そしてみんな40になった③:平成を作った四十路達
前回から1週間以上が経ってしまいましたが、自分でもなんて重たいテーマを引っ張り出してきたんだろうと思いつつ…
引き続き、ミュージシャンが40歳に到達するときにどんな作品が発表されてきたかを追っていく記事となります。
第三章!
▼前回はこちら
そしてみんな40になった
作成条件
曲の著作者(歌手、バンマス、作曲家)いずれかが40歳の誕生日を迎えた前後に発表した曲
作品の構想時期などは不問とし、あくまでリリース日を軸に、最長でも誕生日情報から前後1年以内で、最も誕生日に近い楽曲を選出
誕生日は、Webでヒットする情報を参照
1アーティスト1曲のみとすること
40名分までの選出とすること
曲順は若い方が先に
2025年3月末に(一旦)完成
連載の章立て
計40名のアーティストを紹介していくにあたり、普段の文章量ではファットな記事になりそうなので分割しています。
プレイリスト作成中はあまり意識しなかった和暦を意識した章立てをしています。
①「平成を超えた人達」:〜1980年生まれ
②「平成を担った人達」:〜1970年生まれ
③「平成を作った人達」:〜1960年生まれ
④「伝説を作った人達」:1959年生まれ〜
プレイリストガイド「そしてみんな40になった」③
今回は、1960年代生まれの人々を「平成を作った人達」として追ってみたいと思います。
川島道行(BOOM BOOM SATELLITES):1969年8月24日生
↓2009年
「BACK ON MY FEET」
40歳でこんな先端的な表現が出来るもんです!?
勿論、これは一朝一夕にできた代物ではなく、クラブ発のロックバンドとして海外で火がつき、逆輸入的に日本国内で(たぶんアニメ映画の影響で急速に)認知された2004年の4thアルバム「Full of Elevating Pleasures」から確立させてきた、踊れるブチ上がれるに留まらない「歌える」音楽を磨き上げてきた、ひとつの完成形のような曲だと思います。
現に、この曲を収録したアルバム「TO THE LOVELESS」を引っ提げたライブが、彼等初のライブアルバムとして残っていますので。
楽曲の完成度と合わせて彼らの音楽に触れる上で無視できないのは、ボーカル川島さんの闘病について。
1997年のデビュー時点で脳腫瘍が見つかっており、2016年に逝去するまでの間も手術を繰り返していた、まさに魂を削りながら行っていたアーティスト活動。
腫瘍を摘出していく度、創作どころか普段の生活に必要となる感覚をも犠牲にしながら、いつ尽きるとも知れない命を音楽に燃やした一生については、知れば知るほど頭が上がらなくなります。
そこには最早「40歳になったなぁ」などと感慨に耽る暇もなかったことでしょう。
小山田圭吾(Cornelius):1969年1月27日生
↓2009年
「THE SUN IN DOWN!」(The Placstic Ono Band に所属)
↑この曲、レディ・ガガを呼んでLIVE演ってたりなんかしたのか…!
2006年「Sensious」を発表し、Corneliusとしての音楽を一度完成させきった小山田圭吾はこの時期、他のアーティストのサポート活動に専念していました。
師事した先はオノ・ヨーコやらYMOメンバーやら、レジェンド揃い。
ファンとしては個人名義の新作を待望する気持ちが強かったものの、関与された作品ではほぼすべてに「小山田印」を感じる事ができましたし、人生史として俯瞰すると、40代を自身の鍛錬に充てるという過ごし方にするのもアリですよね。
鍛錬の成果は後年に「デザインあ」「攻殻機動隊」などで拡張された表現先に発揮され、またそうした課外活動で得たのかもしれない「歌」への魅力の再発見もされ、「Mellow Waves」以降には感涙できる歌モノ作品が込められるようになりました。
1969年生は他に、hyde(L'Arc~en~Ciel)、福山雅治、デイヴ・グロール(フー・ファイターズ)、ジェイ・Zなどが並びます。
石野卓球(電気グルーヴ):1967年12月26日生
↓2007年
「モノノケダンス」
電グル完全復活の狼煙は妖怪によって立ち上られた!
