ひとり反省会、やめてみた話
人と話したあと、頭の中で「ひとり反省会」をしてしまう癖がある。
あの言い方、きつくなかっただろうか。
「この人の考え方、好きじゃない」と思われなかっただろうか。
相手の表情が一瞬曇った気がしたけれど、あれは私の言ったことが原因だったのではないか。
そして最後には、たいていここに行き着く。
「私と話していて、つまらなかったんじゃないだろうか」
もう終わったはずの会話を、頭の中で巻き戻す。
しかも何度も。
だいたい3回目くらいから、さっきより悪い展開に改変されている。
小さな野心と、大きな後悔
この癖は、ママ友との立ち話でも、職場の何気ない会話でも同じだった。
面白いことを言って、1ミリくらいは爪痕を残したい。
私の中で、そんな小さな野心があるからだ。
普通に話せばいいものを、つい気の利いた(つもりの)一言を添えてしまう。
ハマれば快感。滑れば地獄。
相手が『えっ?』という顔をした瞬間、私の頭の中では非常ベルが鳴る。
「やりすぎました」のサイレンである。

耳でオーディブルとか、YouTubeのニュースとか聞いて、
思考を止める。
河津桜散っちゃいましたね😢
頑張りすぎていた頃のこと
特に転勤族だった頃は、「子どものために友達を作らねば!」と鼻息荒くしていた。
祖父母も親戚もいない土地では、自分から動かないと何も始まらない。
本当は家でトドのようにゴロゴロしていたい気持ちを奮い立たせ、児童館や保育園の催しに出かけ、ママたちの輪に飛び込む。
今思うと、あの頃の私はだいぶ無理していた。
おかげで子どもたちは楽しい経験ができたと思うけれど、
その反動なのか、地元に戻ってからは、すっかり燃え尽き症候群。
今は、若い頃からの数少ない友人としか会っていない。
そうしてみたら、気持ちがずいぶん楽になった。
少しくらい失言しても、「いつものこと」と笑って流してくれる安心感。
これこそが、50代の私に最も必要な「心のインフラ」だったのだとわかった。

天智と天武が私。
自縛少年花子くんは、暇になった長女❤️
人は思っているほど、他人を見ていない
最近、少しわかってきたことがある。
人はみんな、思っている以上に自分のことで忙しい。
私が帰り道で会話を検証している頃、
相手はもう夕飯のことや、明日の予定を考えているのかもしれない。
もしかしたら、「今日何食べよう」くらいしか考えていない可能性もある。
そもそも、私の言った一言なんて、もう覚えていない可能性だって高い。
そう思うようになってから、ひとり反省会の開催頻度はだいぶ減った。
ゼロにはならないけれど。
言葉遊びという性質
そして、noteで文章を書くようになってから、もう一つ気づいたことがある。
私は言葉遊びが好きだということ。
たぶん、パズルみたいな面白さがあるからだと思う。
同じことを言うのでも、言い方ひとつで印象が変わる。
少しやわらかくもできるし、
少し笑える方向にも転がせる。
それが知的好奇心をそそる。
だから、仕方ないんだと。
そもそもの性質は変えられないという、諦めの境地に至ったのも、楽になった大きな要因だ。

パスタスナックは、つまみにも最高❣️
嫌なこと考えてしまう時は、思いっきり自分を甘やかす。
「閉会」のひとこと
今でも、ときどき反芻してしまうことはある。
でも、昔ほど長くは続かない。
「ああ、私は人付き合いを考えすぎるタイプなんだな」
そう正直に思ったら、少しだけ気が楽になった。
人付き合いが上手な人には、たぶんなれない。
でも、それでも案外、暮らしは普通に回っている。
だから最近は、頭の中の反省会にもこう言うことにしている。
「もうそのへんで閉会にしましょう」
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