すことで、自分の考えをまとめているのだった。
クラウディアは、笑いながら、
「ああ、兄弟子に命令されると嫌な顔をするのよ、ヒメノがエマヌエルに何か言われた時のような顔ね」
ふふふと返す。
「それにね。一番手は親方になるからね。危険を冒してまでカスティーリャに来るわけないわ。こっちにいれば安泰だからね。でも一番と二番の差ってなんだと思う、ヒメノ」
「腕ではないのですか?」
「違うわよ。えーと、なんて言えばいいのかな? 商売っ気ってやつなんだけど、親方って、工房運営をするのよね、弟子達も育てるのよ。だから腕より人だったり、経営手腕だったりするのよ。そうだ、ヒメノ、騎士団の団長と君の父君。どっちが強い?」
「父です。御前試合で負けなしですから」
「でしょう。でも、父は、ロドリゴ・ディアスを騎士団長にしなかったのよ。なぜなら、あまりにも実直で、無骨すぎるから。騎士団の団長はあの人数をまとめて、新人を育てたりするでしょう? 命令も分かりやすく言わないといけないから。親方もそうなのよ」
ヒメノが頷く。
ヒメノの父ロドリゴ・ディアスはクラウディアの父王ガルシア・フェルナンデス・デ・カスティーリャの筆頭護衛騎士として、忠誠をカスティーリャ王に捧げているのだ。
「そんな感じなので、腕じゃないのよね。、親方になるのは、経営手腕がモノをいうからね。工房運営ってトレドだと大変よ」
そうクラウディアが言えば、ヒメノは、
「なるほど」と頷く。
そうして、その職人は家族を連れて、タホ川を渡ったのだった。
で、この間の学者先生たちとなる。まあそれ以外にもドレドの者が、何人か、商人のザビエルを筆頭に、クラウディアの荘園に出入りしているのだが…
トレドの料理
クラウディアが、何気なく屋台街を見やると、男の子は、楽しそうにあれこれ選んで持ってきた。串に刺した羊の肉、葡萄の葉で包んだ何か、豆を潰したペースト。豆のペーストを揚げたファラフェル、それが平パンに挟んであった。あと、揚げたてのザラビヤもあった。
テーブルに並ぶ料理は、クラウディアにも馴染みの深いモノもあるが、食べたことのない物の方が多かった。
クラウディアの心は皿の上の品がどんな味かと気になり出している。
「うわー!美味しそう。ねえこれは何?」
「ああ、羊の肉を葡萄の葉で包んだものだ」
突然、アラビア語で返された。
クラウディアは顔を上げ、その子を見た。
クラウディアは、分かった単語だけ、拾えた単語だけ、口にする。
「羊を葡萄の葉で…」
パッとその子の顔が綻ぶ。
「其方、アル=アンダルスの言葉がわかるのか?」
というと、何か話し出した。クラウディアは慌てて、
「アラビア語は、単語で精一杯よ」
と返す。
「ワシはカスティーリャ語が苦手だ」
「ならラテン語では?」
「いいぞ、ワシは、得意じゃ」
その言葉を聞いて、クラウディアは納得した。
何人もの侍従と護衛を従えた幼いアヴドゥルは、いいところのお坊ちゃんなんだと。だからラテン語も話すと。
クラウディアは、今、気づいたことを、深く考えもせず、そしてナイフで、珍しい物を自分の皿に乗せて、自分の方へすすーっと寄せていきた。
それをアヴドゥルは目を細めて、
「うはは、それ、カスティーリャの作法なの?」
と笑いながら聞いてくる。
クラウディアは、顔を真っ赤にして、
「だって、もうお腹と背中くっつきそうなんだもん。ではいただきます」
クラウディアはそう言い、竹ひごみたいな棒を出し刺して肉をたべはじめた。
