66回目の 911
1960年 911(筆者の誕生日), 1965年 911(シリアの前大統領バッシャール・アル=アサドの誕生日, 奴は今なにしてるんだ?), 1973年 911(チリで世界最悪の悪ガキ国家アメリカ合州国の画策による軍事クーデターが起き, チリの民主選挙・自由選挙で選ばれた大統領サルバドール・アジェンデが自死した日), 1983年 911(古代都市の遺跡があるシリアのパルミラで迎えた筆者23歳の誕生日), 2001年 911(自国が起こしたチリの悲劇の1973年 911 のことは忘れても, あるいはそもそも知らなくても, この年のこの日だけはアメリカ人が忘れない 911, いや忘れたアメリカ人も結構いるのかもしれないが), 2024年 911 When I'm Sixty-Four 🎶 … そして今日, 2025年 911 When I'm Sixty-Five 🎶 そんな歌あるのか?
因みに, 今日の本 note のタイトル画像に使ったのは「ポルシェ 911」。
ポルシェ 911
今日の本 note のタイトル画像に使ったのは「ポルシェ 911」。
それも「真紅(この "真紅" は "まっか" ですぞ)な ポルシェ 911」。それも「緑の中を走り抜けてく 真紅な ポルシェ 911」。
"緑の中を走り抜けてく 真紅な ポルシェ", "ひとり旅なの 私 気ままにハンドル切るの", "交差点では隣りの車がミラーこすったと 怒鳴っているから 私もついつい大声になる",
ただし,
歌詞に登場する「真紅なポルシェ」の型式に関しては、様々な見解があり、現在でも確定されてはいない。宇崎はピストン西沢との対談の際に「女性が街中で乗ってるって事だと、アウディかフォルクスワーゲンで作ってた方のポルシェ(914または924)じゃないのかな?」と述べている。
阿木はこの「真紅なポルシェ」の型式に関して一切明言していないため、真相は不明である。
ということ, らしいっす(「モヤモヤさまぁ〜ず2」ナレーション風)。「阿木はこの『真紅なポルシェ』の型式に関して一切明言していないため、真相は不明」なんだから, まぁ もしかしたら あれは「ポルシェ 911」だったのかもしれない。もしも あれが「ポルシェ 911」だったのなら ..
で, 「もしも」は 今日のアンコール曲, 今日の最終章。
ともあれ, 今日は「さまざまな 911」を。
で, これは「さまざまな自由」 🎶
仲井戸麗市, 1993年2月3日 リリース "DADA" より 🎶
1960年 911 〜 この日に 産声あげし快男児, 快女児, その一人
1960年9月11日(何時頃だったのか, 故郷でもうじき97歳になる親父殿と共に健在のいま94歳のお袋様にこれまでに何度も訊いたことがあるのに遺憾いかんイカンつい忘れてしまう), 筆者, その日に, この世に生まれてきました。
秋葉路や、花橘も茶の香り。
流れも清き 太田川、若鮎躍(おど)る頃となる。
松も緑の色も冴え、遠州森町 良い茶の出どこ、
娘やりたやお茶積みに、ここは名代の火伏(しぶせ)の神。
秋葉神社の参道に、産声あげし快男児。
昭和の御代(みよ)まで名を遺(のこ)す、遠州森の石松を
不便ながら、務(つと)めます。
この浪曲のお陰もあって全国に知れ渡った(と思われる!)静岡県の町に生まれ育ったのであります。因みにここは「町で」でも「町に」でもよいでは, と思われる(生来, 細かいことに拘る, 時に拘泥することもある, 十代・二十代の頃は泥酔したこともある, 笑)。
以下に, 下掲 note から, その「前説」の写しを。
1984年2月4日 帰郷 〜 1983年4月26日に日本を発ってソ連・欧州・中東(西アジア)・アジア諸国を旅して 285日目
1983年4月26日, 1960年9月11日に「秋葉路や, 花橘も茶の香り。流れも清き太田川, 若鮎躍る頃」から3ヶ月ぐらい後だろうか「松も緑の色も冴え」た時期は過ぎ, 夏が終わった頃に「遠州森町良い茶の出どこ, 娘やりたやお茶積みに, ここは名代の火伏の神。