後世の歴史家は、 「『果てしなきスカーレット』」の不入りこそが、日本の決定的な破滅の序曲であった」と記した(「銀英伝」ふう)
「果てしなきスカーレット」、来週打ち切りという情報もある。
とんでもねえ話だ。
そういう流れを、自分の目で作品を観に行ってもいないのにマーケティング的な状況分析とやらをクールにキメっ!!
...…というつもりの連中など、日本を愛してるとも、日本のアニメを愛しているとも言えない。
火山の溶岩に焼かれて死ねか、徴兵取られて真先に死ね!!
ホントは観なかった奴らが「非国民」であったことは「歴史が証明する」。
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いや、これは単に感情的にキレた挑発ではやくて。
今書いたこと自体、作品論の一部。
今の日本は、自分で考え、自分で「現地」に足を運んで判断し、周囲を無視してでも自分なりの行動をリアルワールドでやり遂げない人間が増えた。いわゆる左翼リベラルですらそうだ。
もちろん草の根を地道に積み上げている人たちもいる。
しかし、マスコミの流す情報や政府発表にコロリと流され、それ以上の検証をしないのに唖然とさせられることはしばしばであることは、このnoteでも私は繰り返し書いて来た。
私は昔の「ゴー宣」の愛読者であり、よしりんに繰り返し長文のファンレターを送っていた。
枠の外に、
「八王子の阿世賀浩一郎は参考になる!」
と書いていただいたことがある。
(さすがに現行の単行本では削除されているかな?)
ところが、よしりんが、
「自分の頭で考えろ!」
と言ったことに感激して出したファンレターで、ボタンの掛け違えが生じる。
「ひとりひとりが自分の頭で考えて、ひとりひとりがゴーマニストになるべきなのです」
と私は書き送ったら、私の名前そのものは出さなかったが、よしりんは誌面で逆鱗した。
「そんなことになったら、価値紊乱の相対主義の世界になってしまう」
……と。
私は更に返事を書いた。
わかりやすく言えば、
「タイブレークで勝負して行けば、優れた見解があっさり勝ち残るからその心配はありません」
という趣旨。
こうして、彼に敬意を払いつつも論争勝負から引かなかった私によしりんも一目置いてくれたのだろう。
「ゴー宣読者本」が出た時に、この本に集録された他のファンレター執筆者と共に、都心のホテルに呼ばれて一席振る舞われている。
3D解像度無限大で臭いも嗅げるよしりんは、写真でみるより痩せていて、口下手でシャイな印象だった。
ただし。
他の謝礼はオリジナルテレカ一枚でしたが(笑)
私はさすがに「戦争論」で彼について行けなくはなったが、それでも私なりに敬意をはらっていた。
なぜなら、彼が、相変わらず、彼なりに、「自分の頭で考え」ようとしているのは伝わってきていたから。
彼だって全然オリジナリティはない、やすやすと人の言うことを妄信していることも少なくない、という人も少なくないかもしれないが、岡目八目は簡単なのだ。
どれたけ自分で相手と直接やりとりし、それに基づき自分の頭で考えたとしても限界があるのは当たり前だ。人は一生、目的地への最短ルートは辿れず、右に逸れ左に逸れ、" Long and Winding Road"を歩む以上の存在にはなれないのだ。
いや、そうしかなれないと思っておいた方がいい。
さもないと、成長が止まるばかりか、片寄ったとろで凝り固まったに過ぎないから。
(今書いてること、みんな「スカーレット」の物語と一致するのだが)
よしりんは、「新しい教科書を作る会」に参加するようになって、そこで出会った「保守」「右翼」の人たちが、決してアメリカを悪く言わないことに違和感を抱く。
わかりやすく言えば、連合国自体は批判しないし、日米安保体制自体は批判しないという限界があることが、最後には許せなくなり、「作る会」と袂を分かつ。
この点では、今の高市首相など、もろにそれであり、軍国主義復活を急速に進めてイルカに見えて、トランプのボチとなって嬉々としている。
むしろ、彼女こそ「売国奴」だというのが、左翼リベラルの基本主張になるという逆転が生じている。
なのに「なぜか」支持率は高いまま。
兄王石破に罪を着せて寝首をかいた彼女は皆を「果てしなき地」にいざなうと国民に信用させているのだが。
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いずれにしても、今の日本の左翼の脇の甘さが、今ですら、まだアメリカへの警戒心が足りないのではないかと思えるところだが、もうひとつの欠陥は、こと皇室のこととなると、素朴な崇敬と週刊誌的中傷という、実は表裏一体の所を抜け出せないことだ。
これが露呈したのが眞子さん結婚問題の時であり、殊に、「複雑性PTSD」診断という宮内庁記者会見の時だった。
この宮内庁発表に対して、左翼リベラルのほぼ全部の論客すら、
「眞子さまはそこまでストレスを受けておられたのか、おいたわしや」
一色になった。
ところが、あの時、精神科に限らない、一応まともな教育を受けて来た「たいていの」医師が、本音のところではこの診断に首をかしげていたのだ。
深刻な虐待を長期間受けた末でない複雑性PTSD?
