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組曲: 青い眼のジュディ Suite: Judy Blue Eyes (Stephen Stills, CSN) 歌詞和訳

タイトル上の写真は「青い眼のジュディ」こと ジュディ・コリンズ(Judy Collins)。彼女の10作目のアルバム "Judith" のカヴァー写真に近いので, 同アルバムがリリースされた1975年もしくは1974年頃に撮影された写真ではないかと思われる。今日は スティーヴン・スティルス(Stephen Stills)作詞作曲で, Crosby, Stills & Nash の 1969年リリースのアルバムに収められた「組曲: 青い眼のジュディ」, Stephen Stills が Judy Collins との恋愛と別離の経験にインスパイアされて作った永遠の名曲, Suite: Judy Blue Eyes の歌詞の和訳を。


"Suite: Judy Blue Eyes" by Crosby, Stills & Nash 〜 歌詞和訳

ちょっとしたことわり書き 〜  [Verse 1], [Chorus] .. といった表記併載の理由

さて, 歌詞の和訳を掲載する前にちょっとしたことわり書きを。筆者はこれまで, ほぼ全て(正真正銘「全て」だったかもしれない), 歌詞の和訳を掲載する際に [Verse 1], [Chorus] .. といった歌詞の構成を表わすような記載は添えずに, ただ和訳の結果としての日本語(による詩, 詩のようなもの)のみを掲載してきた。しかし, 今回はそんなこれまでの「歌詞和訳」掲載方法を踏襲せず, 次節では, [Verse 1], [Chorus] .. 等々の歌詞構成上の表記および(これは今日取り上げる曲が組曲であるという言わば特殊事情によるものであるが)[Part 1], [Part 2] .. といった組曲構成上の表記を併せ掲載している。

その理由は, 要するに, この歌の歌詞はその歌詞単体で「詩」として鑑賞される(できる)ような類(あるいはタイプ)の歌詞ではなく, この歌, この曲, "Suite: Judy Blue Eyes", 「組曲: 青い眼のジュディ」は, まさしく組曲の構成, 曲・歌のメロディ, Stephen Stills のリード・ヴォーカル, David Crosby と Graham Nash のヴォーカル, CSN 3人のコーラス, ハーモニー, Stephen Stills によるギター, ベース, パーカッション, レコーディングに参加したセッション・ミュージシャンである Dallas Taylor によるドラムス, それらのそれぞれが非常に高いクウォリティを持ちながら, そしてその全てが文字通り完璧に組み合わさって出来上がった, そんなアート作品のように思えるからだ(長いねこのセンテンス!)。

つまり, この歌の歌詞は, あくまでこの究極の芸術作品の一部分, 「部品」のようなものであって, 歌詞だけで「詩」であるかのように鑑賞することが(ことも)できるようなタイプの歌詞ではない。歌詞における作者による生の表現, つまり英語の歌詞原詞(あるいは英語の歌詞原詞だけ)全編を載せるのなら(因みにそれはやれない, *J), 「部品」を「部品」としてそのまま示す意味はあるように思うが, 少なくともこの歌の場合は歌詞を和訳した日本語だけを掲載するのではどうにも格好がつかない。うまい言い方ができないのだけれど, まぁ何というか, 歌詞のみでは「部品」にしかなり得ない, そういう種類の歌詞を日本語に置き換え, その日本語(の詞, 詩, 詩のようなもの)のみを示す場合のその詩(のようなもの)の居心地のわるさ, 格好わるさ, 座りのわるさをカヴァーするため, 歌詞の構成や組曲構成上の表記を併載した, そんなところです。ああ, 実に間怠っこしい説明だ(笑)。

*J 英語原詞について

英語の歌詞原詞(あるいは英語の歌詞原詞だけ)全編を載せるのなら(因みにそれはやれない, *J

外国語の歌の歌詞の和訳を試みてそれを掲載するのだったら(note にしろその他のサイトにしろ), できることなら 原詞を併載した方がよい。明らかにその方が分かりやすい。しかし, それは(歌詞原詞の全編掲載は)残念ながら不可能。

英語歌詞, つまりここでは, 英語で歌われる曲の原詞。その全編掲載に関するその辺りの事情については, 以下の note の「前説」の次の次の章「英語原詞 について」にて。

