海の図書館【6】
6 記憶の断片
~流浪の記憶~
いつのことだったか、俺は名の通った祈祷師だった。
王宮の奥深くまで足を踏み入れ、神官や為政者たちの政争に加担し、互いに政敵を呪いあう祈祷をしていた。
俺は祈祷師としては国一番の腕前と評判だが、本当は霊力など持っていなかった。それでも口八丁手八丁でうまくやって来た。――これまでは。
「今日も天子様は籠られたままか」神官長の声に苛立ちが滲む。
国に蔓延する疫病が、ついに天子様を蝕み始めた。俺は高額の報酬と引き換えに治癒の祈祷を引き受けたのだが、そろそろ自分の身が危ういと感じている。
「草原の民に献上させている薬草の質が悪いのです。もっと良質なものを届けるようにと伝えてください」
他の者の責任にしてみたが、誤魔化しも限界が近かった。
「お前の祈祷がまったく効いておらぬのではないか?」神官長が詰め寄ってくる。万事休すか――
その時、俺の口がら思いがけない言葉が飛び出した。
「海の上の図書館に、秘伝の医術書があると聞きました」
神官長が疑いの目を向けて来る。
「海の上の……あの伝説の図書館が実在するとでも?」
「ええ、わたくしが海路をご案内いたします」
海に逃げることにした。
国で最も大きな船に、精鋭の船員と食料を積み込み、行き先もわからないまま出航した。なぜあのような無謀な旅に出たのか――
海の上の図書館が実在するのか、だと? もちろん実在する。俺は、それが「ある」ことを本当は知っていたのだ。なぜなら――
俺が建てたのだから。
* * *
~月夜の記憶~
いつのことだったか、私は高層都市の一角にある、小さな図書館で司書をしていた。
人工知性が社会の隅々まで浸透し、図書館も完全に自動化され、司書は不要とされた。私は図書館から引退したが、不具合が生じたとの連絡を受け、また呼び戻されたのだ。自動分類システムが止まってしまったらしい。
「何が起きたのですか?」
同僚の司書に訊いたが、首を横に振るだけだった。
「原因は調査中ですが、当分動かないようです。」
私は、積み上がった未分類の本を横目で見ながら言った。
「このままでは、本がどんどん溜まってしまうわ」
同僚は、皮肉めいた笑みを浮かべて言った。
「手動でやるしかなさそうですね」
私たちは、倉庫の奥から古びた紙の分類番号札を探し出した。
「よく残っていましたね」
「私たちも、まだ使えるようですね」
久しぶりに分類の手を動かす感触は、かつての感覚を呼び覚ますものだった。
* * *
~流浪の別の記憶~
いつのことだったか、俺は辺境の村にある図書館の館長だった。
出勤前の、いつもと変わらない朝。居間の映写板が本日の戦況速報を伝えている。どうせ聴いていないから、音は絞ってある。
隣国との小競り合いはもう百年は続いているが、俺の住んでいるような田舎にたいした影響はない。いたって平和な村だ。
「健康朝食の新しい献立が出たの。試してみたから感想を聞かせてね」
妻が台所から声をかける。食卓には濃厚な紫色の飲み物と、冷めた焼き菓子のようなものが置いてあった。
「父さま、いってきます」
娘が駆け寄ってきて、首に抱きついた。まだ幼子のような汗じみたくすぐったい匂いがする。
「ああ、しっかり勉強しておいで」娘の頭をなでる。
「送ってくるわね」妻はそう言って、娘と手をつなぎ、出掛けて行った。
俺は見てもいない映写板をぼんやり眺めながら朝食を摂った。
《我が軍は……敵国の……殲滅……勝利……》
食べ終えた食器を片付け、上着を羽織る。鞄を持ち、玄関から出て鍵を締める。毎日同じ、変わらない動作。頭の中は、健康朝食の感想を妻に何と言ったものかと考えている。
年季の入った単車にまたがり、勤務先の図書館へ向かう。徐々に頭の中が仕事に切り替わっていく。主任司書が待遇改善を訴えていたな。面倒だ――異動させてしまおうか。
その時、突然轟音が響き渡ったかと思うと、見る間に爆撃機の編隊が上空を覆いつくした。俺の向かう方へ飛んでいく。
俺は単車を止めてしばらく茫然としていたが、慌ててアクセルを全開にして職場へ向かった。
図書館が、燃えていた。
「館長!」主任司書と、何人かの司書たちが駆け寄ってきた。皆両手に持てる限りの本を抱えている。
「これしか――持ち出せませんでした」
無線を操作していた事務員が青ざめて呟く。
「病院も……学校も、狙われたそうです……」
学校――? 娘と妻が脳裏をよぎる。咄嗟に動こうとした時、目の前に主任司書が立ちはだかった。震える腕で、本を抱きしめていた。
「私たち、どうしたらいいのですか!」
その顔は煤と涙で汚れ、切れ長の目が俺を射抜いていた。
本が、燃えている。
俺は、今まで、何をしてきたのだろう。
本当に守るべきものを、俺は、知っていただろうか――
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