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31話 漫画『七つの大罪』と、聖書が語る「罪」。


七つの大罪、十戒、Messiah。そして、一つの十字架。


「七つの大罪」。

この言葉を聞いた時、漫画やアニメを思い浮かべる人も多いかもしれません。

私も作品を見ながら思いました。

「七つの大罪」という名前。

そして物語の中には、なんと〈十戒〉まで登場する。笑

七つの大罪。

そして、十戒。

これ、聖書を読むようになった私からすると、どうしても反応してしまいます。

「めちゃくちゃ聖書的なワードが出てくるじゃん!」と。笑

もちろん、漫画『七つの大罪』の物語と、聖書が語る「罪」や「十戒」は同じものではありません。

でも、漫画を入口にして、聖書が何千年も前から語り続けてきた、

「罪とは何なのか」

ということを考えてみたら、すごく面白いのではないかと思いました。

なぜなら、「罪」という言葉は、私たち現代人にとっても、決して遠い話ではないからです。

そもそも、「七つの大罪」とは何だろう。


一般に「七つの大罪」と呼ばれるものには、

傲慢。

強欲。

嫉妬。

憤怒。

色欲。

暴食。

怠惰。

があります。

ただし、この七項目が聖書の一箇所にそのまま、

「これが七つの大罪です」

と並べられているわけではありません。

後のキリスト教の歴史の中で、人間を罪へ向かわせる代表的な欲望や傾向として整理されてきたものです。

でも、一つひとつを見てみると、聖書が昔から語ってきた人間の心の問題と深く重なっています。

そして私は思います。

七つの大罪って、遠い昔の人たちだけの話なのだろうか。

いや。

ものすごく現代的です。

七つの大罪は、スマホの中にもある。


傲慢。

「私は正しい。」

「自分の考えが一番だ。」

いつしか、人の話が聞けなくなる。

嫉妬。

SNSを開けば、自分より幸せそうな人がいる。

自分より成功している人。

自分より若い人。

自分より美しい人。

自分よりお金を持っている人。

そして、自分と誰かを比べ続ける。

強欲。

もっと欲しい。

まだ足りない。

もっとお金が欲しい。

もっとフォロワーが欲しい。

もっと認められたい。

色欲。

人を愛する存在ではなく、自分の欲望を満たすための対象として見てしまう。

憤怒。

自分こそ正しいという思いから、誰かを徹底的に攻撃する。

顔も知らない相手を、スマホの画面越しに傷つけることさえある。

暴食。

食べ物だけではない。

情報。

刺激。

動画。

買い物。

娯楽。

もっと。

もっと。

もっと。

取り込み続けても、なぜか心は満たされない。

怠惰。

本当は向き合わなければいけないことから、逃げ続ける。

こうして見ると、「七つの大罪」は中世の昔話でも、漫画の世界だけの話でもない。

スマホの中にもある。

SNSの中にもある。

社会の中にもある。

そして何より、

私の中にもある。

私は、「罪」を他人事として書けない。


私は以前、女性にモテることによって、自分の価値を確かめようとしていた時期がありました。

20歳頃、ラップを始めた最初の動機も、正直に言えば、

モテたかったからです。笑

認められたかった。

注目されたかった。

自分には価値があると、誰かに証明してほしかった。

私は、「七つの大罪」を外から眺めて、

「ああ、悪い人たちの話ですね」

と言える人間ではありません。

私自身の中にも、欲望があった。

高慢があった。

人を見た目で判断した。

自分を満たすために、人を傷つけた。

だから私は、

「罪人には救い主が必要だ」

ということを、誰かを指さしながら書いているのではありません。

私自身が、

救い主を必要としていた一人だからです。

では、聖書が語る「罪」とは何だろう。


人を殺したら罪。

盗んだら罪。

嘘をついたら罪。

もちろん、そうした行為も罪と深く関係しています。

でも、聖書が語る罪というものを、ただの「悪い行動リスト」だけで理解すると、その本質を見失ってしまうように思います。

私は聖書全体を読む中で、罪とはもっと根本的なところにある問題なのではないかと思うようになりました。

神さまから離れること。

愛の源から離れること。

「神さまではなく、私が私の人生の王になる。」

ここから、人間の問題が始まっていく。

物語は、創世記までさかのぼる。


聖書の最初。

創世記。

神さまは、人間を造られました。

アダムとエバ。

人間は、神さまと共に生きていました。

神さまとの関係があった。

信頼があった。

愛があった。

でも、人間は一つの選択をします。

神さまの言葉より、

自分の判断を選ぶ。

「神さまが何と言っているかではなく、私が決める。」

私は、ここに罪の始まりを見るのです。

罪とは、ただルールを破ることではない。

愛の源である神さまから、離れていくこと。

聖書には、

「神は愛です」

と書かれています。

だから、神さまから離れることは、愛の源から離れることでもある。

「私が、私の人生の神になる。」


これは、アダムとエバだけの話でしょうか。

私は、そうは思いません。

私自身も、何度もそうやって生きてきました。

私の人生だから、私が決める。

私が正しい。

私が欲しいものを手に入れる。

私が幸せならいい。

神さまが何と言っているかではなく、