それでは, 間怠っこしい「ことわり書き」はこの辺にして(ようやくのこと!), 次節, "Suite: Judy Blue Eyes", 「組曲: 青い眼のジュディ」の歌詞和訳へ。

"Suite: Judy Blue Eyes" from Crosby, Stills & Nash's 1969 self-titled album 歌詞和訳

まずはさらっと書いてしまうと, Stephen Stills と Judy Collins は 1967年(英文 Wikipedia 記述によれば 1967年なのだが, The Guardian 記事によれば 1968年)に出会い, 恋人同士になる。しかし 二人の恋愛関係は 1969年に終わりを告げる。Stephen が Judy に振られる結末。シンプルに言えば, Suite: Judy Blue Eyes は失恋の歌(Suite: Judy Blue Eyes Suite は 同じ発音の Sweet にかけている)。

要するにこの曲は Stephen が Judy との恋愛, そして恋愛から別離に至る経験にインスパイアされて作った名曲なのだが, 曲を書いたタイミングに関し正確に記すと, これは別れの後(あるいは直後)に書いた, というようなものではない。

この曲を Stephen が書いていた時は, Judy との恋愛関係の終わりが差し迫っている, もはや二人の別れが避けられないものとして Stephen 自身にも強く感じられている, そういう微妙な(出来上がった名曲の仕上がりを想えば「絶妙の」と言えるのかもしれないが)タイミングにあったようだ。その辺りは, この歌の歌詞を理解する際に重要なもののひとつであるに違いない。

Suite: Judy Blue Eyes, the opening track on Crosby, Stills & Nash's self-titled album released on May 29, 1969 🎶

英語原詞 https://genius.com/Crosby-stills-and-nash-suite-judy-blue-eyes-lyrics (ただし [Verse 9] は "Lacy, lilting, leery .." でなく "Lacy, lilting, lady .." で, 訳注 *8)

[Part 1]
[Verse 1]
もう 僕のことなんか面白くなくなってしまったよね,
ごめんね (*0)
時々あまりにも辛くて大声で叫ばずにはいられなくなるんだ,
寂しいよ

[Chorus]
僕は君のもの, 君は僕のもの
君は君のままでいい
君はそれを難しくしているんだ

[Verse 2]
僕らが 互いに何を言い, 何をし, 何を感じていたのか思い出すんだ
ああ ベイビー, お願いだ
いや 過ぎ去った日々に 今の僕らではない姿を思い出させちゃダメだ (*1)
僕は夢を見てはいないよ

[Chorus]
僕は君のもの, 君は僕のもの
君は君のままでいい
君はそれを難しくしているんだ

[Instrumental Bridge]

[Verse 3]
いま 君は僕から離れていく -- 君はもう自由の身だね
そして僕は泣いているさ
これは僕が君を愛してないという意味じゃないんだ -- 愛してるよ, しかも永遠にね
そうさ, いつまでも

[Chorus]
僕は君のもの, 君は僕のもの
君は君のままでいい
君はそれを難しくしているんだ

[Verse 4]
心の中の何かが僕に言ってるんだ, 君の秘密を知ってるって
まだ聞いてるかい?
恐怖は錠, 笑い声は君の心への鍵さ
僕は君を愛してるんだ

[Chorus]
僕は君のもの, 君は僕のもの
君は君のままでいい
君はそれを難しくしているんだ
君はそれを難しくしている
君はそれを難しくしている
君はそれを難しくしている

[Part 2]
[Verse 5]
金曜の夜, 日曜の午後
失うものなんてないよね? (*2)
火曜の朝, 出て行ってくれよ, もう君にはうんざりさ
失うものなんてないだろ? (*3)

[Bridge]
心の内をありのままに話していいかい?(助けてほしい, 苦しいんだ)
聞いてくれ, ベイビー
苦しんでるのは僕の心さ, 死にそうだよ(助けてほしい, 苦しいんだ)
そしてそれこそ 僕が失わなくちゃならないものなんだ

[Verse 6]
答えが見つかったよ
僕から出ていくさ
僕が失うものなんてないだろ?
木曜と土曜に僕に会いに来てくれるかい?
君が失うものなんてないだろ? (*4)

[Instrumental Break]

