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Paul Simon "America" (拙訳)

第2章は, 2026年3月26日 追加。


Paul Simon "America" (拙訳)

写真は Paul Simon の 1965年リリース、 Simon & Garfunkel 時代ではありますが、彼の事実上の 1枚目のソロ・アルバムといってよい "The Paul Simon Songbook" のカヴァー写真、"America" は 1968年リリースの Simon & Garfunkel の 4枚目のアルバム "Bookends" に収録されたもので、勿論このアルバムには収録されていません。ただ、"America" の歌詞の中に登場する Kathy がこの写真で Paul の右側に映っている女性、そういう理由で、この写真を使うことにしました。

"The Paul Simon Songbook" は当時一旦 Paul 自身の意向で回収され、後に今世紀に入ってから CD として再発されたという興味深い逸話を持つアルバムで、いつか note でこのアルバムそのものについて書きたいとも思っています。と書いて側と気がついたのですが、以前 Paul Simon の "Kathy's Song" の歌詞拙訳を載せた時、"The Paul Simon Songbook" や Kathy (Kathleen Chitty) のことをわりと書いていました(*2)。しかし、いつかもう少し踏み込んで、あらためて書くかもしれません。 

とにかく、今日は "America" の歌詞の和訳を載せます。この "America" と、Paul Simon の 3枚目のソロ・アルバム、Simon & Garfunkel 解散後では 2枚目のアルバムに当たる 1973年リリースの "There Goes Rhymin' Simon" に収録された "American Tune" は、トランプが大統領になって以来ますます混迷を深めるアメリカ合州国にあって、今年 2019年あるいは来年 2020年になっても、国歌 "The Star-Spangled Banner" とはまた別に National Anthem として相応しい 2曲なのではないかと思っています。おそらくは、今後もそう在り続けるでしょう。などとアメリカ市民でない私が言うのは些かお節介でしょうけれども。

この歌 "America" については、歌詞の中で表現されているような America 探しの「旅」の歌でもあり、また、わけのわからぬ期待と不安の中で将来をみつめる若者たちの自分探しの「旅」の歌でもあり、若き日の Paul Simon 自身の自分探しの「旅」の歌でもあると解釈しています。しかし、期待や不安を抱くことは、若者だけに許された特権ではないでしょう。この歌は、老いも若きも、姿の見えない未来に向かおうとする全ての人のための、自分探しの「旅」の歌でもある。そんなふうに私は受け取っています。そう捉えれば、この歌は必ずしも、アメリカ人に向けたメッセージに留まらず、今日と明日を生きようとする全ての人への応援歌だと思ってもいいのではないでしょうか。もちろん、そもそも Paul Simon 自身の意図したところが何処にあったのか、それは知る由もありません。しかし、全ての歌、もっと言えば、全ての表現作品は、鑑賞するものがそれを受け取った時、既に作者の意図からある程度離れていくものでもあるのだろうと私は思っています。

"America" は Simon & Garfunkel 時代のオリジナルも非常に好きなのですが、ここでは Paul Simon が 1974年にリリースしたライヴ・アルバム "Paul Simon in Concert: Live Rhymin'" の最後、12番目の曲として収録されている同曲の音源を使いたいと思います。歌い始める前の聴衆とのやりとりを聴くことができ、それが何とも魅力的なのです。

(audience) "Say a few words!!"

(Paul Simon) "Say a few words.. Well, let's hope that we're.. Let's hope that we, continue to live.."

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。英語歌詞・原詞は公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.1 加筆/削除/編集)。

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「僕達、恋人になって結婚しよう
 未来を一つにしてパートナーになろう
 お金なら何とかなるさ
 バッグに少し持ち合わせているんだ」(*3

そして僕らは タバコを一箱と
ミセス・ワグナーのパイを買いました
それから歩き始めたのです
アメリカを探すために

「キャシー」と僕は言いました
僕らはピッツバーグでグレイハウンドに乗っていました
「ミシガンは僕には今では夢のようだよ
 前なら4日もかかったんだ
 サギノウからヒッチハイクをしたらね
 僕はアメリカを探しに来たんだ」

バスの中では二人で笑い合って
乗客の顔を見ながらゲームをしました
彼女がギャバジン・スーツの男は
実はスパイなのよと言うので
僕は言ったんです
「気をつけなよ 彼の蝶ネクタイは本当はカメラなんだ」

「タバコを投げてくれないか
 レインコートに1本残っているはずだから」
「私達、最後の1本を吸ってしまったのよ
 1時間も前にね」

だから僕は窓の外を眺めたんです
彼女は雑誌を読んでいました
外では大地の彼方を月が昇っているところでした

「キャシー、僕はわからなくなってしまったよ」
彼女が眠っているのは知っていました
「僕は空っぽで 苦しくて
 おまけにどうしてなのかもわからないんだ」

ニュージャージー・ターンパイクでは
走る車を数えたりしましたが
彼らもみんな アメリカを探しにやって来たんです
みんなアメリカを探しに来たんです
みんなアメリカを探しに来たんです

................

