地域公共交通維持運行路線|【狸の短編小説】
左手は、生まれつき岩だった。ゴツゴツしていて、いつも石のように冷たい。周りのみんなと違うことは、だいぶ前から気づいていた。ソワソワしていて、いつも孤島のように寂しい。
店で小銭をもらうとき、指が触れる前にさっさと引っこめる。「どうして手袋を」と聞かれたとき、疑われる前にさっさと消え失せる。
いくら手袋で隠しても、その不自然なふくらみは人の視線を集めてしまう。果たして、この手が重いのか、人の注目が重いのか。もう僕には分からない。
その日、降っていた雨が、辺りの道路を黒く覆い尽くしていた。バスに乗り込むと、空気は張り詰める。背中にささるヒソヒソ声。
「なんだか気味が悪い」「気分が悪くなる」
乗客の高く喧しい声が、空いている車内によく響く。その様子を鏡越しに、困った顔で見る運転手。誰も何も言わないのは、この人達の言葉に賛同しているのと同義だった。
やがて、運転手が決心して口を開く。
「お客さん、すみませんが、お静かにお願いします」
運転手の低く静かな声が、空いている車内によく響く。
気持ちの一切がこもっていない、仕事としてマニュアル声。ただ、それはたった一つの許しのようで、僕という存在の土台となった。
あの日から、バスに乗ることが大切な習慣になってしまった。彼女が運転する、夕方五時十五分のバス。いつも、彼女の横顔を捉える席に座って、その真剣な表情を見つめている。
丸い大きな輪を回す、黒い手袋のしなやかな指は、自分の岩の手となにもかもが違っている。窓の外は、いつもの景色が通り過ぎていくのに、車内ではいつも違う彼女がそこにいる。
ふと、前のガラスの隅に貼られている、小さな丸いしるしが目に入る。
『地域公共交通維持運行路線』
その文字がどんな意味なのか、特に考えることはなかった。
料金箱にお金を入れるその一瞬、彼女と目があうかもしれないと考える。心臓が少しだけ速くなり、いつも以上に息を吸う。
「ありがとうございます」
彼女は前を見たまま、いつもと同じ声で言った。バスの揺れも、低い唸りも、機械の単調な動きも、この小さな特別な場所では、全てが心地よい音楽に聞こえる。
明日もまた、この席に座るために、一日を頑張ろうと、そう思えるのは幻想だ。

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