[Part 3]
[Verse 7]
栗色のカナリア
ルビーの喉を持つスズメ
歌ってくれ, さぁ早く
骨の髄まで感動させてほしいんだ (*5)

[Verse 8]
天使たちの声が
月明かりの周りで響く
僕に問いかけるんだ, 自由の身の彼女がこう言って
「どうやってスズメを捕まえられるの?」 (*6)

[Verse 9]
君はレースのように気品があって, 軽やかなレディ (*7) (`8)
僕は愛を失い, 嘆き悲しみ (*9)
僕の人生を変えてくれ, やり直そう
僕のレディでいてほしいんだ (*10)

[Part 4]
[Outro]
Do-do-do-do-do, do, do, do-do-do-do
Do-do-do-do-do, do, do, do-do
Do-do-do-do-do, do, do, do-do-do-do
Do-do-do-do-do, do, do, do-do
 ¡Que linda! (*s)
Do-do-do-do-do, do, do, do-do-do-do
 Me recuerda a Cuba (*s)
Do-do-do-do-do, do, do, do-do
Do-do-do-do-do, do, do, do-do-do-do
 La reina de la Mar Caribe (*s)
Do-do-do-do-do, do, do, do-do
Do-do-do-do-do, do, do, do-do-do-do
 Quiero sólo visitarla allí (*s)
Do-do-do-do-do, do, do, do-do
Do-do-do-do-do, do, do, do-do-do-do
 ¡Y que triste que no puedo vaya! (*s)
Do-do-do-do-do, do, do, do-do
Do-do-do-do-do, do, do, do-do-do-do
Do-do-do-do-do, do, do, do-do
 O Va! O Va! (*s)
Do-do-do-do-do, do, do, do-do-do-do
Do-do-do-do-do, do, do, do-do
Do-do-do-do-do, do, do, do-do-do-do
Do-do-do-do-do, do, do, do-do

….. 🎶 ….. 🎶 ….. 🎶

訳注

*0 前後の文脈からこの I am sorry を「ごめんね」と訳すのか「残念だよ」と訳すのか迷うところだが, 上掲リンク先歌詞サイトでは I am sorry と次の次のラインの "I am lonely" の区別があるものの, いま我が家にあるアルバム(LP)1969年リリースのCSNセルフタイトル・アルバムの後年の輸入盤CD(US盤)に入っている歌詞原詞カードでは共に I am sorry と I am lonely で双方ともクォーテーションマーク(引用符)がない表記であり, "" 有無の区別はない。それを踏まえ, I am sorry は(どちらかと言えば, 程度で)「ごめんね」と訳した。

*1 このライン Don't let the past remind us of what we are not now の訳を「いや 過ぎ去った日々に 今の僕らではない姿を思い出させちゃダメだ」として, 冒頭に「いや違う」といったニュアンスの「いや」を(意訳的に)加えたのにはもちろん理由がある。

この Verse 全体は, 下記の通りなのだが,

Remember what we've said and done and felt about each other
Oh babe, have mercy
Don't let the past remind us of what we are not now
I am not dreaming

最初の 2行と後ろの 2行は 矛盾しているように見える。前者では「僕らが 互いに何を言い, 何をし, 何を感じていたのか思い出すんだ。ああ ベイビー, お願いだ」, にもかかわらず, 後者では「過ぎ去った日々に 今の僕らではない姿を思い出させちゃダメだ。僕は夢を見てはいないよ」。

この矛盾した表現の中にはっきりと見える Stephen の葛藤は

この曲を Stephen が書いていた時は, Judy との恋愛関係の終わりが差し迫っている, もはや二人の別れが避けられないものとして Stephen 自身にも強く感じられている, そういう微妙な(出来上がった名曲の仕上がりを想えば「絶妙の」と言えるのかもしれないが)タイミングにあったようだ。その辺りは, この歌の歌詞を理解する際に重要なもののひとつであるに違いない。

本節, 上段より

上記の背景を踏まえれば理解しやすいのではないかと思う。

*2 What have you got to lose? … 直訳すれば「君は何を失わなければならないの?」「君は失わなければならないものを何か持ってるの?」だが, これはしばしば You've got nothing to lose. と同じ意味で使われる表現。つまり, 「君は失うものなんて何もないだろう」あるいは転じて「ダメで元々, 一か八かやってみろよ」など。

