[コラム] (9)心内修復術再び… 【21番目の軌跡―ダウン症の男の子と家族のゆかいな日々―】
⚠️️術後の赤ちゃんの管だらけの写真とか傷跡の写真など載せます。苦手な人はご注意ください。
心内修復術を終えて一般病室に戻ってからちょうど10日目。
息子の容態が急変した。
ミルクが全然飲めない。
呼吸が早くて浅い。
ハカハカしてる。

先生!! 息子がハカハカしてるっ!!!
息子が生まれてすぐのときから循環器の先生が再三言っていた「呼吸がハカハカした状態」を、私はまさに目の当たりにしてるのだった。
その日は循環器の主治医の先生がいなくて、別の(循環器の)先生が病棟にいた。そちらの先生もすっかり顔なじみではあったけれど、無精ひげで強面の口数の少ない先生だった。
息子の様子を見た先生は聴診器を取り出し目をつぶって息子の胸の音を聞いていた。
そして目を開けると、「すぐレントゲンを撮ってエコーします」と言った。
異変を察知した看護師さんが覗きに来た。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃないかも」
という会話が聞こえてきた。
「お母さん、まずは何が起きているか検査してきます。待っててください」
普段はぶっきらぼうで適当な感じに見えていた先生が本気モードになっていた。実はめっちゃできる先生だったのだ。
温和でいつもニコニコしてる息子の主治医の先生と、ひげの強面先生のコンビとか、なんでしょう、このドラマ感!!!
…って妄想してる場合じゃありません。何が起きてるのかわからない私はソワソワしながら息子を待った。
同室のお母さんが「どしたの?」と声をかけてくれたので、「ハカハカしてて連れていかれた…」と答えたら、「そうか…心配だね…でも先生がいるときに気が付いてよかったね」と言ってくれた。
とにかく私は同室のお母さんたちにもたくさん助けてもらっていた。
◎カテーテル検査
エコー検査から戻って来た先生はこう言った。
「手術で一度閉じた穴が再び開いてしまった可能性があります」
今後の治療の方針を決めるためにカテーテル検査をやることになった。
ここで主治医の先生も来たんじゃなかっただろうか。
心臓カテーテル造影検査。心臓や血管に2mmくらいの細い管(カテーテル)を入れて圧を計ったり、造影剤を注入して体の内部をより細かく見る検査である。
当時の資料に先生の手書きでこう書かれている。
術後2週間、残存する心室中隔欠損↑。肺高血圧↑。レントゲン。心拡大。肺うっ血。呼吸が浅い。哺乳が〇〇(読めないw)。
残存する心室中隔欠損が大きい→左室-右室への血流↑↑
肺高血圧↑→肺血管拡張、血流を増やしてしまう可能性あり
今後の治療方針を決定するためにカテーテルでの検査が必要。
血流が多い場合は再手術も考慮。
検査の前に何ページもある説明書を駆け足で一緒に読み、同意書にサインした。
身体の中に機具を入れる検査なのでレントゲンとかエコーなどとは危険度が違うのだ。
最悪の場合は死亡のリスクもある検査。
心疾患のある子にとってはわりとお馴染みの検査かもしれないけど。
ここで、外科の先生もやってきた。執刀医ではなくて、傷の様子などを普段見てくれてる若い方の先生である。
息子は睡眠薬を飲まされてぐっすり眠ったところで検査を行う部屋へ移動。
記憶がとても曖昧なんだけど、カテーテル検査は手術室でやるので、そこまで一緒に入ったような気がするんだけど…。
そんなことあるかな? 夢だったのかな???
意外と狭い部屋だった記憶。
◎心臓手術、もう一回…だと?!
カテーテル検査から戻って来た息子は、経過観察室へとお引越しした。
※看護師さんが24時間常駐している部屋。
「再手術を検討しています。お父さんっていつ来れます?」
検査を終えた先生がそう言った。
息子は血液中の酸素濃度が下がってしまって、ちょっと強めの酸素吸入をしていた。
ぼんやりと目を覚まして元気がない。
写真を見返すと、確かに顔色がとっても悪い。