その棒をその子が、指を差し、
「へえ、面白いモノだね、それ」
と訊ねた。
「えっ、これ?」
「うん」
「わたしはピンって言ってるの。屋台が好きなんだけど、手で食べると手が汚れるからね。フィンガーボールがあればいいのだけど」
「ガハハッハ」
その子は口を開けて大笑いを始めた。
「侍女に、手拭きを持ってもらえば?」
「侍女はいるわよ、でもね。ルチアナって言うの。でも、すぐあれ食べたいとか言えば、お姫様〜ってなるもん。連れて歩いたらお忍びじゃなくなるわ」
「あはは、で、それはどうやって手に入れたの?」
「作っているの。自分でと言いたいけど、私器用じゃないから、ヒメノが」
「えへへ、ほら食べなよ。お腹空いているでしょ」
と言われた途端、ピンに刺した肉を口に放り込む。
「毒とか心配しないの?」
「助けてくれた人が、モグッ、毒を盛るの?」
「……全くだね」
その子が苦笑しながら、葡萄の葉をナイフで剥がしてくれた。
「その葉は外して、こうやって食べるの。このペーストをつけて」
豆のペーストが肉の獣臭さを消して、香辛料の香りだけが残る。クラウディアの目が丸くなった。
「何これ、美味しい。何の味付けなの」
「クミンだ」
「クミン! こうやって使うのね」
その子がまた笑った。クラウディアを少しまぶしそうに眺めながら。
「あとこれ何?」
「ああ、ナスだよ。薄く切って揚げた物に蜜をかけている。ボクは甘いのが、ちょっと苦手。オリーブオイルをかけてチリ。唐辛子を砕いたの乗せた方が好き」
「あら、美味しい。ナスが甘いなんて新鮮」
「で、お腹いっぱいになった?少し聞きたいことがあるんだ」
クラウディアは、スカートの隠しポッケから手巾を出し、手と口を拭った。
「何を?」
「ねえ、君はカスティーリャのじゃじゃ馬姫だよね?」
「何? 君もウチに来たい学者先生?って歳じゃないね」
「ボクは学者じゃないよ」
そう否定して、口に徐に手を持っていき、逡巡しているような顔つきになるが、すぐにその表情は霧散し、満貫の笑みを湛えて、
「君は、ここでの君の噂を知っている?」
クラウディアは首を傾げる。
「将来が有望な若者とか著名な学者の弟子を、そのあどけない顔と裏腹の色香を使い、誑し込んだんだよね、ウチの先生が騒いでいた」
「フン、私は学者先生をたぶらかしたりしてないわよ」
そう言い、顔をプイと横になって振った。
「なら、どうして、カスティーリャみたいな田舎に、学者が何人も行ったの?」
そこへ、侍従が透明な壺を持って戻ってきた。中の液体は赤い。
「うわー、コレコレ、冷えたシロップ水だよ」
「冷えた?」
「ああ、暑いから。冷たいもの、美味しいよね。屋敷に取りに行かせたの」
クラウディアは、そう言われて、冷たいシロップ水に口をつけた。
「いやだ、なにこれ、冷たい。それに甘くて美味しい。綺麗な色ね」
その子はクラウディアの興奮している、その様子を眩しそうに見ていた。
「そうだ、これはシャフルバートというの。今日はザクロだね」
そう男の子が答えた。
しかし、クラウディアの手は、目は、その先に、透明な壺に目が釘付けになっていた。透明で、中身の色がそのまま見える。陶器とは全然違う、その壺を。
「……これ、もしかして玻璃?」
「そうだよ」
「香水瓶は見たことあるけど、こんな大きいの初めて見た」
クラウディアは壺を両手で持ち上げ、光に透かした。
「これ、こっちにはたくさんあるの?」
「君の興味はそっちか。折角、屋敷からシャフルバートを持ってこさせたのに」
