今あなたに伝えたい、“らしい”を疑う力
先日、職場の噂で、どうしても腑に落ちないことがあった。
——というか、“らしい”の時点で、すでにちょっと怪しかった。
パートの仲間たちが協力して進めた仕事が、
正職員の間で「出来が不完全だから、もうパートには任せられない」とボロカスに言われていたらしい、という話。
不完全だから即アウトって結論は、あまりにも飛び級すぎる。
その間に出来るはずの歩み寄りを、エスパー魔美ばりにテレポーテーションですっ飛ばしている気がした。
いくらなんでも、そんな雑な話、ある?と。

ちょうどお日柄もよく、春の花が咲き始めている。
あれ何の花かな?なんて呟いて、気を紛らわす。
流すか、確かめるか
それでもパートさんたちは、「言われちゃったなら流せばいい」と言う。
それが大人だと。
私には、その“流す機能”が標準装備されていない。
だから、念押しで、「何にも言わないでね」とまで言われてしまう始末。
けど、そう言われたら言われるほど、つい確かめたくなるのが私の性分。
確認マニアの血が、むくむくと騒ぎ出す。
というわけで、噂の出どころを確かめるべく、普段から信頼の厚い正職員さんにこっそり話を聞いてみた。
すると、拍子抜けするほどあっさり答えが返ってきた。
「えっ、そんなこと言ってませんよ💦
確かに完全ではなかったけど、何とか誤魔化しは効きます。
そもそも丸投げしていた私たちが悪いわけで、仕組みを変えようって話になりました。
パートさんに任せきりにしてしまって、すみませんでした。
それにしても、なんでそんな話になるのか…ホントこの職場…ごにょごにょ…(以下、職場の愚痴が続く)」
歪む話と、楽な選択
やっぱり、と思った。
どこかで少しずつ曲がって、誰かの解釈が混ざって、気づけば原型を留めない話になっている。
それなのに、「流すのが大人」で飲み込もうとしてしまう。
その方が楽なのは、わかる。
波風も立たないし、面倒も増えない。
でもその裏で、
“本当は言っていないこと”で
誰かの評価を下げることを良しとしてしまっているのだとしたら。
それって、本当に大人なの?

その安心感、嫌いじゃない。
私の選び方
私はたぶん、少し面倒な側の人間だと思う。
「それ、ソースどこ?」といちいち確認してしまうし、曖昧なまま飲み込むのが苦手だ。
でも、不確かな話で勝手にモヤモヤするくらいなら、サクッと「答え合わせ」をしてスッキリしたい。
それが世間一般では、大人の定義からは外れるのかもしれないけれど、少なくとも私にとっては、一番コスパが良いと思ってしまう。
結局、私は確かめた真実を、誰にも話さなかった。
「言わないでね」と言われたからというのもあるけれど、それ以上に、真実を共有したところで、新たな伝言ゲームの幕開けになるだけだろうな、と察してしまったから。
彼女たちは、決して悪い人たちではない。
これまでも、殺伐とした職場で何度も私を助けてくれた、優しくて親切な人たちだ。
けれど、今回の件で少しだけ見えてしまったものがある。
彼女たちの「優しさ」は、波風を立てないための、一種の生存戦略なのではないかと。
一人で行動せず、数人で固まって、不確かな噂話を共有し合う。
それは、厳しい環境で自分たちの居場所を守るための、彼女たちなりの知恵だったのだろう。
でも、その「穏やかさ」を優先するあまり、目の前で起きている歪みや、去っていく若い子たちの理由には、どうしても踏み込めない。
「若い子に辞めてほしくないわよねぇ」
「そうよねぇ。でも波風立てたらダメよねぇ」
その矛盾に、彼女たちは気づいていないのかもしれない。

気づいたら、花びらが落ちていた💦
私なりの大人
そんな彼女たちの姿を見て、私は「ああ、そっか」と憑き物が落ちたように納得した。
今まで「守ってもらおう」と頼り切っていた自分自身が甘かったのだと。
私はきっと、これからも彼女たちの輪には、うまく馴染めない。
「それ、本当?」と野暮なことを聞くし、群れの安心感よりも答え合わせする自己満足の方が大事な人間だから。
それは、彼女たちの言う「大人」の定義からは、少し外れているのかもしれない。
でも、不確かな話を鵜呑みにして、勝手に誰かを疑ったり、自分たちを卑下したりするよりは、一人で真実を抱えて、淡々と自分の仕事をこなす方が、私にはずっと心地いい。
「大人」の正解は、一つじゃない。
だったら私は、自分が納得できる方の面倒くささを選びたい。
だって、その方が仕事終わりのビールが、圧倒的に美味しいから。
もし今、少しでも引っかかっているなら。
そのまま飲み込む前に、一度だけ答え合わせしてみてもいいと思う。
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