「まるで魔法のような、素敵な言葉」—言葉と暴力の歴史の物語 | クロス考察:『葬送のフリーレン』✖️『ガラスと雪のように言葉が溶ける』
アニメ『葬送のフリーレン』は、ゆったりとしたテンポで話が進み、登場人物たちが互いに関係性を深めながら冒険をする物語である。
醸し出される世界観は、いたって和やかだ。
一方で『葬送のフリーレン』とは、人間の言葉と暴力の歴史の物語でもあると思う。
ときにコミカルに、仲良く言葉を交わしながら旅路を進めるフリーレン一行だが、行く先々で彼らを待ち受けるのは、死の危険を伴う戦いばかりだ。
私たちが心穏やかに見続け、考え続けることができる余白や余韻を残しながらも、彼女たちは常に死と隣り合わせであり、行く先々で戦っている。
魔王を倒しても、一級魔法使いの試験を通過しても、力による支配との戦いは終わらない。
この点をもう少し掘り下げて考えたいと思っていた折、友人からの勧めで『ガラスと雪のように言葉が溶ける-在日韓国人三世とルーマニア人の往復書簡』という本を読んだ。
溶け合うように滑らかで穏やかな言葉で綴られる往復書簡のテーマは「言葉」であり、「暴力」であり、「差別」「家族」「歴史」といったものだ。
また本書の中には、『葬送のフリーレン』についての記述がある。
しかもそこには、以前に私がnoteに書いた記事で取り上げたセリフが、ほぼ同じ文脈で引用されていた。
私の中で強くリンクするものがあったので、本の一部を抜粋し、クロス考察しながら、いつもとは違う角度から『葬送のフリーレン』という物語の理解を深めていきたいと思う。
あらすじ
『ガラスと雪のように言葉が溶ける』
在日韓国人三世の尹雄大と、ルーマニア出身のイリナ・グリゴレが、日本語という言語を通して、自分のルーツ、家族、移動、暴力、違和感、他者との関わりなどをテーマに交わした往復書簡。
それぞれ異なる背景や移動の歴史を持つ二人が、自身の経験や感覚を起点に、社会の中で見えにくくなりがちな痛みや生きづらさについて、互いの手紙を通じて見つめていく。
『葬送のフリーレン』
勇者ヒンメルたちとともに魔王を倒したエルフの魔法使い・フリーレンが、勇者一行との旅を終えた後も冒険を続け、人間を知ろうとしていく物語。ヒンメルの死をきっかけに、フリーレンはかつての仲間たちとの旅の意味や、自分が十分に知ろうとしてこなかった人々の感情について考える。
魔王討伐後の世界でありながら、旅路には魔族や魔物との戦いが絶えない。
フェルン、シュタルクという新たな仲間を加えたフリーレンのパーティーは、行く先々で命の危険に直面する。
「まるで魔法のような、素敵な言葉」(『葬送のフリーレン』 - 魔族の子ども)
『葬送のフリーレン』に描かれる言葉の操作性と力による支配との結びつきについては、今までもたびたび書いてきた。
物語の中で世界を力で支配しようとしている魔族にとって、言葉は人間を欺く術でしかない。
力を操るのと同じように、平和的で美しい響きの言葉や、人間の情に訴えかけるような悲壮な叫び声を操り、人間の心を支配しようとする。
象徴的な例は、以前のnote記事でも紹介したS1E7『おとぎ話のようなもの』に出てくる回想シーンだ。
魔族に襲われたとある村を守るため、ヒンメル一行は戦っている。
しかし子どもの外見をした魔族が「痛い。痛いよ、お母さん」と言葉を発した瞬間、ヒンメルは戦うことができなくなってしまう。
「今殺しておかないと後悔する」と言う仲間のフリーレンの声さえ、彼の耳には届かない。
結果、この魔族の子どもは後に村長の家を焼き、村長を殺害する。
魔族は人生のほとんどを天涯孤独で過ごすため、「家族」という概念すら持っていない。
それでも彼らは「お母さん」という言葉を使う。
なぜか?
