25話 僕のヒーローアカデミアと、イエス・キリスト。
「君はヒーローになれる」と信じた師と、受け継がれていく使命。
※この記事は、『僕のヒーローアカデミア』の登場人物や設定を、イエス・キリストや聖書上の人物と同一視するものではありません。
デクとオールマイト。
そして、代々受け継がれてきたワン・フォー・オール。
その物語を入口に、
「師とは何か」
「弟子とは何か」
「自分が受け取ったものを、誰へ託していくのか」
という“継承”について考えてみたいと思います。
※作品の重要な設定、物語後半の内容に触れています。
17話では、「本当のヒーローとは誰か」を考えた
実はこのnoteシリーズで、『僕のヒーローアカデミア』を取り上げるのは二度目です。
17話では、
強い者がヒーローなのか。
戦いに勝つ者がヒーローなのか。
それとも、傷ついている誰かを救うために手を伸ばす者がヒーローなのか。
という、
「本当のヒーローとは誰か」
を考えました。
17話
「僕のヒーローアカデミアと、イエス・キリスト。|勝つことより、救うこと。」
あの時の記事では、ヒロアカという作品全体を通して、
一人ひとりに与えられた“個性”。
私たちで言うなら、それぞれに与えられたGift。
そして、
「スーパーヒーローはYOU。」
というテーマへつなげました。
でも今回は、もう一歩深く入りたい。
なぜなら、ヒーローは最初から完成されたヒーローとして現れるわけではないからです。
誰かに見つけられ。
誰かに信じてもらい。
誰かに育てられ。
失敗し。
正され。
そして、受け取ったものを次へ渡していく。
今回は、
「ヒーローとは誰か」
ではなく、
「ヒーローは、どのように育てられるのか」
そして、
「受け取ったものは、どのように次の世代へ継承されていくのか」
を考えてみたいと思います。
何の力も持っていなかった少年
緑谷出久。
通称、デク。
ヒーローになることを夢見ていた少年です。
しかし彼は、多くの人が“個性”を持つ世界で、生まれつき無個性でした。
ヒーローが大好き。
ヒーローの能力を研究し。
戦い方を分析し。
ノートへ書き続ける。
誰よりもヒーローへ憧れている。
けれど、自分にはヒーローになるための力がない。
周りからは夢を笑われる。
現実を見ろと言われる。
本人自身も、心のどこかでは分かっていたのかもしれません。
「自分には無理なのかもしれない。」
それでも、ヒーローになる夢を完全には捨てきれなかった。
そんなデクの人生を変えたのが、
彼がずっと憧れていたNo.1ヒーロー、
オールマイトとの出会いでした。
アニメ『僕のヒーローアカデミア』公式サイト
https://heroaca.com/
オールマイトが見たのは、“今の力”ではなかった
デクがオールマイトに認められたのは、強い敵を倒したからではありません。
すごい“個性”を見せたからでもありません。
むしろ、力はありませんでした。
それでも。
幼なじみの爆豪が敵に襲われ、周囲のヒーローたちもすぐには助けられない状況の中で。
デクは飛び出しました。
勝てるからではない。
自分なら何とかできるという作戦があったわけでもない。
ただ、
助けを求めている人がいた。
その瞬間、
身体が先に動いた。
オールマイトが見つけたのは、
デクが“今持っている能力”ではありませんでした。
まだ本人にも見えていなかった、
ヒーローの心。
誰かを救いたいという心でした。
これが、私はすごく好きです。
世の中では、
今、何ができるか。
どんな実績があるか。
どんな肩書きを持っているか。
数字を出せるか。
結果を残しているか。
そういうもので人が評価されることがあります。
もちろん、能力も努力も大切です。
でも良い師は、
“今の弟子”だけを見ないのだと思います。
まだ形になっていないGift。
本人さえ気づいていない可能性。
これから育っていく未来。
そこを見る。
オールマイトは、
完成されたヒーローを探したのではありません。
まだ何者でもない少年の中に、
未来のヒーローを見つけました。
「君はヒーローになれる」
誰にも夢を認めてもらえなかった少年。
自分自身でも、
「無個性の自分には無理なのではないか」
と思っていた少年。
そんなデクに、憧れ続けたオールマイトが伝えます。
「君はヒーローになれる。」
この言葉がすごいのは、
デクが力を受け取る前に語られていることだと思います。
まだ強くない。
まだ何も成し遂げていない。
それでも、
