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皮膚は覚えている――転生恋愛マンガを描いた日のこと



五回、出会った。五回、結婚した。五回、どちらかが先に死んだ。でも毎回、手を握った瞬間だけは「知っている」と感じた。――頭は忘れる。名前も顔も時代も全部忘れる。でも手だけが覚えている。そんな転生恋愛マンガを描いた。9ページ、読んでほしい。





手のことを書く。

いきなりだが、わしは最近、手のことばかり考えている。六十八年も生きていると、手というものがどれだけのことを覚えているか、ときどき恐ろしくなるのであった。

カメラのシャッターを切った回数。タクシーのハンドルを握った年月。点滴の針が刺さった左腕の甲。入院したとき、看護師さんの手がやたらと冷たくて、その温度だけを妙にはっきり覚えている。血糖値の数字は忘れても、手の感触は残っているのだ。まったく不思議な話である。

で、そういうことを考えていたら、マンガが一本できてしまった。

転生の話である。

江戸末期の長崎から始まる。源吾という侍が、ハルという女を背負って石畳を歩いている。「へへっ、すまねぇな」とハルが笑う。三年後、コレラがハルをさらう。源吾は、ハルの草履を死ぬまで捨てなかった。

明治になると、東京の質店で賢治郎と澄江が出会う。「どこかでお会いしたことがある気がします」と賢治郎が震える。澄江は笑う。その笑い方が、何かに似ていた。何に似ているのか、賢治郎にはわからなかった。七年後、日清戦争で賢治郎は死んだ。澄江は一生、再婚しなかった。

昭和初期の大阪。義雄は、文子を見た瞬間、全身が震えた。なぜ震えたのか、義雄は説明できなかった。十一年後、空襲が来た。文子は逃げ遅れた。義雄は瓦礫の中を、朝まで掘り続けた。

昭和後期の京都。名前はもう書かなくていい。手を握った瞬間、「この手を、知っている」と男は思った。二十三年後、妻は癌だった。病室で、二人は手を握った。「また、会えるな」「また、会えるわ」。心電図の音が、ピーッと鳴った。

そして現代。福岡。

蓮という男がマッチングアプリで写真を見た瞬間、なぜか泣いた。理由がわからないのに涙が出るというのは、人間の体のバグではないかとわしは思うのだが、たぶんバグではないのだろう。それは、手が覚えていたのだ。

初デートは博多の屋台だった。ラーメンの湯気の向こうに、芽衣がいた。蓮は長い長い時間をかけて、自分が何かを探していたことに、やっと気づいた。

結婚した。

しかし、芽衣の病気が見つかった。

病室で蓮は芽衣の手を握って言った。「俺たち、たぶん、ずっと前から……こうやって手を握ってたんやないかな」。芽衣は笑って、「ふふっ……そうやね」と言った。「また、絶対、会える。だって――あなたのこと、ちゃんと覚えとくから」。

わしはこのマンガを描きながら、自分で泣いてしまったのであった。

六十八にもなって、ペンタブの前で鼻水を垂らすというのは、なかなかみっともない光景である。しかし仕方がないではないか。手が覚えているのだ。わしの手も、いろんなことを覚えている。

魂には、記憶がある。頭は、忘れる。でも、手は、覚えている。

だから人は、初めて会ったのに、「知っている」と感じる相手がいる。それが、愛の正体なのかもしれない。

このマンガを描いてそう思った。思っただけで、証明はできない。でも、手のひらが、なんとなく温かいのであった。



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