「あなたはやはり、優しい子です」|葬送のフリーレン
アニメ『葬送のフリーレン』におけるエルフのフリーレンは、「人の感情がわからない」というキャラクター設定になっている。
私はこれは、「人は誰しも、他人の感情や、ひいては自分の感情すらわからないことが多いのではないか」という問いを表していると考えている。
人類を人間とエルフという「違う人種」として描き分けることで、「私たちは、自分自身のことがわからない」という輪郭を浮かび上がらせているように思うのだ。
また「感情がわからない」「感情に名前がつけられない」ということと「感情がない」ことは、まったく別物だ。
* * *
『葬送のフリーレン』という物語の中で、人類は常に魔族の暴力と支配に怯え、自分や自分の大切な人が命を失う恐怖や、実際に失った悲しみと隣り合わせで生きている。
しかし『葬送のフリーレン』の主な登場人物の中で、喪失の悲しみや悔しさという感情の発露として涙を流す大人は、ひとりしかいない。
フリーレンだ。
物語が始まってすぐのS1E1『冒険の終わり』で、勇者ヒンメルはあっさり亡くなってしまう。
ヒンメルの棺が埋葬される横で、フリーレン、ハイター、アイゼンは並んで立っている。
フリーレンはそこで、大粒の涙をこぼす。
だって私、この人のこと何も知らないし。
たった10年、一緒に旅しただけだし。
人間の寿命は短いってわかっていたのに、なんでもっと知ろうと思わなかったんだろう。
この段階では、私もまだ、フリーレンのことを何も知らない。
ヒンメルとフリーレンの関係性、彼らが冒険でどのようなことを一緒に経験し、何を語り合ってきたのか、何も知らない。
それでも私は彼女の感情に、ぐっと引き込まれた。
フリーレン自身も、なぜ涙がこんなに出るのか、自分は悲しいのか、悔しいのか、寂しいのか、わかっていないんだろうと思った。
自分で自分の感情に名前がつけられなくても、身体は先に反応する。
肩や手に力が入る、身体が震える、目頭が熱くなる、涙がこぼれる。
その身体的な反応に、私の感情も引っ張られた。
* * *
S1E2『別に魔法じゃなくたって…』では、今度は僧侶のハイターが亡くなる。
ハイターはヒンメルの死後、戦争孤児であるフェルンの育ての親となっていた。
ハイターは、両親を亡くしたフェルンに大切な人を失う悲しみを再び与えたくないから、自分が生きているうちにフェルンを連れて旅立ってほしいとフリーレンに頼む。
しかしフリーレンは、この旧友の頼みを断る。
また格好をつけるのか、ハイター。
フェルンはとっくに、別れの準備はできている。
おまえが死ぬまでにやるべきことは、あの子にしっかりと別れを告げて、なるべくたくさんの思い出を作ってやることだ。
こう話しながら、フリーレンは、ハイターが寝ているベッドの脇に置かれた椅子に座っている。
膝の上で硬く握りしめた手の甲に、大粒の涙をたくさん落とす。
肩を震わせながら、泣きつづける。
ハイターは穏やかな声で、以下のように返す。
フリーレン。
あなたはやはり、優しい子です。
* * *
「人の感情がわかる」って、一体どういうことなんだろう。
私はフリーレンを見ていると、いつも考えさせられる。
フリーレンは、「人の感情がわからない」と言われ、だからこそ「冷たい人」と評されている。
しかし私のなかでは、「人の感情がわからない」ことと「冷たい人」であることは、必ずしも直結しない。
物語の中で、誰よりも素直に悲しみや悔しさ、寂しさといった感情を人間らしくさらけ出しているのは、フリーレンだ。
「人の感情がわからない」ことと「温かい人」であることは、両立できる。
ハイターはフリーレンの温かさと優しさを、ちゃんと見抜いていた。
だからこそ、「やはり」と言ったのではないか。
私はハイターのセリフをもう一度、頭の中で再生する。
フリーレン。
あなたはやはり、優しい子です。
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