「君の中には、ヒーローになるものがある。」
と、先に認めてもらった。
誰かに可能性を見つけてもらう。
これは、人の人生を変えることがあります。
自分では、
「無理だ」
と思っていたこと。
ずっと隠していた願い。
恥ずかしくて言えなかった夢。
それを誰かが見つけ、
「あなたにはGiftがある。」
「あなたならできる。」
「やってみなさい。」
と言ってくれる。
その一言によって、
人生が動き始めることがあります。
でも、オールマイトとデクの物語が本当に面白いのは、ここからです。
力を渡して、はい終わりではなかった
オールマイトは、デクへすぐにワン・フォー・オールを渡しませんでした。
なぜなら、今のデクの身体では、その力に耐えられないからです。
そこで始まったのが、地道な身体づくり。
海岸に散乱した大量のゴミを片づける。
走る。
持ち上げる。
食べる。
休む。
鍛える。
デクが憧れていたのは、華々しく敵を倒すヒーローの世界でした。
でも最初に与えられたのは、
海岸の掃除でした。
私はここにも、師弟関係の面白さを感じます。
良い師は、弟子が欲しがっているものを、何でもすぐに渡す人ではありません。
大きな力を渡す前に、
それを扱える人間へ育てる。
Giftを与えるだけでなく、
Giftを背負える土台を作る。
歌が上手い。
話す力がある。
人を惹きつける。
ビジネスができる。
リーダーシップがある。
それだけで、その力を正しく使えるとは限りません。
力が大きければ大きいほど、
その力を何のために使うのかが問われます。
だから師は、
弟子の“能力”だけではなく、
弟子自身を育てるのだと思います。
そして、ワン・フォー・オールは一人の力ではなかった
ここで今回の25話の、もう一つの中心へ入りたいと思います。
ワン・フォー・オール。
デクがオールマイトから受け継いだ“個性”です。
けれど、ワン・フォー・オールは、
オールマイト一人が生み出した力ではありません。
オールマイトもまた、
“受け継いだ人”でした。
そしてオールマイトの前にも、継承者がいました。
さらにその前にも。
一人から、次の一人へ。
そしてまた、次の一人へ。
歴代の継承者たちによって、力が蓄積され、受け継がれてきました。
公式設定では、
志村菜奈が7代目。
オールマイトが8代目。
そしてデクが9代目の継承者です。
オールマイト自身もまた、志村菜奈という師から受け取った“弟子”だったのです。(アニメ『僕のヒーローアカデミア』)
ワン・フォー・オール公式解説
https://heroaca.com/special/terminology.html
OFA歴代継承者
https://heroaca.com/character/chara_group14/
ここで私は、
オールマイトの見え方が少し変わります。
デクから見れば、
絶対的なヒーロー。
平和の象徴。
憧れそのもの。
でも、そのオールマイトにも、
「君ならできる」
と信じ。
教え。
託した人がいた。
師だった人も、
かつては弟子だった。
受け取った人が、
いつか託す人になる。
そこに“継承”があります。
オールマイトもまた、誰かの弟子だった
私たちは、成功している人を見ると、
その人が最初から完成された存在だったように感じることがあります。
でも、その人にも、
駆け出しの時代があった。
何も分からなかった時代があった。
失敗したことがあった。
誰かから教えられたことがあった。
オールマイトも、
最初から“平和の象徴”だったわけではありません。
志村菜奈からワン・フォー・オールを受け継ぎ。
育てられ。
自分の使命を背負うようになり。
そして今度は、
デクを育てる側になった。
志村菜奈から、オールマイトへ。
オールマイトから、デクへ。
これは単に、
「強い必殺技を次へ渡した」
という物語ではありません。
何のために戦うのか。
誰を守るのか。
どんな未来を願うのか。
その“志”まで、次の世代へ託されていく物語なのだと思います。
デクの中には、歴代の物語が生きていた
物語が進むと、デクはワン・フォー・オールの中で、歴代継承者たちと向き合うようになります。
自分が受け継いだものは、
単なる怪力ではなかった。
過去がある。
戦いがある。
犠牲がある。
それぞれの継承者が、
自分の時代を生きた物語がある。
そしてデクは、その歴史ごと受け取っていきます。公式アニメでも、デクがOFAの世界で歴代継承者たちと向き合い、自分が受け継いだ力とその意味に直面する姿が描かれています。