残念そうに肩を落とす。それを見た侍従は、すかさず瓶をテーブルに置く
「ああ、香水を入れたりするよね。欲しい?」
その子は、何のこともなげに、クラウディアの前にその玻璃の瓶を差し出す。
「それは、あなたがいうところの貧乏な伯爵令嬢の私でも、いくつか持っているわ。私が欲しいのはこっち」
「君は興味は、器か」
その子は残念そうな声を上げるが、興味は目の前のクラウディアだ。綺麗な香水瓶よりも、その辺にある玻璃瓶を宝石のようにうっとりと見つめているのだから。
「だって」
クラウディアは壺を置き、身を乗り出した。
「香水瓶のような華奢なモノは使えるところは限られるでしょう。でも、この瓶なら農民でも使えるわ。そんなのを沢山作って、オリーブオイルを入れるの」
そう言い、ふふふと笑う。
「陶器は匂いがつくでしょう。でも玻璃なら匂いがつかない。牛の乳を入れても、腐った時にすぐわかる。農民でも使えるくらいの値段にして」
その子の目が、かすかに変わった。
「それで、どうするの」
「玻璃職人をカスティーリャに連れていくの」
「無理だよ」
「ええ〜、何で?」
「こっちの秘宝だもん、その職人」
「そうなのね。そうよね。すぐにうちに人が来るから、会えれば大丈夫かと思った」
「……作り方を知りたいの?」
「知りたい。教えてくれる?」
「では、ひとつ聞聞くね。君の利の方が大きいよね。ならボクの利は何?」
クラウディアは一瞬だけ考えた。
そうだ、あのハピエルに言われたことがある。
ーーワシは、姫さんだから、面倒ごとを引き受けてる。姫さんを通して、カスティーリャの貴族、またはその後ろのレオン王国と繋がりができるからだ。商人なんてそんなもんだ。自分の利のために最大限に人を利用する。ーー
ならこの子の利は何だどうと、クラウディアは考える。
「あなたのカスティーリャ語はおかしいから、その先生になるのわ」
その子は「フン」と鼻を鳴らす。
「今はおかしくても、直に、上手くなるよ。今まで使ったことはなかったのに、このくらいしゃべれるのだから」
クラウディアは肩を落とし、口を尖らせる。
「じゃあ、ラテン語で手紙を書く。私のやっていること、新しく始めたこと、全部。私の秘密は価値があるわよ。それにあなたはアラビア語でお手紙書いてね。それを翻訳するわ。カスティーリャ語とラテン語で」
「カスティーリャ語は読めるよ。ラテン語で書かれた手紙はまだ読んだことがない。……うん、悪くない」
「じゃあ決まりね」
「ただし」
少年が人差し指を立てた。
「技術者が決まり次第、こちらから手紙を出すよ。それまで待っててね」
「待つわ」
クラウディアは微笑んだ。
「でも遅かったら、そちらに乗り込むから」
男の子がぷっと吹き出した。
その時だった。遠くからヒメノの声が聞こえてきた。
「クラウディアさま〜」
肩で息を切らした二人が、エマヌエルとヒメノが駆け込んできた。
「クラウディア様! ご無事で!」
そうエマヌエルが、言い終えるか否かの時だった。
「高名なじゃじゃ馬とはいえ、目を離すなど言語道断」
その子の叱責が飛んだ。エマヌエルが居住まいを正した。
「姫様の窮地をお救いいただき、心より感謝申し上げます。お名前をお聞かせ願えますか」
「ジャスパール・アヴドゥル」
短く答えた少年の横顔を、クラウディアはまじまじと見た。金髪に近い髪、白い肌、青い瞳だった。この土地に不似合いな風貌だった。やはり可愛いと思い、そうエマヌエルに言おうとし、彼の顔をみると顔色が悪い。クラウディアは、エマヌエルに「どうしたの?」と訊ねようと思った瞬間、記憶が繋がった。