[Verse 6] の What have I got to lose? は主語が違うだけで同じ趣旨の表現。

*3 [Verse 5] 全体に, 上の *1 同様の Stephen の葛藤が現われている。

*4 ditto, 同上って感じ。いや, [Verse 6] では [Verse 5] 以上に 葛藤する気持ち, 矛盾する気分が表現されているのではと。行ったり来たり, 去ろうとしたり留まろうとしたり, 別れようと思ったり別れないぞと思ったり, 何処までも揺れ動く感情。

*5 [Verse 7] では いよいよ "感極まり"の様相。もう別れは避けられないと理解しながらも Juddy を愛する気持ちを抑えられない Stephen, 言葉にできない感情を無理矢理に言葉にしている感がありありと。

*6 Judy への変わらぬ愛, しかし別れの時は既に迫っているという確信に近い予感, 更には他の男に Judy を奪われるかもしれないことへの恐怖(「かもしれない」どころか 実際にそうなる), そうした諸々が入り混じり, 愛, 恐れ, 葛藤(さらには嫉妬も?)などで揺れ動く Stephen の心の中で描かれる妄想の世界 .. [Verse 8] はそんな感じ。

ただし, 以下に留意。

Stills was devastated by the possible breakup and wrote the song as a response to his sadness.

In a 2000 interview, Collins gave her impressions of when she first heard the song:
[Stephen] came to where I was singing one night on the West Coast and brought his guitar to the hotel and he sang me "Suite: Judy Blue Eyes," the whole song. And of course it has lines in it that referred to my therapy. And so he wove that all together in this magnificent creation. So the legacy of our relationship is certainly in that song.

https://en.wikipedia.org/wiki/Suite:_Judy_Blue_Eyes#Background

There was also a long-distance issue to navigate. “My centre was in New York and his in LA,” explains Collins. “He hated New York and he hated therapy. And I was in both.”

https://www.theguardian.com/music/2017/sep/21/judy-collins-on-stephen-stills-i-said-its-such-a-beautiful-song-but-its-not-winning-me-back

これらを踏まえると, [Verse 7] [Verse 8] などには, Judy Collins が New York で受けていた therapy への(Stephen Stills による)「揶揄」的なものが織り込まれている可能性もあるようだ。

*7 Lacy は「レースの」「レースのような」「レースで作った」といった意味で使われる形容詞。名詞は lace, 「レース(透かし模様の編み地)」。レースのカーテン, レースのスカート, レースの下着, あの「レース」。Rod Stewart の「胸につのる想い」, "You're in My Heart (The Final Acclaim)" の歌詞にある lace 〜 You're ageless, timeless, lace and fineness 〜 を思い出す。

"You're in My Heart (The Final Acclaim)" 歌詞和訳

*8 [Verse 9] の出だしは 歌詞サイトにより "Lacy, lilting, leery"(leery は「(人が)疑い深い」「油断しない」), あるいは "Lacy, lilting lyric(s)"(lyric は「叙情詩」, lyrics は「歌詞」), あるいは "Lacy, lilting lady" と実に様々。

代表的なものでは(編集され変わる場合があるので, 2026.1.16現在)
leery
https://genius.com/Crosby-stills-and-nash-suite-judy-blue-eyes-lyrics

lyric
https://www.azlyrics.com/lyrics/crosbystillsnash/suitejudyblueeyes.html

lyrics
https://genius.com/Crosby-stills-nash-and-young-suite-judy-blue-eyes-lyrics

lady
https://www.songfacts.com/lyrics/crosby-stills-nash/suite-judy-blue-eyes

因みに いま我が家にある Crosby, Stills & Nash 1969年リリース(レコード, LPリリースの年)のセルフタイトル・アルバム 'Crosby, Stills & Nash' 輸入盤CD(US盤)に入っている英語歌詞カードでは "Lacy, lilting, lady" と記されている(leery に聞こえる気もするし, そもそもこういう歌詞カードが絶体に正しいのかどうか定かではないが)。とりあえず(!)ここでは "lady" を採用する。