私はここが、
“継承”の難しいところだと思います。
何かを受け継ぐということは、
良いものだけをもらうことではありません。
そこに込められた願いも。
歴史も。
痛みも。
責任も。
受け取ることがあります。
そして問われます。
「自分は、これを何のために使うのか。」
師をコピーすることが、弟子ではない
デクはオールマイトへ、強烈な憧れを持っていました。
だから最初は、
オールマイトのように戦おうとします。
同じように拳を使い。
同じような技を使い。
憧れのヒーローへ近づこうとする。
でも、デクとオールマイトは同じ人間ではありません。
身体も違う。
性格も違う。
得意なことも違う。
生きてきた人生も違う。
やがてデクは、
ただオールマイトをコピーするのではなく、
自分自身の戦い方を見つけていきます。
私は、これも弟子育成の大切な部分だと思います。
良い弟子とは、
師の服装を真似する人ではありません。
話し方をコピーする人でもありません。
師から受け取った“本質”を、
自分に与えられたGiftを通して生きる人です。
そして良い師は、
自分のコピーを作ろうとしません。
弟子が、
自分とは違う形で。
自分には届かなかった場所へ。
さらに遠くへ進んでいくことを喜ぶ。
オールマイトは、
もう一人のオールマイトを作りたかったのではないと思います。
デクが、
デク自身のヒーローになることを願っていた。
そこが、師弟愛の美しさだと思います。
完璧に見えた師にも、傷と限界があった
人々の前に立つオールマイトは、
いつも笑顔で。
圧倒的に強く。
どんな時も安心を与える、
“平和の象徴”でした。
けれどその背後には、
大きな傷がありました。
限界がありました。
永遠に戦い続けることはできない。
かつてのような姿を、ずっと維持することもできない。
デクは、
憧れのオールマイトの“弱さ”も知ることになります。
そして関係が深くなるにつれ、
ただ遠くから憧れるヒーローではなく、
一人の人間としてオールマイトを見るようになっていきます。
師も、人間です。
迷うことがあります。
恐れることがあります。
失敗することがあります。
弟子を心配しすぎることもある。
だから、本当の師弟関係は、
「師は絶対に間違えない」
という関係ではないのだと思います。
弱さもある。
限界もある。
それでも、共に歩く。
それでも、託す。
それでも、受け取る。
そして弟子は、
いつか師の手を離れ、
自分の足で立つようになります。
「次は君だ」
オールマイトが、平和の象徴として大きな戦いを終えた後。
彼はもう、
かつてのようにすべてを背負って戦い続けることはできませんでした。
そして物語は、
次の世代へ進んでいきます。
「次は君だ。」
それは、
ただ、
「次に戦うのはお前だ」
という意味だけではないように感じます。
私には、
「私はここまで受け取ってきた。」
「私はここまで走ってきた。」
「そして今度は、君へ託す。」
という言葉にも聞こえます。
でも同時に。
ヒロアカは、
“次の一人のヒーローが、また全部を背負えばいい”
という物語でもありませんでした。
デクもまた、
すべてを一人で背負おうとしてしまいます。
自分が守らなければ。
自分が戦わなければ。
自分が離れれば、仲間を危険にさらさずに済む。
そうして一人で進もうとする。
けれど、仲間たちは彼を一人にしませんでした。
ワン・フォー・オール。
One For All。
一人は、みんなのために。
でも私は、ヒロアカの物語を見ていると、
その一人もまた、
みんなに支えられているのだと感じます。
ヒーローは、
一人では完成しない。
師がいる。
仲間がいる。
家族がいる。
支える人がいる。
バトンを渡してきた過去の世代がいる。
そして、
次に受け取る世代がいる。
ここで、イエス・キリストの弟子たちを思い出す
この“継承”という物語を見ていると、
私は聖書に登場するイエスさまと弟子たちを思い出します。
もちろん、
オールマイト=イエスさま
ではありません。
ワン・フォー・オール=聖霊
でもありません。
まったく同じものとして重ねたいわけではありません。
でも、
「師から弟子へ」
「受け取ったものを次へ託す」
という姿を見る時、
私はイエスさまと弟子たちの関係を思い出すのです。
イエスさまが選ばれた弟子たちは、
最初から完成された人々ではありませんでした。
漁師。
取税人。
