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天井が崩れても、ベルリンで365日生き抜いた私の振り返り

ベルリンに移住して、365日が経った。
4月15日に日本を発ち、同日4月15日にベルリンに到着した。

トランジットのオランダで便器の高さに驚いた日から、もうそんなに時間が経ったのか。
改めて振り返ってみようと思ったが、パッと書くことが思いつかない。

「こんなの初めて!」や「信じられな~い!」出来事がごまんとあったはずなのに。
でもそれは、裏を返せばその「信じられな~い!」ことも今は日常で、ちゃんと受け止められているということなんだろう。

毎日欠かさずに書いたnoteを読み返してみると、大変だったこと、乗り越えてきたことがたくさんあった。
10年後、家族で読んだら面白いだろうな、という気持ちでただ書いていたけど、本当に続けていてよかったなと思う。


1年経って思うことは、私は日本に居た頃、整備されていた道を走っていたんだな、ということ。
快適で、スイスイ進んで、事故も起きにくい。

だけどこっちに来て、整備されていない凸凹な道を走っているような毎日だった。
100mおきにお尻にガタンという振動を感じるし、
砂ぼこりで前が見えなくなるし、
大きな水たまりにハマってしまったこともある。
それでも何とか前には進んでいる。
そんな感じの1年だった。

今回は移住から1年、せっかくの節目なので凸凹道の中でも、特にキツかったことBEST3を書いてみようと思う。

キツかったことBEST3

第3位:wifiの審査に落ちたこと

内部審査が通らずwifiが契約できなかった日、私はかなり落ち込んだ。
今思うと「そんなことで!?」だが、多分気持ちが疲れていたんだと思う。

ドイツが話せない自分、それなのにドイツに住んでいる自分、社会的信用がない自分、何の役にも立っていない自分、必要とされていない自分。
ネガティブがネガティブを生み、涙となってこぼれた日だった。

と、同時に娘の一言で「そのネガティブの根源さえぶっ壊せばいいんじゃね!?」という名回答にもたどり着いた。
出来事としては小さなことだったけど、私に大きな気づきを与えてくれた。

第2位:息子の登園拒否

夏休み明けからのKITA(ドイツの保育園)、息子の登園拒否が続いた。
息子は夫に次ぐ社交性の塊のような子で、天真爛漫で誰とでも仲良くしたいタイプだ。

その息子が、とうとうKITAのブランコに突っ伏して泣き続けた日があった。
相当辛かったし、寂しかったんだろう。
言葉が通じない、子どもたちは敵か味方かわからない、ずっとひとりぼっち。

親として、こんな思いをさせてしまっていることも申し訳なかった。
でも、この経験を彼の人生から奪ってもいけない。
矛盾した気持ちを抱えながら、とにかく家族総出で彼を励まし続けた。

自分が辛いより、子どもが辛い方が、かなり辛い。
「信じて」「見守る」は、とても難しい。

結局彼は自分で活路を見いだした。
紙にドイツ語のダジャレをたくさん書いて、ポケットに入れて持って行った。
ドイツ語でギャグを連発し「面白いやつ」というポジションを確立した。
今では家族の誰よりも友達が多いし、ドイツの生活になじんでいる。

まだまだ言葉の壁もあるし、落ち込んで帰ってくる日も全然ある。
今日だって、KITAの帰り道しゃがみこんで「最近楽しくない」と言っていた。

でも、大きくジャンプする前は必ず深くしゃがむのだ。
息子は先陣を切って、私たちにそれを教えてくれた。
しゃがんだら、あとは飛んでみる勇気だけ。
その後押しは、いくらでもやる。
暗闇の中でジャンプ!