私はどうしたいのか。

一見すると、自由に見えます。

でも、神さまから離れた人間は、今度は自分自身で、自分の価値まで証明し続けなければならなくなる。

もっと成功しなければ。

もっと稼がなければ。

もっと美しくなければ。

もっと強くなければ。

もっと認められなければ。

誰かに愛されなければ。

そうしないと、

私は価値がない。

私は、そんな世界で生きていました。

罪によって、人間は「隠れる」ようになった。


アダムとエバは、神さまの言葉に背いた後、隠れます。

私は、この姿がとても象徴的だと思っています。

人間は、

隠すようになった。

弱さを隠す。

失敗を隠す。

罪を隠す。

本当の自分を隠す。

そして、

「こんな私では愛されない」

と思うようになる。

でも、聖書を読み進めていくと、その正反対の光景に出会います。

「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。」


イエスさまが、ヨルダン川でバプテスマを受けられた時。

ルカの福音書3章。

天から、父なる神の声がありました。

「あなたはわたしの愛する子。

わたしはあなたを喜ぶ。」

私は、この言葉が大好きです。

なぜなら、この時点でイエスさまは、まだ公の働きを始めたばかりだからです。

大勢の病人を癒やした後ではない。

たくさんの奇跡を起こした後でもない。

十字架を成し遂げた後でもない。

まず、

「愛する子」。

そして、

「あなたを喜ぶ」。

そこから、働きが始まっていく。

もちろん、イエス・キリストは唯一の神の御子です。

そして私たちは、イエス・キリストによって、神の子とされる恵みへ招かれます。

私は、ここに「神の子」として生きるアイデンティティの、大切な原点があると思っています。

何かを成し遂げたから、愛されるのではない。

何者かになったから、喜ばれるのでもない。

まず、

父から愛されている。

父が、

その存在を喜んでいる。

そこから、

人生が始まる。

愛されていることを失った人間は、自分を証明し始める。


私は、まさにそうでした。

モテること。

認められること。

注目されること。

ラップ。

見た目。

女性。

自分を証明するために、いろいろなものを使っていた。

「私は価値がある。」

そう思いたかった。

でも、天の父を知った私は、少しずつ別のアイデンティティを知るようになりました。

私は、

愛されるために、価値を証明し続けなくていい。

父なる神が、私を愛してくださっている。

そして、イエス・キリストによって、私は父のもとへ帰ることができる。

これが、私にとって大きな回復でした。

アダムとエバの後、人間はどうなったのか。


罪は、アダムとエバだけで終わりませんでした。

カインは、弟アベルを殺します。

人間は、傷つけ合うようになる。

争う。

奪う。

騙す。

妬む。

欲望に支配される。

聖書は、人間の失敗を驚くほど正直に記録しています。

信仰の人も、失敗する。

王も、失敗する。

民も、何度も神さまから離れる。

そして、また戻る。

そして、また離れる。

旧約聖書を読んでいると、私は時々思います。

人間って、

なんて同じことを繰り返すんだろう。

でも、同時に思います。

神さまは、

なんて人間を諦めないお方なんだろう。

そして、漫画には〈十戒〉が登場する。


漫画『七つの大罪』の物語には、〈七つの大罪〉と敵対する、〈十戒〉と呼ばれる存在が登場します。

七つの大罪。

そして、

十戒。

いやもう、聖書を知っていると、この名前だけで反応してしまいます。笑

でも、ここが面白いところです。

漫画の中では、〈十戒〉は敵として登場する。

では、

聖書の十戒は、

一体何なのでしょうか。

聖書の十戒は、「敵」ではない。


聖書では、神さまが預言者モーセを通して、イスラエルの民に十戒を与えられます。

神さま以外のものを神としてはいけない。

神さまの御名を軽々しく扱わない。

父と母を敬う。

殺してはいけない。

姦淫してはいけない。

盗んではいけない。

偽りの証言をしてはいけない。

貪ってはいけない。

十戒は、人間を苦しめるための敵として与えられたものではありません。

神さまが人間に、どのように生きるべきなのかを示された。

神さまを愛し、

人を愛して生きる。

その道を示してくださった。

でも、ここで人間の大きな問題が明らかになります。

正しいことを知っても、人間は正しく生きられなかった。


十戒が与えられた。

何が正しいのか、分かるようになった。

でも、人間は罪をやめられなかった。

「殺してはいけない」

と知っていても、

憎しみは生まれる。

「盗んではいけない」

と知っていても、

欲しいという思いは生まれる。

「姦淫してはいけない」

と知っていても、

欲望は心の中に生まれる。

正しいことを知ることと、

正しく生きられることは、

同じではなかった。

あれ。

これ、

前にも似た話を書きました。

AIです。

AIに聞けば、たくさんの情報や答えを得ることができる。

でも、

答えを知ることと、

その答えを生きることは、

同じではない。

29話では、ソロモン王の知恵とAIを通して、

「知識」と「知恵」の違いについて考えました。

29話 ソロモン王の知恵とAI

答えは検索できる。

でも、“どう生きるか”は誰が教えてくれる?


