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選べない座標系と選べる境界線 ― 浦安・行徳と富山・飛騨に透けて見えるもの


1. 導入:二つの事例をつなぐ枠組み

以前、浦安市と行徳地域の関係について「座標系」という考え方を使って書いたことがある。
行政制度や生活圏、教育、インフラ、治安といった、政策や意思決定によって上書きできる「人為的な座標系」と、地理・自然条件・災害リスクという、都市の意思とは無関係に存在し続ける「選べない座標系」を分けて捉える、という視点である。

まったく別の話題を追いかけているうちに、この枠組みがもう一度顔を出す場面に出くわした。
富山空港の愛称が「富山高山すし空港」に変わったというニュースを追ううちに、富山県と岐阜県飛騨地方の関係が、浦安・行徳の関係と驚くほど似た構造を持っていることに気づいたのである。

対象となる地域も、当事者としての立場も、まったく異なる二つの事例である。
しかし並べてみると、「選べない座標系」と「選べる境界線」という同じ骨格が透けて見える。
この一致がどこまで一般化できるのか、確かめてみたい。


2. 座標系のおさらい

まず、以前の記事で提示した枠組みを簡単に振り返っておく。

都市や地域には二種類の座標系がある。ひとつは、行政区分・財政制度・教育制度・インフラ整備の方針といった、時間をかければ政策で調整可能な座標系である。
もうひとつは、地盤や水系、地形、災害リスクといった、自治体がどう意思決定しようと動かしようのない座標系である。

浦安・行徳の記事で導いた結論は、単純だが重みのあるものだった。
行政境界は被害を分断しない。
地理条件は、自治体の意思とは無関係に現実を突きつけてくる。

この命題は、もう少し広く一般化できるのではないか、というのが今回の出発点である。
すなわち――行政境界は生活圏を分断しない。
地理・歴史的な結びつきは、行政区分の意思とは無関係に、実態としての交流圏を形作ってきた。


3. 事例A:浦安・行徳 ― 当事者としての座標系

浦安市と行徳地域は、旧江戸川を挟んで行政区分は異なるが、地盤・水系・成り立ちという点では極めて近い条件を共有している。
埋立地・低地が多く、液状化リスクを抱え、高潮や内水氾濫の影響を受けやすいという地理的条件は、千葉県か東京都か、市か区かという制度上の違いとは無関係に連続している。

東日本大震災で浦安市が大規模な液状化被害を受けたことはよく知られているが、同様の地質条件は行徳地域にも連続していた。
平時であれば「行政サービスの違い」として語られる差異は、災害という座標系が前面に出た瞬間、一気に相対化される。
同じ地盤が揺れ、同じ水があふれ、同じ交通網が寸断される。

ここから導かれるのが、「平時は競争し、非常時は連動し、前提条件は共有する」という関係のあり方である。
浦安市単独で都市像を完結させることには限界があり、生活圏も災害リスクも、
すでに市境を越えて連続している。
行徳地域は競争相手であると同時に、同じ制約条件を共有する隣人でもある、という位置づけになる。

この記事は、行徳・浦安に30年以上暮らしてきた当事者としての実感から出発している。
液状化の記憶も、日々の生活圏の広がりも、自分自身が生きてきた実感の延長線上にある。


4. 事例B:富山・飛騨 ― 部外者としての座標系

対して、富山と飛騨の関係を考えるとき、私は当事者ではない。富山にも岐阜にも縁のない、いわば第三者としてこの構造を眺めている。

富山空港の愛称が「富山高山すし空港」に変わったというニュースをきっかけに、県境をまたいで隣県の地名を空港名に組み込むという、全国的にも珍しい命名の背景を調べていくと、そこには数百年単位の歴史が横たわっていた。

富山と高山を結んできたのは、江戸期からの飛騨街道である。
神通川(岐阜県側では宮川)の谷筋に沿ったこの道は、富山湾のブリを飛騨まで運んだことから「ぶり街道」とも呼ばれ、米・塩・海産物と木材・鉱物が行き交う交易路として機能してきた。
飛騨地方はそもそも地理的に隣接する富山県との結びつきが強く、両者を合わせて「飛越地方」と呼ぶことさえある。
一方で飛騨は、同じ岐阜県内の美濃地方とは飛騨山脈によって隔てられ、行政統合そのものも明治期に入ってからのかなり遅い出来事だった。

つまりここでも、「選べない座標系」――山脈という地形、神通川という水系、街道という交易の蓄積――が、県境という「選べる境界線」とは異なる形で、生活圏・交流圏を形作ってきたのである。
ただし今回の私の立場は、浦安の記事とは決定的に違う。
ここで語っているのは自分の生活実感ではなく、報道と歴史資料をもとに組み立てた、あくまで外側からの構造分析である。


