K-42【第8話】「読む」
第7区画の図書室には、
時計がなかった。
だから時間の流れが少し曖昧だった。
静かな空間。
古い照明の明かり。
紙をめくる音。
K-42は床に座り込み、絵本を開いていた。
『そとのせかい』
ページには、
青い空と白い雲が描かれている。
「……大きい」
思わず声が漏れる。
空は、天井みたいなものだと思っていた。
でも本の中では、どこまでも続いていた。
「それ、好きなの?」
L-13が近くへ来る。
「はい」
「ぼくも昔読んだ」
「本当に外ってあるんでしょうか」
「あると思う」
「見たことあるんですか?」
「ない」
L-13は本棚へ背中を預けた。
「でも、人間たちが何回も書くってことは、たぶん本当」
K-42は少し考える。
人間は、想像だけでも本を書く。
でも、全部が嘘というわけでもない。
難しい。
K-42は次のページをめくる。
森。
海。
電車。
犬を散歩する人。
「……人間は、外で暮らしてるんですね」
「うん」
「怖くないのかな」
L-13は少し笑った。
「人間も、怖いと思ってるかも」
「え?」
「外、広いから」
K-42はまた考え込む。
広いと、怖い。
それは少し分かる気がした。
第7区画は狭い。
研究棟も決まった場所ばかり。
でも、その分“どこに何があるか”分かる。
知らない場所は、少し不安になる。
その時。
研究員が古い本棚の前で声を上げた。
「……これ」
二匹がそちらを見る。
研究員は、一冊の分厚いファイルを持っていた。
灰色の表紙。
ラベルにはこう書かれている。
行動観察記録
K-Series
K-42の耳がぴくりと動く。
「K……」
研究員はゆっくりページを開く。
中には古い写真が貼られていた。
小さなホワイトマウスたち。
二足歩行の訓練。
道具を使う練習。
そして。
人間の動作を真似する記録。
会釈。
筆記。
掃除。
エレベーター操作。
K-42は静かに見つめる。
自分が毎日やっていることが、
全部そこに載っていた。
「……勉強、してたんだ」
ぽつりと呟く。
すると研究員の表情が曇る。
ページの下には、手書きのメモが残っていた。
“模倣は成功している。
しかし彼らは『理解』しているのか、
それとも演じているだけなのか?”
K-42はその文章を読む。
理解。
演じる。
違いが、すぐには分からなかった。
「……ぼく、演じてるんでしょうか」
静かな声で聞く。
研究員は答えに迷った。
だがL-13が先に言った。
「違うと思う」
「え?」
「だってK-42、自分で考えてる」
K-42は目を瞬かせる。
L-13は本棚を見上げたまま続けた。
「演じてるだけなら、“なんで?”って考えない」
図書室がまた静かになる。
K-42は手元の絵本を見る。
青い空。
知らない世界。
自分は、どうしてそれを知りたいんだろう。
どうして、気になるんだろう。
その答えは、まだ分からなかった。
