本当にこれでよかったのか…”―― ケースワーカーの後悔
「もう出発しますよ。」
車の運転席から母親に話しかける。
──はい。
か細い声と、今にも泣き出しそうな表情。
車に乗った幼い我が子を見つめている。
「ごめんね…。」
そう一言つぶやいたあと、顔を手で覆った。
保護施設へと出発した車。
子どもは状況も分からず、
手渡されたおもちゃで遊んでいた──
施設に到着すると、子どもはようやくその事態に気づき、泣き始める。
しかし、悲痛な声とは関係なく、施設の職員が泣き叫ぶ子どもを抱えて、施設へ入っていった。
ケースワーカーの後悔
ケースワーカーの仕事をしていると、様々な場面に立ち会います。
・サービスが入って安堵している様子
・仕事に就いて頑張っている様子
・悩み事が話せてスッキリしてる様子 など。
"この仕事をやっていてよかったな"
そう思える場面は
数え切れないほどあります。
でもその裏で、たくさんの"後悔"をしているのも、また事実なんです。
先ほどの例は、子どもを養育できないシングルマザーと、施設に預けられる子どもの、別れの場面です。
子どもの悲痛な泣き声や、母親の何とも言えない表情は、恐らく忘れることはないでしょう。
なぜ、後悔するのか
簡単に言えば、
"望んだ結果にならなかったから"
ケースワーカーは、クライエントのニーズを満たすために、日々動いています。
その結果、クライエントの望まぬ形になれば、
"自分の動きが悪かったかもしれない"
そう思うのも当然ですよね。
しかし、本当にそうなのでしょうか。
後悔することは、
ケースワーカーにとって
当然のことなのでしょうか。
考えの転換
ケースワーカーの動き次第で結果が変わる──
それは半分正解で、半分間違いです。
なぜ"間違い"なのか。
それは、ケースワーカーができることには
限りがあるからです。
例えば、ヘルパーが必要な高齢者に対し、希望どおりにサービスを導入したとします。
しかし、「女のヘルパーにしろ」、「料理がまずいんだ」などと、クライエントが色んなクレームを入れた結果、どこのヘルパー事業所も受け入れなくなってしまいました。
どうでしょう。この事案、ケースワーカーとしてできることはありそうですか?
必死にサービスを調整したのに、結果は上手くいっていませんよね。
かなり極端に聞こえるかもしれません。
しかし、最後の判断をしたり、その後どんな対応をしていくかは、クライエントにしか決められないんです。
ケースワーカーができること
ケースワーカーは、「結果」自体を操作することはできません。その結果に向けた「過程」こそ、ケースワーカーが介入するところなんです。
話を最初に戻します。
ケースワーカーは、結果に対して後悔する必要はあるのでしょうか。
本来ケースワーカーが考えるべきは、
「最善を尽くせたか」
ということではないでしょうか。
いくらでも後悔できる理由はあるでしょう。
しかし、ケースワーカーがしてきた動きや判断は、その都度"最善"をとっていたはずなんです。
厳しく言えば、変えられない結果に対して「あの時あぁしていれば」と悩むのは、少しでも自分の心を和らげるために、あえて"後悔"をしているだけではないでしょうか。
ケースワーカーがコントロールできるのは「結果」ではなく、そこに至るまでの「過程」だけ。
その過程において、「最善」を尽くしたのなら、出た結果はクライエントの人生そのものです。
そして、ケースワーカーを待っているクライエントは1人ではありません。
後悔するのではなく、支援が、"最善"であったかを評価し、次の支援へと昇華していく──。
それこそが、プロのケースワーカーとして、目の前のクライエントと持続可能な支援を続けていくための、本当の「支援」なのです。
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