『日本思想史』を読みながら❸
明治維新
「維新」という言葉は、『詩経』大雅・文王に由来する。
『詩経』の「大雅・文王」は、中国古代の詩篇の中でも特に格式高く、政治的・道徳的理想を讃える詩として知られています。ここで描かれる「文王」は、周王朝の創始者・武王の父であり、理想的な君主像として後世に大きな影響を与えました。
◆「大雅・文王」の概要
収録位置:『詩経』の中の「大雅」篇、「文王之什」に属する詩
主題:文王の徳と天命、周王朝の正統性、理想的な政治と人材の賛美
時代背景:殷から周への王朝交替期。文王は殷を倒す前の準備を整えた賢君とされる。
詩の内容と象徴
この詩は、文王の徳が天に輝き、天命を受けて周を興したことを讃えています。以下のようなテーマが繰り返し現れます:
天命と正統性:「周雖旧邦、其命維新(周は古き国なれど、命は新たなり)」という句に象徴されるように、古い国でも新たな天命によって再生されるという思想
文王の徳と勤勉:「亹亹文王、令聞不已(勤勉なる文王、その誉れ止まず)」と語られ、文王の努力と名声が絶えないことを讃える
子孫と国家の繁栄:「文王孫子、本支百世(文王の子孫は百代にわたり栄える)」という表現で、周王朝の永続性が強調される
殷から周への移行:殷の民が周に帰服し、祭祀に参加する描写もあり、文化的統合と天命の移行が語られる
◆思想的・哲学的意義
この詩は単なる歴史叙述ではなく、儒教的な政治理想を体現しています。文王は「天命を受けた徳の君主」として、後世の儒者にとって模範的存在となりました。
天命思想:天が徳ある者に王権を授けるという考え
徳治主義:力ではなく徳によって民を治める理想
祖先崇拝と忠誠:祖先の徳を忘れず、忠義を尽くすことの重要性
◆文学的な美しさ
言葉の繰り返しや音の響きが美しく、儀式や祭祀で朗誦されることも多かった詩です。例えば:
「穆穆文王、於緝熙敬止(文王の徳は深く、光明にして敬虔なり)」
このような句は、文王の人格と政治の理想を詩的に表現しています。
「明治維新」という言葉が多く見えるのは明治30年代から。当初用いられたのは「御一新」であった。「維新」は「これ新たなり」ということ。
王政復古の大号令 (1867)
徳川慶喜の大政奉還後に、岩倉具視の具申によって正式の会議を経ずに発せられた奇策であった。
「諸事神武創業の始めに原づき」と謳われた。神祇官の復活など、律令に戻る政策もあったが、その根本は律令どころではなく「神武創業」にまで戻ることだった。
しかし、誰も「神武創業」がどうであったか知る人はいない。
王政復古の大号令(おうせいふっこのだいごうれい)とは、1867年12月9日(慶応3年)に発せられた政治的宣言で、江戸幕府の廃止と天皇親政の復活を正式に表明したものです。これは日本の歴史の大転換点であり、明治維新の幕開けとも言える出来事です。
背景と目的
発令者:
岩倉具視(いわくらともみ)を中心とする公家と薩摩・長州藩の倒幕派
目的:
徳川家の政治的影響力を完全に排除する
天皇を中心とした新政府を樹立する
長州藩など「朝敵」とされた勢力の赦免と再登用
内容の主なポイント
江戸幕府の廃止
将軍職の辞職許可
摂政・関白など旧制度の廃止
京都守護職の廃止
新たな政治機構「三職(総裁・議定・参与)」の設置
これにより、700年近く続いた武士による政権(鎌倉幕府から江戸幕府まで)が終焉を迎え、天皇を中心とした近代国家への道が開かれました。
その後の展開
小御所会議:王政復古の直後に開催され、徳川慶喜に対して辞官納地(官職辞任と領地返上)を求める決定が下される
戊辰戦争:徳川家が反発し、翌年から全国規模の内戦へと発展
この号令は単なる制度変更ではなく、象徴的なクーデターでもありました。天皇の名のもとに旧体制を一掃し、新たな時代の扉を開いた瞬間だったのです。
維新は尊攘派のリードによって達せられたが、海外を見据えた開国派の開明主義があり、両者の綱引きによって進められた。
五箇条の誓文 (1868)……維新の根本方針
第四条「旧来の陋習をやぶり、天地の公道に基づくべし」
儒教的な「天理」がより普遍的な「公道」に置き換えられている。
開明主義が他国とのバランスの中に自国を位置づけようとする相対主義であるのに対して、自尊主義は自国の価値観を絶対視して、利害を無視して突っ走る。明治から大正へかけて、開明派が表に出て新しい国作りを進めるが、その裏で力を溜めた自尊派が、やがて昭和期になって表に躍り出ることになる。
明治憲法
第一条「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」
「万世一系」は憲法自体の中では根拠づけられない。
『日本書紀』――神話が根拠になっている。
教育勅語
天皇が「臣民」に呼びかける道徳的訓誡。
儒教的な道徳項目を主として、家における考が天皇に対する忠に結びつくという構造。
家父長的な家の倫理の延長上に国家が位置づけられ、天皇は国家における父親的な存在。
家は先祖代々継承されてきたもので、家父長はそれを受け継ぎ、次代に渡す役目を負う。そこで、その家を継承してきた祖先への崇拝が必須となる。幕末の水戸学や神道でも祖先祭祀が重要視されてきた。それは、見えざるものの世界(冥・幽冥)の秩序に関する。こうして神道は皇室の祖先崇拝の祭祀として位置づけられる。それに対して、民間では祖先祭祀を仏教が担当し、それを象徴する墓と位牌を仏教の方式で維持するのが基本となる。仏教が近世の国家宗教的な地位を降ろされ、神仏分離等で打撃を受けても衰えなかったのは、こうして葬式仏教と言われる形でその存立基盤を再編したことによる。
日本国憲法
