K-42【第7話】「図書室」
低い呼吸音は、しばらくすると聞こえなくなった。
古い換気設備の音だけが残る。
女性研究員はまだ警戒していたが、
ぼろぼろの白衣を着たホワイトマウスは小さく首を振った。
「大丈夫」
「……大丈夫?」
「今日は静かだから」
“今日は”。
その言い方に、
研究員は少しだけ顔をこわばらせる。
K-42は周囲を見回した。
第7区画は、
昔の研究施設がそのまま眠っているみたいだった。
古い掲示板。
消えかけた非常灯。
黄ばんだ注意ポスター。
今の研究棟より、どこか温度が低い。
「君は……ここに住んでるんですか?」
K-42が聞く。
相手は少し考えてから頷いた。
「うん」
「ずっと?」
「たぶん」
“たぶん”。
その言葉が、K-42には少し不思議だった。
相手は記憶が曖昧なのかもしれない。
「名前はあるんですか?」
すると相手は黙り込む。
赤い目が少し揺れた。
「……番号ならある」
「番号?」
「L-13」
K-42はその響きを頭の中で繰り返す。
L-13
自分と同じ。
番号の名前。
でも、
K-42は少し違和感を覚えた。
“名前”と“番号”は、同じではない気がしたから。
その時、
L-13がくるりと振り返る。
「こっち」
「え?」
「見せたいものがある」
L-13は小さな足音を立てながら、暗い廊下を歩き始めた。
K-42と研究員は顔を見合わせ、その後を追う。
曲がり角をいくつも抜ける。
途中、
ガラス越しに古い実験室が見えた。
埃をかぶった机。
止まったままのモニター。
壁に残された走り書き。
行動学習ログ
言語理解試験
模倣実験
K-42は足を止めそうになる。
けれどL-13は迷いなく進んでいく。
やがて一枚の扉の前で止まった。
古い木製の扉。
プレートにはこう書かれている。
Archive Library
L-13は扉を押し開けた。
ぎぃ、と古い音が響く。
中を見た瞬間、K-42は目を見開いた。
「……わあ」
本。
壁一面に、本が並んでいた。
古い紙の匂い。
少し埃っぽい空気。
天井まで届く本棚。
第7区画の図書室だった。
「こんな場所……あったんだ」
研究員が呟く。
L-13は小さく頷く。
「ぼく、ここ好き」
K-42はゆっくり本棚へ近づく。
人間の歴史。
植物図鑑。
星の写真集。
知らない世界が、ぎっしり詰まっていた。
その時、一冊の本が目に入る。
『そとのせかい』
子供向けの絵本だった。
K-42はそっと手に取る。
表紙には、青い空が描かれていた。
「外って……本当にこんな色なんですか?」
K-42が呟くと、L-13は少し黙った。
「ぼく、見たことない」
その言葉に、図書室が急に静かになる。
K-42は本を抱えたまま、窓のない天井を見上げた。
第7区画には、空がなかった。