5. 二つの事例を重ねる

対象も距離感もまったく異なる二つの事例だが、並べてみると同じ骨格が浮かび上がる。

まず、選べない座標系は行政区分の成立よりも古い。
浦安・行徳の地盤や水系は、市境が引かれるはるか以前から連続していた。
富山・飛騨の神通川水系や飛騨街道も、県境という制度よりずっと前から、生活と交易の実態を形作ってきた。
人為的な座標系は、常に選べない座標系の上に、後から線を引く形で成立している。

次に、選べる境界線は後発でありながら、住民の意識やアイデンティティに強く根を張る。
富山県民が「富山高山すし空港」という命名に示した反発は、まさにその表れだった。
行政区分は制度上の便宜として引かれた線にすぎないはずなのに、一度定着すれば、それ自体が住民の帰属意識を支える実体になっていく。
浦安と行徳についても、市境・県境をまたぐ交流の蓄積とは別に、それぞれの住民が抱く「浦安らしさ」「行徳らしさ」は確かに存在する。

そして、平時と非常時・広域課題の局面で、座標系の優先順位が入れ替わる。
浦安・行徳では、平時の行政サービス競争が、災害という選べない座標系の前では相対化され、連動が現実的な選択肢として浮上する。
富山・飛騨でも、平時は観光客や予算をめぐる県単位の競争があるが、インフラの老朽化や人口減少という広域課題の前では、県境を越えた連携(道路整備など)がすでに部分的に動き出している。


6. 当事者性の違いがもたらす見え方の差

ここまで二つの事例を重ねてきたが、書きながら気づいたことがもう一つある。
それは、当事者として書いた文章と、部外者として書いた文章では、同じ「座標系」という概念を使っていても、筆致がまるで違ってくるということだ。

浦安・行徳について書いたときは、液状化の記憶も、日々の生活圏の広がりも、自分の実感から出発していた。
だから「浦安市単独で完結しない」という結論には、多少なりとも当事者としての踏み込みがあった。
一方、富山・飛騨について書いたときは、当事者の声を報道から引用することはできても、自分自身がそのアイデンティティの内側に立つことはできない。
だから「県境を越えた連携が望ましい」という一歩先の提言までは踏み込まず、構造を提示するところで筆を止めることになった。

この違い自体が、実はこの概念の応用範囲を裏付けているようにも思う。
座標系という枠組みは、当事者にとっては「自分たちの生活をどう守るか」という切実な問いになり、部外者にとっては「なぜ人はこの線引きにこれほど執着するのか」という観察の対象になる。
同じ構造が、立つ場所によって違う手触りを持つ、ということ自体が、この概念がそれなりに汎用性を持っていることの証左なのかもしれない。


7. 一般化:日本の地方自治に共通する構造

視野を広げれば、これは浦安・行徳や富山・飛騨に限った話ではない。
日本の都道府県・市区町村という行政区分の多くは、明治初期の廃藩置県など150年ほど前の政治的経緯で引かれた線であり、当時の統治の都合が優先された結果、必ずしも地理的な生活圏の実態に基づいて設計されたわけではなかった。

この不整合は、繰り返し議論の的になってきた。
道州制のように、都道府県という単位そのものを再編しようという構想は、明治以来何度も浮上しては、実現に至らずにきた。
かわって現実に進んできたのは、都道府県や市町村という単位そのものは維持したまま、連携中枢都市圏や定住自立圏、都道府県による補完・支援といった形で、境界の「隙間」を個別に埋めていくという、より穏当なアプローチである。

浦安・行徳における広域連携の模索も、富山・飛騨における道路整備や今回の空港改称も、大きな制度改革を待たずに、実態が先に境界の隙間を埋めにいった事例として捉えることができる。
全国のどこかで、同じような「選べない座標系」と「選べる境界線」のズレが、日々静かに調整され続けているのだろう。


8. 結び

選べない座標系に対して、人間が引いた選べる境界線は、どこまで従属すべきなのだろうか。
あるいは、どこまで独立していられるものなのだろうか。

浦安・行徳では、その問いは自分自身の生活に直結する切実さを持って立ち上がってきた。
富山・飛騨では、同じ問いが、県境の外から眺める者にとっての知的な関心として立ち上がってきた。
立つ場所によって手触りは変わるが、問い自体はおそらく同じところに帰着する。
行政の線引きと、地理・歴史が刻んだ実態との間には、常にわずかなズレがあり、そのズレをどう埋めるか、あるいは埋めずに共存させるかという判断は、これからも各地で繰り返されていくのではないだろうか。


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