(1946)、日本国憲法が帝国議会で議決されて公布される。その前文は、はなはだ格調高く理想を掲げる。注目すべきはそこに「普遍」という言葉が二度も現われることである。第一は、主権在民の原則に関して、それが「人類普遍の原理」だと宣言している。第二は、恒久平和を念願する箇所で、「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」と述べ、「政治道徳の法則は、普遍的」としている。
すなわち、戦後憲法の中心原理である主権在民と平和主義のいずれもが普遍性をもった原理であることを宣言している。
戦後憲法の理念ではこの普遍性の強調がもっとも特徴的であり、明治憲法との最大の相違点である。
明治憲法は、万世一系の天皇という日本の特殊性に根拠を置く。その特殊性は、歴史における一貫性であり、日本の歴史と伝統に根ざそうとしていた。
戦後憲法はその根本原理の根拠として唐突に普遍性が持ち出され、それ以上の探求は断ち切られる。歴史性や特殊性が入り込む余地はない。
ところが、冒頭の第一条から第八条までを天皇の規定が占めている。
前文から続けて読むと、いきなり「天皇」が現われることにとまどうであろう。天皇がどうして普遍に結びつくのだろうか。しかも、よく知られた第一条は、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とあるが、「象徴」が何を意味するのかはっきりしないし、「国民の総意」がどうやって確認されるかも分からず、その説明もない。これらの天皇条項は、何とか天皇制を維持しようとして、明治憲法を慌てて作り替えたものであり、戦後憲法が押しつけというよりは、旧勢力とGHQの妥協の産物であることを如実に示している。
◆AIコーナー
Copilot にきいてみました。
質問:日本の思想史に於いて、死者の問題はどのように扱われてきましたか
日本の思想史における「死者」の問題は、宗教的・倫理的・政治的・記憶的な次元で複雑に交差しながら展開されてきました。以下に、主要な視点をいくつか整理してみます。
古代〜中世:死者との共棲と宗教的実践
仏教的供養と浄土思想
死者は「成仏」へと導かれるべき存在とされ、供養や念仏などの宗教的実践が重視されました。特に浄土宗や真宗では、死者との関係が生者の救済とも深く結びついています。神道的祖霊信仰
死者は祖霊として家や地域社会に留まり、祭祀を通じて生者と共に生きる存在とされました。死者は畏れと敬意の対象であり、怨霊化する可能性も含んでいました。祟りと鎮魂
怨霊や非業の死者に対する鎮魂儀礼(例:御霊信仰)は、政治的安定や社会秩序の維持とも関係していました。
近代:死者との断絶と再構築
近代仏教思想と「死の哲学」
田辺元の「死者との実存協同」など、死者を単なる記憶ではなく、倫理的・哲学的な関係性の対象として捉える思索が現れました。国家と死者:靖国神社の思想
戦争死者を「英霊」として国家に帰属させる思想が展開され、死者は個人ではなく国家的記憶の一部として扱われるようになります。死者の記憶と地域社会
記念碑や慰霊碑を通じて、死者は地域共同体の歴史意識や道徳的規範の形成に寄与する存在とされました。
現代:死者倫理と記憶論の展開
「死者倫理」の理論化
死者に対する敬意や尊厳を、宗教的文脈を超えて倫理的に捉え直す試みが進んでいます。「下からの死者倫理」として、生者との類縁性や記憶の共有が重視されます。死者との関係の再構築
災害や戦争による大量死を契機に、死者との絆を取り戻す社会的実践が模索されています。死者は単なる過去の存在ではなく、現在の倫理や感情に影響を与える存在として再認識されています。
哲学的含意
死者は「非存在者」であるにもかかわらず、倫理的配慮の対象となりうるという逆説が、日本思想の深層で繰り返し問われてきました。生者との断絶を埋める「存在論的対応」や、「死の害」の哲学からの迂回路など、死者をめぐる思索は今なお進化を続けています。
質問:日本以外では、死者をどのように捉えていますか
日本思想における死者の問題が「共棲」「供養」「記憶」といった文脈で展開されてきたのに対し、世界の思想や宗教では、死者はしばしば「救済」「裁き」「転生」「祖霊」として異なる意味づけを受けています。以下に、いくつかの文化圏・宗教における死者の捉え方を比較してみましょう。
世界宗教と死者の観念

死生観の二重構造:土着宗教 × 世界宗教
多くの文化では、土着の死者観と世界宗教の教義が重なり合い、矛盾や融合が生じています。たとえば:
メキシコの「死者の日」は、アステカの祖霊信仰とカトリックの万霊節が融合した祝祭です。死者はこの世に戻ってくるとされ、家族は祭壇を作って迎えます。
中国の「清明節」では、墓参りを通じて祖先との絆を確認しますが、これは儒教的な家族倫理と道教的な霊魂観が重なっています。
ハロウィーンの起源はケルトのサウィン祭であり、死者が現世に戻る夜とされていました。キリスト教はこれを万聖節に転化しましたが、死者との境界が曖昧なまま残っています。
このような「二重構造」は、死者が単なる過去の存在ではなく、文化的アイデンティティや倫理の鏡像として機能していることを示しています。
哲学的・倫理的展開
西洋哲学では、死者は「記憶」や「歴史」の中で生者のアイデンティティ形成に関与します。ハイデガーは「死への存在」として死を個の本質と捉えましたが、死者そのものへの倫理的配慮は薄い傾向があります。
現代思想では、死者との関係性を再構築する動きもあります。たとえば、ホロコーストや戦争の記憶において、死者は「語られざる他者」として倫理的責任を生者に課します。
