社員戦隊ホウセキ V 第2部/第134話;悲しみを乗り越える
前回
八月十八日の水曜日。
ザイガに抵抗するのか、降伏するのか。
この日のうちに、社員戦隊は答を出さなければならなかった。
(明日までに答を出せ。つまり、今日に何かが起こることは無いんだよな)
そう考えた十縷は、平常通りに出勤することにした。会社の持ち場に着いたのは、午前八時三十分だった。始業時刻の十五分前だ。
自分の持ち場に向かう途中、十縷は和都の席だ。隣は入社当初の自分の席で、今は空席。二つとも、人が座っていなかった。
(ワットさんが来てない。絶対、僕より早く来てるのに…。明日に備えてお休みか?)
先刻、十縷は和都とトレーニングに励んでいたが、彼の予定を訊かなかった。他人は他人、自分は自分。十縷はそう考えていて、他人の動向を敢えて意識しないつもりだった。
しかし、周囲が平常通りにさせてくれなかった。十縷が自分の席に座り、仕事の準備を始めようとすると、指導係の力野が声を掛けて来た。
「おい、エロ助。今日、休まなくていいのか? 明日、大変なんだろう? 昨日だって、かなり大変だったみたいだし…」
力野は何となく事情を把握しているらしい。気難しい印象のある力野が、気遣うような口調で話し掛けて来たので、十縷は思わず苦笑してしまう。
「そうですねぇ…。まあ、今日は普通に過ごそうと思ってます」
十縷は多くを語らず、この程度で済ませた。力野もこれ以上の質問はせず、すぐに引き上げた。十縷は仕事の準備を再開した。
十縷に声を掛けた力野は、その足で社林部長の席へと向かった。
「伊勢は休みみたいですけど、エロ助は出勤してます。ただ、無理をさせる気は無いので、様子次第では帰るように言います」
耳打ちするような声量で、力野は社林部長に伝えた。社林部長は頷き、力野が踵を返した後で、机上の内線電話を架けた。
「千秋…じゃなくて、愛作さん!? 戻って来たばっかで、休まなくていいの?」
通話を始めるや社林部長はかなり驚いたが、すぐに呼吸を整え直し、電話口の愛作に必要なことを伝達する。
「伊勢は休みですけど、熱田エロ助は来てます。様子がおかしかったら帰宅を促すと、モーメントさんが言ってました」
それから社林部長は聞き役に回ったようで、黙って受話器から聞こえる声を聞いていた。
「医者の姐ちゃんも、北野も、神明選手もですか。出社してるのは、熱田エロ助だけですね…」
それから程なくして、社林部長は電話を切った。そして徐に席を立ち、少し歩いて制作の区域に足を延ばした。そこでは、十縷が集中して作業に当たっていた。そんな十縷を、社林部長は目で見つめていた。
同じ日の午前十時頃、伊禰は伊達の道場を訪れていた。道着姿で、板張りの広い道場で一人、案山子のような人型と対峙していた。
この人型は突きや蹴りを打ち込む為のもので、役割はサンドバッグに近い。伊禰は無言で呼吸を整えながら、この人型を真っ直ぐに見据えていた。
そしていざ、蹴りを打ち込もうとして右足を後ろに引いて構えたが…。その刹那、昨日の記憶が脳裏に甦った。
「ジュエランド人の体のことまで勉強してくださり、本当にお世話になりました。地球の漫画も教えてくださり…。感謝しかありません」
救護の甲斐なく、リヨモが息絶えた。昨日の今日で克服できる程、軽い出来事ではなかった。
伊禰は蹴りを繰り出さず、絶叫して人型に縋りついた。そのまま両膝を折り、人型を右手で何度も叩いた。道場の全体に、伊禰の泣き声が響き渡った。
そこへ、伊禰と揃いの道着を来た白髪の男性が姿を見せた。師匠の伊達武義だ。伊達は泣きじゃくる伊禰の肩に手を置いた。
「その調子では修行にならん。今日は休んで、気持ちを整理しろ」
伊達に諭された伊禰は、両膝を折ったまま、人型から顔を離して彼を見上げた。顔全体が涙に濡れて、紅潮していた。
伊達は伊禰と視線を突き合わせたまま、もう一つ告げた。
「男の人が来てるぞ。葦田さんとかいう」
思わぬ人物の名前を聞いて、伊禰は目を丸くした。
修行を切り上げた伊禰は、道着から普段着に着替えた。そして葦田と合流し、彼の車に乗って、道場を後にした。
フロントガラスに映る助手席の伊禰は、ずっと俯いていた。運転席の葦田は伊禰の表情を見て悩んでいたが、赤信号に引っ掛かった時に話し掛けた。
