写真がつまらなくなった理由は、技術じゃなかった|365日の迷子の果て
ようやく。
本当に、ようやく。
最近また、
写真が楽しくなってきた。
ここに辿り着くまでに一年かかった。
長かった…長かったぞー!!と、
フリーザ様のテンションで叫びたくなるくらいだ。
2025年の僕は、ずっと迷っていた。
機材は揃っている。
技術も、以前より上達しているはず。
でも、楽しくない。
シャッターを切っても、心が動かない。
写真が、義務になっていた。

なんのための写真なのか
Instagramに投稿するため。
リーチを伸ばすため。
“ちゃんとした写真”を出すため。
気づけば、
初期の「楽しいから撮る」という純粋さを忘れていた。
SNSで評価される写真を撮ることが、いつの間にか目的になっていたのだ。
綺麗な光。
整った構図。
無難な色味。
でも、そこに魂はなかった。
足りなかったのは、技術じゃなかった
当時の僕に足りなかったのは、視点だった。
世界をどう見るか。
なぜこの瞬間を残したいのか。
その問いを、自分に向けていなかった。
他人軸で写真を撮っていたら、そりゃ楽しくない。
誰かのために撮るなら、
インターネットの海の向こう側よりも、
目の前にいる人のための方がいい。

うまくなりたいより大事なこと
僕は、うまく撮ることをやめた。
同じ場所で、同じ構図を繰り返す習慣も手放した。
雨の日も出た。
寒い日も歩いた。
面倒でも、身体を動かした。
それは、カメラを買ったばかりの頃と同じ衝動だった。
すると、写真に体温が戻ってきた。
体感がなければ、生まれるものに温度は宿らない。
つまらなさの正体
そして、ようやく気づいた。
写真がつまらなかったのは、
本気で向き合っていなかったからだ。
写真に、ではない。
自分の「表現」に向き合っていなかった。
上手いか下手かではない。
何を写したいのか。
何を残したいのか。
伝わらなくてもいい。
それでも撮りたいと思えるものがあるか。
そこだった。
機材のせいでも、時代のせいでもない。
自分の態度の問題だった。

写真という表現
写真は、思考の痕跡だ。
何を感じ、何を残したいと思ったか。
だから僕は写真が好きなのだ。
どれだけ言葉を並べても、
一枚の写真に敵わないと感じる瞬間がある。
それが写らないなら、
どれだけ上手くても虚しい。
僕が求めていたのは、技術ではなかった。
もし今、写真がつまらないなら、
技術や機材を疑う前に、
まずは自分の視点を疑ってみてほしい。
なんのために、誰のために、
写真を撮るのか。
それだけで、写真は少し変わる。
…多分ね。
僕はそうだったから。
合わせて読みたい
参考動画
Andyのデジタル写真集
定価350円〜660円(試し読み無料)
*Kindle Unlimitedなら無料読み放題
LUCENT BLUEーいつかの光、これからの風ー
NOSTALGIA: 心の旅
「雨光幻影」ー滲む世界と、溶ける色彩―
いいなと思ったら応援しよう!
いただいたチップで、コーヒー飲みながら次の記事を書かせていただいております✨