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【読書】美しい「形」の日本

出版情報

  • タイトル:美しい「形」の日本

  • 著者:田中 英道

  • 出版社 ‏ : ‎ビジネス社

  • 発売日 ‏ : ‎ 2013/1/30

  • 単行本 ‏ : ‎ 209ページ扶桑社

フォルモロジーという哲学

 本書は、比較的薄いし、一般向けだし、と思って気軽に手に取ったら、それは間違いだった。気軽な本じゃ、ない。もちろん気軽に読めますよ?だけど、内容と芯に通る哲学は多分気軽なものじゃない。いや著者の田中英道にとってはある種、当たり前となって気軽に??議論できるものなのだろう。だが、受け取り手である私にとっては違った。
 実は田中の本を読んで記事にするのはこれで4冊目である(これまでの3冊は下記の通り。うち1冊は対談だ)。

 本書はある編集者の発想によってはじめられ、著者の口述を文字に書き起こしたものだそうだ。出版不況の折り、発行所を変えて陽の目を見ることになったとのことp3。それだけ研究者としての田中英道は愛されているし、その唯一無二性は余人をもって代えがたい。

 田中は本書は「日本の「形」に着目した文化史」だという。「形」に着目することで「文字で記されていないもうひとつの広大な日本の歴史が見えてくる」とp3。

 日本ほど昔の「形」をそのまま保存している国はありません。それは建築の「形」や仏像の形だけでなく、精神の「形」もそうなのです。天皇家の統治形態から、民主政治のあり方、文化の伝統の継続まで、役割分担の「形」を取っている伝統が続いています。

美しい「形」の日本 p3

 『フォルモロジー研究』を読んで、著者が提唱しているフォルモロジーは哲学に多大な影響を与えうる考え方であり方法論だと、著者が確信していることを知った。私もそれには賛成だ。本書はまさしくその延長上にある。
 一般の人にわかりやすい語り口であろうとも、伝えようとしていることは斬新で骨太の学者の研究の果実なのである。 

言葉を超えた日本の文化

 神道には教義はない。あるのは形式儀礼と(技術)継承である。じゃあ、和歌や俳句はどうだろう?茶道は?と見てみると、みな形式と儀礼と(技術)継承だ。まるで、イマココ中今なかいまともいうらしいね)という接点で空間(場)と時間が出会うことを待っているみたい。それをフランスの文化人類学者レヴィ=ストロースは奇跡と呼んだ。もちろん日本人は日記ブログものも大好きなので、お能の極意は風姿花伝ふうしかでんとして、武士道の極意は葉隠はがくれとして残っている。だけど、それだけで、お能ができるようになるかといえば、そうじゃないし、武士が現代に蘇るかといえば、そうじゃない。

 日本人でも、時に意味不明で、説明不可能な日本文化を、日本文化に無縁な外国人=エイリアンに説明する??ムリムリムリ…(いえ私には、ということです💦)。

 本書の著者 田中英道は誰もが見ることのできる形象フォルムを通して、世界中の人が日本文化、いや日本文化に限らず言葉によらない文化・文明への理解が深まり、今までにない知見が見出せるのではないか?と…飄々ひょうひょうと取り組み続けている。『学派』と言えるほどの学者グループはいなくて孤軍奮闘…とも言えるけど、大勢のお弟子さんに囲まれ、コラボする人々にも恵まれ、お幸せそうだ。

 とにかく…そういったフォルモロジーの2013年時点での今を切り取ったものが本書 『美しい「形」の日本』なのでは、と思う。もう10年も前のものだけど、2025年の今でも十分言葉を超えた何かを伝えてくれている。

 何かが継承される。継承され続ける。

 私のふわふわとした印象を書き綴るよりも、早速本書の内容に入っていこう。章立てを述べて、あとはネタバレを含む項目に譲りたいと思う。

第一章 「文字」より「形」の日本文化
第二章 無文字時代にも高度な文化があった
第三章 日本文化における「形」の優位性
第四章 あらゆるものに反映される日本の美
第五章 日本文化の普遍的価値