*1 2001年夏に本を一冊買って html を独学して立ち上げ、以後全く仕様を変えていない旧態依然とした私のホームページ上に、この歌の拙訳を載せています。

http://dailyrock.konjiki.jp/utaamerica.html

*2 "Kathy's Song" 拙訳を載せた note 投稿

https://note.com/dailyrock/n/n0d410a250eb7

*3 詳しくは 2026年3月12日付 note 第2章第1節(以下に再掲)を参照。

2002年12月7日 初訳

「僕達、恋人になって結婚しよう
 未来を一つにしてパートナーになろう
 お金なら何とかなるさ
 バッグに少し持ち合わせているんだ」

2026年3月12日 試訳(案)

「僕達、恋人になって結婚しよう
 未来を一つにしてパートナーになろう
 少しなら不動産だって持ってるんだ
 鞄の中だけどね」

2026年3月12日付 note 第2章第1節は, 以下の通り。

"I've got some real estate here in my bag" 〜 「お金なら何とかなるさ, バッグに少し持ち合わせているんだ」, 「少しなら不動産だって持ってるんだ, 鞄の中だけどね」

real estate について, そして Verse 1 冒頭における主人公の言葉 "Let us be lovers, we'll marry our fortunes together. I've got some real estate here in my bag" に関して, あらためて検討する。

real estate の英語の意味自体はもちろん「不動産」なのだが, この歌の歌詞を日本語に訳す際にこの real estate を含むラインをどのような日本語に置き換えるべきなのか。そこはいざ迷い出すとけっこう悩ましい話にはなる。

real estate は普通, 「不動産」の意で使われる熟語だ。これはこの歌の歌詞を訳そうとする多くの人の知るところではあると思う。これをもともと「金(かね)」を意味する熟語だと思う人はさすがにいまい。もうひとつ言えることは, この real estate の熟語の意味を知らない人なら, 辞書を引くことになる。引けば, すぐに「不動産」と分かる。

この歌の歌詞の和訳を試みたのは随分と昔のことなのだが(23年余り前, 2002年12月7日), その頃の自分は既に雑誌に掲載された英文記事などで「不動産」を意味する熟語 real estate を把握していたように思う。仮にその時点で知らなければ(まさか知らないまま「金(かね)」の意と断定するはずもなく)辞書を引くはずだから, いずれにしても real estate は「不動産」と分かったうえで, しかしこの歌詞の中では(そのラインあるいはヴァース全体を)どういう日本語で表現するのか, と考えたのだろう。

当時の自分がどういう考えで "I've got some real estate here in my bag" を「お金なら何とかなるさ, バッグに少し持ち合わせているんだ」としたのか, 何しろ20年以上前のことでそれは自分でも想像する他ないのだが(ガキの頃, 1970年代初期!にLPレコードのライナーノーツ内で見た日本語訳の微かな記憶に引きずられた一面すらあるの「かも」しれない), 昨日切っ掛けがあり, あらためて, real estate について, そして Verse 1 冒頭における主人公の言葉に関して, 以下に検討することにした。

"Let us be lovers, we'll marry our fortunes together
I've got some real estate here in my bag"


上記 Verse 1 の冒頭, これをまずは分解し, それぞれ分けて検討してみる。

1) Let us be lovers
「僕達、恋人になろう」

2) we'll marry our fortunes together
「僕らの運命を一緒にするんだ」

marry は「結婚する」「結婚させる」などの他に 他動詞として「(~を)結合させる」という意味で使われる場合がある。ここではそれだろう。

fortune(s) は「富、財産、大金」あるいは「運」「幸運」もしくは「運勢」。歌詞の上記ラインにおいては, 「財産」「運」「運勢」(もしくは「運命」)辺りなら, そのいずれに解釈しても通る気がする。ただし, この歌の二人である限りは「財産」の場合は「少しの財産」である(要するに「富」や「大金」ではない)。

3) I've got some real estate here in my bag
「少しなら不動産があるんだ, 鞄の中に」
「少しならお金もあるんだ, バッグの中に」(意訳的)

鞄とバッグの違いにはさしたる意味はない(「不動産」という漢字を使うと「鞄」にしたくなる, ただそれだけかもしれない)。

さて, 上に書いたように, real estate は「不動産」の意で使われる熟語だ。これはこの歌の歌詞を訳そうとする多くの人の知るところではあると思う。これをもともと「金(かね)」を意味する熟語だと思う人はさすがにいまい。もうひとつ言えることは, この real estate の熟語の意味を知らない人なら, 辞書を引くことになる。引けば, すぐに「不動産」と分かる。

問題は, ここでそのまま「僕は 鞄の中に幾ばくかの不動産を持ってるんだ」と, 素直に(直訳あるいは逐語訳的に)日本語にすべきなのかどうか, ということ(一応付しておくと, some は「幾ばくかの」といった意味で使われる場合がある)。

「不動産」は堅苦しく言えば「土地およびその定着物(建物)」(動かせない財産)のことで, 当然ながら「土地」や「建物」は 鞄の中に入らない。バッグの中には入らない。したがって, 「僕は 鞄の中に幾ばくかの不動産を持ってるんだ」, では明らかにおかしい(有り得ない)表現だ。