秋葉神社の参道に, 産声あげ」た「快男児」(だったかどうか判然としないが, 笑)「昭和の」じゃなくて令和の「御代」(って俺は天皇制要らないよ論者だが, 笑)「まで名を遺す」(いや俺は, 天皇制がまだ続くなら次の年号以降まで名を遺すつもりだが)「遠州森の」ランドル・パトリック・マクマーフィーことジャック・ニコルソン(いや, 「カッコーの巣の上で」マクマーフィーは最後に俳人, じゃなかった, 廃人になってしまうので, 拙者の将来の最期とはだいぶ違う, 笑)じゃなかった, 山本剛は, 故郷の国つまり故国日本の横浜港からのフェリー2泊3日の船旅で 22歳の時に「青年は荒野をめざ」し当時のソヴィエト社会主義共和国連邦のナホトカ港に向かい, その後, ソ連・欧州・中東(というより日本から言えば西アジア諸国, それとアフリカ大陸北東端のエジプト)・アジア諸国をバックパック一つ担いで旅し, 最後の訪問国であった韓国の釜山港からの夜行フェリーで(突如思い出した, そういや京都市で在日韓国人の 아버지 アボジ つまり父と日本人の母つまりオモニ 어머니 のもと生まれた 都はるみ をよく知る京都市出身の在日韓国人のおじさんに出会い, 都はるみの生い立ちや彼女の両親の苦労話などを聞かされた, あれは貴重な話だったなぁ, 細かいところまでは記憶に残ってなくて 미안합니다 だけど, それとこの括弧長過ぎて 미안합니다, ごめん!... とにかく釜山港からの夜行フェリーで)向かった下関港にて 1984年2月1日に無事帰国, そして小中高とずっと1学年下ながら中学辺りから親しく付き合っていた(10年以上会ってないけど今も年賀状交換はしていて会えば直ぐに昔に戻れるであろう)後輩が広島大学の学生だったこともあり, 広島に寄って後輩のアパートに転がり込んで3泊世話になり, その後「遠州森町良い茶の出どこ, 娘やりたやお茶積みに, ここは名代の火伏の神。秋葉神社の参道に」(秋葉神社は些か遠いと思うけど, 笑)ある故郷にひとまず戻ったのが, 1984年2月4日。つまり, ちょうど 38年前の今日であった。
いきなりこの「前説」はなんなんだ, と思う良識ある方々もおられるでしょうが(ナン何だ, って, ナンはインドの美味しいパンですがな), 如何せん, 帰国の翌年, 1985年にその3年後に結婚する「うちのカミさん」(って俺は「刑事コロンボ」か)に横浜で出会い, 二人が付き合い始めた頃の様子を,
当時撮った https://youtu.be/vynn85qh4RE 写真3枚で3コマ漫画するとこういうことになるんで。だから「シカタナイ」だろ, って言ったらいけないかい「人間を幸福にしない日本というシステム」カレル・ヴァン・ウォルフレンさんよ。え, どうなんだい?

さて,
そろそろとても weird な「前説」はこの辺にして, 本章, ってか第1章に向かおうではないか。
ってか, 今日はここが 第2章で, 次は 第3章であります。
1965年 911
この日に「産声あげし快男児, 快女児」は, 世界に何人ぐらいいただろうか。で, 残念ながら, 等しく幸せな人生を送るべく生まれてきたはずの「快男児, 快女児」の皆が皆, 幸せな人生を送る人間になる, あるいは他人の幸せを助けるような人生を送る人間になる, とは限らない。まぁある意味, 当たり前なんだろうか(「当たり前」とは言いたくないけれど), それが世界の現実ではあります。
本章, 今日の「お題」からは距離あり(関わり自体はあるけれど), 飛ばして構いません。今月, 2024年12月7日, 反政府(今や反「旧政府」, あるいは旧「反政府」と言うべきか)側が シリアの首都 ダマスカスを占領する直前に 飛行機で国を離れ, 家族と共にロシアに「亡命」した, 要するに崩壊したアサド政権の「首領」だった バッシャール・アル=アサド の誕生日が 1965年9月11日, それが筆者(自分, 拙者)の誕生日とは 5年違いの同じ日, ただそれだけの偶然で(彼が何時何分の出生か知らないし, 自分のそれも現在93歳で健在のお袋さんに改めて尋ねないと分からない, そもそも時差もある!), 以下に自分の note の 911 を集める。自分用の備忘録, まぁ忘れないようにくらいの意味で, それを兼ねて。
シリアの前大統領バッシャール・アル=アサドに関しては, 下掲 note 第2章「1965年9月11日 〜 シリア・アラブ共和国の現大統領バッシャール・アル=アサドの誕生日」に写真付きで少し。
「シリア」(の "問題")は, 一筋縄ではいかない。それについては, 下掲 note で。
写真は, 夕日に照らされた シリアの古都アレッポの城塞(要塞)。21世紀に入ってからのシリア内戦による大きな損傷を受ける前のシタデル, アレッポ城。1983年9月6日, 筆者撮影。
同年4月から翌1984年2月にかけてのユーラシア大陸(+アフリカ大陸北東端, アフリカ大陸はエジプトのみ, 10か月ほどの旅 note リンク集は 今日の第2章及び第3章の章末にて)「ほぼ」一周旅行の際, 9月5日から19日にかけて 2週間 旅したシリア, そのシリアで最初に滞在した街がアレッポだった。