美しい「形」の日本 もくじ より

必要に応じて、目次で飛んでください。いつも通りではあるが、本書の内容は潤沢で、わかりやすい。何より著者や編集者の日本への愛が伝わってくる。ご興味のある方は実際にお手に取ることをお勧めする。

各章ごとに、印象に残った文言などを中心に記載していく。もちろん、私が記載しなかったことの中にも、たくさんの今とこれからへのヒントが詰まっている。私の「自分用のメモ」ということでご了承くださいませ。

第一章 「文字」より「形」の日本文化

 著者 田中英道は元々は西洋美術を研究する美術史家だった。その頃からかたちを研究対象とするフォルモロジーを提唱していたが、1995年(著者53歳ごろ)には、日本の仏像や仏教美術にも研究範囲を広げていた
 多分そういう経験があるからだろう、日本には世界的な美術品や建築・建造物がたくさんあるにもかかわらず、それを記述したり分析したりする伝統がないことに気づいていた。日本は世界最古の小説(源氏物語)が書かれ、世界最古の歌集(万葉集)が編まれ、明治維新ではたくさんの造語を作り東アジアにおける西洋文明の最初の受け皿になったことから見ても、決して言葉を軽んじたり苦手であるわけではない。ただどうやら著者の言葉を借りれば「日本人は「形」と「言葉」は別物と考えてきた」ようなのだp12。

日本人は古来ー「形」の美しさは言葉ではとうてい表現しようがない、いいかえれば「形」と「言葉」は別物なのだ、と考えてきたのではないでしょうか。…「形」は文字によって固定することはできない、…目の前に「形」としてあるものについてはあえて言葉にする必要はないと考えてきたように思うのです。

美しい「形」の日本 p14-p15

 一方西洋文化は違う。「美」や「形」に対して西洋人は「初めに言葉(論理)ありき」という思想に立って、徹底的に分析・説明しようとするp14。
 「百聞は一見にしかず」という日本。逆に「百聞」ですべてわかったような気になる西洋。

日本の文化を知ろうとするときは書かれた資料(史料)だけに頼るのではなく、むしろ「形」に着目することが重要になってくるはずです。もっといえば、文字資料だけでなく美術作品や遺跡といった「形」、あるいは制度習慣しきたり…といった形態言語によって読み解かないかぎり日本の文化や歴史はわからないということになります。

美しい「形」の日本 p15

 本書ではいわゆる物理的な「形」のみならず、文化的な形である制度習慣しきたりも守備範囲としている。第四章に詳しい。

 では西洋と我が日本とのこの「形」と「言葉」に対する違いはどこから出てきたのだろうか?著者 田中によれば…

世界最古のシュメール文字楔形くさび文字)も私有財産の記録法律、契約のために案出されたと言われています。金銭の貸し借りや契約を書きとめ、お互いにそれを証拠としてもちあうと同時に、おきてや規則を書き記して、ある階層が別の階層を支配するために使用された…

美しい「形」の日本 p22

一方、我が日本は、

契約などというものは口約束で十分だと、われらの祖先は考えていたに違いありません。…日本は文字がなかったから遅れていたのではなく、むしろ文字など必要としない平穏な社会だったと考えるべきではないでしょうか。

美しい「形」の日本 p22-p23

なるほど。日本は階層はゆるく、約束も書き付けなくてもお互いに守る人同士だった、ということなのかもしれない。あるいは、漢字はお互い別の言語を喋るもの同士のコミュニケーションツールだったそうだ。確かに契約や税の取り立てに主に使われていた、と。もちろん古史古伝などに用いられている神代文字やカタカムナなどが、使われていた場面もあるのかもしれない。が、今のところ遺跡のような形で出土してはいない。
 いずれにしても、今後が楽しみな分野である。

