K-42【第6話】「もう1匹」
ぺた。
ぺた。
暗い廊下の奥から、小さな足音が聞こえる。
K-42は動けなかった。
自分の足音と、同じ音だったから。
研究員も息を潜める。
薄暗い第7区画は、長い間使われていないはずだった。
なのに。
足音は確かに近づいてくる。
ぺた。
ぺた。
K-42は無意識に、白衣の袖を握りしめた。
やがて廊下の奥に、小さな影が現れる。
白い毛並み。
二足歩行。
長い尻尾。
そして、
赤い目。
K-42と同じだった。
「……え」
相手も立ち止まる。
じっとこちらを見ている。
K-42は胸の奥がざわつくのを感じた。
鏡ではない。
でも、少し似ている。
相手の方が、少し小さい。
着ている白衣はぼろぼろで、袖の端が擦り切れていた。
しばらく沈黙が続く。
先に動いたのは、向こうだった。
小さな白い生き物は、ぺこりと会釈した。
ぎこちない、でも丁寧な動き。
K-42は目をぱちぱちさせる。
それは、自分が最近覚えたばかりの動作だった。
「……こんにちは」
K-42がおそるおそる言う。
相手は少し遅れて口を開いた。
「……こんにちは」
声が少し掠れている。
長い間、あまり喋っていなかったみたいに。
女性研究員が小さく呟く。
「被験体……?」
その言葉に、相手の耳がぴくりと動く。
少し警戒したように、一歩下がった。
K-42は慌てて言う。
「だ、大丈夫です」
「……」
「ぼくも、ホワイトマウスです」
相手は黙ってK-42を見る。
赤い目が、ゆっくり白衣へ移る。
「……きれい」
「え?」
「その白衣、きれい」
K-42は裾を見る。
少しだけ嬉しくなる。
「ありがとうございます」
相手はまたじっと見つめる。
まるで、“外の世界の住人”を見るみたいに。
「君は……上の階から来たの?」
「はい」
「今の研究棟は、まだ明るい?」
K-42は頷いた。
「はい。みんな働いてて、コーヒーの匂いがして、朝は少し忙しいです」
相手は静かに目を細めた。
懐かしそうに。
その時。
廊下の奥で、何か大きな影が動いた。
ゴウン。
古い換気設備の音。
……だけではなかった。
研究員が緊張した声を出す。
「K-42」
「はい?」
「ここ、他にも何かいるかもしれない」
静かな第7区画の奥。
暗闇のさらに向こうから、低い呼吸音のようなものが聞こえていた。
