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[コラム] (2)心疾患とダウン症~赤子の転院 【21番目の軌跡―ダウン症の男の子と家族のゆかいな日々―】

← (1) 陣痛から出産

出産を終え、ほっとしたのもつかの間。
助産師さんたちの様子が何かおかしい。

産まれたばかりの息子は分娩室の片隅で台に乗せられ、ピッピッピッピッと何かの数値を計測されている。

向こうの方で、助産師さんたちが「小児科の先生を呼びました。1時間くらいで来るそうです。」と言っているのが聞こえた。

うーん??先生が呼ばれたのか???

「ごめんなさいね。本当は赤ちゃんをお母さんのところに連れて来たいんだけど、今ちょっと処理をしてて、赤ちゃんの安全を考えてお母さんの抱っこは後にさせてください。」

助産師さんが言った。
普通だったら、こんなこと言われたらめちゃくちゃ心配になりそうなものだが、処置が終わったらすぐ抱っこできるんでしょ?と気楽な気持だった。
分娩ハイおそるべし。

まだ何も知らなかった私は、出産を振り返り、本当にしんどかった、もうこんなのは二度とごめんだ…早く赤ちゃん抱っこしたいなぁ~とぼんやりと呑気に考えていたのだった。
アドレナリンが出まくりでネガティブな発想がそもそも生まれない状態だった。

実際に息子を抱っこできるのは1週間も後になるとは思いもしないで。

何人かの助産師さんが息子の対応をしているけれど、のんびりした雰囲気で、笑い声も聞こえるので、切羽詰まった感はない。

もしかしたら、私たちを不安にさせないようにそうしてるのかな??
何だろう…大丈夫なのかな?? うーんでもきっと大丈夫だろう。

そうこうしているうちに私の股のキズの処置も終わり、息子は別の部屋に移されて、分娩室には私たちだけになった。

どのくらい待っていたか忘れたけど、夜中に呼び出された小児科の先生が息子の検査を終えたらしく、分娩室に入ってきて、こう言った。

「赤ちゃんは、体内の酸素濃度が低い状態で生まれてきました。いわゆるチアノーゼ、体が紫色になる症状がありました。
心臓の音などを聞いてみましたが、特に問題があるような感じはありませんでした。明日また専門の先生が来るのを待って、詳しい検査をしたいと思います。」

とりあえず、命に危険があるわけではないようだった。
妊娠中も含めて、生まれ出るその瞬間まで、何の問題もなかったのに…。

この展開は全くの予想外だったけど、とにかく出産は終わった。
私はようやく分娩台から降りると、まずはトイレに行くように指示された。

「産後は尿意が戻りません。おしっこしたくなくてもこまめにトイレに行ってください。」

そして、でっかいナプキンと骨盤ベルトを持たされた。
産後は骨盤がゆるゆるになるので、しばらくこの骨盤ベルトをしていないといけない。
そして、悪露という出血もしばらく続くのだ。

「結構出血しましたので、貧血になるかも。トイレの中で倒れても助けられるように鍵はしないで入ってください。」

私は言われたとおりに鍵をしないでトイレに入り、便器に座るが何も出てこない。
諦めて骨盤ベルトをしていると、急に目まいがしてきた。
やっとの思いで骨盤ベルトをしめ、フラフラしながらトイレから出る。

目が回ります…と看護師さんに伝えると、車いすを持ってきてくれた。

「じゃあ、赤ちゃんに会いに行きましょう」

あ、そうだ、私まだ赤ちゃんの顔を見てなかった…!!

車イスに乗って、待っていた旦那さんと一緒にナースステーションの方へ向かった。
ナースステーションの横は新生児室になっていて、ガラス越しに産まれたての赤ちゃんが6~7人見えた。

息子はその中で見るからに一番小さくて、ひとりだけ保育器に入っていた。
さすが我が子。産まれてすぐに目立っているw

小さな小さな息子は目をあけてこちらを見ていた。
これが私と息子のファーストコンタクト。
お母さんがわかるの?? お外に出てきたんだよ。
私は心の中で息子に語りかけた。

息子は低酸素状態なので、保育器の中で酸素濃度の濃い空気を吸っている。
胸に心電図の電極を付け、足には光るシールのついた何かのコードを付けていた。

この光るシールのやつは、後におなじみになるのだが、サーチレーションという体内の酸素濃度を測る機械だ。
コロナ禍でみんなも何度か聞いた名称かもしれない。

正常な子は100%とかなんだけど、循環器に問題がある子はこの値が低くなる。
息子は生まれた時、60とか70とか言ってたように思う。
これは今思うとだいぶ低い値だ。80とかでも酸素吸わないといけなかったりするので。

そんなわけで、息子が産まれたその日、私たちは彼を抱くことができず、新生児室のガラス越し、保育器に入った姿をしばらく眺めて終わったのであった。

ここで旦那さんは一旦帰宅。翌日の面会時間にまた来る予定。
もう朝方になっていた。私は病室のベッドに案内されて、気絶するように眠ったのであった。


翌朝。といっても数時間後。

朝ごはんが運ばれてきた。
おいしくはない病院食だったが、猛烈に空腹でペロリと食べた。

午後になり、旦那さんが来ると、私たちは小児科の先生に呼ばれた。

面談室に入ってソファーに座ろうとしたら、切って縫った股が痛くて座れないw

あわあわしてると、看護師さんが分娩室でも見かけた丸く穴の開いた椅子を持ってきてくれた。
おお、これなら座れる。。

先生が神妙な面持ちで次のような説明をはじめた。

「昨晩は、簡易的な検査しかできなかったので、今日、あらためて心臓の専門の先生にも見てもらいました。
それで、息子さんの心臓には2つ穴が開いていることがわかりました。
と言っても、急に命にかかわる何かがあるというわけでもないのですが…。」

ん?何?