そして、十戒の物語を見ても、同じことを思います。

人間の問題は、

「正解を知らないこと」

だけではなかった。

私たちの、

心そのものに、

罪の問題があった。

七つの大罪と、十戒。


漫画の世界では、

〈七つの大罪〉と〈十戒〉が戦う。

でも、聖書の物語では少し違います。

人間の中に、

罪がある。

そして神さまは、何が正しいのかを、十戒を通して示された。

でも、人間は気づいていく。

「私は、自分の力だけでは、完全に正しく生きることができない。」

私は、十戒というものが、人間に罪を気づかせる鏡のような役割も持っていると思っています。

鏡を見れば、

汚れていることは分かる。

でも、

鏡そのものが、

汚れを洗い流してくれるわけではない。

人間には、

救いが必要だった。

十戒の向こうに、十字架があった。


私はここに、聖書全体の大きな流れを見るのです。

人間は、

神さまから離れた。

神さまは、

人間を呼び戻した。

正しい道を示した。

預言者を遣わした。

それでも、

人間は何度も離れた。

だったら、

もう人間を見捨てるのか。

違いました。

神さまは、

人間を諦めなかった。

聖書の物語は、

少しずつ、

一人のお方へ向かっていきます。

Messiah。

メシア。

救い主。

預言者たちが待ち望んだ、Messiah。


旧約聖書の中で、神さまは預言者たちを通して語られます。

人間が、自分の力では解決できなかった罪。

神さまと人間との間にできた断絶。

その問題に、

神さまご自身が、

救いの道を備えてくださる。

人々は、

待ちました。

Messiahを。

救い主を。

そして、

そのお方が来られた。

私が生涯をかけて付き従うと決めた、

スーパーヒーロー。

イエス・キリスト。


Messiah。

イエス・キリスト。

でも、イエスさまは罪人を片っ端から滅ぼすために来られたのではありませんでした。

「お前は罪人だ。」

と、遠くから指をさして終わったのでもない。

イエスさまは、

罪人の中へ来られた。

病む人に触れた。

拒絶されている人に近づいた。

人々と食事をした。

泣いている人のそばにいた。

そして最後に、

私たちの罪を、

ご自身が背負われた。

人間には、いくつもの罪があった。


傲慢。

嫉妬。

憤怒。

強欲。

色欲。

暴食。

怠惰。

そして、それ以外にも、私たちの中にはたくさんの罪がある。

でも、

神さまが私たちに差し出された答えは、

七つの罰ではなかった。

一つの十字架だった。

十字架。


人間は、

神さまから離れました。

愛の源から離れました。

でも、

神さまは、

人間を諦めなかった。

だから、

イエス・キリストは、

十字架へ向かわれた。

私は、ここに福音のすごさがあると思っています。

神さまは、罪を「なかったこと」にされたわけではない。

罪は、

罪。

人を傷つけるものは、

人を傷つける。

私も、自分の罪によって多くの人を傷つけました。

でも、

神さまは、

罪人である私を捨てなかった。

その罪を、

イエス・キリストが、

十字架で背負ってくださった。

七つの大罪を抱えた人間へ、一つの十字架。


十字架は、

「お前は罪人だから、もう愛さない」

という印ではない。

私は、むしろその正反対だと思っています。

「あなたを、

ここまで愛している。」

その愛が、

目に見える形となって現れた場所。

それが、

イエス・キリストの十字架。

神は愛です。

だから十字架は、

愛の源から離れてしまった人間を、

もう一度、

父のもとへ連れ戻すための道でもあった。

「愛されるために」生きる人生から、「愛されているから」生きる人生へ。


私は以前、

愛されるために生きていました。

認められるために。

モテるために。

価値があると思われるために。

もっと。

もっと。

もっと。

でも、

天の父を知り、

イエスさまを知った。

そして少しずつ、

私の人生の土台が変わっていきました。

私は、

愛されるために、

自分を証明し続けなくていい。

まず、

愛されている。

神の子としての、

初めのアイデンティティ。

それは、

父から愛されていること。

そして、

父に喜ばれていること。

「あなたはわたしの愛する子。

わたしはあなたを喜ぶ。」

そこから、

私は生きていい。