ジャスパール・アヴドゥル。それはここのアル=アンダルスの皇子の名前だった。そして『藍色の護衛』それはカリフの護衛を意味していた。
クラウディアは、ここで、全てに合点がいった。
「この地を託された神の僕」
そう、あの一言。彼はこの地を統べる一族なんだ。
クラウディアが、全てを悟った顔をしていたのだろう。その子は、少し引きつった笑いを浮かべ、
「じゃあ、ガラス職人のことは、悪いようにしないから。そしてボク、君と話して、分かったことが、ひとつあるんだ。なぜ学者たちが君の国に行ったかだよ」
そう言い、ニコッと笑うと、護衛を連れて帰っていった。
クラウディアの馬もいつのまにかヒメノに渡されていた。
トレド、ユダヤ人街(フデリア)
翌朝、クラウディアは、トレドの隠れ家であるユダヤ人街の商家で目を覚ました
今日の朝早くに荘園まで戻るのだ。
いくら馬があると言っても日帰りだと、馬がかわいそうと、ヒメノが、言うので、トレドに一泊している。
ここは、エマヌエルの知り合いの家らしい。エマヌエルの母が、ナバラ王国から戻ってくる時に一緒に戻ってきた、カスティーリャの貴族なのだが、実家はもうなくなってしまったらしい。で、トレドに住むことにしたらしい。
ここには、この家の主人イネス以外に、クラウディアの侍女であるルシアナがいる。というか、馬車で、先にトレドにきているんだ。クラウディアの世話を焼くために。この采配は兄のサンチョの命令だった。
「トレドに行くのを止める気はない。でも側近の二人は男だ。クラウディアの身に何かあった時に、なにもできない。それで困るのは、クラウディア、其方ではない。あの二人だ。そんな辛い思いをあの二人にさせたいか?」
そんなことを言われたら、クラウディアは「sí」しか言えなかった。
現に、過去に川で足を滑らす。木に登って落ちる。他にも山ほどクラウディアはやらかしている、その度怒られるのは、ヒメノだったり侍女だったりなのだ。だからクラウディアの侍女のなりては少ない。
まあコレは自業自得なんだろうと思えるが…
昨日は、もちろんエマヌエルにこっぴどく叱られた。この従兄にはクラウディは頭どころか、口でも勝てないんだ。
「あれほど、おとなしくして欲しいと、お願いしているのに、なぜ、クラウディア様は私の話を聞いてくださらないのですか?」
と。
クラウディアはなにも答えられなかった。
しかも昨日、出会ってしまったのは、隣のアン=アンダルスの皇子だったのだ。騒ぎを起こす以上の問題だった。
「このまま、向こうが姫のことを忘れてくれることを願うだけです」
そう溢すエマヌエルの期待は、今朝、こっちで連絡係をしている、小僧のパブロが持ってきた手紙によって、あっけなく裏切られてしまったのだった。
そう、ホセ川の水車小屋に羊が200頭、送られてきた。しかも
「クラウディア、君の好きな肉だ」
というメッセージ付きで。
朝から、エマヌエルはこの羊をどうするか、悩んでいる。パブロは、
「姫さんの荘園へ連れて帰るしかないすよね」
ハピエルは
「うちでは絶対に預かりません」
なんて言われてしまった。
ここ、イネスの家は商人街だから無理。
クラウディアは、
「しかないから連れて帰りましょう。可愛いわよ。白くって、ふわふわ」
と問題を軽く考えている。
羊だ。これは結婚への布石ではないのか?