同じ中東 ~ こちらから見れば 西アジア ~ でも, いわゆる「パレスチナ問題」(イスラエル問題, パレスチナ/イスラエル問題)と比べ, シリアの問題はより複雑な様相を呈する。アメリカ合州国の「横暴」そのものは分かりやすいと言えば分かりやすいのではあるが。ともあれ, 今日は シリアの現代史や政治・宗教などの問題の細部にまで深入りはしない。
.. と 最初に書いていたのだが, 投稿前に一言, しかし結局, 最後の最後(は音楽だけどその前), そこそこの「深入り」はした。
目次
1. 「シリア」は 一筋縄ではいかない
2. 1965年, 911
3. 1983年, シリアの旅(アレッポ, パルミラ, ダマスカス) 〜 〜 バッシャール・アル=アサドの親父, ハーフィズ・アル=アサド, 先代の独裁政権の時代のシリア
3-1) シリアが括弧付きながら「平和」だった時代 〜 最初の訪問地 アレッポ, 1983年9月5-10日
3-2) パルミラ(シリア, 古代ローマ帝国の都市遺跡) 〜 1983年9月11日(ISによる破壊の32年前)
3-3) シリア, ダマスカス 〜 括弧付きながら「平和」だった, 1983年9月12-19日
3-4) 1983-84年ユーラシア大陸(+アフリカ大陸北東端!)「ほぼ」一周の旅, note リンク集
4. Save Aleppo 〜 2016年
5. シリア映画 「セメントの記憶」 を観て 〜 2020年
6. 2024年12月, アサド政権崩壊
7. Festival in Damascus 〜 もの哀しいウードの調べ
シリア については, 次々章「1983年 911」で, あらためて。
1973年 911
下掲 note の中でも書いた通りで, 自称「民主主義国」アメリカ合州国は, これまで, 国の政策の一環で, 外国の政府の転覆を図るなどという極悪な国家犯罪を, 幾度となく試みてきた。で, 少なくとも, 1973年のチリ(サルバドール・アジェンデ大統領), 1954年のグアテマラ(ハコボ・アルベンス・グスマン大統領), 1953年のイラン(モハンマド・モサッデク首相)の政権を転覆させた例などは全て, それぞれの国の国民が民主選挙・自由選挙で選んだ政府をアメリカ合州国が介入して転覆させるというものだったわけだ。
第3章「1973年9月11日 〜 アメリカ合州国が チリ共和国の民主主義を破壊し, チリ共和国大統領サルバドール・アジェンデが自死に追い込まれた日」を note リンクの下に転載。
俺が日本国の静岡県で 13歳の誕生日を迎えた日。中学1年の2学期だね。
自称「民主主義国」アメリカ合州国の政治権力が, 昔っから自分とこの「裏庭」だと思ってる中南米諸国のうちの一ヶ国, しかしもちろんアメリカにとっての歴とした外国, 南アメリカ大陸の国であるチリ共和国の, しかも民主的な選挙で選ばれていた大統領, 要するにチリ共和国の国民が自らの国の元首として自由選挙で選んだ大統領, サルバドール・アジェンデに対する, チリの軍隊によるクーデター(将軍アウグスト・ピノチェトによるクーデター)を アメリカ合州国大統領直属・直轄の監督下にあるアメリカ中央情報局 (Central Intelligence Agency) つまり CIA を使って背後から演出・支援し, ピノチェトの軍事クーデターを成功させ, チリ共和国の民主主義を殺し, そのクーデターの中で, チリ共和国の大統領サルバドール・アジェンデが自死に追い込まれたのが, 1973年 9月11日。

アジェンデは, 自身に対するクーデターを図った軍と大統領警備隊の間で銃弾が飛び交う最中, チリ共和国国民に向けて 6度にわたるラジオ演説を行なった後, 自死(自殺)した。
ところで, アメリカ合州国以外の国が外国の政府を転覆させるような国家犯罪を犯したら, その犯罪国家がイスラエル以外の国であれば(!)アメリカ合州国は黙っておらず, 国連安保理に諮って, 対イスラエルではほぼ常に発動する常任理事国5ヶ国だけに与えられた拒否権も使わないで(そもそも自らが安保理に訴えるんだが)声高に非難, いや待て, アメリカ合州国なら, 実際に過去にもあったように, 国連安保理決議などなくても, その「犯罪国家」を爆撃して, 果ては罪なき一般国民まで犠牲にする可能性大である。
一方で, この自称「民主主義国」アメリカ合州国, 自らは, 外国の政府転覆を図るなんて国家犯罪を, 幾度となく試みてきた。
で, 少なくとも, 1973年のチリ(サルバドール・アジェンデ大統領), 1954年のグアテマラ(ハコボ・アルベンス・グスマン大統領), 1953年のイラン(モハンマド・モサッデク首相)の政権を転覆させた例は全て, それぞれの国の国民が民主選挙, 自由選挙で選んだ政府の転覆だったわけだ, そうだったよね, バーニー・サンダース翁!