怒りやすい人。
疑う人。
誰が一番偉いのかと争う人。
危険になると逃げてしまう人。
裏切る人。
それでもイエスさまは、
彼らを呼ばれました。
「わたしについて来なさい。」
弟子たちは、
完成してから呼ばれたのではありません。
呼ばれて。
ついて行って。
共に生活して。
失敗して。
教えられて。
正されて。
赦されて。
少しずつ、
弟子として育てられていきました。
イエスさまは弟子たちを、
まずご自分のそばに置かれました。
そして、やがて世界へ送り出されました。
師と共に生き。
受け取り。
そして、今度は届ける側へ変えられていったのです。
ペテロは、一度の失敗で“弟子失格”にはされなかった
弟子のペテロは、
「私はどこまでもイエスさまについて行く」
と思っていました。
けれど、イエスさまが捕らえられた夜。
恐れの中で、
三度、
イエスさまを知らないと否定しました。
一番大切な師を、
最も苦しい時に否定してしまった。
普通なら、
「もう弟子失格だ」
と言われてもおかしくないような失敗です。
でも、よみがえられたイエスさまは、
ペテロを切り捨てませんでした。
愛を問い。
もう一度、
使命を託されました。
ヨハネの福音書21章15〜17節
良い師は、
弟子の失敗を無かったことにはしません。
でも、
失敗だけでその人の未来を決めません。
正す。
悔い改めへ導く。
そして、
もう一度立たせる。
弟子とは、
失敗しない人ではありません。
失敗しても、
師のもとで学び、
変えられ、
再び歩き始める人なのだと思います。
そしてGood Newsは、次の弟子へ託された
イエスさまは、弟子たちへ使命を託されました。
「ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。」
マタイの福音書28章19節
そして後にパウロは、テモテへ語りました。
「多くの証人の前で私から聞いたことを、ほかの人にも教える力のある忠実な人たちに委ねなさい。」
テモテへの手紙第二2章2節
イエスさまから、弟子たちへ。
弟子たちから、次の人々へ。
パウロから、テモテへ。
テモテから、さらに次の人へ。
受け取ったものを、
自分のところで止めない。
これが、
聖書の中にも流れている“継承”です。
ただし、ここにはワン・フォー・オールとの大きな違いがあります。
救いそのものは、
人間の師が所有し、弟子へ譲渡する特殊能力ではありません。
救いは、
イエス・キリストから来ます。
聖霊も、
人間が所有して次の人へ渡す力ではありません。
すべての源は、
神さまです。
人から人へ受け継がれていくのは、
イエスさまへの信仰。
みことば。
Good News。
そして、
弟子として生きる姿なのだと思います。
私も、ずっと“師”を探していた
ここまで書いていると、
私は自分の人生を思い出します。
振り返れば、
私はずっと、
“師”
を探していたのかもしれません。
20代半ばの頃。
私が最初に、自分の中で勝手に師と仰いだのは、
岡本太郎さんでした。
「芸術は爆発だ」
という言葉の響きに、強烈に惹かれました。
「俺も人生、爆発させるぞー!」
そんなふうに思いました。
そして、
『自分の中に毒を持て』
を読みました。
もちろん、
実際に弟子入りしたわけではありません。
直接会ったわけでもありません。
でも私は、
「この人を師だと思って学んでみよう」
と決めました。
すると不思議なことに。
ただ本を読むよりも、
「師から学ぶ」
という意識で読む方が、
言葉の吸収率が高まるように感じたのです。
そこから私は、
本の中にたくさんの“師”を求めました。
自己啓発。
アドラー心理学。
脳科学。
量子力学について書かれた本。
スピリチュアル。
世界の偉人たち。
自分とは何者なのか。
人生とは何なのか。
どうすれば自由になれるのか。
どうすれば、自分の可能性を最大限に生きられるのか。
私は答えを求めて、
さまざまな本を読みました。
そして、やがて辿り着いたのが、
Buddhaの教えでした。
私はBuddhaの弟子として生きるようになりました。
その頃、
有名な仏教の先生と偶然コンタクトが取れ、
実際につながる機会まで与えられました。
今まで本の中で探していた“師”が、
現実の世界に現れたようにも感じました。
でも、不思議なことに。
私は、その方へ弟子入りしませんでした。
なぜなのか。
当時の私には分かりませんでした。
ただ、
私の旅はそこで終わりませんでした。