ルチアナは、
「これ結納金ですよね。イネス様」
イネスは、
「南の大国では、そう言われてますが、でも、お相手の年齢が一桁のお子様ですよ」
パブロが、面白そうに、
「そういや。コルドバにペルシャの姫がきたと吟遊詩人が歌ってやした」
エマヌエルは頭をかえる。
「もっと悪い」
ヒメノは、連れて帰る気満々に、
「エマヌエル。早く出発しないと、今日中に荘園につきません。ほとんど徒歩ですから」
と明るく、エマヌエルに声をかける。
「これをカスティーリャに連れて帰るのか?」
そう、皆にエマヌエルが確認すれば、それしかないと、全員が首を縦に振っていた。
クラウディは、そうそう馬に乗り、羊を連れ出してしまった。それに続くパブロとヒメノ。後ろから、 馬に引きずられるように、ルチアナがついていく。
遅ればせながら、エマヌエルが馬に乗る。
前ではクラウディアがヒメノに、
「昨日は楽しかったね。あんなに美味しいモノがトレドに沢山あるなんて知らなかったよ」
「全くです。パブロに、皿を返しにあの子のところへ行かせたら、パブロによると、すげーお屋敷だったみたいですよ。中に入るのが大変だったと」
「そうなんだ。でもいろんな料理知れて良かったね」
全く反省などしていない言動だった。エマヌエルは、
「クラウディア様、昨日、私目におっしゃったことは、口先だけだったご様子。なら、今回の騒動はサンチョ様に、私が直にご相談申し上げます」
と強い口調でクラウディアを咎める。
「いいわよ。この羊のことは、多分イネスから兄様にもう連絡が言っていると思うし、先にエマヌエルがプロゴスの城に行くなら、それでいいわ」
クラウディアが開き直った様子で、あっさりと了承した。慌てたのはエマヌエルの方だ。
「プロゴスにはご一緒に、サンチョ様に謝罪に行きましょう」
クラウディアが顔をすくめて、すごく嫌な顔を作る。
「どうせ早く行っても、遅く行っても、修道院送りだからね。羊たちの棲家を作ってからいくわ」
「なるほど、ご自分がやられたことの大きさはご存じのようで、安心しました」
「ええ、そのくらいはちゃんと認識しているわ。それに修道院ならエマヌエルがいないから、少しのびのびできるわ」
「なにをおっしゃいます。母の修道院は、我が領地ですよ。お供しないわけにはいきません」
クラウディアは、目を丸くして、
「エマヌエルは、私の面倒を見るのか、お嫌なのでしょう。無理せず、兄様のところへお戻りになっても、私はかまいませんよ」
「いいえ、サンチョ様のご負担を減らすためにも、私はクラウディア様のお近くにおります」
そうなんのこともないように、エマヌエルは、答えた。すると、ヒメノが、
「ああ、よかった。エマヌエルが残ってくれて。母からも父からも強く言われていて、クラウディア様の身の安全をとか、毎回、言われるんだ。、俺一人じゃ無理と騎士団から人が来ても、すぐクラウディア様が追い出すから、大変だった。エマヌエルが来てから、もう俺なんて言えばいいかわからないが、楽になった。うん、ありがとう」
感謝しているのか、沼に引きずっているのかわからない感想を、感激しながら呟いている。
クラウディアとヒメノは、乳兄妹なんだ。だから、小さい時は一緒にはメセタの台地を転がり回っていた。それが、少し前から、クラウディアが丈の長いドレスを着るようになった時から、外で駆け回ることもなくなった。
そんな時にベラトリス様の輿入れがあった。だから、クラウディアがお変わりしたとヒメノは思っていた。
エマヌエルが、
「母の修道院に行くからと、サンタンデールへ行くのはダメですからね」
と、釘を刺してきた。
サンタンデールにはクラウディアが作った港がある。港湾権を作って、ジェノバの船乗りたちを集めた。そこで、大規模な船宿街ができているのだった。
その少し前から、サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼が流行り出したのだった。歩いて行く敬虔な信徒もいるが、やはり楽したいという者も多かった。そこで、クラウディアは、船旅ができるように定期周路にした。まあ歩くよりは楽という程度で、冬は時化で出ない。夏の少しの間だけど、人気はあった。それで、儲けるものも出たし、船乗りの人気もでた。サンタデールの波止場街も潤っていた。ただもう少し、後、少し何か欲しかった。