夫が来たタイミングで、再手術が必要な旨が告げられた。
閉じたはずの穴が開いてしまったのだ。
手術は急遽翌日に行われることになった。
忙しい執刀医の先生が空いていたのは奇跡かもしれない。
夫は一旦帰宅し、翌日来院することになった。
息子は経過観察室で過ごし、私はこれまでいた病室に泊まることになった。
息子はベッドに大の字で寝ていて、調子は良くなさそうだった。

私は自分が泊まっている病室と経過観察室を行ったり来たりしていた。
手術の後は一旦帰宅しないといけないので、荷物をまとめたりもしないといけなかった。
同室のお母さんに「明日手術になっちゃった~」「ありゃりゃ… 大変だね💦」とか話をしてたと思う。
なんとなくノリの軽い循環器小児科の母たち…。
・翌日
夫の到着後、執刀医の先生から手術の説明を受けた。
内容は前回とほぼ同じ。
資料には次のように書いてある。
病名および術式は、完全房室中隔欠損に対する心内修復術後、遺残心室中隔欠損修復。
心室中隔欠損の遺残が悪化。肺および全身の悪影響が出てきています。
前回の手術より臓器の癒着が進んでいる可能性もあり、大量出血の可能性もあり。
人工心肺を取りつけ後、心臓を止めて心内を修復。
人工心肺を使うと臓器がむくむことがあり、場合によっては胸骨を開いたままICUに戻ってくる可能性もあり。
…肋骨パカの恐怖再び…。
弁の逆流は相変わらず残る可能性大。
心肺を停止する時間は1~2時間。全体では7~8時間の手術となる予定。
術後はICUに入り、3~10日で一般病棟に戻れるかな?
一般病棟に戻ってからは30~40日程度で退院予定。
・・・
…ふむ。前回の手術よりかかる時間が少し短いくらいでだいたい同じ説明だった。
「際々を縫うことになると前回説明しましたが、際すぎて外れてしまったようです」
先生の説明が終わり、お馴染みの何枚もの同意書にサインをした。
こっちを縫ったら心臓が動かなくなり、こっちを縫ったら大丈夫…みたいな世界の話だ。
心臓が動かなくなる方の話ではなくてよかった…と私は思った。
どんなにネガティブな内容だろうと、最悪の想定を事前に説明することは、脅しなどではなくて、非常に大切なことなのだと実感する。
・いざ再手術へ
説明が終わると、その足でICUに向かったのだっけ?
息子はICUのベッドで既に眠っていて、循環器の主治医の先生とひげ強面の先生、外科の若い方の先生、麻酔科の先生、看護師さんがずらっと息子を囲んでいた。
「では行ってきます」
執刀医の先生が言った。
ア、アベンジャーズ…。
ヒーローズがそこにずらりと並んでいるように見えた。
私はこんな事態の時でも脳内がSFになってしまうのだった。
息子はICUから手術室へと入り、私たちは家族待機室へと向かった。
ここで人によっては病院側の失敗と判断して、物申す人もいるかもしれない。
だけれども、この事態はある程度想定内であった様子だったし、心臓手術では日本の最先端ともいうべき場所でこうなったのだから、別の病院や別の先生だったら…もっと悪い結果になってた可能性もある…。
それに、起こってしまったことにとやかく言ってもしかたないし…という気持ちだった。
先生たちは迅速に動いで最善の方法で対応してくれている。任せるしかないじゃん。
私達夫婦の意見もそれで一致していた。
家族間でここの考え方のズレなどあるとめっちゃ大変だろうな…と今思い返している。
・トワイライトゾーン待機室
待機室には最初は何人か手術が終わるのを待っている人たちがいたように記憶している。
ただ、今回、私達は普通よりも手術の開始時間が遅かったので、徐々に人数が減っていき、最後は私たちと、ひとりのおばさんだけになった。
いつのまにか夜になっていた。
おばさんは、待機室の手前の廊下でずっと誰かに電話をしていた。
彼女は困っていて少し怒っている様子で、大きな声で話をしていた。
私は夕方くらいから片頭痛に襲われていて、薬を持ってなかったので吐き気と頭痛と戦っていた。
※わりとしょっちゅうなるやつ。
そんな中で手術完了のお知らせはなかなか来ず…おばさんのお怒りも白熱していった。
おばさんの声がガンガン頭に響く。
ちょっと静かにしてほしい…と思ったけど、おばさんも相当まいってるみたいで、かわいそうだった。
そんなおばさんに少し黙ってとは私にはとても言えないのだった。
ここにいる人たちはみんなそれぞれ戦っているんだな…と思いながら私は耳を塞いで横になった。
日常からかけ離れた変な世界に迷い込んでしまったようだった。
時空が歪んでいるような。
ああ…早く終わってほしい…。
そう思って耐え忍んでいたら、やっと手術終了のお知らせが来て、私達は待機室から出ることができた。
・ICU
ICUに向かうと、先生から手術は無事成功した旨が告げられた。
「今度は外れない」
あらゆる可能性を考えて、いいかげんなことは言わない先生がそう言っていた。
息子はぐっすりと眠っていた。
肋骨パカではなかった。

