フォーカシングをリスナー・ガイドと、セッションとして行うことは必ずしも促進的ではなく、弊害もあるのではないか? -セッションからの「反動」現象のリスク-
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— HORIO, Naomi 国際フォーカシング研究所認定フォーカシング・プロフェッショナル (@hn_Focusing) June 15, 2026
共感的な応答は内容には何も加えはしないだろうが、それは対人的な文脈における「対象」であり、同じ内容を一人で感じたり言葉にした時とはまったく違った形で身体を推進する。… https://t.co/Ni3Kwg8L6i
私は #ジェンドリン 自身ほど楽観的な立場ではないです。
— 阿世賀浩一郎@6/28 講演会 YOASOBIと「推しの子」と「マクロスF」久留米石橋文化ホール (@kasega1960) June 18, 2026
1.リスナー付きのセッションは、リスナーに「#気に入られよう」とする心の動きから自由ではないのではないか?
2.フォーカサーのフェルトセンスは #フォーカシング・セッション をしている「#場のフェルトセンス」である。
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故に、生活の困難の #ただ中で 体験し得るフェルトセンスとは質が異なるものになっている。
安全な場でのフォーカシングセッションは確かに円滑に進むが、ある意味で円滑に「回り過ぎる」
このことは、#日常生活 に一人戻ると、そこではセッション内での体験が「#虚妄」のように感じられる弊害も生まないか?
— 阿世賀浩一郎@6/28 講演会 YOASOBIと「推しの子」と「マクロスF」久留米石橋文化ホール (@kasega1960) June 18, 2026
私はこれを「セッションの<#反動>」と名づけて来た。
3、この「フェルトセンスのギャップ」は、特に #自我水準が脆弱 な人の場合、深刻な混乱を招く可能性があるのではないか?
(少なくとも私は、フォーカシングを学んだ初期に、この「セッションでの回りすぎ」ギャップと「日常に帰ってからの虚妄感」という「反動」に翻弄されることを繰り返し、特別な場でのフォーカサーとしてのセッションを嫌うようになった。一人フォーカシングは「誰にも気を使わないでいい」世界である)
— 阿世賀浩一郎@6/28 講演会 YOASOBIと「推しの子」と「マクロスF」久留米石橋文化ホール (@kasega1960) June 18, 2026
#増井武士 先生の「#にせフェルトセンス」という概念は、この現象を指しているというのが私の理解である。
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4.あるいは少なくとも、「いい体験」をするために「セッションのための特別な場」に繰り返し通うが、#日常自体は変化しない という、一種の「#嗜癖」構造を生みはしまいか?
必要なのは、「素晴らしい #フェルトシフト を体験する」ことではない。
— 阿世賀浩一郎@6/28 講演会 YOASOBIと「推しの子」と「マクロスF」久留米石橋文化ホール (@kasega1960) June 18, 2026
そのことの「#中毒」になるべきではない。
むしろ、(実はジェンドリン自身言っているのだが)「そこにあるフェルトセンス」を静かに認め
「しばらく静かにそこに留まる」体験それ自体で十分だと気づくことである。シフト不要。
これは #アン・ワイザー・コーネル の言う、"#ackowledging(気づいておく)"だけで十分、ということであり、はっきりとした洞察は「向かうからやってくる時にやってくる(ジェンドリン「フォーカシング」)のであり、
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しかも気づきの内容は「副産物」に過ぎず、有機体的心身の変化それ自体("unfoldong"ひらけ)ではない(ジェンドリン「人格変化の一理論」・・・「セラピープロセスの小さな一歩」所収)。
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こういう徹底的に「地味」な、「フェルトセンスに触れる」こと「小刻みな習慣化」(究極的には「条件反射」化)だけで、その人は #日々刻々と変化し続ける という財産を得たのであり、フォーカシング・セッションは、それだけでは解決できない時の例外「オプション」とみるべきではないか?