Buddhaの弟子から、キリストの弟子へ
その後。
私は神体験を通して、
イエス・キリストと出会いました。
Buddhaの弟子から、
キリストの弟子へ。
私はそれまで、
自分がずっと“師”を探してきたと思っていました。
でも今振り返ると、
私がイエスさまを探し当てたというより、
イエスさまが私を見つけてくださった。
そんなふうに感じています。
そして私は初めて、
「弟子になる」
ということが、
先生の思想を学ぶだけではないことを知りました。
イエスさまの言葉を知るだけではない。
イエスさまに従う。
赦す。
愛する。
仕える。
自分の罪と向き合う。
家庭の中で生きる。
失敗しても、もう一度立つ。
Good Newsを、
自分の人生そのもので生きていく。
弟子とは、
師の名言を集める人ではない。
受け取ったものを、
生きる人なのだと思うようになりました。
そして初めて、“生身の師”が与えられた
イエスさまと出会った後。
神さまは私に、
JTMという神の家族を与えてくださいました。
Jesus Tribe Ministries。
そこで出会ったのが、
JTMのリーダーである、ロギオン岡野義喜牧師でした。
私にとってロギオンは、
霊的な父です。
そして同時に、
人生で初めて与えられた、
生身の師匠のような存在。
メンターのような存在でもあります。
私はそれまで、
本の中に師を探していました。
でも本は、
私が間違った時に、
「チャンティ、そこは違う」
とは言ってくれません。
ページを閉じれば、
そこで関係は終わります。
でも、生身の師弟関係は違いました。
自分を見られます。
良いところだけではなく、
弱さも見られます。
家庭のことも。
自分の癖も。
高慢も。
間違いも。
時には、
耳の痛い言葉を受け取ることもあります。
それでも、
関係の中で育てられていく。
私は初めて、
誰かの思想を学ぶだけではない、
“弟子として育てられる”
という経験をするようになりました。
JTMの神の家族に支えられ、夫婦と家庭が回復へ導かれた証はこちらです。
10話
「JTM、神の家族に救い上げられて。|夫婦が回復し、家族が変えられていった教会の歩み。」
Jesus Tribe Ministries公式ホームページ
ロギオン岡野義喜 Instagram
ロギオン岡野義喜 Facebook
JTM Instagram
そして、私の師にも“師”がいた
そして私は、
もう一つのことに気づきました。
私に師がいるように、
ロギオンにもまた、
霊的父がいる。
ロギオンが霊的父として仰いでいるのが、
RAAHと呼ばれる預言者Uebert Angelです。
そしてRAAHにもまた、
霊的父でありメンターとして仰ぐ、
パスター・クリス、
Pastor Chris Oyakhilomeがいます。
RAAHの公式サイトでも、パスター・クリスを自身の霊的父・メンターとして紹介しています。(Official Website for Uebert Angel)
Uebert Angel公式サイト
その信仰とミニストリーへの影響をさらに遡っていくと、
パスター・クリスが大きな影響を受け、そのレガシーへの敬意を語ってきた、
ベンソン・イダホサという存在にもつながっていきます。
これは厳密な役職や組織の系譜を言いたいのではありません。
私が感じているのは、
信仰と使命が、
一つの世代から次の世代へ影響を与えてきた流れです。
Christ Embassyの公式記事でも、パスター・クリスはベンソン・イダホサの遺したレガシーへの感謝と、その影響について語っています。(クリスチャン大使館)
Christ Embassy
ベンソン・イダホサ。
パスター・クリス。
RAAH、ユーバート・エンジェル。
ロギオン、岡野義喜。
そして、私たちへ。
ここで私は、
またワン・フォー・オールを思い出します。
オールマイトだけの物語ではなかった。
デクだけの物語でもなかった。
誰かが受け取り。
誰かが戦い。
誰かが守り。
そして次へ託した。
師にも、師がいた。
父のように人を導く者も、
かつては誰かに導かれていた。
そして今度は、
自分が次へ渡す側になる。
もちろん、
人間の師を神さまにするわけではありません。
ベンソンでも。
パスター・クリスでも。
RAAHでも。
ロギオンでも。
私でもありません。
すべての中心にいる方は、
イエス・キリストです。
人間は不完全です。
完全な父は、