30代は電気が一旦活動を休止、しかしスチャダラパーとの共作を経て調子を取り戻し、この40歳から電気グルーヴにてアルバム3部作「J-POP」「YELLOW」「20」を練成しました。
極上のダンストラックから「人生」時代を彷彿とさせるナンセンス曲までも幅広く対応しつつ、既にソロで得ていた世界的評価をロックフェスの世界にも殴り込ませる活躍を見せ始めた季節です。
草野マサムネ(スピッツ):1967年12月21日生
↓2007年
「さざなみCD」
スピッツを語るのって何故か憚られます。
実はちゃんと聴くのがすごく難しいバンドなんじゃないかと抵抗してしまうのです。
聴いている間は夢見心地でいられるのですが、ふと一歩退いたときに「自分はどこまで彼等の音楽を理解したフリができてるんだろう?」と思っちゃうんですよね…
周囲でスピッツのことを好きなアーティストの筆頭に挙げる人がみな、彼等の音楽を自身の宝物のように捉えてる印象がすごく強いからかなと思います。
そんな本心もありつつ頑張って描きますと、こちらは前年にバンドのデビュー15周年で"正式"ベストアルバムをリリースし終えてからの初アルバムですね。
コタツ記事味が強まってしまうのでリンクは貼りませんが、あるサイトで歴代アルバムの人気投票をしたら1位になった作品だそうです。
この作品に特化したコメントを残すよりも思うのは、バンドがデビュー以降纏っているブランドイメージを全く崩すことなくここまで辿り着いてることへの感銘です。
マサムネさんの声は「口から音源」と代名詞として2025年現在も君臨していますし、パブリックイメージである優しく心温まる楽曲を生産し続けながら、個々のトラックではデビュー当時のようなパンキッシュさや冒険心も忘れていません。
まるで「ちょっと通うには大変だけど潰れずに営業しててほしい老舗の小料理やさん」のような佇まいです。
坂本慎太郎(ゆらゆら帝国):1967年9月9日生
↓2007年
「空洞です」
このプレイリストで最も格好良いところに収まった楽曲と選曲です。
この2007年にゆら帝は解散を発表するのですが、その理由は「この3人でしか表現できない演奏と世界観に到達した、という実感と自負」というものでした。
これに納得できる作品をきちんと発表しているところが、格好良さを引き立たせます。
画像のアーカイブが入手できてないのですが、バンドの公式webサイトは当時、時間の経過と共にメンバーの写真が消えかかっていくという演出が成されていたらしいのです。これは制作コンセプトが「自分たちの存在を作品からどこまで消し去ることが出来るか」をテーマに据えていたからとのこと。
上記mvもメンバーの姿は半透明で、今にも消えてしまいそう。
彼等の作品は、特に終盤の数枚で引き算の美学が徹底されており、一聴するとまるで曲を作って歌っている人間が存在しないかと錯覚するほどに、良い意味で作家の個性を感じない、それでいて他バンドでは絶対に聴けないサイケな世界が横たわっています。
表現活動の成果が最も衆目を集めるタイミングでそれを辞めるという活動計画は、近年の人気漫画家などでも主流になってきていますが、直近の成功に固執しないことで、その世間に認められた作品のブランドを確固たるものに仕上げるという行動は、これからのアーティストには自然な手段になっていくのかもしれませんね。
筆者なんかだったら小心者なんで、もし一度成功したら擦りに擦って骨までしゃぶりつくそうって思っちゃいそうなものですが…
大沢伸一(Mondo Grosso):1967年2月7日生
↓2007年
「OUR SONG」
趣味のままに並べたら同学年の人を4人も挙げてしまってましたね、やっちゃったなぁ。
しかし、ソースはWikipediaを頼ってしまうのですが、彼のバイオグラフィーは丁度10年区切りにステージを変えていて本テーマと相性が良いと思いました。
30歳(1996年):自身のバンド「Mondo grosso」から自分以外のメンバーが脱退し、同バンドを個人プロジェクトに移行
↓