第二章 無文字時代にも高度な文化があった

 第二章では、縄文土器や土偶、三内丸山遺跡、前方後円墳、埴輪、 などについて論じ、原日本人の宗教観をまとめている。本書より後に出版された同じテーマの本『縄文文化のフォルモロジー(形象学)』『日本とユダヤの古代史&世界史』を読んでいるので、本記事では割愛する。

第三章 日本文化における「形」の優位性

 「形」には、形式的とか紋切り型といたマイナス・イメージがあるが、著者 田中は、むしろ「形」には「真善美に対する繊細な感覚、自然に対する深い信頼感を表現して」いる、というp70。

 日本人がつくってきた「形」の美を今に伝える第一級の作品は仏像や寺社建築だ。さらに「仏教の受容それ自体が「形」の衝撃に端を発している」のだ、とp70。どういうことだろうか?

 百済から仏像一体と若干の経典を献じられると時の欽明天皇は「仏様のお顔がキラキラ輝いている!」と感嘆したという(欽明天皇13年:552年)。「端厳きらぎらし」という漢字が当てられて?いるので、威厳がある中にも華々しい輝きがあった、ということなのだろう。その後、仏教を受け入れるか、否かで擦ったもんだの争いがあるわけだが、最終的には「崇仏派」の蘇我馬子が「排仏派」の物部守屋を下して、我が国に仏教が根を下ろすこととなったp72。

 ここで注意したいのは、「経典の内容がすばらしい」ではなく、仏像の「威厳があり華やかな様子」に心奪われた、ということだ。これは外見に惑わされた、ということではない、と(言外げんがいに仄めかしながら)田中は論を進めていく。

次の崇仏派の主人公は聖徳太子だ。聖徳太子は自ら仏典を説いた。推古天皇、蘇我馬子をはじめ高僧の前で。その内容は『三経義疏さんぎょうぎしょ』という注釈書となって今も高く評価されている。聖徳太子の選んだ仏典はどれも庶民が深く仏道を理解している、という説話であり、仏道に帰依し悟るのに高い身分や学識が必ずしも必要ではないと解釈できるものだったp 77。こうした伝統は日本に根づいている。仏教者は出家し独身を貫く国が多い中で日本ではそうではない。髪を下ろさず世俗にあっても仏教者たりうる。こうした聖徳太子の考え方は、

"生きる流儀"という意味で広義の「形」と考えれば、…聖徳太子が広めた教えの「形」は現在にも息づいていると言えましょう。

美しい「形」の日本 p77

また、聖徳太子は三経義疏の中で仏像を非常に重視した。<仏像をつくって拝めば、だれでもみな「悟り」に達したことになる>という一説も入っているというp78。

仏像を拝めば、その仏像が彼岸まで死者の霊を導いてくれるというのです。仏像にはそれだけの力がある、というわけです。逆にいえば、そうした思いを込めてつくられたものだから、日本の仏像には世界に例を見ないほどの美しさ、高貴さが漂っているのです。

美しい「形」の日本 p80

 そして中国にも、朝鮮にも「仏師」という言葉はないというp85。工人はいるが、専門に仏像などを製作するのではなく、片手間に作っていた。日本では仏教をよく知ったものが仏像をつくり、悟りを開いた存在、超越的な存在を表現した彫像、崇高さを体現した像を作ったのだった。そうした像を作ることができる仏工は仏師と呼ばれ尊敬された。その最初の人が止利仏師であったp85。このようにして「聖徳太子が日本人の信仰の「形」を定めた」と田中は述べている。

 奈良の大仏に関して、田中はその造営に関して「日本のシンボルであり誇りであった」と述べているp102。本書にも作り方や経緯など詳しく述べてあるが、以前『聖徳太子: 地球志向的視点から』を読んだときに、調べたので、ここにも引用する。

人智を超えた仏法の力を頼りにしたのである。大仏建造は国家事業であったと同時に多くの人々が進んで協力した原材料である銅、スズなどの金属が全国規模で好意的に集められ、寄進者は42余万人、仏像製作に携わった作業者は延べ218万人だったとされ、当時の人口の40%もの人々が携わった一大国家プロジェクトであったという有限会社日向キャスティングHPより抜粋)。現代のプロの目から見ても当時の技術力は相当高いものがあるようだ。