*8, *9 Lacy, lilting, lady -- Losing love, lamenting … Lacy は上記 *7 の通りで, lilting は「(声・音・メロディー・リズム・歌などが)軽快な」「陽気な」「快活な」, lady はもちろん「女性」「淑女」「レディ」。そして Losing love は lose love の進行形, lamenting は lament(「嘆き悲しむ」)の進行形。Lacy, lilting, lady は Stephen から見た Judy で, Losing love, lamenting は Stephen 自身。

この 〜 Lacy, Lilting, Lady, Losing Love, Lamenting 〜 これらは全て L で始まる単語。要するに普通に「韻を踏む」のではなく「頭韻法」になっている。

Stephen Stills はおそらくは wordplay(言葉遊び)が好きな人のようで(そもそもが今日取り上げているこの歌のタイトル "Suite: Judy Blue Eyes" の "Suite" が 同じ発音の "Sweet" にかけていて, これも「言葉遊び」), 次章第1節に載せる "Helplessly Hoping" の歌詞でもこうした頭韻法やダブル・ミーニング的な wordplay が随所に見られる(詳しくは同曲の歌詞和訳ノート 第1章)。

そういうわけで 此処は wordplay, 愛する人との別れが差し迫っていても, その際の揺れ動く気持ちを歌にしていても, 此処はあくまで「言葉遊び」。となれば, 此処では個別の単語の意味やそれらの単語の組み合わせなどの意味を過度に「深読み」「深追い」する必要はないでしょう!

*10 Be my lady … girl や woman でなく lady, この lady は [Verse 9] の最初のラインにある lady 同様, 「女性」「淑女」などの日本語に置き換えるよりもカタカナで「レディ」の方がいいだろうと(発音を気にすれば「レイディ」の方がいいだろうけど此処は流石に「レディ」の方が一般に通じやすいから「レディ」)。

さて, 以下はスペイン語です。

*s スペイン語。分かりません。"linda" が「綺麗な」「美しい」は知ってるし, "Cuba" はまぁ「キューバ」で, "Caribe" は「カリブ」かな。"linda" が入ってるから Judy の魅力を絶賛してるのかなと想像するけれど, やっぱスペイン語, 分からないものは分からない。

やむを得ず, 普段, 意地でも(笑)使わない ChatGPT を, 以下の和訳に関しては, 我が '歌詞和訳' 史上 2回目の(無料範囲内での)使用(*C)。

そもそもなんで ここだけスペイン語なんだ? Stephen, 照れくさかったから? とにかく そもそもが分からないスペイン語なので, そこまでの文脈にどうはめ込むのかも定かでなく, ChatGPT の力を借りたうえに更に想像力で脚色した「超」意訳です。

¡Que linda! なんて素敵なんだ!
Me recuerda a Cuba キューバを思い出すよ
La reina de la Mar Caribe (彼女は)カリブ海の女王さ
Quiero sólo visitarla allí 僕はただ, そこで彼女に会いたいだけなんだ
¡Y que triste que no puedo vaya! なのに行けないなんて, なんて悲しいんだ!
O Va! O Va! いや, 行くよ!

Judy との別れが差し迫っているけれども, しかし Judy を「永遠に」愛するその気持ちを抑えられない, そんな Stephenによる, いまや直ぐにでも失恋しそうな空気の中での苦し紛れのスペイン語, 此処でこのスペイン語の意味を「苦し紛れの」日本語訳以上に深く考えなくてもいいでしょう!(笑)

*C 過去に ChatGPT の力を借りたのは 1回だけ。Bob Marley の ジャマイカ英語(パトワ語, ジャマイカ・クレオール語)による一部フレーズを前に, 他力を得るほかなく。以下の和訳の中の(訳注)*7 が それ。

ではでは!

