桜の雲海
【記録◆2025年4月】
春には山の斜面を、花の波が駈けあがっていきます。
過ぎていく時は戻りませんが、過ぎていった季節には追いつけます。
山々のどこかで。
この日は、林道を上がってくる間に、季節を追い越してしまいました。
◇◇宇陀市榛原:標高570m(4月1日)◇◇
ここは、桜が満開になると、眼下が「雲海」のようになるそうです。
いまは、ひとつも花がみつかりません。


秋に来たときには、ススキが手前で柵のようになっていました。
「桜の雲海」との間で仕切りとならないよう、いまは刈られています。

上の写真は、以下の記事内。

出かけるときには、かならず行き先をふたつ考えておきます。この日には桜が咲いていなかったから、近くの巨石を巡ってきました[以下の記事]。

1998年の台風で、『嶽神社』の鎮守の杜は、壊滅状態となりました。
かつては、御神木の杉や檜が、空のおおかたを隠していたのでしょう。
その後に植樹された桜が、花の波となって、ここから駆け上がるのです。
大和盆地で桜が散りはじめる頃、戻って来ようとおもいます。
◇◇桜井市 三輪:みむろ山467.1m(4月1日)◇◇
山間部から盆地へ下っていくと、桜の季節に入っていけます。

◇◇桜井市 三輪:海抜96m(4月1日)◇◇

◇◇桜井市 三輪:海抜95m(4月1日)◇◇

◇◇磯城郡 田原本町:海抜48m(4月4日)◇◇
[以下の記事です。]
◇◇宇陀市榛原:標高570m(4月9日)◇◇
8日待ってから、4月1日と同じ場所へ。
花は、ひとひらも舞っていません。
満開になるのは、13日あたりでしょうか。
全体で八分咲きくらい。斜面を上がっていくと、蕾が増えます。









上の写真は、前回に投稿した「巨石巡り」記事には載せなかった岩です。
この岩がある駐車場は、奥のほうだからか、誰も来ません。
さっき居た駐車場からは、「嶽次郎 嶽三郎」という大岩に続く細い道が始まっています。その入り口では、祠が壊れて台座の横に落ちていました。
『嶽神社』の御神木のように、強風で倒れて……?
台座に残っていたのは、手のひらより小さい白蛇。
ご神体なのでしょうか。頭だけが無くなっていました。
頭は、いつ無くなったのか。
きっと区民の方が気づかれて、手配をしてくださっているだろうけれど、祈りが仮の屋となるよう、手を合わせておきました。
ここから遠い(車で30分以上)『大神神社』の神さまも、化身は白蛇。
ここから山を歩くと(500m)『大神神社』の御祭神「大物主」の姫君が祀られています。その場所も、地名は『大神(おおみわ)』。
このように山では、おもいがけず「出雲神族」らしき姿と出会うのです。
ひとの居ない駐車場に座す大岩は、頭だけを遺した大蛇のよう。
反対側にも、ふたつ岩が立っています。

◇◇宇陀市榛原:標高570m(4月16日)◇◇
ひとの居ない所を好むので、散りはじめた頃に戻ってきました。
日曜日(13日)だと、対向車とすれ違うのがたいへんだったでしょう。
満開の時が過ぎても、桜の木が重なっているため、雲海に見えます。










何十年も前から、わたしの在り方は「あり得ない」と言われていました。
それでも、同じ場所を再訪することはできない、と考えていたのです。
先に失われるのが、身体機能であっても、命であっても。
しかし、奇跡を連ねて「医学的にあり得ない軌跡」を描いているひとは、たくさんいらっしゃいます。
自分の周囲に限っても、例が多すぎて挙げられないほど。
「いますぐ治療を開始しないと、失われていって無くなる」という宣告は、常に聞き流してきました。これまでの間に、どの部分も失わなかったので。
(失ったのは、医療過誤で奪われた部分だけ。)
同じ例がみつからないほど大量に失われたのは「無くなったほうが良い」という物だったのか、3年かけて「溶流」が進む間に1日も、寝込んだ日や働けなかった日はありませんでした。
医師たちが気づかない異変にも気づいてくださる「鍼灸の先生」に、
「気づかれないようにしていましたが」と、経過を話してみると…………
それまでの軌跡に「異・常識」と名づけた先生でさえ仰天なさったから、
「ええ、物理的におかしいのです」と答え、自分の考察を伝えたのでした。
[1年前の考察は、以下の記事内。]
「わるい脈は出ていないし、痩せもしなかったし」と考え込む先生に、
「この件も、きっと、医学のほうが後から付いてきますよ」と、なにげなく伝えました。
[注:『note』の記事は、学問を修めていない者が想像した内容で、医学を学ぶ方の参考にはなりません。念のため。]
「気づかれないようにしておけたのは、微生物のおかげです。70頭の乳牛や老犬の世話にも応用していました」と話すと、「牛や犬で確認済……っ」と爆笑されたのでした。
国の事業に応じる企画を求められて「微生物」を農業に取り入れた話は、以下の記事内。
「古代出雲」は「微生物文化」だったから、そこに、「ほんとうの医療」が存在したのだろう………と、わたしは考えています。
縄文時代は当然として、現代でも根にあるのは、消毒文化ではないはず。
[注:『note』の記事は、学問を修めていない者が想像した内容で、歴史を学ぶ方の参考にはなりません。念のため。]
記紀では、「大物主は祟り神となって疫病をもたらし、その子孫が祟りを鎮めた」という話になっているけれど、大物主が祟り神だったのではなく、
「その子孫だけが、疫病を収められたのではないか」と。
「出雲大神の祟りで口がきけなかった皇子は、出雲で話せるようになった」という話も、「祟りを鎮めたからではなく、出雲へ行ったからでは」と。
出雲神を祀る『櫻木神社』も、創建の由来に、「古来から怖れられていた感染症の治癒の神さまが、象に乗って天から降りてきた」とあります。
平城京の時代にも、疫病を収めたのは「大物主」の子孫だったのでは。
[櫻木神社創建の由来は、以下の記事内。]
「失われていって無くなる」と断言するのは、先へ続く道を塞ぐこと。
神でも死神でもない者が、他者の命を言葉で縛ってはなりません。
微生物は、蘇生の方向に道を創ります。
龍神について調べているとき、わたしは、「出雲神族の知恵」を知って、自分に合いそうだと直感したのです。それが、2022年の初冬でした。
