[コラム] (3)地獄の産後入院 【21番目の軌跡―ダウン症の男の子と家族のゆかいな日々―】
息子が救急車で出発してからしばらくして、旦那さんから無事向こうの受け入れが完了したとの連絡があった。
そして、なんと、息子を抱っこしたとのこと。
なぬーーーーーっ!!!!
私まだ抱っこしてないのに!!!!
ずるい~!!!wwww
病気の子を扱うところだから、産婦人科よりもっと厳しいのかなと思ったけど、どうやら、転院先の方が、出産した病院よりゆるいみたいだった。
保育器から出されて普通の赤ちゃん用ベッドで寝ている息子を、触っていいのかわからず見ていたら、看護師さんが来て「抱っこします?」と言ってくれたそうだ。

とりあえず、容態は安定しているらしく、ほっとする。
こうして、息子と私、親子別々の孤独な入院生活が始まった。
旦那さんは、仕事終わりにまずは息子の面会に行き、その足で私の方へ来るというハードな日常を送ることとなった。
旦那さんからは毎日息子の写真が届いた

鼻のチューブは、胃まで入っていて、ここから薬を入れたり、飲みが悪い時にミルクを注入するのに使っている。反対にここから胃の中のものを吸い出してちゃんと消化できてるかの確認もするのだ。

なんかSF的な写真も送られてきた。
何これw

黄疸の治療だそうです。
産後入院の私のやる事と言えば、赤ちゃんがいないので、ひたすら寝て体を休めご飯を食べること。
体を休めなくちゃとなるべく寝てようと思うのだが、そうすると頭がギンギンに稼働してしまって、眠ることはなかなかできなかった。
赤ちゃんに会いたい…!!!
遠く離れた息子のことを考えると、胸が張り裂けそうになり、私は独りシクシクと泣いた。
いわゆる母子分離による極度の不安状態である。
息子の容態も心配ではあったけど、それよりなにより、そばにいないことが私の心を激しく乱していた。
息子は日本で一番といえるくらいに安全な場所でしっかり診てもらってると頭ではわかっているのに、感情が暴走してしまう。
理性では抑えきれない本能に私の精神は押しつぶされそうだった。
よく物語で幼子を奪われて発狂する母親が描かれるけど、あれは決して大げさなものではなかったのだ…と身をもって知った。
まさに、「私の坊や〜っっ!!!きょえぇぇぇ〜っっ!!」の状態。
血圧も、普段からは考えられないほど高くなってしまった。
助産師さんや旦那さんが来て話をしている間はなんとか大丈夫なのだが、独りになるとヤバかった。
このままではまずいぞ、私、発狂するかも…。
今にもぎょえ〜っ!と叫び出しそうな自分をなんとか制御する。それは、胸の中で暴れ狂う母龍を、必死で押さえ込むようなイメージだった。
と言っても、産後には少なからずみんな情緒不安定になるのも知っていたし、この状況なので錯乱するのは当然よね、と、どこか恐ろしいほど冷静な自分も同居していた。
メンタルケアの先生が心配して何度か様子を見に来てくれたけど、よくある産後の理由なきウツ状態とは違うと判断してくれて、わりとほっといてもらえ、それも助かった。
優しい言葉で悩み相談とかしてたら母龍がお目覚めになりそうだったので(^^;
今私に必要なのは、とにかく気持ちを落ち着かせること。そして理性を心に留めておくことだった。
それはライブのステージ上で極度の緊張と興奮で頭が吹っ飛ぶのを押さえる作業に似ていた。
これならできる…と私は思った。
離れて行ってしまいそうな冷静な心を自分の中にとどめる作業。
果てしなく長く思えるこの産後入院をどうやって乗り切るか、私はいろいろ試すことにした。
昼間は同室のお母さんたちのところに面会の人が来たりして話し声が聞こえたので、盗み聞きして気を紛らわせていた。
十人の母がいれば、十の悩みがあるのだ。みんな戦っている。そう思うと心強かった。
夕食も終わり夜になると、病棟は静かになる。時々聞こえてくる赤子の泣き声。
ここから朝までが勝負である。狂気が暴走する魔の時間。
一番効果があったのは、ゆるーい音楽を聴きながら、息を吸ったり吐いたりに集中すること。
私は瞑想がうまくできないんだけど、DJをしている友人が瞑想用に作った1時間くらいのミックスがあって、私はひたすらそれを聞いていた。
その曲を聴きながら思考を止めるのだ。息を吸ったり、吐いたり…それだけに集中する。
これで数時間はやり過ごせた。
Yumiiちゃんに本当に救われたよありがとう。
それでも心がザワザワし始めたら、読書も効果的だった。なかなか物語に集中できなかったけど、なんとか本の世界に気持ちを持って行くようにして感情をコントロールした。
血圧が高くなってたので、あまり目を使わないようにと言われてしまってそんなに読めなかったけど。
あとはもう、ユーモアを持って現状を観察すること。
ユーモアを忘れてしまったら人の心は簡単にポキリと折れてしまう。
この状況を面白おかしく人に伝えられる心持ちを忘れないように努力した。
こんな感じで亀のようにノロノロと進む時間をやり過ごしていると、オッパイが痛くなってきた。
その頃合いを見計らったように助産師さんがオッパイの様子を見に来るようになり、そろそろ出してみましょうか?と言った。
出産から3日たったので、ちょうど出始めるころだとのこと。
ん?ちょっと待て、いま3日って言った?
息子が転院してからまだ1日しか経ってないのかっ!?
もう何日も過ごした気でいたけど…これはとんでもない精神と時の部屋に迷い込んじまったぞ…。。
動揺する私を尻目に助産師さんが私の乳首をぎゅーっとつねった。
いたぁーー!
その激痛!!!
ぎゅーっぎゅーっぎゅーっ!!!
乳搾りの儀。
その痛いこと痛いこと。
入院生活の日課に、オッパイをつねられる痛みに耐える、という苦行も加わった。
痛みに耐えた効果あり、私の乳は無事開通した。
と言っても飲んでくれる人がいない。
赤子が側にいなくても母乳はどんどん作られるので、私の乳はすぐに石みたいにカッチカチになり氷で冷やさないと耐えられないほどの激痛が伴うようになった。
それを搾乳機で絞るのだ。
でっかい吸盤みたいなパーツがついた道具。
絞った乳はいわゆる初乳と言われるやつで、大事な成分がたくさん含まれているので、出たのであれば赤子に飲ませたいものである。
それを母乳パックという専用のパックに入れて凍らせて赤子に届けてもらった。
私はせっせと乳を搾り、赤子に届けた。
まるで牛になった気分だった。
とにかく知らないことだらけだ。
さて、ここでもう一つの課題が。
息子の名前である。
出生届は、生後14日以内に受理されればOKなので、名前はのんびり決めようと考えていたら、出産した病院でも転院した病院でも赤ちゃんの保険証と乳児医療証が必要で、なるべく早く揃えた方がよいと言われた。
無くても後から手続きしたりも可能だけど、先にあった方がスムーズだと教わる。
※こういうことは病院のソーシャルワーカーさんが丁寧に教えてくれた。
こりゃ、大変、名前を決めなくては…!!
妊娠中にいくつも候補を考えてはいたのだが、顔を見てどれもピンとこず。
旦那さんから送られてきた息子の写真を見ながら、考える。
※命名は私担当な我が家。