でたこれ。
なんかものすごい既視感。
いや、既視感ではない…この間めっちゃ見たばっかり…!!!
はい、点滴ずらーっと。

もしかて、私たちループしてる!?
このままずっとこれが繰り返されたどうしよう~とかアホなことを考えていた。

↓こちらは術後2日目の朝。呼吸器つけてるけど目が開いてる。目が開いたまま寝てるのか、起きたのかは記憶があいまいだわ…。

↓その日の夕方にはこういうのになっていた。
ぺろぺろしない!

今回は5日間ICUにいて、一般病室に戻った。
酸素はついたままだったけど、ドレーンは抜けた状態で戻ることができた。
依然として乳び胸なのでMTCミルクは続行。。

ここから、一般病棟に移ってからが結構長くて、書くこともいっぱいあるので、最初は記事をわけようと思ったけど、私的には地続きのできごとなので、一気に載せたいと思います。
長くなるけどよろしくね。
◎術後の入院生活
・声が出ない
一般病棟に戻って息子の声が出ないことに気が付く。
お腹がすくと泣くんだけど、声が出てない。
全身麻酔をしたり、呼吸器入れたりすると一時的に声が出なくなる場合があると聞いていたのでそれかな?? と思って先生に聞いたら、そのうち出ます、とのことだった。
それから、息子の声は次第に出るようになったんだけど、最初のころはガラガラ声でまるで怪獣みたいだった記憶。
声がれはいつのまにか治ってんたな。
・人が減っていく病院
このころ、病院ではいろいろ大人の事情があって、先生や看護師さんたちが軒並み辞めていってしまう時期だった。
新規の手術の受付も停止となり、新しく入院してくる人も徐々にいなくなった。
執刀医の先生もゆくゆくは病院を去ることになった。
息子が退院するまで見届けられなそう…ということで先生は残念そうだった。
でも手術のない病院に、本来ならたくさんの命を救える先生がずっといてもしかたないのだ。
子供達の命を救うために先生は新しい場所へと旅立って行った。
術後の傷の経過は前から見てくれていた若い外科の先生に引き継がれた。
この先生も、息子の傷が問題なくなったころには病院を去っていくことになっていた。
長期で入院するような子は入って来なくなって、元から手術が決まっていた子たちや、検査入院の子たちがやってきては退院して行った。
病棟がだんだんとガランとしていった。
病院がガランとしてくると、ちょっと怖いんだよねww
その時のことを以前書いた記事あるのでよかったら読んでみてください。
ホラーですww 泣ける話もあるよ。
話を戻そう。
そして、ついに同室だった子たちも退院してしまって、私と息子は4人部屋を貸し切り状態で贅沢に使っていた。
病棟にはもう一人だけ入院している赤ちゃんがいたんだけど、そちらも、もう一つの4人部屋を貸し切って使っていた。
部屋にうちらだけだと気を使わなくていいんだけど、寂しいのよね…。
4人部屋を贅沢使いの図。