上掲インスタのヴィデオは, 昨年, 2020年, バーニー・サンダース(*1)がまだアメリカ合州国大統領選における民主党からの候補を争っていた時の論戦の時のもの。因みにバーニー・サンダースの右で「おいおいバーニー, 何を言い出すんだ」ってな調子で 茫然自失(してたに違いない)の顔を見せているのが, 現在のアメリカ合州国大統領ジョー・バイデン(*2)。
*1 バーニー・サンダース?
「西洋」の 欺瞞 と 偽善 〜 さらば バーニー・サンダース, さらば リチャード・ドーキンス, くたばれ ユヴァル・ノア・ハラリ, くたばれ ボブ・ディラン, ついでに言うと, ぼのぼの は好きだが, U2 の ボノ(*2) は最低だ
*2 ジョー・バイデン? .. ボノ?
ジョー・バイデンに勲章かけてもらってご満悦なバカ殿ならぬ莫迦ボノ。
ではでは, 次へ。
1983年 911 〜 シリアで迎えた 23歳の誕生日
古代都市の遺跡がある シリアのパルミラで迎えた, 23歳の誕生日
計画して迎えたのではなく(「計画して迎え」る理由がない), たまたま。しかし「たまたま」とはいえ, 誕生日を此処で, というのはけっこう強烈な印象が(少なくとも本人には, 笑)残る。
パルミラ(シリア, 古代ローマ帝国の都市遺跡) 〜 1983年9月11日(ISによる破壊の32年前)
そして,
23歳の誕生日 前後 〜 シリア・アレッポ, ダマスカス
シリアが括弧付きながら「平和」だった時代 〜 最初の訪問地 アレッポ, 1983年9月5-10日
シリア, ダマスカス 〜 括弧付きながら「平和」だった, 1983年9月12-19日
「シリア」は 一筋縄ではいかない
今日の第3章「1965年 911」にも載せたけれど(下掲 note リンクの下に, その前説 及び 目次を転載),
シリアを想う 〜 1965年, 1983年, 2016年, 2020年, そして 2024年
写真は, 夕日に照らされた シリアの古都アレッポの城塞(要塞)。21世紀に入ってからのシリア内戦による大きな損傷を受ける前のシタデル, アレッポ城。1983年9月6日, 筆者撮影。
同年4月から翌1984年2月にかけてのユーラシア大陸(+アフリカ大陸北東端, アフリカ大陸はエジプトのみ, 10か月ほどの旅 note リンク集は 今日の第2章及び第3章の章末にて)「ほぼ」一周旅行の際, 9月5日から19日にかけて 2週間 旅したシリア, そのシリアで最初に滞在した街がアレッポだった。
同じ中東 ~ こちらから見れば 西アジア ~ でも, いわゆる「パレスチナ問題」(イスラエル問題, パレスチナ/イスラエル問題)と比べ, シリアの問題はより複雑な様相を呈する。アメリカ合州国の「横暴」そのものは分かりやすいと言えば分かりやすいのではあるが。ともあれ, 今日は シリアの現代史や政治・宗教などの問題の細部にまで深入りはしない。
.. と 最初に書いていたのだが, 投稿前に一言, しかし結局, 最後の最後(は音楽だけどその前), そこそこの「深入り」はした。
目次
1. 「シリア」は 一筋縄ではいかない
2. 1965年, 911
3. 1983年, シリアの旅(アレッポ, パルミラ, ダマスカス) 〜 〜 バッシャール・アル=アサドの親父, ハーフィズ・アル=アサド, 先代の独裁政権の時代のシリア
3-1) シリアが括弧付きながら「平和」だった時代 〜 最初の訪問地 アレッポ, 1983年9月5-10日
3-2) パルミラ(シリア, 古代ローマ帝国の都市遺跡) 〜 1983年9月11日(ISによる破壊の32年前)
3-3) シリア, ダマスカス 〜 括弧付きながら「平和」だった, 1983年9月12-19日
3-4) 1983-84年ユーラシア大陸(+アフリカ大陸北東端!)「ほぼ」一周の旅, note リンク集
4. Save Aleppo 〜 2016年
5. シリア映画 「セメントの記憶」 を観て 〜 2020年
6. 2024年12月, アサド政権崩壊
7. Festival in Damascus 〜 もの哀しいウードの調べ
ではでは。
2001年 911
2001年 911(自国が起こしたチリの悲劇の1973年 911 のことは忘れても, あるいはそもそも知らなくても, この年のこの日だけはアメリカ人が忘れない 911, いや忘れたアメリカ人も結構いるのかもしれないが)
以下, 911 アメリカ同時多発テロ はもちろん 2001年 911 のあれだし, 犯人はシリア人ではなく, もちろん パルミラも直接関係しない。下掲リンク先 note 1本目のタイトル写真は, 筆者が 1983年 911 に パルミラ で撮ったもの。掲載した2001年当時の自分の日記本文とも直接関係しないが, たまたま 9月11日撮影の写真であることと, 文中で1983年から1984年にかけての旅に言及しているので多少なりとも関係あるかな, と。
911 アメリカ同時多発テロ には, もちろん パレスチナ/イスラエル も直接的な関係はない(イスラエルの方は本当に無関係なのかどうかその辺り何とも言えないものは感じるものの, その疑念に関わる内実・内幕に詳しくないので深入りできない)。下掲リンク先 note 2本目のタイトル写真は, 筆者が 1983年10月3日 に 東エルサレム で撮ったもの。