そんな話が出たのが、この少し前。
クラウディアは、サンタデールの特産のシードルに目をつけていた。そして、今回、アヴドゥルに教えてもらった、あの冷たい飲み物シャフルバードみたいに、冷やすのはいいと思っている。
だから、羊にかこつけて、あの学者先生たちと、考えるつもりだった。あの冷たくするやり方を。
荘園にて
やっとのことで、みんなで、羊を連れて、荘園に戻ってきた。もうすぐ、闇が荘園を隠す頃だった。
まあ、今は夏になる前なので、陽は長い。
荘園の中から、イサアクが出てきて、
「姫さんは、今度は荘園に牧場でもお作りのつもりですか?」
と、呑気に聞いてきた。
「違うわよ、アヴドゥルが贈ってきたのよ」
その名を聞いた、イサアクの後から出てきたハキムが顔色を変える。
「もしかして、この羊の贈り主は、ジャスパール・アヴドゥル・ラフマール様ですか?」
と訊ねててきた。
「ハキムはすぐに気がつくのね」
と、クラウディアは笑う。
三人の学者先生は顔色を悪くした。特にイサアクは、真っ青だった。
「私がこちらにきたことで、姫さんに迷惑を…」
「ううん、違うわ…私が、美味しいってこの肉を言ったからだと思うわ。イサアクの師匠は嘆いてるらしいけど、それとこれは全く関係ないからね」
クラウディアは、胸をはり、手を前にバタバタとふる。
「ということで、この羊たちの世話のやり方とか、毛刈りとか、荘園の皆に教えて欲しい」
と、エマヌエルが言えば、
「オレもしばらくここにいて、皆が世話になれるまで手伝うよ」
とパブロが胸をトントンして、親指を立てた。
「ああ任せる。クラウディア様、お疲れでしょう。もうお部屋にお戻りいただいても大丈夫です、あとは パブロとヒメノに任せてください」
「エマヌエル〜。そんな、もうこのもこもこは、俺には無理っすよ」
その発言を無視するように、エマヌエルはクラウディアの馬の手綱のとり、ルチアナにクラウディアの世話をするように言う。ボロボロになっているルチアナをクラウディアが連れて、荘園の中に消えて行く。それを見たエマヌエルが、
「ハキム、この羊を君は結納金と見たんだな」
「はい、エマヌエル様」
「やはり、それにしか見えないか」
「エマヌエル様は、違うとお思いなのですか」
「いや私は考えないことに決めた」
「なるほど、あの姫さんのお側にいると、哲学的になられるのですね。私もそうさせていただきます」
そう、ラミロが笑い、ハキムの肩を叩いている。
クラウディアではないけど、
「今、考えても答えの出ないことを、考えるのは時間の無駄」
そう、全員が思った瞬間だった。
冷たいポット
翌朝、クラウディアは、朝早くから、元気に庭園の世話を始めていた。荘園に羊が増えたので、やはり、もう一つ厩舎が必要となった。
それを何人かの農奴が作り始めていた。なので、植物の世話は、必然と、クラウディアと彼女の従者となる。
学者先生たちも駆り出されていた。昨日夜遅く帰ってきたが、クラウディアが一番元気だった。
植物の世話や馬の世話も終わった。
昨日の愛馬の世話は、エマヌエルとヒメノがやってくれたが、やはり、心配だったので、愛馬の元にもやってきて、飼葉をあげてきた。
食堂に戻ってきたクラウディアは、朝食の準備を始める。
最初の頃は訝っていた学者先生たちも、クラウディアが、台所に立っていても何も言わなくなっている。
ラミロなど隣で手伝ったりしている。まあカスティーリャの料理はアル=アンダルスよりは、単純だというのがあるんのだが。
今日は、硬い黒パンとスープだった。一応、肉があるかな? という感じの野菜のスープ。野菜は農園のが、この季節はたくさんあるので、たっぷりだが、味付けは、まあ塩だけだった。
「トレドの料理が、ここでできたら美味しいモノをたくさん作るのに。なんでカスティーリャの料理はこんななの?」