このあと、他のベッドも移動しちゃって、がらーんとした部屋に住んでた時期もある。
夜の病院。
ちょっと怖い。

ボロい病院。
かなりの昭和臭。

赤ちゃん用お風呂。
暗くて怖い。

酸素のチューブのライフハック。

わりとずっと酸素をしてたんだけど、チューブがずれないようにほっぺにテープで止めてるとかぶれて来ちゃうのね。
そしたら、同室のお母さんが、ストッキングで固定するといいよ、と教えてもらってやってみた図。
チューブを引っ張らない子だったらだいぶよいかも。
うちの子はこれだと自分で外しちゃうのでダメだった。
点滴。
赤ちゃんの点滴は外れたりしないようにガッチガチに固めている。

この状態を我々は かなたんバズーカ― と呼んでいた。
※息子を かなたん と呼んでいる。
これで寝てるときとかにゴスッとか殴られるんだけど、めっちゃいたい。
こっちはかなたん足バズーカー

子供達が遊べる部屋に、めっちゃうんこあった。

このプレイルームでは子を転がしておけるので気晴らしになった。
他の親子も来たりするのでお喋りしたりしてた。

薬の量がやばい。
点滴で入れている薬もあったけど、飲ませる薬も大量に。
最初の入院の時の記事に書いたけど、こういうケースに入れて管理する。

これが1回で飲む量。
朝夕の2回だったかな。

朝と夕で飲む種類が違ったりして、ポンコツ母ちゃんの私は時々間違えてた…。
気をつけましょう…。
これは、心臓の様子をモニターするポータブルの機械なんだけど、ボランティアさんたちが袋を手作りで作ってくれていた。

他にも読み聞かせに来てくれたり、いろいろなイベントをしてくれていたよ。
ボランティアさんが飾ってくれた七夕。
ひときわクセの強い私の短冊ww

・はじめての離乳食
なんと息子の初めての離乳食は病院食だったのだ!!

看護師さんに教えてもらいながら、恐る恐る息子の口に粥を運ぶ。
息子は「なにこれ??」って感じでぺろぺろしはじめて…ぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろと、めっちゃぺろぺろした。
そして、口の中にいれたお粥が全部出てきた。
それを拭きとる…。
それの繰り返しだった。

だんだん口をあけてくれなくなったので、唇に塗ってるだけになった。
それを息子がぺろぺろして広げるのでふき取る…という作業。
これは、何をしてるんだ??wwww
となった。
乳び胸でMCTミルクが続いていて、飲むとゲボする日々だったので食べてくれると助かるのに…と思いながら息子の口に粥を塗っていたと思う。
あまった離乳食は私が食べていた。
けっこう美味しい。
◎術後の発熱
術後、しばらくしたら、息子の熱が下がらなくなった。
39度台がずっと続く。
手術の後はわりと熱が続くものなんだけど、それとはちょっと違う雰囲気だった。
アイスノンを常にしいて耐え忍ぶ息子。

