神様が、私に「いざ立て!」と、Goサインを指令された。
昨日は、2つの、私が非常に当惑させられる事態に遭遇いたしました。
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ひとつは、noteでもXでもない、あるSNSの媒体の運営側と、顧問弁護士の指示の下での、全面抗争に入るしか、もはや事態の改善の見込みなしという状況が、ついに抜き差しならならなくなったということです。
つまり、訴訟もやむなし、と、先方に通告文を送りました。
阿世賀浩一郎が、巨大SNSメディアの一つと、法廷闘争に挑みます。
もちろん、和解、解決金という形で収拾すれは、それに越したことはありません。解決金はすべてガザ地区と能登地震被災地区の義援金、精神障碍者の福祉の向上、福祉介護心理職の待遇改善運動の団体に寄付いたします。
ですから、昨日相手方に送った警告文書は、当面オープンなネット上では公開しない、だから穏便に済ませる猶予とチャンスは与える、それもし今後善処しないなら、ネット上のトラブルに精通した私の顧問弁護士の指示のもとで、訴訟を起こすという「最後通牒」でした。
私がそのSNSを捨てることには、もはや未練はありませんが、これは私個人の精神的苦痛の損害賠償などという次元のことではありません。
私よりも無名で、力のない一般の皆様が、私と同じような事態に直面する可能性が非常に高い。
非常に多くの皆様が、この事態で、泣き寝入りしてきた歴史があるはす。
中にはメンタルを病んで、それをきっかけに精神科医に通い出し、仕事を休職し、自死を試みて来たのではないか?
私は、旧満州国からのソ連軍侵入に追われての逃避行の中で、実は満州国のスパイだった祖父が拳銃自殺、残された祖母と二人で大連で足止め、青酸カリを渡させての乞食同然の一年の抑留を経てやっと帰国、市役所の小遣いからたたき上げた亡き父親に「俺なら10回死んでる」と言われたくらいに、メンタルが強靭な人間です。これはフォーカシングを身につけてきたおかげですが。
ですが、普通の人なら、死んでる人もいるよ。今回のような仕打ちをうければ。
これくらいは言ってもいいでしょうが、そのSNS媒体自体からBANされるかもしれない。
BANされたら、訴訟ですという、最後通牒送ったのですね。
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私は、恐ろしく心臓に毛が生えた人間です。
いつ、だれとお会いしようと緊張しない。
私の経歴をnoteでも何回か詳しく書いていますが、もう、フィクションの中の出来事だろ?と言いたくなるくらいなことのくりかえしです。
ご存じのように、東大大学院在籍経験ありですが、別はそれを皆さんの名誉欲やナルシシズムからさらしているわけではありません。
運命の変転の中で、そうなったちゃったに過ぎません。
具体的に言えば、私の指導教授である村瀬孝雄が、私が院生をしていた立教大学から東京大学に突如異動「させられた」。
村瀬先生は、そのことを院生たちに公表する(私は大学院助手が、かなり前に耳打ちしてくれていましたので、寝耳に水ではなく、その日を迎えるまで二か月近くありました。もちろん他の院生には秘密のまま)時、泣き出しました。
「これで私の人生計画は、無茶苦茶になってしまった!!!」
女性院生の何人かが、ショックで泣き出すどころではありませんでした。
その時私がどう立ち回ったかのいきさつ(はっきりいって、えげつないですよ。金は積んでませんが)は略しますが、私は東大に移籍して、先生についていくことが許された、唯一の院生になりました。
「うん、それなら君を連れていけるな」
こういう、「災い転じて福となす」、「人間万時塞翁が馬」、わらしべ長者的展開で、赤門をくぐる東大の村瀬研究室に移れただけです。
共通一次試験を受けていたら到底東大に入れるはずもない基礎学力です(地方大学の学部には補欠合格していましたが、私は東京にある大学に行く決心していたし)。