青い眼のジュディ 〜 "Helplessly Hoping" & "Suite: Judy Blue Eyes"

"Helplessly Hoping" (Stephen Stills, CSN), 歌詞和訳

「組曲: 青い眼のジュディ」と同じアルバムに収録の, やはり Stephen Stills による名曲「どうにもならない望み」, Helplessly Hoping, あれも Stephen が Judy Collins との恋愛と別離の経験にインスパイアされて作った曲。

最初に書いておくと, この歌の(わりと?)よく知られた邦題は「どうにもならない望み」で, それは元の意味から遠く離れてしまってるようなわるい邦題ではないし, だから歌詞の中に登場する "Helplessly hoping" は意地張って(時々その種の意地を張るのです, 筆者は)別の日本語表現にすることもないだろうと考え, そのまま援用することにしました。

この歌は Stephen Stills の作。同じアルバムの 1曲目 "Suite: Judy Blue Eyes" と同様に, 当時恋人だった(そして別れた)Judy Collins との別離というヘビーな経験に触発されて作った曲のようです。

以下の第3章第1節より

Helplessly Hoping from Crosby, Stills & Nash's self-titled album released on May 29, 1969

歌詞原詞 https://genius.com/Crosby-stills-and-nash-helplessly-hoping-lyrics

どうにもならない望みを抱きながら
彼女の道化役は 彼女のそばを彷徨いて (*1)
彼女が発する言葉を待っている
優しくて本物の妖精のような人を (*2)
ちらっと見て, ハッと息をのむ
彼は空を飛べたらと思いながら走り出すのだが
さよならの声につまずいてしまう (*3)

沈黙を守りながら見つめ
彼は窓の脇で待っている
そして不思議に思うのだ
空っぽの部屋の中を
無情にも彼女の悪夢を見てしまって (*4)
彼は心配になる
さよならを聞いただろうか? やぁって言葉さえ?

彼らは それぞれ一人
彼らは 二人で一人(彼らは 独りぼっちだ)
彼らは 三人一緒(彼らは 共に自由だ)
彼らは それぞれで 四人(彼らは お互いのために)

階段のそばに立っている
何かが見えるだろう
確かに 混乱や曖昧でいることには 代償が伴う (*5)
愛は もうそこにはないんだ (*6)
長居していた女の中で 最早それは崩れ始めてる (*7)
迷ってると言いながら (*8)
やぁと言うだけで声を詰まらせる

彼らは それぞれ一人
彼らは 二人で一人(彼らは 独りぼっちだ)
彼らは 三人一緒(彼らは 共に自由だ)
彼らは それぞれで 四人(彼らは お互いのために)

….. 🎶 ….. 🎶 ….. 🎶

訳注 .. コーラス部分(They are one person, They are two alone, They are three together, They are four each other. 〜 They are one person, They are too alone, They are free together, They are for each other)に関することの他, 訳注および歌詞解読・解説については, 上掲 note 第1章および第2章および第3章にて。

49年後(2018年)に Judy が語る, 「青い眼のジュディ」を Stephen から初めて聴かされた時のエピソード

以下は, 次章(「付録」)第1節にリンクを載せる過去 note「"Both Sides Now" (Judy Collins) 歌詞和訳」の第1章第4節(「脱線」「派生」話題, その 1-2, 青い眼のジュディ "Suite: Judy Blue Eyes" 〜 49年後の Stephen と Judy)から 転載。

2018年6月収録のインタヴューかな, だからこの時, Stephen Stills は 73歳, Judy Collins は 79歳。

二人が 一緒にインタヴューを受けていて, 以下, 若干だけ意訳含みで後半部分を日本語にすると,

0:59~ インタヴュアーが Judy に「あなたはいつ初めて Suite: Judy Blue Eyes を聴いたの?」

Judy 曰く, 「1969年の誕生日だったわ。サンタモニカでコンサートしてた頃よ。ホテルにいて私は Stephen と話してたんだけど, 彼が直ぐ戻ると言って席外して, 花束と素晴らしいマーティンのギターを持って来たのよ, 誕生日のプレゼントにね。で, 彼はそこで座って(私の前で)Suite: Judy Blue Eyesを歌ったわけ。明らかに私のことを歌った歌ね。私は Stephen に言ったの, 『ビューティフルな歌ね, でもこの歌で 私を取り戻すのは無理よ(笑)』。だけど私たちは その後もずっと友だち同士なの」

隣りに座って Judy のこの話を聞いてる Stephen Stills の表情がなんともいえない感じ(笑)。

1:43~ の Stephen Stills の返しは一部聴き取りにくいけれど(英語字幕もそこは出ない, 笑), たぶん, おおよそこんな感じ,

「ある日, 俺は.. ああ 確かこう言ったんだ…『僕ら, いさかいは全部すっ飛ばして上手くやればよかったんだ』。すると 彼女は俺を見て(こう言ったんだよ)..『ノー』(笑)」

