【clum! '96 #13】記憶の中の先輩
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1996年、初夏。碧翔学園の渡り廊下。

調理部の買い出し帰りだった1年生の雅は、両手に抱えた薄力粉の袋の重さに「ふぅ……」とため息をつき、水道の蛇口の前で休憩していた。
そこへ、体育館からバスケットボール部の練習の合間に水分補給をしに来た、2年生の男子生徒が、小走りでやってきた。
「あっ、よかったら、手伝うよ」

薄力粉の袋を、その男子生徒がひょいっと持ち上げてくれた。
「あ、ありがとうございます……って、えっ?」
雅はお礼を言いかけて、目の前に立つ長身の先輩の顔を見上げ、ピタリと固まった。
少し日に焼けた肌に、汗で額に張り付いた髪。そして、優しそうに微笑む人懐っこい目。

(あっ……この人。たしか、小学校の時、近所でガキ大将みたいにヤンチャしてた、一つ上の早坂先輩……?)
雅の記憶の中の「早坂一頼」は、今の温和な彼とは少し違った。
小学校低学年の頃、泥だらけになって友達の先頭に立ち、強気で生意気だったヤンチャ坊主。
雅にとっての彼は、「近所でよく見かける、ちょっと近寄りがたい元気な上級生」という印象のまま止まっていたのだ。
(ええっ!? あのヤンチャだった早坂先輩が、こんな『爽やかで優しいスポーツマン』みたいになってるの!?)
雅は薄力粉を抱え直しながら、目を白黒させた。
一方の一頼もまた、目の前の小柄な1年生をじっと見つめて、首を傾げていた。
(……あれ? この小さい子、どっかで見たことあるような……。小学校の時の近所の子? いや、誰だっけ……)

一頼にとって雅は、「たしか一つ下の学年にいた、よく後ろの方でちょこちょこ歩いていた小さい女の子」くらいの、霞がかった記憶しかなかった。
今はもう、一頼の頭の中はバスケと「立夏のこと」でいっぱいで、昔の近所の子供の顔まで鮮明には思い出せなかったのだ。
「あのさ、君……たしか、小学校一緒だったよね?」
一頼が、少し首を傾げながら優しく尋ねた。
「は、はいっ! 1年の田口雅です。早坂先輩、ですよね……?」
「あ、やっぱり! 田口さんか。なんか、すごく見覚えがある気がしてさ。そっか、碧翔に入ったんだね。この粉、調理室まで運べばいいの?」
「えっ、いえ、そんな! 練習中なのに悪いですし……!」
「いいよいいよ、どうせ体育館のすぐ横だし。僕、昔は生意気でよく周りに迷惑かけてたからさ。今はちょっとでも『頼れる先輩』になろうと特訓中なんだ」
一頼はそう言って、照れくさそうに笑いながら薄力粉の袋を軽々と肩に担いだ。
調理室へ向かって歩き出しながら、雅は一頼の横顔をチラチラと盗み見ていた。
(……すごい。本当に、あのヤンチャだった早坂先輩が、こんなに落ち着いて優しくなってる。中学生になると、男子ってこんなに変わるんだ……)

「そういえば、田口さんって調理部なんだよね。玲先輩のところ?」
「はい! 玲先輩、女神みたいに優しくて……」
「あはは、分かる。でもさ、あそこ、よく金髪のすっごい怖い先輩とか、白衣の先輩が来るでしょ? 大丈夫?」
「最初は泣きそうでしたけど、ヤンキーの先輩、すごくお行儀が良くて優しい人だったので慣れました!」
雅が元気に答えると、一頼は「そっか」と嬉しそうに目を細めた。
「迅先輩、怖いのは見た目だけだからね。……僕も、あの人みたいに、大切な人をちゃんと守れる『強い男』になりたいんだよね」
一頼の視線の先には、体育館で後輩の女子部員を指導している、ポニーテールの立夏の姿があった。
その横顔を見た瞬間、雅はピンときました。
(……なるほど。早坂先輩を変えたのは、あのポニーテールの綺麗な先輩なんだ)
「ほら、調理室着いたよ。これ、台の上に置いとくね」
「早坂先輩、本当にありがとうございました!」
「いいえー。あ、そうだ。田口さん、もし余ったお菓子とかあったら、たまにはバスケ部にも差し入れしてよ。立夏……佐野先輩が、甘いもの好きなんだよね」
「ふふっ、はい! 今度、マドレーヌ焼いたら持っていきますね!」
一頼はひらひらと手を振って、体育館へと走っていった。
ヤンチャだった過去を知る後輩と、その過去を恥じて真っ直ぐに背伸びをしようとしている先輩。
お互いの「名前と顔、そして少しの過去」だけを知るこのゆるやかな繋がりが、数ヶ月後に何かを変えるきっかけになってしまうとは、この時の二人はまだ誰も知る由はなかった。
【今回のおまけ】

野瀬「田口さん、身長140cmらしいよ」
稲城「愛らしい!」
野瀬「そろそろ160cm届きそうな一頼と並ぶとバランスいいよね」
稲城「……何か含みのある言い方だな?」
野瀬「べぇっつにぃ〜♪」
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