祖父は東京帝国大学出身で、私も教員養成大学付属小中学校出てますし、かの東大合格者輩出のエリート校、久留米大学付設中学校の受験を、最終的には教師に止められたからやめただけではありますから、まあ、途中経路が変わっただけとも言えますが、少なくとも地元の公立進学校に不合格になり、滑り止めの、不良もいるような、九州大学を浪人でやっと一人輩出するのが精いっぱいの高校で学校生活を送り、法政大学文学部哲学科という、偏差値的にも法政大学で一番低い部類の大学で学生生活送っていた頃には、東大大学院なんて、考えもしない別世界でしたした。
だから、私にも見栄や承認欲求はありますから、東大大学院在籍経験を自慢したり、鼻にかけたくなる時は結構ありますよ。
それを見苦しいという人が結構いるのはわかってます。
でも、
「だって人間だもの!」
というしかありません、
「麦も実れば頭を垂れる」なんていう日本のことわざには抵抗があります。
わたしがそうなるまでにはあと10年お待ちを。
そもそも、私と実際にお会いしたことがある人は、私の腰の低さをご存じと思います。
吉川英治の「我以外すべて我が師」が私の座右の銘ですから。
でも、
せっかく手に入れたブランドは有効活用させていただきます。
おかげで、東京大学心理教育相談室という場に所属できたわけです。
当時は30歳前後だった先輩方が、現在学界でどういうポジションにおられるかはいうまでもありません。
このへんは、
をご覧ください。
もう、心理業界では、今やレジェンドだらけです。
そういう若い頃は結構変人ばかりだった諸先輩方と、アホなことを日常しながらの青春時代の私の記憶は、ほんとうに私の宝物です。
でも、そういう「わらしべ長者」的経緯がありますから、努力と実力でそれを勝ち取ったという実感がまるでない。
洗礼はまだ受けていないのですが、中学時代から、聖書に親しんでいた私は、こうした私のキャリア変遷を、神様の「お計らい」だと思ってきただけです。
神様が、何かを私に、ここぞと言う時に、召命する。
その時のために、精進しよう。
そう心に決めてはいました。
東大佐治守男門下の先輩方に囲まれていた私は、豊富なコネクションに恵まれたわけです。
また、当時は、旧帝大系5大学の心理教育相談室は、まさに「五大学」と称される、年一度の合同合宿研修会を開いていました。
ですからそこで出会ったメンツがとんでもないんですね。
ある年の私の同室が、かの日本における自閉症治療のレジェンドとなった、発達障害の権威の児童精神科医、杉山登志郎先生とタッグを組んで活動していることで著名な、名古屋大学の辻井正次氏でしたが、彼とはなぜか院生時代に同じ場所で遭遇することを繰り返す人物で、その頃の彼は私を小馬鹿にする、ちょっと性格悪い陰険な人物でした。
彼との院生時代の関わりは嫌な思い出ばかりで、カウンセリングの院生にもこんな人がいるんだ、という、それこそトラウマ体験次元ですが。
彼が今や発達性トラウマ障害の権威というのには苦笑してしまうけど、自分がトラウマの被害者だった人がトラウマの権威になるのはむしろ王道の展開でしょうし、発達障害の専門家になる人はちょっと発達障害的なところがあるのかもですが、今の彼は別人と信じます。
再会できたら、きっとおもしろい連携が取れる人物となると思います。
あと、フォーカシングの西のメッカが九州大学、しかも私の実家が福岡県ですから、五大学院生合コン(とまで省略してしまう)以来、九州大学の村山正治先生、あるいは成瀬悟策先生門下の院生とは、若い院生時代からのさまざまな交流のネットワークがあります。今や連中は各大学の定年退官の年を迎えました。
彼ら/彼女らとの交流のエピソードの回想だけで、薄い文庫本一冊レベルの自伝が書けます。
もう一度リンク張りましたが、これを見て、特に心理業界の皆様は仰天されたかと思います。
ウルトラ級の良血、まさに心理臨床業界のアーモンドアイです。


別にこれ、私のナルシスズムで作った記事ではなくて、求職活動の時に、いちいち「業務経歴書」を一枚一枚書くのが面倒になっただけです。
今はネット時代、ここのURLリンクからこれ見てくださいという、ただ、それだけ。
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ほんとうはこれから後半を書きますが、ちょっと状況が切迫していて、緊急の情報発信していく必要がある段階が来ましたので、ここでとりあえずupしますが、最後に、一番私が好きな賛美歌へのリンクだけは張っておきます。
私の信仰は、これがアルファであり、オメガです。

