「果てしなきスカーレット」の物語における一神教的世界、あるいは神々の黄昏?
以下、この方の記事へのコメント全文です。
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ユダヤ教の神は唯一の絶対神です。
絶対神には「どうしてそうするの?」という「理不尽さ」が必要であり、そうであってこそ、人間に畏怖を生じさせます。
なるほど、モーセに十戒を授けることを通して、神は人間と相互遵守の契約関係に入ったと言えるかもしれませんが、モーセよりかなり前ではありますが、神はアブラハムに息子イサクを犠牲に捧げることを求めた。

それはアブラハムの信仰への「試み」であったと説明できはしますが、それでも、神からの「理不尽な」要求を一端は受け入れろという、「無条命令」が布置されています。
自然災害で、誰が死に誰が生き残るかについての圧倒的「理不尽」性こそが、中東の地に絶対神が信仰される基盤だったと思われますが、「スカーレット」の物語世界でも、神はスカーレットに対する慈悲深い導き手という慈悲深い側面と、父親の死そのものを始めとする残酷な「理不尽さ」を持つ側面があります。
いや、それだけではなく、結局はスカーレットは神に選ばれし「選民」なのであり、彼女を慕う民衆は、彼女の身代わりとなってバタバタと死んで(正確には「虚無に帰って」)いくしかないし、そのことへの罪意識をスカーレットは一身にひきうけるしかない。
更に、火山の溶岩で人々がどんどん死んでいくという最悪描写がありますが、これはそうした人々を死んで仕方ない人々として神が「選別」した過程があるかのようには一切描かれてはいません。
キリスト教にも、「ただ信仰によって義とされる」という前提があり、例えばその人が善業を積んだかどうかの「実績」は「査定」基準にはならない。
更に一歩進めば、そもそも信仰できることそのものが神の慈悲という領域があります(浄土真宗)。
いよいよ神は無条件の非合理的絶対者性を帯びるのですが、殊に日本人の神概念おいては、これはあまりにもピンとこない次元なのであり、それが日本のアニメファンが、「スカーレット」の作品世界が矛盾と不可解だらけや!と感じやすい基盤があると思います。
そもそも、欧米を含むファンタジー世界においても、神は勇者が一定の試練と責務を果たせば、得がたい宝物を与えるという、ある意味で「便利」で「物わかりがいい」存在へと「通俗化」され、鈍らされていることが少なくないわけです。
ところが、「スカーレット」の物語世界の神は遥かに峻厳であり、なるほどクローディアスや彼の四天王の中の人物を雷で滅ぼしはしましたが、実は選民であるスカーレットからもすべてを奪い尽くしている。
父王もいない、聖もいない、そして実はスカーレットのダークサイド、宿敵のようではいたが実はスカーレットと一番よく似ていた「分身」である叔父のクローディアスもいない世界にひとり取り残されたとも言えます。
聖を失った以上、スカーレットには対等な関係になる相手との出会いの可能性は閉ざされた(少なくとも現世では諦めた)わけで、あとは廷臣と侍女と民衆のみが残された。
彼女には血の繋がる皇族すらいないようである。
しかし。
最後の世界には、もはや龍はいないようだが?
「神々の黄昏」が到来し、スカーレットの治政は、もはや人間界のみの世界になったのか?
……そのようにも受け取れるし、また何かあったら、竜が再来する世界なのかもしれない。
……いかがでしょうか?
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