911 アメリカ同時多発テロ には, ヨルダンもパレスチナも直接関係しないのだが, 以下のリンク先 note 3本目のタイトル写真は, 筆者が 1983年9月21日 に ヨルダンの首都アンマンにあるパレスチナ難民キャンプを訪ねた際に撮ったもの。
直接の関係はないそれらの写真を使ったのには, それぞれ理由がある。
1) 911 アメリカ同時多発テロを振り返る (2001年当時の日記から)
2) 911 アメリカ同時多発テロを振り返る (2001年当時の日記から) ー その 2
3) 911 アメリカ同時多発テロを振り返る (2001年当時の日記から) ー その 3
ではでは。
2019年 911 〜 note 投稿を始めた日
今日、note に新規登録しました。今日は 911, 拙者の誕生日、個人的には良い日、ついでながら 1965年の 911 は Bashar al-Assad, 現シリア大統領の誕生日、まぁ他人の誕生日だから「ただの日」、彼の下で苦しい日々を送っていると考えている、あるいは母国シリアから脱出した人々にとっては「喜ばしくない日」だろうけど。さらに言うと、1973年の 911 は、チリの当時 民主的に選ばれた大統領サルバドール・アジェンデが、アメリカ合州国の CIA が背後から動かした同国ピノチェト将軍によるクーデターの中、自ら死を選んだとされる日。そして、2001年の 911 は例のアメリカ合州国が標的にされた、いわゆる「同時多発テロ」が起きた日、ということで、後の二つは、明らかに「良くない日」。で、今日は、18年前の41歳の誕生日の夜にアメリカで同時多発テロが起き、その 4日後の 2001年9月15日に、同年の夏に本を買って数日間 html を独学して開設した自前のホームページに載せた日記を、ここに転載します。
なお、ここに添えた写真は、以下の日記本文とは直接の関係はありません。ただ、文中で 1983年から1984年にかけての旅に言及しているので、多少は関係あるかな。1983年の 9月11日、シリアのパルミラの遺跡で私が撮った写真の中の一枚です。同年4月26日に横浜港を発った私は、当時のソ連、ヨーロッパ諸国を旅し、ギリシアからトルコに移動して、同国に長居した後、シリアに陸路で入りました。そして、その後はヨルダンを経てパレスチナとイスラエルを旅し、パレスチナのガザ地区から陸路エジプトに入り、以降はトルコに戻り、さらに再びトルコ、続いてイラン、パキスタン、インド、タイ、韓国を旅して、1984年2月に帰国したのでした。
なお、もちろん、あのテロの実行犯にはパレスチナ人は一人として含まれていません。以下の日記を書いた当時はまだそのことがはっきりしていなかった時期でしたが、当時の私も、パレスチナ人が実行犯だとは考えていなかったように思います。ただ、パレスチナ問題を中心とする中東の歴史的な問題へのアメリカの関与に対する憎悪の念が背景にあるのではないかと考えたものです。
以上, 2019年 911 に投稿した 2001年 911 の話。
次は, 更に昔の 1983年 911 の話を書いた 2020年 911 付 投稿の件。
2020年 911 〜 「還暦」でござる
シリア、パルミラの古代都市の遺跡で 23歳の誕生日を迎えた、37年前の 911 ... ってことはナニ? 今日、還暦 かよ。
🫓(ナンで真っ先に思い出すのは「インドの美味しいパン」, しかしウィキによれば「西アジア、南アジア、中央アジア、東南アジアの一部やカリブ海地域の料理でしばしば供される」「現在のイランを起源とし、その後メソポタミア、古代エジプト、インド亜大陸に伝わったと考えられる。語源はペルシア語」, 西アジアは我々アジアの言い方, 西洋から見た場合の「中東」, それにメソポタミアは現在のシリアにもかかる), 話が飛んだではないか, 話を戻そう,
以下は, ナンとナンと, いや, 何と何と, なんとなんと, 懐かしのアグネス・ラム, 「メシ喰うな!」の町田町蔵(後の町田康), 天才漫画家 永井豪まで登場する, そして ついでに「知の巨人」ならぬ「知の欺瞞」「知の怠慢」ユヴァル・ノア・ハラリも登場する, はちゃめちゃな「還暦」記念 note でござる。
最終章は ナンとナンと, "古代遺跡が大好きな皆さん、お待たせしました、シリアのパルミラ 〜 IS 通称「イスラム国」の莫迦どもが破壊する前の見事な遺跡の姿、蔵出し写真集" でござる。
ではでは。
2024年 911 〜 "When I'm Sixty-Four" (the Beatles) 歌詞和訳
"When I'm Sixty-Four" by the Beatles (1967)
音源 及び 歌詞和訳は, 以下の note リンクの下に。
When I'm Sixty-Four from the Beatles' 1967 album Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band
英語原詞 https://genius.com/The-beatles-when-im-sixty-four-lyrics
年取って 髪が薄くなる
今から何年も先
まだ君は僕に バレンタインの贈り物をしてくれるかな?