魔族の子どもはその問いに、こう答える。
だって、殺せなくなるでしょ。
まるで魔法のような、素敵な言葉。
「言葉は私にとって放射能だ」(『ガラスと雪のように言葉が溶ける』—イリナ・グリゴレ)
無知な私は、ルーマニアという国の歴史や、現状についてほとんど知らなかった。
現時点でも「知っている」とは到底、言えない。
イリナさんが書いているルーマニアの現状や社会が抱える数々の問題、彼女が幼い頃から経験してきた暴力については、ここには詳しくは記述しない。
しかし私にとっては、どれも衝撃的だった。
そんな彼女が、とある飛行機の中でアニメ『葬送のフリーレン』を見たときのことを記している。
私がイリナさんの文章を読んで感じたのと同じように、『葬送のフリーレン』を見た彼女も「衝撃的だった」という言葉を使っていた。
第7話は私にとって衝撃的だった。私がよく知っている、「おとぎ話のようなもの」の中にも暴力が隠されている。魔族の間には家族という概念さえ存在しない。それでも人を騙すため言葉を使う。「お母さん」とは魔法の言葉だ。「彼らにとっての言葉は人類を欺く術だ」という主人公の台詞が頭から離れない。
私がnoteで取り上げたのと同じセリフを、ほぼ同じ文脈で、イリナさんも感じ取っていた。
さらにイリナさんは、こう続ける。
そうだ、本当の言葉を探し続けてきた私にとって、今の世界はそう見える。プロパガンダ、マーケティング、家族、愛、すべて言葉で欺かれる。言葉は私にとって放射能だ。
「言葉は私にとって放射能だ」とは、かなり強い言葉だ。最初、そう思った。
しかし私の中で、ここまで書かれてきた彼女の人生の話と、フリーレンの世界が混濁してくる。
そして思い直した。
ぴったりな表現なのかもしれない、と。
「いま魔物に襲われたら、全滅しますよ」(『葬送のフリーレン』 - フェルン)
アニメ『葬送のフリーレン』に描かれる暴力は、もちろん言葉による操作だけではない。
フリーレン一行が移動する先々では、避けることのできない戦闘が待ち受けている。
第2期の1話目(S2E38)『美しい光景』では、冒頭から「封魔鉱」と呼ばれる、魔法を封じる鉱石が登場する。
金銭的な価値こそあれ、その石がある半径数メートルの範囲では魔法が使えなくなってしまう。
手で掴めるくらいの大きさの封魔鉱であっても「豪邸が買える」と自慢げに話すフリーレンに、フェルンはまったく興味を示さない。
そして、以下のように言う。
でも、近くにあるだけで魔法が使えなくなるんじゃ、持っていけませんね。
道中が危険すぎます。
そんな石、はやく捨てちゃってください。
いま魔物に襲われたら、全滅しますよ。
アニメの中ではほんの数十秒程度の会話だが、ここにフリーレンたちの冒険の過酷さが詰まっているように思う。
彼女たちにとって、ほんの短い期間でも魔法が使えなくなることは、死に近づくことを意味する。
実際このあとすぐフリーレンたちは、多くの封魔鉱が眠る地下の洞窟に落ち、一時的に魔法を封印されてしまう。
なかなか外へ出られず、洞窟の中で野営をすることになったとき、フェルンはシュタルクにこう打ち明ける。
私は怖くてたまらない。
魔力探知すら使えないんです。
こんなことは、生まれて初めてです。
まるで、暗闇に放り込まれたみたい。
「人類の歴史は移動の歴史であり、暴力の歴史でもある」(『ガラスと雪のように言葉が溶ける』—イリナ・グリゴレ)
『木漏れ日』という章で、イリナさんは彼女の娘たちと一緒に、5年ぶりにルーマニアを訪れている。
美しい夕焼けのピンク色を見ても、まったく感情が動かなくなってしまった頭で、彼女は考えている。
「なんでここに来たのか?」と。
そしてこう綴っている。
着いて2日でわかった。来ないほうがよかった。
着いて10日でまた身体が傷つけられた。
着いて11日、行くところなく、娘と一緒にほぼ知らない方の家に泊る。
まったく異なる状況、文脈、フィクションの物語と現実というすべての違いを乗り越えて、私はここに、『葬送のフリーレン』S2E38で「まるで、暗闇に放り込まれたみたい」と言ってうずくまるフェルンの気持ちが、すこし重なるように思った。
イリナさんはこの後、移動を繰り返してきた自身の人生と、生まれた場所から一度も移動していない彼女の祖父母について思いを馳せながら、以下のように続ける。
私の祖父母のようにずっと生まれた場所から移動してない人々がいれば、私のようにずっと移動し続ける人もいる。人類の歴史は移動の歴史であり、暴力の歴史でもある。暴力から逃げて移動する人々がいれば、移動先で暴力に遭う人もいる。このループから結局逃げられない。
この部分を『葬送のフリーレン』というフィクションの世界と比較して書くことは、軽率かもしれない。
でも、向かう先々で戦闘を続けるフリーレンたちを見ていると、思ってしまうのだ。
『葬送のフリーレン』はやはり、人類の移動の歴史と、そこに必ずある暴力の歴史について描いている。
【まとめ】和やかな世界観で、言葉と暴力の歴史を描くということ
私は『葬送のフリーレン』という作品が大好きだ。
今回のクロス考察を通して、決して『葬送のフリーレン』を希望のない物語だと書きたかったわけではない。
むしろ逆だ。
『葬送のフリーレン』の世界観は常に和やかで、希望がある。
穏やかに流れる時の中で、心温まるような人々の交流を描きながら—。
それでも人類は暴力や言葉による操作から逃れられない、という事実が淡々と描かれる。
なぜか。
それは、おそらく「現実の世界がそうだから」だろう。
表面上どれだけ平和であっても、人類は歴史上、暴力や言葉による操作から逃れられたことがない。
暴力や支配の構造は、フィクションの話ではなく、人類の歴史の中にずっとある。
平和な雰囲気に覆われいても、美しい言葉によって隠されていても、なくなったわけではない。
『葬送のフリーレン』はそのことを、和やかな世界観のままに描き出している。
だからこそ私は、その秀逸さについて考えてみたかった。
『ガラスと雪のように言葉が溶ける』とクロス考察することで、『葬送のフリーレン』を、いつもとは異なる角度から見ることができたように思う。
また、フィクションの物語と並べることで、イリナ・グリゴレさんが綴った現実の出来事を矮小化する意図はまったくない、ということも、最後に書き添えておきたい。
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