仮にこの診断が正しいとすると、秋柴宮家で眞子さまを深刻な家庭内虐待していたことになるけど?
ところが、ひとつの建前としては、医師(心理士もだが)は、実際に直接会って診察したわけではない患者の診断名をマスコミ等に公言してはならないという掟がある。
しばしばこれを破る困った精神科医がいるわけだが、この時に限って、この、医師たちのマスコミへの沈黙が、気持ち悪いくらい守られた。
これが、たとえ不適切診断であっても、マスコミや週刊誌の過剰な眞子さまバッシングをおいたわしやというラインに一致する限り、日本中の医師と心理士が沈黙したのである。
これで偏見と被害に晒されるのは、本格的に複雑性PTSDの診断を受け、長年真底苦しんでいる人たちの側が、「あ、あの程度のストレスしか受けてなくて、あの程度の症状なわけね?」という差別と偏見にさらされるということを、みんな無視したのだ。
あの時、Twitterの世界でこのことを問題視して一貫してネット上で動き周り続けた臨床心理士は……他ならね私ひとりである。
私、ハーマンの「心的外傷とその回復」
一冊読んだ以外何も知らなかったんだけど、この本、あの中井久夫先生が阪神淡路大震災を期に訳したわけで、数多くの精神科医や心理士にとってトレンドな本の筈だったと思う。
マスコミ各社にもメールでガンガン、この、ホントの複雑性PTSD患者が偏見に晒される危険を書き送った。
同様にリベラル系の有力者たちにも。
しかし、驚くほどの無反応。
一部の、現場で地の塩のように働く医師と心理職の人だけが静かな支持を返してくれた。
その時からのネット上の知り合いは今の私の宝である。
ところが、この診断にマスコミ上で疑問をはっきり呈した精神科医は、和田秀樹氏のみだった。
ほんとうのところはわからないけど、業界では胡散臭い目でみられている先生である。
少なくとも、お書きの本に私は格段魅力を感じたことはない。
私にとって、この時の展開に、ネット上で関与した張本人となる経験が、私の今の左翼リベラルとマスコミへの決定的不信を植え付けた。
そして、まさに、自分が集めたデータを自分で吟味し、自分の頭で考えて、しかもそれが通じそうな仲間になれそうな人を探し続けなていないと、今の日本はたいへんなことになる、という、張り詰めたスタンスの原点になっている。
好きで選んだわけではないが、「キャシャーンがやらねば誰がやる!」である。
そして、実は眞子さん問題以上に変な展開になっていて、そこに今の日本社会自体の危機を、「スカーレット」悪評という、あまりの理不尽に感じるのが、今の私である。
実はまさにそうした危機に対する問題意識それ自体が、この作品のテーマ。
そのことにあまりにも今の日本人が無自覚であるという 残念な現実。
これについては さらに後編を書きます。
