全ての感情が、正解であり守られるべきもの。-亡き父が教えてくれたこと-
目が覚めた瞬間、私は泣いていた。
昨年亡くなった父が、初めて夢に出てきたのだ。母や兄、父の友人は「夢に出てきたよ」とよく話していたのに、私のところにはこれまで全く来てくれていなかった。
舞台は、いとこが住んでいるマンションのエントランスだった。私はエントランスの中にいて、自動扉の前で誰かを待っていた。夢の中は春先のようで暖かな日差しが、ガラスになっている自動扉に差し込んでいた。日差しのスキマから顔を出すように、父の満面の笑みがガラスに映った。温かいニットのセーターを着て、いつものジーンズ、いつもの靴、いつも持っていたハンドバッグを右手に持っていた。自動扉が開き、微笑みながら父が入ってきた。言葉は何もなく、ただ笑っていた。入ってきた瞬間に起きてしまったので、父の登場シーンは時間で言えば5秒もないくらいだろうか。
目が覚めるとともに、堪えていたものが込み上げてきて、子どものように声を出して泣きそうになった。だけど、何故か咄嗟に声を抑えている自分がいた。
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クライアントとしてカウンセリングを受けていた時、「いま感情を抑えているの分かりますか?」とよく聞かれていた。抑えている自覚が全くなかったから「抑えてないですよ(笑)」と笑っていたが、どうやら抑えていたらしい。感情は、無自覚のうちにいつの間にか抑えているみたいだ。
私の場合は、何を抑えていたのだろう。父が突然、居なくなったことに対する悲しみや絶望。まだまだ受け入れられない気持ち。そして、どこにもぶつけようのない怒り。絶対的な味方を失った心細さ。結婚式3か月前に亡くなって、ドレス姿を見せられなかった無念さ。感謝の気持ちを伝えられなかった後悔。
いろんな気持ちがブレンドされている。
感情は、ハッキリと「悲しみです!!」と区分できないのが難しいところ。
「死」というショッキングな出来事の中に、父への愛情や感謝も含まれているから、感情とは不思議なものである。
心理学ではよく「怒りは二次感情で、怒りの下には愛情が隠れている」と言われているので、その理論からすると納得である。
その理論を知っていたとしても、ショッキングなことが起きた時、私たちは愛情へダイレクトに到達できない。それどころか、その上にある悲しみにさえ、触れたくないとすら思ってしまう。それくらい、痛くて、つらくて、しんどい気持ちであふれてしまうから。日々を生きるためには、その感情に触れず過ごせた方が楽だから。だから、知らず知らずのうちに抑えてこんでしまう。
父の死後、半年くらいは本当に塞ぎ込んでいて、父を思い出さないようにしていたし、考えないようにしていた。悲しみに暮れるのも、怖かったから。
泣ければ楽になる気がするけれど、泣けなかった。
父を思い出さない自分は非情な娘なんじゃないか、とかいろんなことを考えて、それもしんどかったから、その気持ちにも蓋をした。
蓋の上から更に重たい蓋を被せて、もう出口が分からなくなったこともある。
感情を抑えることも、日々を生きるために必要なプロセスだし、
悲しみを感じることも、気持ちを楽にさせるために必要なプロセスだし、
愛情で満たされることも、その出来事の意味を捉え直すために必要なプロセス。
全てのプロセスをキレイに通れたならいいけれど、その時の気持ちや、生活だったり。
いろんなことが影響するから、完璧なんか目指さなくていい。
いま感情が1番大切で、守るべきものだと思う。
無理に悲しみに暮れたり、無理やり意味を見出すなんてしなくていい。
自分の心を大切にすることが、最優先させるべきこと。
いま感じている(もしくは無意識的に抑えている・見ないようにしている)気持ちを全て、抱きしめたいなと思う。
そんな気持ちを大切にして、クライアントさんの心と向き合わせていただきたいなと改めて感じた。