— 阿世賀浩一郎@6/28 講演会 YOASOBIと「推しの子」と「マクロスF」久留米石橋文化ホール (@kasega1960) June 18, 2026
少なくともジェンドリンが理想とした「チェンジズ」的な、電話等で生活の只中で随時活用できるネットワークがない限り「ただフェルトセンスの存在を確認する」だけのことを一人でも大抵の場合できるようになりさえすればいいということを実感できるようなフォーカシングの学び方がもっとなされるべき。
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恐らく、フェルトセンスの「点検」だけで十分と実感できるようになれば、それだけで常時マインドフルネス状態にいるに等しい、基本的に静かな境地だと思う。
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もはや私は、自分のために、「フォーカシングの教示」を一人で #意識的にしてみる ことすら #半年に一度もない。
ほぼ常時フェルトセンスに触れそこから言葉にしていて、行動もそれに委ねている。
— 阿世賀浩一郎@6/28 講演会 YOASOBIと「推しの子」と「マクロスF」久留米石橋文化ホール (@kasega1960) June 18, 2026
こうなると、クライエントさんに接している時も、特にフォーカシングを「活用」しようと意識することすらなくなる。
いや、たとえコンビニの店員相手であろうと、日常会話全体が「フェルトセンスにぴったりの言葉」。
ある意味では、#警備員 や #ファミレスの店員 の方が世のため人のための「純粋な」職業では?とすら思い始めている。
— 阿世賀浩一郎@6/28 講演会 YOASOBIと「推しの子」と「マクロスF」久留米石橋文化ホール (@kasega1960) June 18, 2026
だからまずはそっちで「実際に」稼ぐ方が私の #メンタルの健全性の維持 に貢献するとすら考え、実際そうするわけである。
カウンセラーであることの「#解毒」となるかと。
そして、開業カウンセリングにおいては、後進を研修して私の身につけたことを伝えてしまったら、非常勤として任せてしまい、私は #ライブハウス 兼 #音楽喫茶 兼 #中古ショップ のオーナーになって、客と音楽とオーディオとアニメの話ばかりしている存在となる。
— 阿世賀浩一郎@6/28 講演会 YOASOBIと「推しの子」と「マクロスF」久留米石橋文化ホール (@kasega1960) June 18, 2026
時には私自身がステージに上がって自作の曲や曲やアニソンカバーをやってるわけ。
— 阿世賀浩一郎@6/28 講演会 YOASOBIと「推しの子」と「マクロスF」久留米石橋文化ホール (@kasega1960) June 18, 2026
そうなった時に私は一番「害のない」、社会貢献しているだろうと思う。
いずれにしても。私はフォーカシングを学ぶのに何も一人で困らなかった人間で、フォーカシング関係者がなぜあんなに苦労しているのか「わけがわからない」から、日本のフォーカシングの今後に責任を追うつもり、まるでなし!
— 阿世賀浩一郎@6/28 講演会 YOASOBIと「推しの子」と「マクロスF」久留米石橋文化ホール (@kasega1960) June 18, 2026
そんな「狭い世界」の評判なんて知ったことじゃない!
フォーカシングを「身につけた」自分に何ができるか、どんな未来があるか、神様が何を命じになるか次第で、何でもやるのみ。
— 阿世賀浩一郎@6/28 講演会 YOASOBIと「推しの子」と「マクロスF」久留米石橋文化ホール (@kasega1960) June 18, 2026
私は、生涯「フォーカシングの1ユーザー」(もはやユーザーであることすら、メガネをかけてる程度の無意識的なことだが)だし、フォーカシングを「私物化」する人間。
これは、#親鸞 聖人が、「#嘆異抄」で、
— 阿世賀浩一郎@6/28 講演会 YOASOBIと「推しの子」と「マクロスF」久留米石橋文化ホール (@kasega1960) June 18, 2026
「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。」
と言ってるのと、恐らく共通の意味で。
親鸞の「歎異抄」の精神とパーソン・センタード・アプローチ|阿世賀浩一郎 @kasega1960 #読書の秋2021 https://t.co/wCtfS8asKS

👇続編です。
「害にならない」
リスナーの在り方は、
実はある、
というお話。