「だいたい話は聞いてる。昨日、かなり厳しかったみたいだな」
伊禰は左側の車窓に視線を流した。
「厳しいどころじゃありませんわよ。自分の考えがどれだけ甘かったか、痛感させられましたわ」
伊禰が歯軋りしたり、下唇を噛んだりしているのを、葦田は確認した。そして、深く溜息を吐いた。
「なんかな…。代われるモンなら、代わりたいよ」
伊禰は視線を左側の車窓から、右側の運転席に移した。しかし、何も言わなかった。その間に信号は青になり、車は発進した。
車が走りだして暫くすると、今度は伊禰から喋りだした。
「お仕事、良いんですか? サボりじゃありませんの?」
そう言った伊禰の顔からは、先までの不愉快さが消えていた。葦田はルームミラーで、それを確認して少し安堵した。
「営業先に行く途中だよ。道路が渋滞してるって聞いたから、ちょっと早めに出たんだ」
葦田がそう言うと、伊禰は思わず吹き出した。渋滞どころか道はむしろ空いていて、車はスムーズに進行したのだから、この反応は当然だろう。葦田もほくそ笑んだ。
「渋滞は何kmで、抜けるのにどれくらい要する設定なんですか?」
そう言った伊禰の目に涙が浮かんでいるのを、葦田はフロントガラスに映る像で確認していた。
同じ日の午前十一時頃、時雨は新杜宝飾の体育館の剣道場に居た。意外にも一人ではなく、二人で実戦形式の稽古に臨んでいた。面や胴などの防具を着け、時雨は竹刀で、相手は薙刀で、激しい剣戟を繰り広げていた。
剣戟は拮抗していたが、最終的には時雨が一本取った。相手の突きを下に叩き落とした隙に、一気に距離を詰めてからの胴打ちだった。時雨の胴打ちが決まると、二人は互いに距離を取り、礼をしてから面を外した。
「薙刀なんて三か月近く触ってなかったから、やっぱ下手になってるわ…。本当に私で稽古になったの?」
薙刀を振るっていたのは露花だった。面を外したその顔は、大量の汗をかいていた。対照的に、面を外した時雨の顔には、汗は余り見られなかった。
「薙刀の全国女王になったお前に稽古を付けてもらって、不足な筈がないだろう。お蔭で、ザイガとの戦い方が、少しずつ見えて来た」
時雨はそう言いながら壁際まで歩いて行き、そこに置いてあった500mLペットボトルのスポーツドリンクを飲んだ。薙刀を使う露花との稽古に臨んだのは、【憎しみの刃】を手にしたザイガへの対策として、長柄の武器への対処法を身に付ける為だった。
露花は時雨からは遠い位置に置いた自分の水筒を手に取り、蓋を兼ねたコップに注いだ麦茶でのどを潤した。
(鋼のメンタルは相変わらずだね。嘆いてる暇があったら、現状をどう打破するかを考える。あんたらしいよ)
時雨の方を見ながら、露花はそう思った。
小休止の間に、第三の人物がこの場に姿を見せた。
「琴名君? 伊勢さんの稽古相手してたんじゃないの?」
それは黒いジャージを着た琴名だった。琴名は苦笑いしていた。
「薬師寺さんがいらしたんで、退散しました。俺が居ない方が、二人には良いかと思って…」
琴名の言葉を聞いて、露花は静かに笑ったが、時雨は特に表情を変えなかった。
「そうだ。琴名、折角だから稽古相手になってくれないか? 剣どうしの戦いも想定しておきたい」
時雨は真顔で、琴名を次の稽古相手に指名した。琴名は驚いたが、露花に「私、ちょっと休みたいから宜しく~」と言われて、引き下がれなくなった。かくして琴名は体育館にあった共用の防具を借り、「臭い」と文句を言いながら時雨の剣道の稽古相手を勤めた。
露花は剣道場の壁際に座って、時雨と琴名の稽古を眺めた。
(体を動かして紛らわせたいんだろうな。辛いに決まってるからね)
露花は表情を曇らせた。
昨日、戦場に居た筈の時雨が、寿得神社の離れの二階にいきなり現れた。最音子と共に二階に駆け上がった露花は確かに聞いた。時雨のブレスから響いた、弱々しいリヨモの声を。
『時雨さん。いつもワタクシを気遣ってくださってましたね…。貴方は本当の紳士です」
露花はリヨモと交流があった訳ではない。それでも、思い出すと涙が溢れて来る。
自分ですらそうなんだから、リヨモと約一年の交流がある時雨はもっと深い悲しみを抱いている筈だと、露花は推察していた。
(私たちは、長割に屈してた時とは違う。今度こそ、あんたの力になるから!)