とぶつぶつと自分の作った料理に文句を言うのはクラウディアだ。パブロが、
「姫さんだね。農民なんか、パンを牛乳で浸すくらいだ。うわー、そうだ、ですをつけるんだ」
クラウディアがケラケラと笑う。パブロが顔を真っ赤にしている。パブロは、今、行儀見習いの真っ最中なんだ。なので丁寧な言葉とか仕草を学んでいる。これもエマヌエルの采配だ。
「姫の近くにいたいなら、ちゃんと言葉遣いに気をつけてくれ。お前が、姫の近くで、ぞんざいな態度を取れば、荘園の農奴も同じ態度となる。わかるな」
そんなことを言われたらしい。なので、野菜を持ってきたりと農園の農奴と同じ手伝いもするが、富豪の従僕らしい態度も勉強している。
みんなの朝食が終わり、皿を持ってパブロが外の井戸に向かう。
クラウディアは、学者先生に向かい、
「トレドで新しい技術を見てきたので、それを紹介しますね」
とウキウキな様子で、話し出した。
そうトレドで飲んだシャフルバードのことを自慢げに口にした。
「ねえ、聞いて。あのバザールで飲んだ冷たい飲み物があるの。シャフルバード。あれをサンタンデールで売ったら絶対に売れるわ」
クラウディアは、学者たちの前で、得意げに胸を張った。
イサアクが、手にしていた書物から目を上げ、
「ああ、シャフルバートですか」
「そう! あれよ。冷たくて甘くて。あんなもの、カスティーリャには——」
「ジーアポットのことは、ご存知ですか」
ハキムが、静かに遮った。
「……ジー、アポット?」
「素焼きの壺です。水を入れると、壺の表面から水が滲み出て蒸発する。その時に熱を奪うので、中の液体が冷える。エジプトでは三千年前からある技術ですよ」
クラウディアは、少し間を置いた。
「……三千年」
「はい。アル=アンダルスでは、どの農家にも普通にあります。バザールであなたが飲まれたシャフルバートも、おそらく、それで冷やしたものです」
沈黙が落ちた。
クラウディアの「すごいでしょ」という顔が、少しずつ、ゆっくりと崩れていった。少しね目元が光っている。
イサアクが、書物に目を戻しながら、
「カスティーリャでは、知られていなかったんですね」
それだけだった。
クラウディアは、深く息を吸い、
「……教えてください。作り方を」
それだけ言った。
それから、クラウディアはタイル職人街に行き、タイルの進捗を聞く。
やはり窯の温度が低いみたいだ。
タイル職人たちが震えるように、縮こまっている。
クラウディアは、ふっと笑い。
「新しい窯を作る必要は分かったわ。ただ、その設計がわからないのよね。まず、その辺は、学者先生に調べてもらいます。なら、今、あなたたちが何もしないことは、私も勿体ないと思うし、あなたたちも居心地悪いわよね。なので、素焼きの壺を作ってください。ジーアポットを作りたいの。できて?」
「はあ? あんなもん作ってどうするんです? その辺にあるもんでしょ」
タイル職人にまでそう言う。
クラウディアは再び驚き、
「実は、カスティーリャにはないのよ。だから、シードルを冷やすために使いたいのよ。それで作って欲しいの。設計とか、わかる?」
「ああ、まだ見習いの頃、いっぺい、作りやしたから、大丈夫です。どのくらい作りやす?」
「まず、10個くらい欲しいの」
職人が首を縦に何回も振り、
「わかりやした、なら一週間くらいあればできやす」
そう請け負ってくれた。
「あと、私、城に戻らないといけないの。しばらくはこちらに来ることもできなくなりそうなので、学者先生たちに、窯のことお願いするので、よろしくね。あと、大変じゃなかったら、羊たちの世話も手伝って欲しいのよね」
そんなことをクラウディアが口にすると、一人の職人が、顔を上げて、
「羊がいるでやすか?」
「ええ、昨日訳ありで200匹連れてきたの。それがどうして?」
「いや、羊のフンを乾燥さして、燃やすといい燃料になりやす」
「えっ!そうなの? ラミロー」
そう叫んで、クラウディアは、職人達の前から消えた。
職人達は、顔を見合わせ、
「さあ、素焼きの壺を焼こう」
と土を探しに向かった。
前編
後編