血液検査の結果、炎症を起こしてる値が高く、どうやら細菌感染をしてるらしいことがわかった。
手術の時はいろいろな管が身体に入るので、そこから感染しやすく、しかも免疫も弱まるので悪化してしまうことがある。
「感染場所を探っています。まずはあたりをつけて抗生剤を投与して治療を進めます」
という説明。
先生は肩あたりまで細い管を入れている点滴が怪しいと思ったようで調べたけれど、そこには菌はおらず…。
数日たってようやく、「わかりました!! 尿路感染でした!!!」 と報告に来てくれた。
手術中と術後直後はちんちんに管をいれておしっこを取るんだけど、そこに細菌がいたようだ。
赤ちゃんが手術した後の細菌感染って、すごく危険な状態になることがあるので、内心先生は焦っていたのかもしれない。
特に心疾患のある場合。原因が分かって先生は本当にほっとした様子だった。
感染場所がはっきりすると、抗生剤の種類などもピンポイントで効くようにできるのかな??
詳しくはわからないけど、炎症を起こしてる場所が特定された後は、するする~と熱が下がった記憶。
◎初めてのリハビリ
前回の記事を見てもらうとわかるのだけど、手術の前は寝返りもできてうつ伏せもできた息子。
手術をしたらできなくなってしまった。
傷が痛いからかな…とも思ったのだけど、念のために先生に聞いてみた。
「筋力が落ちちゃったのかもですね。リハビリ受けられますけどやります?」
傷の具合からしてもうつ伏せしてももう大丈夫とのことで、早速、理学療法士の先生が派遣されてやってきた。
さすが大学病院。院内で赤ちゃんのリハビリもやってるので話が早かった。
なお、理学療法とは、寝返る、起き上がる、座る、立つ、歩く、など、体の基本的な能力の回復や改善を目指して動作訓練をするものである。PTと言われたりする。
怪我したりしてもやるやつ。
時に乳幼児は病気やケガなどがなくても、ハイハイや歩行に心配な点がある場合、申請をして認められれば誰でも低額でリハビリを受けることができる。
小児理学療法士さんはダウンちゃんの身体の動きにも精通しているので、話を聞くだけでもとても興味深い。
息子の初めてのリハビリの先生は人懐っこくてかわいい女の先生だった。
先生が言うには、やはり術後に筋力が弱ってしまっているようだとのこと。
「まずはうつ伏せで上半身を持ち上げる力をつけていきましょう」
先生は息子をゆっくりとうつ伏せにすると、目の前にスロットのようなものがついた赤ちゃんのおもちゃを置いた。

息子はうつ伏せになるのは嫌そうだったけど、おもちゃが気になってがんばって顔をあげた。
「こうやって、顔あげてさらに腕を伸ばして遊べるものを置いて筋肉をつけていきましょう」
かわいい笑顔で先生は意外とスパルタだったww
ぼくもういやでちゅ…。

こうして何度か先生に来てもらって息子の身体の機能を見てもらえることになった。
ダウンちゃんて、口があいてベロ出てたり、寝てても目が半開きだったりするんだけど、それらも筋力が弱いからだと教えてもらった。
なるほど体の全てはそうやって繋がっているんだね。
◎お引越し
入院している間に大掛かりな引っ越しがあった。
我々が入院していたのは、写真でもわかるとおりにかなりボロいビルだったので、耐震&耐久工事が入るとのことで、道路を挟んだ向かい側の病棟に移ることになった。
この時点で循環器小児科に入院していたのは赤ちゃん2人。
向かいのビルに入っている普通の小児科に合流することになった。
引っ越しと言ってもそんなに荷物もないし、すぐに完了。
循小から来た私たちは2人部屋で同室となった。
こちらの病棟は部屋はだいぶ狭いけど、すごくきれい! 新しい!!!
廊下出てすぐ自販機ある!!!
ずっと同じ部屋に閉じ込められていた私たちも心機一転な気持ちになった。
同室になったお子さんも息子と同じくらいの月齢で、別の疾患だけどうちと同じくらい長く入院している人だった。
これまで部屋は別々だったけど、何となくずっといるのはわかっていたので、ちょっと家族のような感覚があった。
それから看護師さんも、循小の病棟からはひとりだけ異動してきて、彼女も少し心細そうだった。
循環器小児科からやってきた私たちと看護師さんはまるで同郷の者のように身を寄せ合った。
循環器の先生が来るとなんだかすごくほっとした。
新しい病棟は少し勝手は違うけど、そちらの看護師さんたちもとても親切だった。
こちらには、様々な病気を治療しているお子さんたちが入院していた。
わりと大きい子が多くて、赤ちゃんはうちらだけだったので、他のお母さんたちが、萌え~となっていたのを思い出す。
◎酸素が取れない問題
息子の術後入院は長引いていた。
そのひとつの原因としては酸素が低いことだった。

