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セラピーとは、一回性の、再現性のない、コートの上での「果たしあい」ではないのか? -村瀬嘉代子の「後継者」としての感慨-

むかしお世話になってた精神科のドクターが「我々は、いや、少なくとも私は精神にかかわる病の専門家かもしれないが、人間の専門家ではない。なので診察室の外で、人生の悩み相談をする相手としては不適切。正直にいうが私は病や人の精神には興味があるが、人間には興味がない。診察室で使うために格言とかはストックしてるが、ほんと人生相談とかはラジオとかに出した方がいい」と言ってて「この人は信頼できるな」と思った(笑)


MT(TC講座運営、C&F協会の人)
@Mocherin

私の考えでは、業界「大関」クラスの精神科医までは、ここでご紹介されたドクターのようなスタンスの先生が「日本に数百人」いてこそ、業界全体のクオリティは健全なものになると思います。

ただし、いつの時代にも「フロイト」や「ユング」や「中井久夫」は、トップにいなければならないと思います。

そうした「横綱」は、恐ろしく博学で、多趣味で、様々な学際的な観点から「人間」というものに深く関心を持ち、探求し尽くす。

文学論も宗教論も文明論も書く。それでよし。

こうした「横綱」自身は、コンスタントに多くの患者に成果を上げる必要すらないと思います。

つまり、「安打製造機」でなくていい。

歴史に残る「有名患者」たちとクリエイティヴな「セッション」(つまり、「共同作業」)を記録に残せば十分。

大失敗からすら、後進はいろいろな教訓を得る(例えば、フロイトとフリースの関係)。

そこから、より平凡な後進は、汲めども尽きぬものを学べます。

私の直接知る範囲では、恩師、村瀬孝雄の奥様、#村瀬嘉代子 先生は、まさにそういう「横綱」タイプの天才だったと思います。

彼女(と、敢えて言わせていただきます)は、業界では「雪女」とすら呼ばれ、アンタッチャブルな危険人物とみる人も多かったです。

「嘉代子先生の事例をまねようとするな、まねられると思うな」は業界の合言葉でしたし、何しろ嘉代子先生ご自身が、「私の真似をできると思わないでね」という意味の発言を交えつつ、ご自身の事例を紹介される光景はよく見られた始末。

クライエントに似合う服を探すために一緒に店に買いに行き、その服を着たクライエントと一緒に遊園地に行って遊ぶ、とか平然としてやっていましたし。

今日の基準で言えば、「多重関係」はいけない、やら、面接室の密室の中で時間を決めて会う「治療構造」が大事、とか、完璧にぶち壊しということを、少なくとも、「このクライエントとは」と思うクライエントとは、やっていたわけです。

(ここで、明らかにそういう処遇をする「特別クライエント」を慎重に「選別」していた点が大事かと。恐らく、それ以外の「たいていの」クライエントさんとは、オーソドックスな枠内を原則守った)

実は、嘉代子先生のような大胆さとスケール感では無理かもしれませんが、私たちも、中井久夫先生が言う意味での、

「患者のために心を込めた<一品料理>」を作ろう

というこころがけが大事かと思います。

つまり「このタイプのクライエントにはこのやり方が有効」というエビデンス主義の「公式化」にばかり従うには、弊害もある。

それは、一言で言えば「平凡な」クライエントさんにはそれで確かに通用する。しかし「才能あふれる、非凡な」クライエントさんに、そのやり方を画一的に適用しようとしても、控えめに言っても限界がある、いや、敢えて言えば、そのクライエントさんの美点を「つぶす」ということです。

エビデンス主義の治療技法には、必ず、変な「民主主義」性といいますか、クライエントさんを「平凡で顔のない一市民」というモデルに適合する方向に押し込め、「矯正」しようという「非対称的な」「権力性」が付随します。

それに対して、ユングは、治療関係を「弁証法的な」ものだと、述べました(林道義訳編「心理療法論」所収の論文のひとつ)。

つまり、セラピープロセスは、ある治療者とあるクライエントが、その「関係性」と「相互作用」の中で紡ぎ出す、同じ土俵に上がっての、「再現性のない」「一回限りの」ドラマであると考えたのです。

このように言うと、実は、われわれ凡俗な治療者にも思いあたるところが出てくるかと思います。

「同じ手は二度と通用しない」 と、実は日々実感してるでしょ?と。

新しいクライエントさんに成果を上げるには、基本的にはひとつのオリエンテーションを守るとしても、「横綱相撲」で済むことの方が実は珍しい。

チャレンジャーとしての自分がどこかで「アップデート」しないと切り抜けられなかったことの繰り返しではないか・・・と。

これは、「クライエントと共に成長する」などどいうきれいごとのお花畑ではない。

ホント、ひいひい言いながら、それまでの自分の実力の105%にまで到達できた時に、はじめて、そのクライエントさんに向けてきちんと「カスタマイズ」できた 専門性の発揮となるわけですね。

「仕方なく」そこまでやるしかなかったということで。

私も年金受給年齢になり、私の流派では「レジェンド」とみなされています。

私は、確かに、ほんの2,3は、後進がそれをマニュアルとして学べば役立つ新機軸を開発しました。

それは今の私の現場臨床でも、かなりのケースでは有効です。

しかし、それを更にアップデートし続けることを「強いてくる」クライエントさんとの出会いばかりです。

正直に言って、そのことには「うんざり」すらしますよ。

そろそろ自分が「確立」した「技法」を、本に書いたとおりに自分でやりさえすれば、エネルギーの燃費はよくなる、となりたい。

しかし、新しいクライエントさんは、そう言うルーティンワークを私に許してはくれません。

私をコートに引きずり出し、あたふたさせ、気がついたら「新必殺技」をゲーム進行中に編み出すしかなくなっていた、という、まさにマンガのような展開しか許してくれません。

だからなかなか最終的な「定番」の技法書なんて書けそうにないです。

「一人のクライエントさんのために必ずひとつはアップデート」 を覚悟して、今日も現場に向かいます。


・・・うまく通じたかどうかわかりませんが、この場で、即興で、私がこれまで言葉にうまくできなかった、すごく大事なことが書けたと思います。

恐らく自分のnoteアカウントで独立した記事としてupします。

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おしまいに、ある講演会で、村瀬嘉代子先生が、最後に語られた、非常に印象的だった言葉を記します:

こういう(講演の)場でも、新鮮な感興と共に言葉を紡ぎ出せなくなったら、私はほんとうに、今度こそ引退してしまうつもりです。

拙書「若き臨床家のために」第23章 村瀬嘉代子先生語録 より

     👆  畏れ多くも、私がなぜ、村瀬嘉代子先生の「後継者」と、敢えて名乗ることに「決めた」、私にとって重要な、でも、心理関係者が読んだら「お前、嘉代子先生にそこまでやったんかいーーー!」とあきれられそうな、私と嘉代子先生とのやりとりを後半に収録しています。
 ただし、それを十分に理解していただくためには、前半のYOASOBI「群青」レビューをお読みいただいた上で、の方が、はるかに説得力が出る、という、ちょっと変わったエッセイ。

「阿世賀さん、エースをねらいなさい」
(嘉代子コーチが息を引き取った後の、飛行機で飛びたつ私の脳内再生)


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