私は今、

そう信じています。

アダムとエバから、十字架へ。


創世記で、

人間は、

神さまから離れた。

でも、

神さまは、

人間を諦めなかった。

十戒を与えた。

預言者を遣わした。

何度も、

何度も、

人間を呼び戻した。

そして、

預言者たちが待ち望んだ、

Messiahが来られた。

スーパーヒーロー、

イエス・キリスト。

イエスさまは、

私たちの罪を背負い、

十字架で死なれた。

そして、

三日目によみがえられた。

罪と死に、

勝利された。

これが、

Good News。

福音です。

イエス・キリストと十字架について、もっと知りたい方へ。


なぜ、

神の子イエスさまは、

十字架へ向かわれたのか。

なぜ、

神の子は、

苦しみを知りながら従われたのか。

その十字架に、

どんな愛があったのか。

こちらの特別編では、

イエス・キリストの十字架と、

そこに現された神さまの愛について、

さらに深く書いています。

特別編 イエス・キリストと十字架。

なぜ神の子は、苦しみを知りながら従われたのか。十字架の愛が照らす、まことの希望。


そして、

「そもそもイエス・キリストって本当にいたの?」

「福音ってなぁに?」

「Good Newsって、どういうこと?」

そんなところから、

一度ゼロから考えてみたい方へ。

私は以前、

Buddhaの弟子でした。

最初から、

イエスさまを信じていたわけではありません。

むしろ、

疑って、

調べて、

考えてきました。

だからこそ、

イエスさまをまだ知らない、

私の大切なお母さんへ向けて、

一通のラブレターを書くような気持ちで、

この記事を書きました。

これは、

私のお母さんへ向けて書いた記事です。

でも同時に、

「イエスさまのことを、

まだよく知らない。」

そんなあなたにも、

届いてほしいと思っています。

26話 お母さん、イエスさまって本当にいたの?
“ただの昔話”だと思っていたキリスト教を、ゼロから考えてみる。

お母さんへのラブレターとして書いた、Good Newsのお話です。

十字架の愛は、今も続いている。


これは、

2000年前で終わった物語ではありません。

今も、

怒りの中にいる人がいる。

嫉妬に苦しんでいる人がいる。

欲望に支配されている人がいる。

罪悪感で、

前を向けない人がいる。

自分を嫌っている人がいる。

「こんな私は、

もう神さまに愛されない」

と思っている人がいるかもしれない。

でも、

私は伝えたい。

あなたが、

完璧になってから、

愛されるのではない。

あなたが、

すべてを正してから、

父のもとへ帰るのでもない。

イエス・キリストの十字架は、

今も、

あなたを父の愛へ招いている。

七つの大罪。

十戒。

Messiah。


そして、十字架。


漫画『七つの大罪』を見ていて、

私は、

聖書が語る壮大な物語を思いました。

人間には、

いくつもの罪があった。

神さまは、

十戒を通して、

正しい道を示された。

でも、

正しいことを知るだけでは、

人間は自分自身を救えなかった。

だから、

救い主が必要だった。

Messiah。

イエス・キリスト。

そして、

神さまが差し出された答えは、

七つの罰ではなかった。

一つの十字架だった。

罪は、

人を神さまから離した。

でも、

十字架の愛は、

人を神さまのもとへ連れ戻した。

恐れから、

愛へ。

罪から、

恵みへ。

闇から、

光へ。

そして、

父のもとへ。

あなたは、

愛されるために、

自分を証明し続けなくていい。

まず、

愛されている。

父は、

あなたを愛している。

そして、

あなたの存在を喜んでいる。

イエス・キリストの十字架は、

その愛を、

今も語り続けている。

人間には、

いくつもの罪があった。

でも、

神さまがくださった答えは、

一つの十字架だった。

その十字架の愛は、

今日も、

私を。

あなたを。

そして、

まだ闇の中にいる、

誰かを。

光へと招いている。

Buddhaの弟子から、キリストの弟子へ。

痛みは証に。

光は闇に勝つ。

スーパーヒーローはYOU。

Blessings to you.

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