天の父だけです。
完全な救い主は、
イエス・キリストだけです。
だから私は、
人を崇拝するためではなく、
自分が受け取ったGood Newsを次へ託していく、
その弟子の流れに心を動かされるのです。
今度は、私がマイクを託す側になった
かつて私は、
「ラップがしたい」
という願いを、自分の中に隠していました。
もうそろそろ潮時だ。
自分はエンジニア徹するんだ。
そう思っていました。
でも神さまは、
そのGiftをもう一度呼び起こしてくださいました。
そして今。
そのGiftは、
私一人では終わりませんでした。
長男Davyが、
マイクを握るようになりました。
私は息子へ、
自分と同じラッパーになってほしいわけではありません。
自分のコピーを作りたいわけでもありません。
Davyには、
DavyにしかないGiftがあります。
私には届かない人へ、
息子だからこそ届く言葉がある。
だから私が託したいのは、
私のスタイルではありません。
神さまはあなたを愛している。
あなたにもGiftがある。
そのGiftは、
誰かを生かすために使える。
その信仰です。
7話
「小さなダビデが、マイクを握った日。|みことばの剣とランドセル。」
オールマイトが、
デクを自分のコピーにしなかったように。
私も、
息子を私のコピーにしたくありません。
私が受け取ったものを渡しながら、
DavyがDavy自身の使命を生きられるように。
見つけ。
育て。
そして、いつか送り出す。
私は今、
受け取る弟子でありながら、
少しずつ、
託す側にも変えられているのだと思います。
国づくりには、“次の人を育てる人”が必要
JTMが進めている国づくりプロジェクトを考える時も、
私はこの“継承”が大切だと思います。
国づくりは、
一人のスーパーヒーローが、
すべてを解決することではありません。
家庭。
教育。
健康。
仕事。
農業。
食。
福祉。
音楽。
芸術。
メディア。
それぞれの場所に、
神さまからGiftを与えられた人がいる。
でも、
その人一代で終わってしまったら、
次の世代へは続きません。
だから、
Giftを使う人だけではなく、
Giftを見つける人が必要です。
育てる人が必要です。
教える人が必要です。
失敗した若者を、
一度で切り捨てない人が必要です。
自分の椅子を守ることより、
次の世代を送り出すことを喜べる人が必要です。
オールマイトが、
自分一人で永遠に平和の象徴を続けるのではなく、
次の世代へ託したように。
国づくりも、
自分の代だけで完成させるものではない。
親から、子へ。
師から、弟子へ。
一つの家庭から、地域へ。
一つの世代から、
次の世代へ。
愛と信仰とGiftを託していく。
それもまた、
国づくりなのだと思います。
JTM公式ホームページ
そして2026年8月、その流れの中でRAAHが初めて日本へ来る
そして、
この25話を書いている2026年。
私にとって、
とても大きな出来事があります。
ロギオンが霊的父として仰ぐRAAH、
預言者Uebert Angelが、
2026年8月、
GOOD NEWS JAPANのために初めて日本へ来られると案内されています。
GOOD NEWS JAPAN 2026は、
2026年8月14日から16日。
所沢市民文化センターミューズ・マーキーホールで開催されます。
GOOD NEWS JAPAN
案内動画_Instagram
JTM Instagram
私にとってこれは、
単に海外から有名な預言者が来る、
というだけの出来事ではありません。
20代半ば。
岡本太郎さんを、
勝手に師と仰ぐところから始まった私。
そこから、
本の中に師を探し。
さまざまな思想を学び。
Buddhaの弟子となり。
有名な仏教の先生とつながる機会まで与えられながら、
なぜか弟子入りはしなかった。
そして、
イエス・キリストと出会った。
Buddhaの弟子から、
キリストの弟子になった。
その後、
JTMという神の家族が与えられ。
初めてロギオンという、
生身の霊的父。
師。
メンターのような存在が与えられた。
そして、
そのロギオンにも霊的父がいることを知った。
RAAH。
そのRAAHにも、
霊的父でありメンターとしてパスター・クリスがいる。
さらにその先には、
ベンソン・イダホサが遺した大きな信仰のレガシーの影響がある。
ずっと、
私は師を探していました。
でも今は、
誰からも教わらず、