【読書】 聖徳太子: 地球志向的視点から その1

 ところが、「左翼的な歴史学者たちはしばしば、大仏造営は権力者が人民を苦しめるだけのものであったなどと暴論を吐いて」いるというp106。

巨大な奈良の大仏は当時の日本のシンボルであっただけでなく、日本人全体の誇りでもあったことを忘れてはなりません

美しい「形」の日本 p107

 神使の鹿たちがいじめられるなんて、もってのほか!誇りを持とう!!

 本書には他にも、「大規模古墳から寺という建造物へ「形」(=造形物と信仰の形式)が移動した」とか運慶は西行をモデルに仏像を彫ったとか、とか、面白いトピックスが盛りだくさんだ。

第四章 あらゆるものに反映される日本の美

 著者 田中は「わが国における「形」の美は文字どおり形あるものに限らない」というp128。

目に見えないもの、手で触れないものーいわば制度やシステム、伝統文化などのなかにも形の美は存在する、ということができます。

美しい「形」の日本 p128

 万世一系の天皇も「形」の美である。「日本が世界に誇る万世一系ばんせいいっけいの天皇の伝統」。神武天皇から126代まで代々男系の血筋で繋いできた。

日本人はこれまで、そうした皇室伝統を絶対に捨てようとしませんでした。美しい「形」を保つことが日本の美の原則になっていたからです。こうした「形」の美を一貫して追求する精神は、日本の文化を語るうえで忘れてはいけない重要なファクターです。

美しい「形」の日本 p130

 それは、伊勢神宮の式年遷宮の儀式にも現れている。内宮外宮の神殿だけでなく、鳥居、御装束、御神宝もすべて作り直されるという。その数800種、2500点! 式年遷宮がなぜ行われているか、誰もはっきりした答えを持っていないというp132。もちろん技術継承という意味もあるだろう。木造建築の寿命ということもあるだろう。だが、「日毎朝夕大御饌祭ひごとあさゆうおおみけさい」という毎日朝夕2回、天照大神にお食事を差し上げる儀式があることはご存知だろうか?田中はこの儀式を欠かすことがないように、20年という比較的短い期間で建て直すことを選んだのではないか、それが今日まで続いているのではないか、と推測している。そこに意志を感じるという。「祖先が決めた美しい「形」は絶対に守る、という固い決意」。「ひとたび築きあげられた伝統は手放さないーといっているように思える」と。

 そのほか「「個」の問題は仏教で「公」の問題は神道で」とか「「歌の前では平等」という日本の伝統」という面白い項目が並んでいる。

そうだよね、万葉集は世界最古の勅撰和歌集だし、現代でも歌会始うたかいはじめっていう公募の和歌の会がある。そこでは天皇陛下の御製も他の人たちの和歌も平等だ。なんていい国なんだろう!

"権威"と"権力"のバランス感覚」という項目も心に残る。私は聖徳太子が一番最初に「権威」と「権力」を分けた人、と思っているけど、そういえば藤原家は摂関政治をしたけど、自分の血統を天皇に取って代わることはしなかったな、とか。武家たちも天皇に取って代わろうとはしなかった、とか。徳川慶喜に至っては自ら大政奉還することでことを収めた、とか。いや、もっと古代からきっと弥生時代から?もっと以前から?日本は御信託を得る人と統治する人を分けていたな、とか。為政者は、「大御宝をお預かりしている」という気持ちで、政治に励んで欲しいものよ。

茶道や能に見る「型」の美」。私は茶道も花道も経験ないし、武道関係の経験も、ない。能は本当に今まで数回見た程度。それでも…きっと茶道は同じ動作を繰り返すことで、心の平穏を取り戻すお作法なんだろうな、とか、永遠の今を顕現するためのツールなんだろうな、とか、思いを馳せることは、できる。日本文化という共通基盤を持つ、ということはそういうことなんだろう。義務教育期間中に能や歌舞伎、人形浄瑠璃など、多分学校関係で体験させてもらった。今も、小学生や中学生に体験させてあげているのだろうか?茶道や花道も「体験」程度でいいので、させてあげて欲しいものだ。