誕生日は祝ってくれる? ワインボトルがいいね
僕が 夜中の 2時45分になっても帰って来なかったら (*2)
君は鍵をかけて 僕を閉め出す?
まだ僕を必要としてくれる? 美味しい料理 作ってくれる? (*3, *11)
僕が 64歳になっても
ああ, 君も年を取るよね
だけど 君があの言葉を言ってくれれば (*4)
僕は 君と一緒にいるよ
僕は自分でヒューズの修理だって出来るんだ
灯りが消えちゃったって大丈夫
君は暖炉のそばで セーターを編めるよね
日曜の朝なんかドライヴさ
庭の世話をして 雑草取りもしなくちゃ (*5)
それ以上 望む奴なんかいないさ
まだ僕を必要としてくれる? 美味しい料理 作ってくれる?
僕が 64歳になっても
夏は毎年 コテージを借りられる
それもワイト島のね, ただしそんなに高くなければだけど (*7)
節約して お金 貯めなくちゃね(節約して お金 貯めなくちゃ!)
君の膝の上には 孫たちが
ヴェラ, チャック, それに デイヴ
ハガキを送って 僕に伝えてよ
君の意見を聞きたいんだ
言いたいことを正確に言い表してほしいんだ
「敬具」なんか要らないよ
返事がほしいんだ, ここに書いてよ
永遠に私のものって
まだ僕を必要としてくれる? 僕の心の糧になってくれる? (*11)
僕が 64歳になっても!
…………………………………
訳注:
*1 読みやすいように, Verse は あえて 2つに分けました。
(訳注の *2 以降は 上掲 note の中で)
"When I'm Sixty-Four" by MonaLisa Twins (2014)
When I'm Sixty-Four (the Beatles, 1967) by MonaLisa Twins (2014)
英語原詞 https://genius.com/The-beatles-when-im-sixty-four-lyrics
年取って 髪が薄くなる
今から何年も先
まだ君は僕に バレンタインの贈り物をしてくれるかな?
誕生日は祝ってくれる? ワインボトルがいいね
僕が 夜中の 2時45分になっても帰って来なかったら (*2)
君は鍵をかけて 僕を閉め出す?
まだ僕を必要としてくれる? 美味しい料理 作ってくれる? (*3, *11)
僕が 64歳になっても
ああ, 君も年を取るよね
だけど 君があの言葉を言ってくれれば (*4)
僕は 君と一緒にいるよ
僕は自分でヒューズの修理だって出来るんだ
灯りが消えちゃったって大丈夫
君は暖炉のそばで セーターを編めるよね
日曜の朝なんかドライヴさ
庭の世話をして 雑草取りもしなくちゃ (*5)
それ以上 望む奴なんかいないさ
まだ僕を必要としてくれる? 美味しい料理 作ってくれる?
僕が 64歳になっても
夏は毎年 コテージを借りられる
それもワイト島のね, ただしそんなに高くなければだけど (*7)
節約して お金 貯めなくちゃね(節約して お金 貯めなくちゃ!)
君の膝の上には 孫たちが
ヴェラ, チャック, それに デイヴ
ハガキを送って 僕に伝えてよ
君の意見を聞きたいんだ
言いたいことを正確に言い表してほしいんだ
「敬具」なんか要らないよ
返事がほしいんだ, ここに書いてよ
永遠に私のものって
まだ僕を必要としてくれる? 僕の心の糧になってくれる? (*11)
僕が 64歳になっても!