自分一人の力で人生を切り開くことだけが強さではないと知りました。
受け取る。
育てられる。
そして、
次へ託す。
私は今、
その大きな流れの中にいるのだと思います。
でも、私たちが本当に届けたいのは“人”ではない
ここで、
一番大切なことを書きたいと思います。
私たちがGOOD NEWS JAPANで本当に届けたいのは、
RAAHという人そのものではありません。
ロギオンそのものでもありません。
私でもありません。
このすべての中心にいる方。
私たちの人生を変えた方。
イエス・キリストです。
私は、
イエスさまが今も生きておられることを、
自分の家庭を通して知りました。
互いに愛し合っていた。
それでも、
どうしても許せないことがあり。
少しずつ見えない壁ができていた私たち夫婦。
自分たちの力だけでは、
その壁を壊すことができなかった。
でも、
イエスさまと出会い。
祈り。
赦し。
神の家族の助けを受けながら。
私たち夫婦は、
少しずつ回復へ導かれていきました。
今では、
妻Euniceと共に賛美を作り。
子どもたちと共にGood Newsを届けています。
だから私にとって、
福音は知識だけではありません。
生きた証です。
イエス・キリストは、
十字架で私たちの罪を背負い。
三日目によみがえり。
今も生きておられます。
私たち夫婦と家庭の回復も、
その生きた力を証ししています。
私たちが受け取ったGood Newsを。
今度は、
次の人へ。
日本へ。
次の世代へ。
届けたいのです。
ワン・フォー・オールと、私たちが受け取ったもの
ワン・フォー・オールは、
一人の人間だけの物語ではありませんでした。
初代から。
二代目へ。
三代目へ。
そして時代を越え。
志村菜奈へ。
オールマイトへ。
デクへ。
一人ひとりが、
同じ人間だったわけではありません。
同じ戦い方でもありません。
同じ人生でもありません。
それでも、
受け取ったものを、
自分のところで終わらせなかった。
そしてデクもまた、
ただオールマイトの力を借りる少年から、
自分自身で、
「何のためにこの力を使うのか」
を選ぶヒーローへ成長していきました。
私は、
そこに“継承”の美しさを感じます。
師が、
弟子の中に未来を見る。
弟子が、
受け取ったものを自分だけで終わらせない。
そして弟子は、
いつか、
次の誰かへ託す者になっていく。
「次は君だ」と言われたら
あなたは今、
誰かから何かを受け取っているかもしれません。
親から。
先生から。
師から。
友人から。
誰かの言葉から。
一冊の本から。
あなたを信じてくれた人から。
自分では気づいていなくても。
あなたの中には、
誰かから渡されたものがあるかもしれません。
愛。
知識。
技術。
信じる心。
励まし。
夢。
救われた経験。
乗り越えてきた痛み。
そして、
あなたにしかないGift。
それを、
あなた一人のところで終わらせなくてもいい。
いつか、
誰かへ渡すことができる。
かつて私は、
師を探す側でした。
今も私は、
イエスさまの弟子です。
ロギオンから学ぶ弟子です。
まだまだ育てられている途中です。
でも同時に、
私は父になりました。
夫になりました。
スタジオで人と出会うようになりました。
Davyへマイクを渡すようになりました。
少しずつ、
託す側にも立っています。
受け取る人が、
いつか託す人になる。
弟子が、
いつか次の弟子を育てる。
それが、
継承なのだと思います。
もし今、
「自分には何もない」
と思っている人がいたら。
デクも、
最初は無個性の少年でした。
でも、
彼の中にあるものを、
先に見つけた人がいました。
「君はヒーローになれる。」
もしかすると神さまも、
あなた自身がまだ気づいていないGiftを、
すでに見ておられるかもしれません。
そしていつか。
あなたが受け取った希望を、
次の誰かへ語る日が来るかもしれない。
「あなたにも、Giftがある。」
「あなたにも、使命がある。」
「あなたの人生は、ここで終わりじゃない。」
師から弟子へ。
弟子から、次の弟子へ。
親から、子へ。
一つの世代から、
次の世代へ。
受け取ったGood Newsを、
次へ。
スーパーヒーローはYOU。
そして、
次のスーパーヒーローを育てるのもYOU。
Buddhaの弟子から、キリストの弟子へ。
痛みは証に。
光は闇に勝つ。
受け取ったものを、自分だけで終わらせない。
次は、君だ。
Blessings to you.
