衝撃だったおふく、新之助の覚悟とは|べらぼう31話
視聴後、あまりに辛くてどう記事にしようかと悩みました。
大河べらぼう31話「我が名は天」。
ここにきて森下脚本の凄まじさが襲ってきましたね。せっかく吉原から逃げのびたおふくがまさか…。
いや、心が痛むのはあまりにも彼らに感情移入していたから。これぞ良質なドラマの証。思う存分彼らの気持ちを思い、嘆き、考えましょう。
今回は、サブタイトルの「我が名は天」を軸に、逝去した十代将軍・徳川家治と、すべての元凶として描かれる一橋治済。
そしておふくと新之助について、感想・考察していきます。
✅前回の30回の感想・考察記事はこちら。歌麿が苦悩の末に鳥山石燕のもとで絵師として新しい一歩を踏み出したこと、そして石燕や枕絵について説明しています👇
天こそ無慈悲。誰にも操れはしない
今回のテーマは「天」でしたね。
天明の大飢饉で私が思い出すのは、昔読んだ宮本常一著「日本残酷物語」の中の東北の飢饉の様子。
一部の地域では極度の飢えのために人肉まで食べざるを得なかった、苛烈な状況が記されていました。
その飢饉は地方だけではなく、江戸にどう影響していたのか。それを改めて実感をもって考えさせてくれたのが、この回だと思いました。
無念の家治、天を騙(かた)る治済
最近体調がすぐれない将軍・家治を心配した知保の方が、手づから作ったという「醍醐(だいご)」。
✅醍醐は牛乳を精製して作るチーズ、あるいはバターオイルのようなものとされます。
しかしそれには、千保の方が頼りにしている大奥御年寄の大崎が、ひそかに毒を盛っていたのでした。口にした家治はさらに具合が悪くなる。
しかし、誰が毒を盛ったか探していけば、毒見役や奥医師、台所の者まで累が及ぶ。だから公表しないと言う家治に、意次は「なぜあの者(治済)をかばうのですか」と苛立ちながら聞きますが、家治はこう答えます。
「あやつは天になりたいのよ。人の命運を操り、将軍の座を決する天になりたいのだ。そうすることで、将軍などさほどの者ではないと笑いたいのであろう。将軍の控えに生まれついた、あの者なりの復讐であるのかもしれぬな」
今、ここで英明な家治によって、家基(家治の長男)を手袋で毒殺し、平賀源内を獄死させ、佐野政言に田沼意知を斬らせた、巨魁・治済の考えが明かされました。
徳川御三卿といえど、将軍に何かあったときの控え、スペアでしかない。ある意味、大名の次男坊、三男坊と変わらない、表舞台では活躍できない身の上。
ならば、自分が将軍よりも上の天となって、この世を操ってやろうではないか。それが治済の考えた復讐だというのです。
やがて、死の床に伏した家治が、側に控えた治済ににじり寄っていくところは胸を突かれました。
「よいか、天は見ておるぞ、天は天の名を騙る驕りを許さぬ。これからは余も天の一部となる。余が見ておることを、ゆめゆめ忘るるな」
しかし呪詛は相手が受け止めて動揺してこそ効力があるもの。息絶えた家治を見下ろし、白々しく「家治は死を前に混乱した」と言い捨てた治済に、果たして天の裁きは下るのでしょうか。
これからの史実を見れば、治済の子・家斉のこの世の春が続き、治済はその実父として権力を握る。
やはり天は無慈悲と思うのですが、さて、ドラマではどのように描かれていくのでしょうか。
おふくは幸せだった?新之助の覚悟とは…
江戸城では将軍が亡くなった一方で、特に水害がひどかった深川の長屋に暮らす新之助・おふく夫妻は辛酸を舐めることになりました。
この水害は、天明3年7月の浅間山の噴火が間接的に関係していたそう。噴火による泥流や火山灰が利根川の破堤を誘発し、災害が連続的に拡大する『連続複合災害』と考えられています。
✅ステラ べらぼうコラム #31 より
思えば、新之助・おふく夫婦は、浅間山が噴火してからずっと苦労続き。
吉原の俄の祭りに神隠しの足抜けを果たしたころが、ドラマの中とはいえ夢のように懐かしい。
「我よ人よの譲りなく。人(にんべん)と我とを隔ぬをもて。俄の文字調ひ侍り」
「明月余情」の序文、朋誠堂喜三二の名文と共に、飾り笠をかぶって大門を出ていく二人が、今も目に美しくよみがえりますよね。
✅大文字屋のすずめ踊りも楽しかった俄の回、第13回の記事はこちら
おふくは、亡くなってしまいました。
「私は人に身を差し出すのには慣れているから」
そう言って、近所の赤ん坊に乳をあげにいっていた。その家の父親によって殺されてしまうのです。
理由は、蔦重からもらった米。その米があることを妻から聞いた男は、新之助とおふくの家からその米を盗もうとし、それを拒んだおふくとその子供を殺害してしまった。
おふくばかりか生まれたばかりの子供まで。これはあまりにも衝撃的でした。
しかし、新之助はこうつぶやきます。
「この者は俺ではないか」
一歩間違えば、自分も妻や子供のために盗みに入り、相手を殺してでも食べ物を奪おうとしていたかもしれない。
咄嗟にそう思うほど、新之助もぎりぎりまで追い詰められていた。今までそんなことが頭をよぎったこともあっただろうほどに、窮地に立たされていた。
だからこそ、「俺はどこの誰に向かって怒ればいいんだ」というやりきれない思いがつらい。相手の立場を察することができるだけに、新之助には怒りを発することもできない。
相手の気持ちが分かるからこそ、どうしようもない思いに苦しむ。それは将軍・家治も、新之助も同じでしたよね。
しかし、新之助とおふく、そして生まれたばかりで命を絶たれた子供のことを思えば、治済の「天を操りたい」などという、コンプレックスこじらせたエリートのような思いなど、まるでおままごとのようではないですか。
天は誰のものでもなくただそこにあるだけ。
しかし、立場によってありがたくもあれば、恐ろしくもある。憎らしくもある。
「…もはや逃げてはならぬ気がする、この場所から」
かつて吉原から、おふく(当時はうつせみ)を連れ出すことに失敗したときには、へっぴり腰で切腹しようとしてもできなかった新之助。
その新之助が、何もかも失って決めた覚悟とは一体何なのでしょうか。次回の予告編が気になってたまりません…!
おわりに
以上、将軍・徳川家治と一橋治済。そしておふくと新之助について、感想・考察しました。
また今回は、田沼意次がお役御免となった回でもありました。意次の失脚は、皆様ご存知のように蔦重や戯作者たちの苦境につながります。
これからますます辛くなるなあ、と思うのですが、そんな時は屁を詠んで遊んだ狂歌や、浮名を流したいがために命をかけるおバカな若旦那を描いた黄表紙を思い出して少し和みましょう。
きっと当時の人も、思い通りにならない現実の中で、馬鹿々々しい笑いに救われたと思うので。
また、このnoteでも黄表紙の面白いところを紹介していきますね。どうぞお楽しみに。
あなたは今回の衝撃の展開、どう感じましたか?
ぜひコメントでお聞かせください。お話しましょう。
それではまた次の記事で!
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✅ 次回の感想書きました!
32話 感想・考察 — 意次の復活と治済の暗躍、新之助の儀とは?ぜひお読みください!
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