第1位:家の天井が落ちてきた

話はこの日まで遡る。

この日、天井を見るとひび割れができていた。
「え?さっきまでこんなのあったっけ?」と子どもたちと会話し、怖いので念のため家を紹介してくれたエージェントにメールを送っておいた。

突如現れたひび割れ

子どもたちには天井から離れておくように伝え、私はスーパーへ。
10分後夫から「天井が崩れた」とメッセージが届いた。

血の気が引いて、家まですっ飛んで帰った。
幸い誰も怪我はしておらず、電子機器なども無事。
しかし、確実にこのまま生活はできなくなった。

崩落

そこからはエージェントと管理会社に連絡、工事の相談、工事の間住む家の手配、その際の価格交渉など、とにかく疲弊した。

一方的に不利益を被っているのに、こちらから何か要求しないと返ってくるものが一切ない。
なぜこの事態に対して、私達が相手に交渉をしないといけないのか。

菓子折り持って詫びに来るのが筋じゃないのか!?
誰も私たちの怒りを引き受けてくれない。
ただただ、こちらの心がすり減っていく。

そして何よりもこたえたのが、こういう災害にも似た出来事に対して、自分たちのなす術のなさ。
これは、恐怖だった。

こういうことで、自分たちは簡単に居場所を失い、圧倒的弱者として放り出され、呆然と立ち尽くし、泣くしかないんだ。
日本では体験したことのない恐怖だった。

その晩、初めて夫に「無理かも」と言った。
「ここで生きていくことが想像できない、天井も落ちてきたし帰れって言われてるんだよ。」と泣いた。

夫は背中をさすりながら「1000日って決めよう、1000日経ったら帰ろう。」と言ってくれた。
何も本当に1000日で帰るわけではないんだけれど、こうやって声をかけて気持ちに寄り添ってくれたことで、私の心はかなり救われた。

しんどいことがあっても、考え方次第で体勢を立て直すことができる。
夫の言葉で「逆に1000日しかない」と思えた。
やれることは全部やろう!と前向きに気持ちを切り替えることができた。

今は、子どもたちに大きすぎる負担がないのなら、居れるだけここで頑張りたいと思えるようになった。
※親族、友人の皆さん、1000日では帰りませんのでいつでも宿に使ってね!
改めて、メンタルを保つことの大切さを、崩れた天井から学んだ。

そして海外移住で一番怖いのは(今のところ)住まいを失うことなのかもしれない。
来て早々、その一番怖いことを経験できたのは今となってはよかったのかもな。

いや、絶対よくねぇだろ。
天井落ちる家紹介すんじゃねぇよ!!!!!!!


当初は笑い話にできなくて、なかなか書けなかったけど、今は笑える話として成仏させたい。


以上、この1年のキツかったことBEST3でした。

大変なこと、結構あったなぁ。
こんな思いをしても、「来てよかった?」と聞かれたらこう答えたい。


「いや~、まだわからへんわ」と。

やっぱりたった1年では「来てよかった!」と胸を張って言えるほど、私は何もできてはいないのだ。

今日までは1年目手形のようなものを持って生活していた自覚がある。
それは水戸黄門の印籠のようなもので、ポケットから取り出せば、なんだかいろいろ許されてしまうような。

どこに行っても「まだ来たばっかりで」とか「1年経ってなくて」と言う自分。
ベルリンで生活しているようで、ただ許されてそこに居させてもらっているだけだった。

それなのに、出会いにはとても恵まれて、助けられ支えられて、毎日を生きてきた。
与えてもらってばかりの1年。
あぁ、人の役に立ちたい!

おんぶに抱っこの1年目は今日でおしまい。
2年目からは印籠は封印。
甘えを捨てて、やっていこう。

自信や経験といった形のないものではなく、確固たる実績を、ちゃんと作ろう。
そして、住まわせてくれるこの街や、助けてくれる人達に、すこしずつギブできる人になるんだ。

また1年後、今度は胸を張って
「いやーまだまだわからんけど、でもまぁ来て良かったかなぁ。」
ぐらいは言っていたい。

2年目も、我が家の珍道中に引き続きお付き合いいただけると嬉しいです。
長い長い振り返り、読んでくれてダンケ!


最後に。
この365日、みなさんからの「いいね」がとても嬉しかった。
そんなつもりはないかもしれないけれど、落ち込んだ日も反省の毎日も「いいね」と言ってくれる味方がいるような気持ちになった。
本当にいつもありがとうございます。

2年目も、変わらず毎日noteを書きます。
(いつか家族の思い出が凝縮された本にしたいな、という野望もある。)
これからも、よろしくお願いします!

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