背表紙の鳥籠|【狸の掌編】
この静かな書斎で息を潜めている。
壁一面を埋め尽くす巨大な本棚。
それが私たちの身体であり、棲家である。
司書と呼ばれる男が、
毎日決まった時間にやってくる。
彼は埃を払い、革の背表紙を指でなぞり、
私たちの存在を確かめる。
その眼差しは慈愛に満ちているようでもあり、
深い哀れみを湛えているようでもあった。
私たちは、一冊一冊が独立した世界。
しかし、その結末は永遠に訪れない。
硝子の塔で夢見る少女は、
来る日も来る日も同じ歌を歌う。
終わらない戦争を生きる兵士は、
同じ泥濘で同じ敵と対峙し続ける。
名もなき星のロボットは、
決して枯れることのない最後の花に、
永遠に水をやり続ける。
希望は絶望に変わらないが、成就することもない。
喉の渇きを決して癒せない、甘い毒のような時間。
物語という名の鳥を決して飛び立つことはさせない。
永遠にさえずらせておくための、美しくも残酷な籠。
近頃、司書の様子がおかしい。
彼は祈るように私たちの間を彷徨い、
時折、一冊の本を抜き取る。
その指は、かすかに震えている。
彼はページをめくるのではなく、
背表紙にそっと頬を寄せる。
まるで、愛しい我が子に別れを告げるように。
「すまない。もう、楽にしてやる」
彼の声は、赦しを乞う罪人のように掠れていた。
腰から古びた真鍮の鍵を取り出し、
暖炉の鉄扉に差し込む。
カチリ、と重い音が響く。
それは書斎の扉を開ける鍵ではなく、
私たちの鳥籠に繋がる、唯一の出口の鍵。
彼は、本を火にくべる。
そのたびに、
私たちの内側から一つのループが断ち切られ、
そして永遠の安らぎに沈んでいく。
私たちは恐怖に震えた。
変化という名の死を知らなかったから。
仲間が、世界が、無慈悲にも消されていく。
彼は番人ではなかったのか。
私たちの永遠を守る、
守り手ではなかったのではなかったのか。
「もう少しだ」
司書が虚空に向かって呟くのが聞こえる。
その目には涙が浮かんでいた。
「もう少しで、きみたちを解放してやれる」
解放? この永遠の喪失が?
彼の悲痛な使命は、ついに最後の一列にまで及んだ。
残された鳥籠はもう数えるほどしかない。
そして今日、彼は最後の一冊を手に取った。
それは、どの世界とも繋がっていない、
白紙のページだけで作られた空っぽの本。
私たちの始まりであり、
この書斎という名の錠前の中心にあるべき書。
彼はその本を愛おしげに抱きしめ、そして言った。
「お疲れ様。本当に、長かったな。もう眠っていい」
司書は白紙の本を暖炉へと投げ入れる。
炎がページを舐め、熱が私たちを包み込む。
視界が白く染まる。
兵士の癒えなかった傷が消え、
少女の届かなかった歌声が空に溶け、
ロボットの孤独が満たされていく。
全てが溶けて、ただ穏やかな光になっていく。
繰り返された苦痛が消え、渇望が癒されていく。
ああ、そうか。
彼は司書などではなかった。
彼は役目を終えた魂を永遠の牢獄から解放する、
慈悲深き看守だった。
鍵は初めから扉を開けるためだけに、
あるのではなかった。
最後の鍵は、籠そのものを焼き尽くし、
鳥を大空へ還すためのものだった。

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