第五章 日本文化の普遍的価値

 この章もたくさんの面白い項目「日本型経営を見直せ」とか「「論語と算盤」という日本人のDNA」とか「世界最古の記号は日本にあり」などが並んでいるが、「生命科学を先取りしている日本人の知恵」に、注目したい。
 私たちが命を持って生きていること。

われわれの生命がつづいているのはどうしてかというと、発想の転換を行なって「頑丈につくる」という選択肢を捨てたからです。日々みずから細胞を壊しながら、その一方で新しい細胞をつくり直しています。…自分の方から積極的に壊してしまう。そして新たな細胞をつくりつづけているのです。それが生命維持の秘密です。

美しい「形」の日本 p204

 あれ〜?これって伊勢神宮の式年遷宮に通じる話なのでは?田中はパルテノン神殿を例に挙げながら、頑丈な建築物を作ってもその精神が受け継がれていなければ、結局瓦礫になってしまう。彼我の差は大きい。

同一の形を保ちながら改修をつづけ同時にその精神そのものも維持していくという、このすばらしい持続力は日本独自の文化遺産ということができます。

美しい「形」の日本 p205

 伊勢神宮は、20年ごとに建て替えをするので世界遺産には登録できないという。いやいやいや。「同一の形を保ちながら改修をつづけ同時にその精神そのものも維持していく」ということそのものが無形文化財であり、目の前に厳然としてある伊勢神宮という有形文化財でしょう?こういう考え方そのものを地球遺産とせずにどうするのだ〜〜〜!!…といったところで、本記事を終わりたいと思います。

追記:あ、もう一言。これって経済学者シュンペーターの『創造的破壊』にも通じる話だ!(主流派経済学者たちがどれほどシュンペーターを誤解しているかについては、書籍『入門シュンペーター』かこちらの記事『【読書】入門 シュンペーター 資本主義の未来を予見した天才 その2』をどうぞ)。創造的破壊を繰り返しながら、大企業がシェア争いを続けていく、生き残りをかけて。継承だ。
追記終わり

 こうした良き伝統が、緊縮財政などのせいで、途切れることがありませんように。





引用内、引用外に関わらず、太字、並字の区別は、本稿作者がつけました。
文中数字については、引用内、引用外に関わらず、漢数字、ローマ数字は、その時々で読みやすいと判断した方を本稿作者の判断で使用しています。
また、文言の間違い、表現のわかりやすさなど、随時訂正しています。ご了承ください

おまけ:さらに見識を広げたり知識を深めたい方のために

ちょっと検索して気持ちに引っかかったものを載せてみます。
私もまだ読んでいない本もありますが、もしお役に立つようであればご参考までに。

田中英道略歴など

 wikiの田中のページがあまりにも不正確である、とのこと。こんなに国際的に活躍しているのに。不正確・不十分にしておくことにきっと意味があるのでしょう(まさか今話題のUSAIDの資金が日本語版wikiにも流入している!?まさかね…)。

田中英道 フォルモロジー関係

多分、下記の本がフォルモロジー研究の原点なのでは?

日本に関するフォルモロジー研究。 田中は多作である。すべての研究がフォルモロジーにつながっているのだろうと推察する。


芸術国家 日本のかがやき』なんていう三部作まである。

ユダヤ人埴輪関連

田中英道 そのほかの著作

『本当は何がすごいのか』と題するシリーズもある。フォルモロジーとももちろん関係がある。

最初に下記対談を読んだ。

下記も面白そう。

田中英道による戦後レジューム研究

レヴィ=ストロース

歴史と神話の連続性

岡田英弘

 外語大名誉教授。圧倒的な語学力で独特な岡田史観を打ち立てられた。


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