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イギリス音楽への誘い 第1回 カノン「夏は来たりぬ」からアーン親子、バード、パーセル、自国作曲家の空白期を経て、エルガーの登場まで。

クラシック音楽の世界において、イギリスというのは、作曲家の産地としては、ドイツ・オーストリア・フランス・イタリア・ロシアと比べたら、まるで知名度が低くなるのが現実でしょう。

ハンガリーやチェコ(ボヘミア)ですら複数の名前を思い浮かべるのは少なからぬ方には容易でしょうし、ノルウェーならグリーグ、フィンランドならシベリウスがいます。

デンマークのニールセンは知名度イマイチでしたが、少なくともアニメファンには、「銀河英雄伝説」で交響曲第4番「不滅」を大々的に使ってもらいましたのでかなり知名度上がったでしょう。

スウェーデンとなると渋くなりますが、実はベルワルドという交響曲を6曲も書いた隠れた大家がいます。ステンハマルという人はさらにマイナーでしょう。しかし実はアルヴェーンという人の「スウェーデン狂詩曲第1番『夏至の徹夜祭』」作品19だけは、実は実際に聞いてみたら、「ああ、この曲か!」のはず。ほんとうは交響曲も6曲書いている人ですが。

ところが、イギリスとなると、少なくとも古典派から中期ロマン派の時期までは、確かに、よほどマニアックの趣味を持つ人を除いては、今日一般に聴かれる作曲家不在です。

それ以前はいます。

バロック時代のヘンリー・パーセルは、歌劇から器楽曲まで多彩なジャンルで数多くの曲を残していて、そのクオリティは大バッハやヘンデルに全くひけをとりません。

この「アブデザラール」組曲(本来は劇付随音楽ですが、歌曲の1曲は省略されて演奏されることが多い)は彼の代表作の一つですが、この中の「ラウンド(ロンド)」はたいていの人が聴いたことあるはず。

そう、あとで登場しますが、同じイギリスの20世紀の大作曲家、ベンジャミン・ブリテンが「青少年の管弦楽入門」で変奏曲形式の主題として使いましたから(教育作品としてのナレーションを伴わない演奏をする際には「パーセルの主題による変奏曲とフーガ」)

更にルネサンス期までさかのぼれば、ウィリアム・バードという、ハープシコード音楽の歴史では最重要クラスの大家がいます。特に戦争の過程を描写していく「戦い」が有名。

更にさかのぼれば、「世界最古のカノン」とされる「夏は来たりぬ」がイギリス産なんですよね。このメロディーは聴いたことある人、結構いるかも。


こういうわけで、イギリスにも、芸術音楽の、歴然とした歴史と伝統があるんだけれども、どういうわけかパーセル以降それが一度ぷっつり途絶えるわけです。

もちろん、歌劇場は開かれ、王宮や貴族の館でのコンサートは盛ん、その後市民も聴けるオーケストラの設立とコンサートホールはロンドンだけでもいくつもある盛況だったのに、音楽の「消費国」になってしまうわけですね。

実際、バロック時代にはドイツの超大家、ヘンデルがイギリス王室に召しかかえられました。オペラもたくさん作りましたが、一般には「水上の音楽」と「王宮の花火の音楽」があまりにも有名ですね。

もっとも、イギリス産の有名な作品がこのころないわけではなくて。

「ルール・ブリタニア」はイギリスの愛国歌の代表的なもののひとつで、トマス・アーンという初期バロックの頃の人の作曲です。

この曲はプロサッカーリーグでも歌われるので、皆様にも有名ですよね。

イギリスの「プロムス」という、全部立席のコンサート・シーズンの落日に必ず歌われることで有名です。

ちなみに「プロムス」最終日では、「ルール・プリタニア」のあと、ウイリアム・ブレイクの詩にゆる「エルサレム」になり、さらにイギリス国家「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン(キング)」になだれ込わけですが、「エルサレム」という一見古風な、ユダヤふうのメロディとなるように意識された曲は、イギリスの作曲家サー・チャールズ・ヒューバート・パリーが第一次世界大戦の戦意高揚のために書いた、意外と新しい曲です。

しかし流れ的にここで紹介しておきましょう。

実は彼の息子のマイケル・アーンという人が、芸術歌曲の歴史で非常に重要な存在ですが、このことは歌曲ファン以外は意識していないかと。

私が知る限りではイギリスの作曲家がメジャーな音楽史から姿を消すのはこの、息子アーン以降です。

古典派の時代には、興行師ザロモンの勧誘によって、今度はオーストリアのヨゼフ・ハイドンが呼び出され「ザロモン・セット」と呼ばれる、12曲の最円熟期の傑作群を生み出したことは、皆さんご存じの通りです。


ここ以降が、見事なイギリスの作曲家空白期でした。

最近少し状況が変わってきたのは、イギリスではなくてアイルランドですが、ショパンの先駆として音楽史的には名前はよく知られていたジョン・フィールドの作品が、現代の若手中堅の著名なピアニストによって取り上げられるようになり、曲自体の周知度が上がってきたことでしょうか。

そこそこ多くの人が知る、イギリスの代表的な作曲家となると、後期ロマン派時代のエドワード・エルガーということになってしまいます。

しかし、エルガーも「まるで聴いたことない」という人が多そう。次の一曲を例外としてね。

「威風堂々」第1番、これこそ「プロムス」最終日ホントの最終曲。

当時のエドワード7世からの「歌詞をつけて欲しい」との要請を受け、イギリス第2の国歌、「希望と栄光の国」(Land of Hope and Glory)たなったのでありまする。

「威風堂々」は、アニメソングにすらなったり、JPOPのカバーが幾人もの歌手で成されていますね。

エルガーで次に多く聴かれている、というかエルガーだと認識すらされないうちに誰もが耳に馴染んでいるのが、

これは若い貧しいエルガーが、ピアノの生徒だったかなり年上の士官の女性との、周囲の反対を押し切っての身分違いの結婚に向けて婚約の際に送った曲。

楽譜の売れ行きは好調だったものの、エルガーには数ポンドの収入しかもたらさなかったというから、契約書に問題があったのだと思う。

エルガーの父は楽器商を営むピアノ調律師であったが、エルガーを個人レッスンは受けさせることができたものの、エルガーの夢であるライプツィヒ音楽院に留学する費用は結局貯まらなかったのである。

そのため、エルガーはかなりの程度作曲を独学で学んだようなところがある。

22歳になった彼は、いきなり精神科養護施設(!)付属オーケストラの指揮者の職を得ている。

さて、この「精神科」のオーケストラとはどういうものだったが?

これは当時の精神医療においてなされていた治療の在り方ともかかわる、非常に興味深いテーマですが、この論考もかなり長くなってきましたし、私も執筆を作業所から図書館に場所を移す必要があり、ちょうどいい切れ目です。

続きは「中篇」ということにしますね。

現在のところ、
「中篇」でエルガー後半生、ヴォーン・ウイリアムズ、ホルストとを扱い、
「後編」でウォルトンとブリテンをできればと思っています。

最後に、実はこの精神科施設でエルガーが作曲した曲を素材として用いた、代表作、交響曲第1番を。






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