先生が図で説明してくれる。

心臓には、右心室、左心室、右心房、左心房の、全部で4つで部屋がある。
息子の場合は、その左右の部屋を隔てる壁の真ん中に穴が開いているとのことだった。

心室と心房の両方に穴があるので、2つの穴だ。
心室心房中隔欠損という名称を教わる。
※この文字列は後に何回も何回も書くことになる。

穴が開いてると、新しい血液と古い血液が混ざってしまい、血液中の酸素濃度が下がったり、肺への血流が増えて、肺高血圧の状態になったりするそうだ。
ただし、症状は徐々に進行するので、今すぐに命の危険はないとのこと。

でもこの病院では専門部署がなく詳しい検査や適切な処置ができないので、早めに転院することを進められた。
つまり…、息子だけ他の病院へ移すとのことだ。

いきなりのことで、頭の整理がつかない私たちに先生はさらにこんなことを言った。

「それから、息子さんはダウン症の可能性があります。」

ダウン症!?

ダウン症かどうかは、血液検査をしないと明確にはわからないけど、いくつか特徴があって、息子にはそれがあるとのことだった。

顔つきや、両手のますかけ線、腕や肢のしわの感じ。
心疾患もダウン症に多く見られる合併症で、およそ半分が持って産まれてくるそうだ。

先生は、あくまでもこれは可能性の話ですから…と念を押していたが、今思えば、まあまあ確信していたのかと思う。

心疾患にダウン症!!!

出産だけでも一大イベントだったのに、その後に追加された情報量が多すぎて、私の思考はここで一旦停止してしまった。。

もう何だかよくわからないが、とにかく息子の安全を今は一番に考えなくては…。

できるだけ早めに専門の病院に転院した方がよいとのことだったので、近くの大学病院を紹介してもらい、運よくベッドも空いていたので、翌日の午前中に早速転院する運びとなった。

先生とのお話を終えて面談室を出ると、看護師さんが、赤ちゃんに触りますか?と言ってくれた。

え、触っていいの?

なぜかお父さんは新生児室には入れてもらえず、私だけ赤ちゃんの元に行って、保育器の窓から手を入れて息子に触った。
恐る恐る頭や身体を撫でる。

柔らかくてブニュブニュしていた。
息子はぐっすり眠っている。

ダウン症なのか…?と思いながら顔をよく見てみた。
息子はクリみたいな小さなかわいい顔でスヤスヤ眠っている。

身近にダウン症の人はいなかったけれど、テレビや街で見て顔つきの特徴は知っていた。
新生児だとわからないなぁ。。。

息子は、私の弟が赤ちゃんのころにそっくりだった。
うちって、モンゴル系の顔なので、家系の顔なのかダウン症の顔なのかよくわからない。

手のひらを見ると、確かに両手ともますかけ線だった。
これもダウン症の特徴のひとつではあるんだけど、私の父も両手ますかけ線だし、旦那さんも片手がますかけ線なのだ。

三代続いて天下人か!?

私が息子を撫でまわしている間、旦那さんは窓越しにこちらを見ていた。
保育器からは出せないのでまだ抱っこはできないけど、触ると可愛さと愛おしさが何百倍にも膨らむ。
早くお父さんも触れるといいなぁ。。。と思った。


翌日。転院の準備が整い、救急隊員が来て息子を搬送する準備を始めた。
付き添って向こうの病院へ一緒に行く旦那さんも到着。

保育器に入った息子を見て、救急隊員のおじさんが、「小さいね~」と言った。
未熟児とまではいかないけど、小さな小さな息子。それがまた可愛いんだけどね。

保育器に入ったまま、息子は台車に乗せられ運ばれていく。
私たちと助産師さんもそれに続いた。

地下に降りると、救急車が待っていた。

あ、そうか救急車で行くんだ。

手際よく息子は救急車に乗せられ、旦那さんも乗りこんで、あっとゆうまに息子は出発してしまった。

産まれてまだ二日なのに、救急車で運ばれる息子。何とも波乱万丈な人生の幕開けだ。

しばしのお別れの前にゆっくり触れ合う機会もなく、呆然と立ちすくむ私の横には助産師さんがそっと寄り添ってくれていた。

救急車が行ってしまうと、私と看護師さんは今来た道を引き返した。

病棟に戻るエレベータが到着し、扉があくと、こわばった顔のお医者さんと、家族と思われる人たちが布をかぶされたベッドと共に降りてきた。

私に付き添ってくれていた助産師さんが、目を伏せてお辞儀をしたので、私は悟った。

亡くなった人が出てきたんだ…!!

私も頭を下げた。

産まれたばかりの息子と、一生を終えたばかりの人が同じところから出ていく。

すごい現場でこの人たちは働いているんだな…。
これが病院の日常なのだ。

そして、私はひとりきり。地獄のような産後入院生活が始まった。

(つづく)
(3) 地獄の産後入院 →

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