…………………………………
訳注:
*1 読みやすいように, Verse は あえて 2つに分けました。
(訳注の *2 以降は 下掲 note の中で)
ではでは。
2025年 911 〜 "When I'm Sixty-Five" 🎶
2025年 9月11日, 65歳になったとさ 〜 〜 〜 寄る年「波」には負けない, "Surfer Girl" (the Beach Boys, Paul Simon)
というわけで, 今日, 「2025年 9月11日, 65歳になったとさ」。
しかし「寄る年波」には負けないぜ, 波には負けないぜ(笑)。
Surfer Girl 〜 the title and opening track on the Beach Boys' 1963 album 🎶
🫓(ナン!)だって !? おまえ "Girl" じゃなくて 爺さんだろって !?
Surfer Girl (the Beach Boys) 〜 Paul Simon LIVE at An All-Star Tribute to Brian Wilson, March 29, 2001
この時の ポール・サイモンは「還暦」の半年ほど前, まだ爺さんじゃないか。
プレイバックPart2
今日の本 note のタイトル画像に使ったのは「ポルシェ 911」。
それも「真紅(この "真紅" は "まっか" ですぞ)な ポルシェ 911」。それも「緑の中を走り抜けてく 真紅な ポルシェ 911」。
"緑の中を走り抜けてく 真紅な ポルシェ", "ひとり旅なの 私 気ままにハンドル切るの", "交差点では隣りの車がミラーこすったと 怒鳴っているから 私もついつい大声になる",
莫迦にしないでよ 🎶 (動物の名を使ったあの当て字はやめよう, 「人間なんて ララ〜ラ〜ララララ〜ラ〜」と歌ったのは吉田拓郎, それは兎も角ウサギにツノはありません, 兎に角, 馬や鹿より もっともっと莫迦な「人間なんて」幾らでもいるよね, 馬や鹿に言われるよ「『馬鹿』にしないでよ」)
1978年5月1日リリース, 拙者まだ高校3年ですよ。
いやぁ, 懐かしいですねぇ, 懐かしいですねぇ … それでは, サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ!
それ 淀川長治だろ。合掌, 淀川長治(1909年4月10日 - 1998年11月11日)。
で, この章のこの節, 何か意味あるのかって?
Stop Making Sense … 9年 survive 中の Stop Making Sense, この MV に乗っかってるイメージも めっちゃ Stop Making Sense 🎶
Psycho Killer.................................................0:15
Swamp..........................................................4:38
Slippery People.............................................8:26
Burning Down The House............................12:12
Girlfriend Is Better........................................16:17
Once in a Lifetime........................................19:54
What A Day That Was..................................24:35
Life During Wartime.....................................29:40
Take Me to the River....................................34:42
ではでは。
Time hurries on, and the leaves that are green turn to brown 🎶 〜 ポール・サイモン "Leaves That Are Green" 歌詞和訳
まずは, 「ナンキンハゼの紅葉を鑑賞したり 晩秋に咲いたユリを観たりした後, 自分自身の過去と今, ディランの断片, ポール・サイモンの今 を考え, その後, 突如 Day Tripper ♫ 〜 41年前の今日のインド・アムリトサルに 日帰り旅行して, 最後は 井上陽水『結詞』で結ぶノート」(2024年11月30日)
そして, 歌へ。音源 及び 歌詞和訳は, 下掲 note の下。
Leaves That Are Green from Paul Simon's 1965 debut solo studio album The Paul Simon Songbook ♫
英語原詞 https://genius.com/Paul-simon-leaves-that-are-green-lyrics
この歌を書いた時, 私は 21歳だった
今は 22歳, だけどそれも長く続かないだろう
時は足速に過ぎていく
緑の木の葉は茶色に変わり
風に揺られて 枯れ (*1)
手の中に砕け 散る (*2)
かつて私の心は少女の愛で満たされていた
強く抱きしめたのに 彼女は夜の闇に消えてしまった
私が書こうとした詩のように
緑の木の葉は茶色に変わり
風に揺られて 枯れ
手の中に砕け 散る
小川に小石を投げ
波紋が広がり さざ波が走り去るのを見た
さざ波は決して音を立てなかった (*3)