心電図と同様に、血液中の酸素濃度を測るサチュレーションも常につけてモニターしてたんだけど、それが酸素を吸わない状態だと80%台に下がってしまう状況だった。
90%を切ると呼吸不全と言われて、96%以上ないと正常とは言えない。
息子は何度もエコー検査を受けて心臓内の血液の流れを観察されていた。
ちなみに、エコー検査って1時間くらいかかるのだけど、その間じっとしていなくてはならず、トリクロリールという甘ったるい匂いの眠くなる薬をよく飲んでいた。
これを息子が嫌いで、口に注入するとべろべろして出しちゃうのでそこら中甘い匂いでベトベトになって嫌だったな~^^;
酸素つけたままの退院もありうる…ということで、ソーシャルワーカーさんに話を聞いた。
酸素つけたままということは、酸素ボンベを常に持ち歩くことになる。
病院では壁から酸素が出て来るという便利機能があり、移動するときはでっかい酸素ボンベを移動用コットに装着して使っていた。
家に帰った時は、家庭用の小型の酸素ボンベがあり、機器のレンタルや補充などは保険適用でやってもらえるとのことだった。
とりあず、いろいろついたまま退院してもなんとかなる制度があることがわかりホッとした。
※結果として酸素は持ち帰らずに退院できた。
◎小児科がやってきた
さて、懸念されていた部分が徐々に回復し、いよいよ退院か? というタイミングで小児科の先生たちがやってきた。
小児科は循環器小児科とは別で、発達を見てくれる先生たちである。
ダウンちゃんということもあるので、退院する前にひととおりの検査をしたい、とのことだった。
それをすると入院がまた1週間くらい伸びることになる。
これのために外来に来るのも面倒だし…全部やってもらうことにした。
脳波のテスト。

てんかんのチェックも。
ビガビガしてる。なんかウケる。

聴覚検査。
でっかいヘッドホンつけて寝てる。
なんかウケる。

あとは、CT撮ったり、MRIやったりした。
どちらも私は入れなかったので写真はない。
MRIの部屋の前からゴウンゴウンすごい音がして怖かったな。
どれもこれも私がやったこともない検査を息子は0歳にして一通り全部やったのだった。
それで、結果の説明がちょっとふわっとしていた記憶。
資料などはなくて口頭での説明だったような。
てんかんの症状はなし。
左脳だか右脳だかのどちらか忘れたが、どちらかが少し小さい。だからと言って何ということはないようだった。
視力はまだ測定不能。
聴覚に異常あり、難聴の可能性あり。
聴覚に異常!?
ここに来て初耳なんですがっ!?
たしか新生児のときに、循環器の先生が聴覚スクリーニング検査をして問題なしと出てたはずだった。
先生に確認すると、やはりその時は問題なかったとのこと。
どうやら、ダウンちゃんなど発達がゆっくりな子は、反応がなかったりして難聴と診断されることも多いらしい。
成長と共に変化していく可能性があるので、念のために定期的に耳鼻科で聴力検査しましょう、ということになった。
聴力については、ここで書くと長くなるのでまた今度ね。
◎退院
こうして息子は小児科の検査も全て終えて無事退院することができた。
全部で50日の入院だった。
退院直前の傷の様子。
だいぶよい。

・入院費用について
入院費は食事代のみの支払いでよくて、数万円だった。
もしも保険が適用されてなかったら…値段を見てびっくり 1,200万円くらい!!!
心臓手術は保険制度が完備されてるので実費でやることはないらしい。
乳幼児だったので医療費は全額助成だったけど、これ大人だったら数百万かかるのね。
高額医療制度を使ったとしても月ごとに計算なので、月をまたいで入院するとかなりの負担になってくる。
高額医療制度の自己負担額引き上げとかマジでダメぜったい。
こうして私と息子はやっと自宅に帰れたのでした。
息子がICUにいた数日間を除いて、約50日間、自分が入院しているのではないのにずっと病院に寝泊まりするのは思いのほかしんどかった。
同室のお母さんたちがいなかったら本当にやばかったかも。
たくさん力をもらいました。楽しい会話もたくさんありました。
それから看護師さんにもものすごくお世話になりっぱなしで。
わからないことは全部教えてもらった。
先生たちも信頼できる人ばかりで、息子はいい人を引き寄せる能力でも持っているのでは…?と思えてならない。
あと、息子もかわいくて、どんな時もコミカルで私は彼にも助けてもらったよ。
(つづく)
(10) 退院後の生活&あとがき的な →
