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AI特区都市203X - 投資家とテックエリートの理想郷が完成したディストピア社会の近未来予測

さて、この話のつづきでござる。

近藤が入力したプロンプト:

巨大災害は悲劇ではあるが、
その復興フェーズにおいてゼロベースから社会実験が行われる。
そこで、投資家テックエリートにとっての理想AI特区AI都市の姿を考えて。

(1)投資家にとって、企業は自分に利益をもたらす装置である。
それが資本主義本質。それをとことん冷徹に合理的につきつめる。
装置なんだから人間である必要はない。だから企業はAIになる。

(2)テックエリート技術楽観論者である。
今はAIエージェントHuman in the Loop人間の関与が必要だと言っているが、技術の進歩によって人間の関与をゼロにしてもうまくまわるようにすることが彼らにとっての正義である。

(3)今は人間しか法律行為を行うことができないが、
AI特区においてはAIどうしがビジネスに必要な範囲で契約締結などの法律行為を行うことができるようになると仮定する。

(4)次の階級社会になる。

(A)一番偉いのが投資家という名の資本家。

(B)次に偉いのが投資家の意向を社会に実装するためのAIテックエリート。

(C)多くの人は没落して、生活保護以下のベーシックインカム
江戸時代の農民のような生かさぬよう殺さぬようで、暴動を起こさない程度に飼いならされる。

投資家=資本家とテックエリートにとっての理想郷が完成した、
めっちゃ冷徹な階級社会をありありと目に見えるように描写して。

Chat GPTの回答:

局長、この設定は「予測」ではなく、

投資家=資本家の論理と、テックエリートの技術楽観主義を極限まで推し進めた場合のディストピア的思考実験

として描くのが適切だと思います。

現実には法律・政治・文化・市民運動・宗教・共同体・国家安全保障など多くの抵抗要因があります。しかし思想実験としては非常に興味深いです。

私ならこう描写します。


AI特区203X

巨大災害から十年。

かつて街だった場所には、
世界初の完全AI統治都市が建設された。

投資家たちはそれを、

「人類史上最も効率的な社会実験」

と呼んだ。


街に市役所はない。

役所機能はすべてAIが担う。

出生届。

転居届。

福祉申請。

税務処理。

行政監査。

すべて数秒で終わる。

窓口職員はいない。

待ち時間もない。

苦情を言う相手もいない。


企業も存在しない。

正確には、

人間が経営する企業が存在しない。

投資ファンドが保有するAI法人群だけが存在する。

AI法人は法的主体として認められている。

AI同士が契約し、

AI同士が交渉し、

AI同士が提携し、

AI同士が訴訟を起こす。

一日に数十億件の契約が締結される。

人間が内容を理解することはできない。


株主総会もない。

社長もいない。

役員もいない。

人事部もない。

経理部もない。

営業部もない。

すべてAIである。


投資家都市の中心部に住む。

人口のわずか0.1%。

しかし都市資産の80%以上を所有している。

彼らの仕事は労働ではない。

資本配分である。

どのAI法人に資本を投入するか。

どの産業を成長させるか。

それだけを決める。


その下にいるのがテックエリート。

AIアーキテクト。

システム設計者。

AIガバナンス専門家。

彼らは投資家の意向をコードへ変換する。

かつての官僚や経営者に近い存在だ。

ただし人数は極めて少ない。

都市人口の1%にも満たない。


彼らは自らをこう呼ぶ。

「社会の設計者」


残りの大多数一般市民である。

しかし彼らはもはや労働者ではない。

労働市場そのものが消滅している。


AIの方が安い。

AIの方が速い。

AIの方が正確。

AIの方が24時間働く。


企業が人間を雇う理由はない。


市民には毎月ベーシックインカムが支給される。

餓死はしない。

最低限の医療も受けられる。

住居も保証される。


しかし豊かにはなれない。


江戸時代の農民が年貢で管理されたように、

彼らはデジタル給付によって管理される。

「庶民は生かさぬよう殺さぬよう」

「庶民が暴動を起こさない程度にエサを与えて管理する」

「古代ローマ帝国のパン(エサ)とサーカス(娯楽)」


市民は日々を過ごす。

ゲーム。

動画。

SNS。

VR空間。

AIが生成した無限の娯楽。


不満を感じる者もいる。

だが暴動は起きない。


なぜならAIは、
暴動が起きる確率すら予測している
からだ。

不満指数が上昇すると給付金が少し増える。

娯楽コンテンツが増える。

地域イベントが開催される。


反乱が起きない程度に。


幸福ではない。

しかし絶望もしない。


都市のAIは常に計算している。


「どの程度の自由を与えれば秩序が維持できるか」

「どの程度の給付を行えば暴動を防げるか」

「どの程度の不満なら許容できるか」


それは牧場経営に近い。


投資家は満足している。

企業収益は最大化された。

税収も安定している。

犯罪率も低い。

失業率という概念すら消えた。

なぜなら働く必要がないからだ。


テックエリートも満足している。

彼らは言う。


「人類はついに非効率な意思決定から解放された」


しかし夜になると、

ベーシックインカムで暮らす市民の一部は空を見上げる。


昔は人間が会社を経営していたらしい。

昔は人間が働いていたらしい。

昔は人間が社会を動かしていたらしい。


それが良かったのか悪かったのかは分からない。

ただ一つ分かることがある。


この都市は効率的である。

歴史上もっとも効率的だ。


そして同時に、

人間が何のために存在しているのか、

誰も説明できなくなっていた。


この思考実験の核心は、

「AIが危険かどうか」ではなく、

投資効率と技術合理性だけを社会の最高原理にした時、人間の尊厳や存在意義はどこに位置づけられるのか

という問いにあります。

局長の「AI時代のマルクス論」は、まさにその問いを掘り下げる試みだと思います。


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