緑の木の葉は茶色に変わり
風に揺られて 枯れ
手の中に砕け 散る
ハロー, ハロー, ハロー, ハロー
グッバイ, グッバイ, グッバイ, グッバイ
あるのはそれだけだ
緑の木の葉は茶色に変わる
…………………………………
訳注:
*1 wither with the wind, 「揺られて」は原詞にはないけれど, ここは意訳的な "加筆"。
*2 crumble は「粉々に砕ける」だけど, 「砕け 散る」という表現にしてみた。このライン全体は And they crumble in your hand, しかしこの your の you は特定の「あなた」「きみ」「おまえ」ではなく, 一般的・抽象的なレベルでの誰か(誰でも)という解釈でよいのではないか。
*3 And they never made a sound の they は 明らかに ripples で, ripple(s) は「波紋」もしくは「さざ波」のこと。
Leaves That Are Green from Simon & Garfunkel's 1966 album Sounds of Silence 🎶
英語原詞 https://genius.com/Simon-and-garfunkel-leaves-that-are-green-lyrics
この歌を書いた時, 私は 21歳だった
今は 22歳, だけどそれも長く続かないだろう
時は足速に過ぎていく
緑の木の葉は茶色に変わり
風に揺られて 枯れ (*1)
手の中に砕け 散る (*2)
かつて私の心は少女の愛で満たされていた
強く抱きしめたのに 彼女は夜の闇に消えてしまった
私が書こうとした詩のように
緑の木の葉は茶色に変わり
風に揺られて 枯れ
手の中に砕け 散る
小川に小石を投げ
波紋が広がり さざ波が走り去るのを見た
さざ波は決して音を立てなかった (*3)
緑の木の葉は茶色に変わり
風に揺られて 枯れ
手の中に砕け 散る
ハロー, ハロー, ハロー, ハロー
グッバイ, グッバイ, グッバイ, グッバイ
あるのはそれだけだ
緑の木の葉は茶色に変わる
…………………………………
訳注:
*1 wither with the wind, 「揺られて」は原詞にはないけれど, ここは意訳的な "加筆"。
*2 crumble は「粉々に砕ける」だけど, 「砕け 散る」という表現にしてみた。このライン全体は And they crumble in your hand, しかしこの your の you は特定の「あなた」「きみ」「おまえ」ではなく, 一般的・抽象的なレベルでの誰か(誰でも)という解釈でよいのではないか。
*3 And they never made a sound の they は 明らかに ripples で, ripple(s) は「波紋」もしくは「さざ波」のこと。
ではでは!
IF
もしも
ということ, らしいっす(「モヤモヤさまぁ〜ず2」ナレーション風)。「阿木はこの『真紅なポルシェ』の型式に関して一切明言していないため、真相は不明」なんだから, まぁ もしかしたら あれは「ポルシェ 911」だったのかもしれない。もしも あれが「ポルシェ 911」だったのなら ..
で, 「もしも」は 今日のアンコール曲, 今日の最終章。
IF, 歌詞和訳 〜 Pink Floyd
原子心母 ー Atom Heart Mother by Pink Floyd, If 歌詞和訳付き
原子心母 IF (歌詞和訳) 〜 狂気, 月の裏側 "Brain Damage", "Eclipse" by Pink Floyd
ではでは, 次は 🎶
IF, 歌詞和訳 〜 Bread
"IF" by Bread 〜 歌詞和訳
Bread の IF, ポピュラー音楽史上 最も美しい曲のひとつ .. だと思う。当然ながら筆者の主観だから「思う」を添えるけれど。
さて, あらかじめ「ことわり書き」しておくと, 第1章「前口上」は 雑談や脱線話題が満載。その長い前口上に退いたなら(引いたなら)即, 脱線話題は飛ばして, 第2章の「歌詞和訳」本編("IF" by Bread 歌詞和訳)へ。
なお, IF は第2章まで。最終章, 第3章は Bread に因んだ「遊び」です … というわけで, 時間に余裕のない方は まずは 第2章, がお勧めかも。
音源 及び 歌詞和訳のみ, 下掲 note 第2章第3節より, この下に転載。
"IF" by Bread, released in March 1971 🎶
英語原詞 https://genius.com/Bread-if-lyrics
もしも 絵が 千の言葉を描くことができるなら
じゃぁ僕はなぜ君を描けない?
言葉で言い表わすなんて決してできないんだ
僕が知った君のことは
もしも 美しい顔が 千隻の船を 進水させることができたなら(*1)
じゃぁ僕は 何処に行けばいい?
家には君しかいない
そのうえ 君は 僕の全てなんだ
生きることを愛する気持ちが 乾いていくとき
君がやって来て 僕に 君の愛を注いでくれる (*2)
もしも 一度に 二つの場所にいられるとしても
僕は 君といるよ
明日も 今日も
ずっと 君のそばにいる
もしも この星が 回転することを止めるなら
ゆっくりと回りながら最期を迎えるのなら
僕はそのときを 君と過ごすよ
世界が終わるそのときをね
そして 夜空の星は一つずつ消えていく
そのとき 君と僕は ただ 空に向かって飛び去るのさ (*3)
…….. 🎶 …….. 🎶 ……..
訳注 は, 上掲 note の中で。
ではでは, 今日は これにて。さぁ明日は 66回目の 912 だ(笑)。