「Life feat.bird」「Everything needs love feat.BOA」などゲストを招いたヒット曲を連発
↓
40歳(2006年):ソニーからavexへの移籍に合わせて個人名義の活動を開始
↓
50歳(2017年):モンド・グロッソ再始動
という中で2007年に発表した初のソロアルバム「The One」に収録されたのがこの知る人ぞ知るアンセム。
調べるまで知らなかったんですが、曲のボーカルはULTRA BRAiNというハイスタの難波さんが主宰していたバンドから呼んでたらしい。
どおりで妙にフェス映えが強い曲だと思いました。
吉井和哉(THE YELLOW MONKEY):1966年10月8日生
↓2006年
「WEEKENDER」
とっくにロックスターなのに、40歳イヤーにめちゃめちゃ熱い労働賛歌を発表していました。
イエモンもまた、一度は解散をして二度と結成は無いのではないかと思われていたバンドのひとつですよね。
そのボーカリストである吉井さんの40歳イヤーも、ソロ活動を"YOSHII LOVINSON"から名義変更、事務所からの卒業宣言といった岐路にありました。
筆者は実のところイエモンをあまり通ってこなかったのですが、氏がバンドの軌道から外れたこの期間中の、まるで骨と皮だけで動いているかのようなヒリヒリとしたイメージにセクシーさを感じ、惹かれてました。
イエモン再開までは、ここから10年がかかったのでした。
スガシカオ:1966年7月28日生
↓2006年
「19才」
同年にバンド「kokua」が結成され、こんにちでは彼の代表曲である「Progress」(「プロフェッショナル仕事の流儀」主題歌)がリリースされたというトピックもあるのですが、ソロシンガーの流儀的にはこちらを選曲したいと思った次第です。
遅咲き&脱サラのミュージシャンとして有名な彼がデビューから19枚目のシングルとして発表したのがこの曲。
19才当時の男の性欲を正面から歌うという、一定のお茶の間認知を得たタイミングで繰り出されたジメジメ&カラカラのファンク。
リリース当時も気持ち悪いなぁと思ってたのですが、改めて聴いてもやっぱり気持ち悪い曲です、40歳の時に作られたと知れば尚更です笑
何の照れも隠さずに堂々と発表できるんだからやっぱ格好良かったんだなぁと。
そりゃハルキムラカミも惚れ込むよと。
1966年生には他に、宮沢和史(THE BOOM)、宮本浩次(エレファントカシマシ)、斉藤和義、アベフトシ(ミッシェル・ガン・エレファント)ほか、同時代を築き上げたアーティストが名を連ねます。
稲葉浩志(B'z):1964年9月23日生
↓2004年
「Peace Of Mind」
満を持して稲葉さんがここに入ってきます。
でもキャリア全体を振り返ると、この40歳のタイミングはなかなか難産の年だったのではないでしょうか。
B'zでいうと2003年「BIG MACHINE」から2005年「THE CIRCLE」の間でシングル「ARIGATO」をリリースしていますが、彼等のシングル曲でも最も難解というか、とっつきにくい印象と言ったら、わりと同意を得られる気がします。
ただ、40歳に発表したソロ3rdアルバムは、1stの衝撃と2ndの自前スタジオでの試行錯誤を経て、B'zではなく1人のシンガーとして何をやりたいかやるべきかを確定させられた作品だったと思います。
「すべての幸せをオアズケに」「あの命この命」といった、己に対する外的ストレスへのスタンスも隠さないメッセージ性が印象的です。
そんな稲葉さんは、2025年で60歳を超えても、ことステージ上で急速な若返りを見せることで有名ですが、同学年生には浅井健一(BLANKY JET CITY)、阿部寛、内村光良(ウッチャンナンチャン)など、およそ実年齢を感じさせない怪物達がひしめいています。
菊池成孔:1963年6月14日生
↓2003年
「Vendome, la sick KAISEKI」(SPANK HAPPY[第2期])
さて、考察の難しい人物を差し挟んでしまいました。