とはいえ, その種の, 現実では有り得ないことを言葉で表わすことは, 詩もしくは歌詞の中では逆にいくらでも有り得る(比喩なり暗喩なり様々なかたちで)。そのうえで, それをどういう日本語にするのか, ということになる。要するに, 比喩なら, 詩的な表現なら, 例えば日本語にした場合にかなりの違和感があるケースでもそのまま(ある意味, 直訳的もしくは逐語訳的に)訳すのか, それとも, 文脈や前後あるいはそのヴァース全体の意味を踏まえて意訳するのか(意訳的な翻訳をするのか), そこは詩や歌詞を訳す作業において極めて難しい問題のように思える。

"Let us be lovers, we'll marry our fortunes together
I've got some real estate here in my bag"

Let us be lovers, we'll marry our fortunes together は, 上の検討によれば「僕達、恋人になろう。僕らの運命(運勢, 運, 幸運)を一緒にするんだ」「僕達、恋人になろう。僕らの財産(少しの財産)を一緒にするんだ」など。

筆者の当初の訳では「僕達、恋人になって結婚しよう。未来を一つにしてパートナーになろう」としていて, 意訳ではあるが, そう飛躍的な意訳ではないと自分では思う。

I've got some real estate here in my bag は「お金なら何とかなるさ, バッグに少し持ち合わせているんだ」としていたのだが, これは要するに, まずは「鞄の中に幾ばくかの不動産を持ってるんだ」ではさすがに日本語として違和感が強いだろうと考えたのだろうと思う。そのうえで, 「不動産」を意味する real estate は ここでは何なのか, 「幾ばくかの」を意味する some と合わせ, some real estate「幾ばくかの不動産」, しかも here in my bag「鞄の中に」とはどういうことなのか, 何を意味する比喩なのか, 考えたのだろう。

考えたのだろうが, 名案も浮かばず, その前の we'll marry our fortunes together fortunes が「財産」「大金」などを意味する言葉でもあることを踏まえ(あるいはそれに釣られ), 「鞄の中に幾ばくかの不動産を持ってるんだ」を「鞄の中に少しのお金なら持ってるんだ」とし, 「お金なら何とかなるさ, バッグに少し持ち合わせているんだ」に落ち着いたのでは, いま察する限りでは, 23年余り前の自分の歌詞和訳作業の一部をそんなふうに, 大雑把に想像する。

さて, ここで, 今朝「発見」したあるウェブサイトのページから転載。

Then where his is home, such as it is? He tells us that in the first verse: "I've got some real estate here in my bag." His home is the road. George Carlinexplained, in his famous "Place for My Stuff" routine, that a house is "just a pile of stuff with a lid on it." Well, Simon's "place for his stuff" is in his bag. All he needs is some junk food, cigarettes, and a magazine... and he's set.

http://paulsimonsongs.blogspot.com/2010/04/america.html

日本語訳

では, 彼の家は一体どこにあるのだろうか? 彼は最初のヴァースで告げている。「鞄の中に幾ばくかの不動産があるんだ」。彼の家は道路だ, 路上だ。George Carlin は, 彼の有名な "Place for My Stuff"(俺の持ち物の置き場所)という演目で, 家とは「蓋が付いたただの物の山」だと説明した。そうなんだ, ("America" の歌のなかの)Simon にとって「彼の持ち物の置き場所」は 鞄, バッグの中なのだ。彼に必要なのはいくらかのジャンクフード, タバコ, それから雑誌…それだけだ, それで準備完了ってわけだ。

ここで再び, 件(くだん)のラインに関し, 考えを進めてみる。

「不動産」, 要するに土地や建物, 家などは動かせない, だから「不動産」だ。それが「鞄の中にある」という。そんなもの, 実際にはあるわけがない。そして, あるいは「しかし」, 彼はいま(キャシーと二人で)「アメリカ」(が象徴するもの, もしくは「アメリカ」が象徴するものと彼が考えたもの, 自由, 希望, チャンスなど)を探す旅に出るところだ。彼の家(「不動産」)はその旅の中にある, あるいはその旅の途上にある, ある意味「有り体に言えば」その旅をするうえでの, 路上にある。

そんなふうに解釈したうえで I've got some real estate here in my bag を「少しなら不動産だって持ってるんだ, 鞄の中だけどね」という些か皮肉めいてユーモラスな語感のある日本語に置き換えるなら, それを上記のような解釈を背景としたものだとするのであれば, これはこれでわるくないかなと思う。

疲れたね(笑)。

2002年12月7日 初訳

「僕達、恋人になって結婚しよう
 未来を一つにしてパートナーになろう
 お金なら何とかなるさ
 バッグに少し持ち合わせているんだ」

2026年3月12日 試訳(案)

「僕達、恋人になって結婚しよう
 未来を一つにしてパートナーになろう
 少しなら不動産だって持ってるんだ
 鞄の中だけどね」

Paul Simon "America", 歌詞和訳・改訳 (2026年3月26日)

これです。

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