そして閃きのように降りてきた名前。
カナタ!!!
君はカナタだ!!!

こうして息子の名前は決まった。
旦那さんが出生届を出し、無事に保険証と乳児医療証もゲット。
乳児医療証という名称も初めて聞くほどに無知だった私…。
外では雪が降っていた。かるく地震もあった。
私は窓の外を眺めて息子がどうしてるか想像しながら日々を過ごした。
他のお母さんたちが数時間おきの授乳に疲労困憊となっている横で、私は食べては寝てメキメキと体力を回復していった。

産後の戻りもよく、赤ちゃんに会いたいだろうと気を使ってくれた先生が、もう退院してもいいですよ、と言ってくれた。
たしか出産から4日目くらいだったと思う。通常は1週間入院する。
そのことを助産師さんに告げると、助産師さん的にはまだ乳が出きってないから退院させたくない、との意見だった。
まだ外に出る準備ができていない雛鳥を野に放つような気持ちだったのかもと今思う。
うーん、そう言われたら私もまだ不安だわ…でも息子にも会いたいし…。
私の中で早く退院したい気持ちと、もう少しお世話してもらいたい気持ちがぶつかり合い、思考がショートしそうになった。
そして血圧もうなぎ上りに。薬で抑えないといけないレベルになってしまった。
というわけで、自動的に即退院の話はなくなったw
体がもうちょっと入院しとけと判断したのだろう。
こんな風に私は産後入院を過ごしていた。
時間は遅々として進まず、今までの人生の中で一番長く辛い1週間だった。
まさに精神世界の戦い。この戦いを生き延びた私は、これからどんな試練が待ち受けようとも、乗り越えていける気持ちがした。
そして確信した。
ユーモアが人を救う。
出産から1週間。晴れて私は退院した。
(つづく)
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