ジャズの世界を主戦場として数々のプロジェクトを並行させながらも書評やラジオで確かな人物像を一部の界隈に定着させてきた氏が、40歳の頃に取り組んだ企画は、ざっくり言えば「若いときにやってたバンドをやり直して、素人をボーカルに据えてテクノポップでもやってみよー」でした。
その発想もどうかしてるし、そこに至る経緯もまるで掴みどころがないし、それで出来上がった作品は尖りに尖ってるのに何故か心地良くて癖になるアルバムで、この2作目に至っては踊れてしまうだなんて、革命的変態だわ。
などと急な早口で無知を誤魔化しながら、彼を初めて筆者に紹介してきた旧友の当時の尖り具合に思いを馳せています。
以降は、ペペ・トルメント・アスカラールの作品に傾倒したり、峰不二子から岸辺露伴までの、ここぞという作品にジャストミートする劇伴を放出してくる彼の虜となった筆者ですが、実は彼の書物ってまともに読んだことがないんですよね。
ラジオ「粋な怪電波」もほとんど聴いたことがないのです。
これを機に取り敢えずどれか本をちゃんと読んでみようかな。
彼と同学年の1963年生には他にも、映画監督のクエンティン・タランティーノや今敏、ゲームクリエイター小島秀夫、ダウンタウンの両名、漫画家の青山剛昌ほか、時代を形作る才能たちが犇めく恐ろしい世代となっています。
フリー(Red Hot Chili Peppers):1962年10月16日生
↓2002年
「By the Way」
今回唯一取り上げる洋楽勢。
レッチリのメンバーだとアンソニーも同い年です。
By the Wayなんて当時高校生だった筆者自身も周囲とみんなで聴いてカッケーー!って叫んでた名作ですが、こうして年齢で並べると意外に高齢のバンドをみんなで推してたんだなというイメージです。
このアルバムの前にベストアルバム出してましたしね。
「Californication」辺りまでは既に過去となれば、そりゃそんな年齢か…
しかし、ち◯ぽソックスで演奏していた頃だってそこそこ良い年だったのかと思うと、その快活さに感嘆します。
1962年生はジョン・ボン・ジョヴィ、アクセル・ローズ(ガンズ・アンド・ローゼズ)、カーク・ハメット(メタリカ)、マーティ・フリードマン(メガデス)など、ハードロックやメタルの先駆者が横並びの世代で、そこと比べても若さが抜きん出ている印象です。
松本孝弘(B'z):1961年3月27日生
↓2001年
「SECRED FIELD」
稲葉さんに触れたならばBOSSにも触れなければ…と思いつつ、なまじ「歌」が無いと楽器全般に素人な筆者が何かを語るのは困難でした。。。
昨年に松本さんの半生を振り返る書籍が発表されたので、それとか目を通すともう少し何か書けるのかな。
「この頃のtakは◯◯系の音に拘ってて、全体的に✕✕が効いてる」とか言えたらいいのになぁ、ちょっと知ってみたい気もするし。。。
とりあえずこの2001年は、B'zでは国民的国歌(!?)「ultra soul」を発表した年ですが、氏の音楽がスポーツ業界との結び付きをより強くした年だったのかもしれないですね。
ウルソは世界水泳、この曲はスポーツ番組のOP曲というタイアップ。
翌2002年の日韓サッカーW杯のコンピアルバムにもB'zで曲提供がありましたし。
1961年の同学年には、B'zの兄貴分ともいえるLOUDNESSの高崎晃、とんねるず石橋貴明、山寺宏一、三谷幸喜、オバマ元大統領など、レジェンドの名が目立ちます。
最終章を前に
第三章は計12名分を紹介しました。
なんとなーく見えてきましたよね、バンド解散や事務所卒業など、何か岐路を見出し、行動に移してきたという、クリエイター達のそれぞれの40歳の共通点のようなものが。
さあ、残り15名分。
伝説ばかりが語られる最終章です。
引き続き、ご愛好のほど。
▼次章
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まさかとは思いますが、もし戴けたのであれば、謹んで愛犬のおやつ代とします。笑