で, Judy 曰く「『ノー』よ。そうしたら 彼は Suite: Judy Blue Eyes を書かなかったことになるじゃない(笑)」(*1)

上に書いた通りで, Suite: Judy Blue EyesSuite Sweet と発音が同じ。何はともあれ, 数十年の時を経て, 素晴らしい二人の関係, What A Wonderful World というか, What a wonderful relationship! あるいは What wonderful besties! .. ってな感じ。

当時 振られた側の Stephen の今の心の中が 実際そうだといいけど(笑)。どれだけ時間が経過しても少しくらいは苦味, bitter な味わいがあったりするだろうか。まぁそんな時は 夜通しこれ聴いたらいい Bitter Sweet Samba!

そもそも Judy も Stephen も他人同士, いやそうじゃなくて彼らは筆者にとって赤の他人, 心の中の真実までは分かりません。でもそうだったらいいなぁ, とは思う, What wonderful besties!

ではでは。

… ♫ … ♫

*1 下掲リンク記事に, 2017年の Stephen と Judy によるツアーの際(彼らはその年に Everybody Knows というタイトルのアルバムを Stills & Collins のクレジットでリリースしている)の二人の会話に関するくだりがあり(以下の, 記事からの転載 2段落目), 上のヴィデオの「1:43~ の Stephen Stills の返し」部分に重なるところがある。その部分では聴き取れない箇所を想像で訳しているので, はっきりしないが, もしかしたら, その部分の Stephen の話は, 下の2段落目(2017年の二人のツアーのリハーサル中の会話)に当たるもの .. なのかもしれない。

This rapport has not only resulted in this tour but in their first joint album, Everybody Knows, whose title cheekily refers to their famous liaison. Both the show and the album feature the same clear subtext: friendship trumps romance.

“That’s a good message to send,” Collins says, several days after the Long Island show. “When we started rehearsing for the tour, Stephen said to me: ‘My God, we should have done this instead of the romance.’ And I said: ‘But then you wouldn’t have written Suite: Judy Blue Eyes, so that wouldn’t have worked.”

記事は 英文 Wikipedia(以下にリンク)記述の脚注からみつけたもの。

Collins elaborated in a 2017 interview:
Afterwards, we both cried – and then I said: "Oh, Stephen, it’s such a beautiful song. But it’s not winning me back." I’ve always understood that people have to write about their lives. Most of all, I felt the song was flattering and heartbreaking – for both of us. Neither one of us walked away from that relationship relieved. We were feeling like, "Whoa, what happened?”

https://en.wikipedia.org/wiki/Suite:_Judy_Blue_Eyes#Background


付録

"Both Sides Now"(Joni Mitchell 作詞作曲)by Judy Collins, 歌詞和訳

以下, 歌詞和訳 note リンク および その目次。

【 目次 】
1. "Both Sides Now" by Judy Collins, 歌詞和訳
 1) "Both Sides Now" by Judy Collins, 歌詞和訳
 2) 訳注 および 解説(歌詞解読)

 3) 「脱線」「派生」話題, その 1-1, 青い眼のジュディ 〜 "Helplessly Hoping" & "Suite: Judy Blue Eyes"
 4) 「脱線」「派生」話題, その 1-2, 青い眼のジュディ "Suite: Judy Blue Eyes" 〜 49年後の Stephen と Judy

 5) 「脱線」「派生」話題, その 2, "Who Knows Where the Time Goes?" (Sandy Denny) by Judy Collins, Sandy Denny 〜 "Blues Run the Game" (Jackson C. Frank) by Sandy Denny, Jackson C. Frank, Simon & Garfunkel

2. "Both Sides, Now" by Joni Mitchell, 歌詞和訳
 1) "Both Sides, Now" from Joni Mitchell's 1969 album Clouds, 歌詞和訳
 2) 初出 note 〜 "Both Sides, Now" (Joni Mitchell) 歌詞和訳

3. Joni Mitchell と CSN と Judy Collins 〜 Both Sides Now

CSN, CSNY 歌詞和訳リンク集

以下に, 今日 歌詞和訳した Suite: Judy Blue Eyes を 追加。

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