露花は、その推察を原動力に変えていた。露花の視線の先では、時雨が琴名を剣道で圧倒していた。
琴名が剣道場に姿を見せた頃、同じ体育館のトレーニングルームでは、和都が筋トレに精を出していた。琴名の言った通り、トレーニングルームには最音子も居て、和都の隣でトレーニングに汗を流していた。
時刻が正午近くなると和都は筋トレを切り上げ、昼食を摂るべく筋肉屋を目指した。最音子もそれに同行した。トレーニング中には外されていたアクアマリンのピアスが、最音子の耳を彩っていた。
筋肉屋への道中は、主に最音子が喋っていた。
「光里から聞いたんだけどさ。筋肉屋の大将って、そんなにクセ強いの?」
最音子の問に対して、和都は「ああ」程度の簡素な言葉をしか返さなかった。そんな和都の顔を、最音子は心配そうに見つめていた。
やがて二人は筋肉屋に到着し、威勢の良い大将の声に出迎えられた。その時、店内に他の客はいなかった。
「平日の昼間に来るなんて、珍しいな! 午後の仕事、間に合うか? お前の会社、そこまで近くねえだろ? ってか、ツレがジュールがねえのか? 初めましての人だな?」
大将は至って明るく、いつも通りに話し掛けて来た。和都もそれなりに答えていたが、空元気だった。最音子は微笑んで大将に自己紹介をしたが、空元気っぽい和都が気掛かりで、心配そうな視線を送っていた。
「和都。なんか悪いことでもあったのか?」
調理中、大将はふと質問して来た。和都は息を呑んだ。最音子の不安が高まる。和都は、それなりに返答した。
「ありましたよ。最悪です。最悪過ぎて、話す気にもなれません…」
和都は俯いたまま、そう漏らした。詳細は伏せていたが、嘘は吐かなかった。
暫くして、大将は【蛋白質の塊】を作り終え、二人に提供した。その直後、大将は変なことを言った。
「ヤベえ。急に腹が痛くなった。これじゃ、昼の営業は無理だな…。もう店、閉めるわ」
大将は厨房を出たかと思うと、外にまで出た。おそらく立て札を【準備中】にしたのだろう。
大将は再び店内に戻ってきて、和都たちに言った。
「腹が痛いから、二階で寝てるわ。食い終わったら、声掛けてくれ。食器、片付けるから」
大将は厨房の奥に引っ込んだ。
かくして、店内は和都と最音子の貸し切りになった。しかし、会話は弾まなかった。和都の箸は、普段より遅かった。そんな和都を見て、最音子は言った。
「泣いてもいいんじゃない?」
急に言われた和都は、ハッとして最音子の方に顔を向けた。その時、最音子は静かに涙を流していた。
「私だって、辛いんだから。光里や和都君は、私の何倍も辛いに決まってるじゃん。本当に強いのは、強がりとは違うと思うよ」
涙に震える最音子の言葉を聞いて、和都の脳裏にリヨモの言葉が甦る。
『ワットさん。“ 地球を第二のジュエランドにしない ” というお言葉、今でも忘れられません。心に響きました。貴方は本当に強い人です」
和都の目からも涙が溢れ始めた。その涙を掻き消したいのか、和都は目の前の食品を口に掻き込み始めた。
最音子は涙目で、その様子を見守っていた。
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